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Recordless future  作者: 宮下龍美
第2章 カゲロウが揺れる
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海に揺らめく光 4

 巨大な触腕が蠢き、高い波が砂浜に押し寄せる。人間が捕まってしまえば、ひとたまりもなく体を砕かれてしまうだろう。しかし巨大な分鈍重なそれは、空を飛ぶ三人を捕らえることはない。


「こうもデカイと動きも遅いな!」

「油断しないでください! 次が来ますよ!」


 クラーケンの頭に、魔法陣が広がった。そこから放たれるのは、鉄をも両断する超高水圧の水だ。

 避けることは出来ない。三人の背後には、ホテルが建っているから。

 ならば受け止めればいいだけのこと。水色の髪をなびかせた有澄が前に躍り出て、魔力を解放する。


氷鏡盾(グラスリフレクシオン)!」


 クラーケンの放った水のレーザーが、氷の鏡に吸い込まれる。同じ氷の鏡がクラーケンを囲むように展開され、そこから己の魔術であったはずの水が放たれる。

 躱すこともなく直撃するが、当然のようにダメージは入っていない。やはり、水の魔術は通用しないか。


「第三術式解放、深淵を覗き叫ぶ招雷クラマーレ・ヴィタル・アビス!」


 雷の弾を二つ放つ朱音。着弾した二本の触腕に、天から稲妻が降り注いだ。朱音が持つ術式の中で、最も高威力な雷の魔術だ。稲妻は触腕を焼き、本体まで感電させる。


 そのはずだったのに。


「効いてない……?」

「どうなってんだよオイ!」


 別の触腕から逃れるように飛ぶカゲロウが叫んでいるが、朱音にだって分からない。

 たしかに触腕に直撃したはずだ。手心を加えたわけがない。それなのに、朱音の魔術は触腕を焼くこともなく、ダメージらしきものは全く見受けられない。


 まさか、と。一つの答えらしきものに行き当たる。だがそれは、本来ならクラーケンが持ち得ないものだ。しかし現実として、この巨大な海魔の防御力は、それでしか説明がつかない。


「神氣、ですね」

「でも有澄さん、クラーケンがそれを持ってるのは……」


 神氣。

 本来ならば神の持つその力は、ただの海魔であるクラーケンが持っているわけがない。

 そしてその神氣に抗える力は、同じ神氣を帯びたものと、その他例外の異能のみ。

 朱音の切断能力ならば、問題なく対処できるだろう。だが、斬るにはあまりにもデカすぎる。

 あるいは、レコードレスなら。神氣を奪うことも出来るだろうが、扱いを間違えればどうなるか分かったもんじゃない。


「なんて、びびってる場合じゃないですね。やるしかないですか」

「頼みます」


 賢者の石から、位相に接続を開始する。キリの人間にのみ許された、絶対の力。それを顕現させるために力を解放しようとして。


「ギャハハ! やらせるわけないよなぁ!」

「イヒヒ! それはさすがに困るもんなぁ!」

「っ……⁉︎」


 突如聞こえたのは、酷く不愉快な笑い声。振り抜かれた二つの凶悪な爪に、朱音は位相への接続を中断せざるを得なかった。

 咄嗟に後退して攻撃を躱すが、どうやら状況は悪くなったらしい。


「悪魔……」

「上手くおびき寄せられた、という感じではありませんね」


 今回の仕事、本来の目的であった二匹の悪魔が、その姿を見せた。

 一度クラーケンの背後まで下がった二匹は、朱音や有澄との実力差を弁えているのだろう。随分と殊勝なことだが、魔術師にとって、特に朱音たちのような実力者にとっては、その距離などあってないようなものだ。


「ふっ……!」

「ギャハハ!」

「イヒヒ!」


 二匹の背後に転移した朱音の短剣は、悪魔の片割れに難なく受け止められた。もう一匹が振るう爪を躱して、再び距離を取る。


 やはり、異能が通じない。

 あらゆるものを切断する、桐原愛美としての力。絶死の威力を秘めたそれが、やつらには通用しないのだ。


「朱音ちゃん、落ち着いてください。まずはクラーケンをどうにかするのが先決です」

「……分かってますが」


 悔しさに歯噛みする。あの日逃したグレイへの手掛かりが、こうして目の前に現れたのだ。本当なら悪魔の相手に専念したい。けれど、状況がそれを許してくれない。


「オイ、なんなんだよあいつら!」

「あなたを追っていたグレイの手先ですが。まさか知らなかったのですか?」

「は? オレが追われてたのはあんな化け物じゃねぇぞ」


 違う? どういうことだ。あの二匹はたしかに、カゲロウを拾った日に遭遇した。だからてっきり、あの日カゲロウがボロボロだったのも、こいつらにやられたものだと思っていたのに。


 考えている暇はない。クラーケンの触腕が今もこちらに襲いかかってきているのだから。


「ああクソ! いい加減鬱陶しいな!」


 叫んだカゲロウが、爆発的な加速力で宙を駆ける。まるで一本一本が別の生き物のように動く触腕の、全てを紙一重で躱しながら。

 やがてクラーケンの頭上まで肉薄したカゲロウが、魔力を纏わせた拳を振り上げる。


「これでもッ、食らえ!!」


 吸血鬼の膂力を持って振り下ろされた拳が、クラーケンの頭をめり込ませた。体勢を崩し、体の半ばを海に沈める海魔。


 ダメージが入ってる。攻撃が通用してる。

 カゲロウが拳に纏わせた、あの魔力。そこに帯びたのは、クラーケンと同じ力。

 どういう原理かは分からないが、カゲロウも神氣を操っているのだ。


 そのまま畳みかけようとしたカゲロウだったが、クラーケンは完全に海底へと潜り込んでしまった。触腕だけが伸び、先程までとは比べものにならない俊敏さで、半吸血鬼の少年を狙う。


「クラーケンはわたしとカゲロウ君に任せてください。朱音ちゃんは、あの悪魔を」

「分かりましたが……」


 チラと背後の砂浜を見やる。

 そこにいるのは、葵と蓮の二人。魔力の翼が暴走して、周囲の砂を巻き上げている。あちらの状況は見えない。

 葵にはまだ時期尚早だったかと後悔するが、ここは信じるしかないだろう。


「ギャハハ! やべぇぜ兄ちゃん! ネザーのやつまで来やがった!」

「イヒヒ! これは急がないとなぁ!」


 聞こえた来た悪魔たちの声に、まさかと思い今度は体ごと後ろに振り返る。

 砂埃が晴れたそこにいるのは、葵と蓮の二人以外にももう一人。認識阻害をかけたフードの人物が。


 その何者かと二人が、戦闘を始める。

 分からないことは後に回せ。今はそんなことより、目の前の悪魔に集中だ。


「異能が通じないなら、魔術で圧倒するまで。賢者の石の力、見せてあげます」



 ◆



 突如現れた謎の人物。 フードを被った何者かと戦闘を始めた葵と蓮は、自分たちが思っていた以上に善戦していた。


「炎纒!」


 炎を身に纏った葵が刀で斬りこめば、敵は槍と斧が一体化した武器、ハルバードで迎え撃つ。鍔迫り合うのもほんの一瞬。四方から魔力の糸が襲いかかり、敵は距離を取った。

 逃がすわけがない。軌道を変えた糸が追撃し、葵は背後に転移して刀を振るう。

 しかし糸はハルバードで、刀はフードの中から伸びた機械の尾で防がれた。


 小さく舌打ちをして、蓮の隣まで転移して後退する。先程からずっと同じだ。

 敵は防戦一方。葵と蓮の攻撃に対して反撃に移ることもなく、こちらが有利なはずなのに。どうにも攻めあぐねている。


「攻めきれない……!」

「葵、異能は?」

「さっきからずっと全開だよ。でも、通用してない」


 葵の何気ない刀の一振り、その全てが、相手の存在を構成する情報を破壊し尽くすものだ。朱音の血を呑んだ今、二ヶ月前のあの日と同じ力を使える。全力以上の力を出せる。

 けれど実際はどうだ。何合も打ち合ったハルバードは未だその形を保っている。

 そうでなくても、炎纒を発動しているのだ。あの斧槍を融解させるだけの熱を放っているのに。

 なにより。なにより、だ。


「情報が視えないの。認識阻害のせいかと思ったけど、それだけじゃない。カゲロウの時と同じで、なにかに遮断されてる感じがする」

「異能?」

「多分」


 それで会話を終わらせ、葵は再び地を駆ける。異能が通じないなら、純粋な力で圧倒すればいいだけ。今の葵には、その力がある。

 理由はわからない。それでも、使えるものは使わなくては。


 刀とハルバードがぶつかり合う、コンマ数秒前。フードの人物に無数の糸が殺到する。

 少しでもズレてしまえば、葵の体ごと貫いてしまう絶妙なタイミング。息のあった二人だからこそ可能とする、時間差の連携攻撃。

 ハルバードは葵の刀に対処するため動き出している。であれば、動かせるのは機械の尾だけだ。

 しかし二人の目的は、単なる攻撃ではない。

 糸を叩き落とそうと機械の尾が振るわれるが、その寸前で蓮が手元を手繰り糸の動きを変える。

 機械の尾に巻きつく糸。大きく飛び退いた葵がそのうちの一本に手を触れ、魔力を流した。


「……っ!」


 敵が驚いたような気配を見せたが、もう遅い。糸を伝って放たれた魔力が、炎となって敵の体を焼く。

 手応えはあった。けれど警戒は解かない。相手は未知の敵だ。これまでの攻撃が通用していなかったこともある。この程度で終わりではないだろう。


 敵を包んでいた炎が消えると、やはりまだ立っている。ただ、身に纏っていたフードとマスクは焼け落ち、その顔が露わになっていた。


「女の子……?」


 短い灰色の髪をした、葵たちと歳の変わらない少女。その顔に表情というものはなく、機械のように冷たい視線が、二人を射抜く。

 同時に、認識阻害が外れたことで断片的な情報が視界に映った。


出灰(いずりは)(みどり)……それが、あなたの名前なんだ」


 返す言葉はない。再びハルバードを構えるのみ。それを返答と受け取って、二人も構え直す。相手は自分と同年代の女の子だ。できることなら戦いたくはないが、あちらに話し合いの意思があるようには思えない。

 そう覚悟を決めなおした葵が、纒いを切り替えようとして。


「魔力、解放」


 風が、荒れ狂った。

 凄まじい魔力濃度に、空気が震えている。先程まで魔力を感じられなかったのは、彼女が魔力を持っていないからではなかった。

 ただ、隠していただけ。


 そして、理解する。体の奥底、本能に似た部分が、訴える。目の前にいる少女は、己と同族だと。


「蓮くん、下がってて……」

「でも、葵一人じゃ……!」

「ダメなの……この子は、マズい……」


 震えた声を絞り出した、次の瞬間。

 隣にいた蓮の体が、後ろに吹き飛んだ。


「蓮くん!」


 蓮が立っていた場所には、既に翠の姿が。その背中には、灰色の翼が三対。

 下段から振るわれるハルバードを、なんとか刀で防ぐ。

 一撃が重い。


「くッ、雷纒!」


 纒いを切り替えてその場を離脱。吹き飛ばされた蓮の元へ駆けつければ、腕が有り得ない方向に曲がり、脇腹のあたりには酷い腫れが。咄嗟にガードしたのだろう。致命傷は見られない。


「蓮くん、大丈夫⁉︎」

「なんとか……腕と、肋骨が何本かやられたかな……」


 とにかく治療だ。骨折程度なら、軽い演算のみで異能による治療ができる。患部に手を当てて治療を施す寸前。

 鋭い殺気を感じて、中断せざるを得なかった。

 振り向きざまに刀を振れば、容赦なく襲ってきた翠と再び激突する。


「邪魔しないで!」


 足場の悪い砂上で踏ん張りをきかせ、刀を振り抜いた。空中で態勢を立て直した翠へ、葵は雷よりも余程速いスピードで肉薄する。

 蓮の治療をするには、先に翠をどうにかしなければならない。ただの骨折。出血はないとは言え、急がなければ。


 何度も響く甲高い金属音。振るう刀は一つ足りとも体に届かず、斧槍で全ていなされる。その度に焦燥感が沸き起こり、動きは精彩を欠いていく。

 そして何度目かの鍔迫り合いで、葵は気づいた事実を口にした。


「私と同じ異能……信じられないけど、そうなんだよね?」

「……」


 やはり返答はない。だが、葵の中では確信していた。

 葵の異能は情報操作。この世に存在しているあらゆるモノの情報を視界に映し、それを変換、抹消、遮断させるもの。また、なにもない場所に新たな情報を構築するものだ。


 幻想魔眼やレコードレスなど、位相に関わるものでなければ、ただ一つの例外もない。

 それが通用しないとなれば、答えは一つしかなかった。出灰翠も、あるいは同じ現象を起こしたカゲロウまで。葵と同じ、情報操作の異能を持っている。


 詳しく教えてほしいところではあるが、状況がそれを許さない。最優先事項は蓮の治療。そのためには、邪魔をする翠をどうにか排除しなければ。


「悪いけど、全力全開で行かせてもらうから!」


 異能によって底上げされたパワーで、翠を地面に叩き落とす。

 練り上げた魔力を全て解放し、巨大な魔法陣を描いた。そこから現れるのは、雷の体を持った巨人。葵が持つ最大の魔術。


帝釈天(インドラ)!!」


 本物の神の力、神氣を帯びた豪腕が、一切の情け容赦なく振り下ろされた。



 ◆



 神の力を帯びたクラーケン。それに対抗するのは、何故か同じ神氣を纏うカゲロウ。

 彼自身、そのあたりの細かい理屈は全く理解していなかった。ただ、他の奴らと違って自分が殴ればダメージはある。なら死ぬまで殴り続ける。その程度の認識だ。


 しかし一方で、己の持つ異能については理解している。今までは死にそうになった時くらいしか使えなかったが、朱音の血を飲んだことで、今限り十全に扱えるその異能。

 誠に遺憾ながら、クソ親父やあのチビと同質の力。


「チマチマ殴ってるんじゃ埒があかねぇな!」

「何本か削りましょうか」


 共闘している有澄が、一際大きな魔法陣を展開する。海底に潜むクラーケンも、その脅威を察知したのだろう。一本の巨大な触腕が鏃のように迫るが、魔法陣に容易く阻まれてしまう。

 そこから魔力が吸い取られる。神氣を帯びていようが関係ない。魔導収束とは、それが魔力である限り、神の力さえも吸収してしまう。人類最強は、そのようにして作ったのだ。


「絡み取れ、白薔薇(ブランシュローズ)!」


 氷の茨が触腕に絡みつき、瞬く間に凍らせてしまった。有澄が杖を軽く振れば、砕けて海の底へと落ちていく。

 これでまずは一本。残り七本だ。


「三本ほど任せますね」

「全部任せてもらってもいいけどな」

「心強いです」


 次の魔術の準備に入った有澄を横目に、カゲロウは異能を発動させる。

 虚空に伸ばされた右手。なにもないそこに、情報を構築する。そうして握られたのは、白く輝く大剣だ。


 今まで自由に使えたことなんて一度もなかったが、なるほどこれは便利だ。

 そして、実感する。この異能が自由に使える今に限り、魔力を自由に扱えると。

 己の情報すらも操ってみせるその異能は、カゲロウが持つ魔術への制限を、完全に排除していた。


 この身に流れる魔力を、殊更に意識する。吸血鬼の特性として与えられた、強力で濃密な魔力。それを一気に、外へと解放した。

 吹き荒ぶ風が海を揺らし、カゲロウを脅威と認めた触腕が動く。

 解放された魔力は、カゲロウの背中へと収束する。形成するのは葵と同じ、けれど色の違う三対の白翼。


「ぶちかます!!」


 足元に広がる魔法陣。身の丈ほどもある大剣を片手で横薙ぎ振れば、魔力の斬撃が放たれた。一本、二本と触腕を切り落とし、それに飽き足らず、全ての触腕が海の底へと沈んでいく。


 腕を全て斬り落とされたクラーケンが、再び浮上してきた。後は本体を叩くだけだ。


「トドメは貰いますね」


 突撃しようとしていたカゲロウを押し留めたのは、この場に似つかわしくない酷く柔らかな声。

 少し後ろを飛んでいる有澄の体からは、異様な魔力を感じられる。

 量や質がおかしいのではない。いや、それらも十分に規格外だが、もっと本質的なところが、違う。この世界に存在している魔力と、異なっている。


「海に入られたままだと、二次被害が凄いことになりそうですし……」

「んなっ……!」


 カゲロウが驚きに目を見張るのも当然。

 全長二十メートル。その巨体が、浮いたのだから。

 重力に逆らってるとか、そういうのはどうでもいい。そんなもの、この空にいる全員がそうだ。しかし、例え魔術であったとしても。あの巨体の重量を浮かせるなんて、相当な力が必要なはずなのに。


「オーバーロード、限定解除」


 有澄の右腕が、変質する。鋭い爪と、冷気を纏った白い鱗。即ち、龍のそれへと。

 差し伸ばした右手の先で、複雑な五重の魔法陣が展開された。カゲロウは知る由もないが、それは既存の魔術法則には存在しない、文字通り異世界の魔術。位相の向こう側からやってきた、この世界とは異なる力。


「えいっ」


 そんな気の抜けた掛け声と共に、絶対零度の光が放たれた。射線上の悉くを凍てつかせる龍の息吹。それは神の力を帯びた海魔ですら例に漏れず。

 氷に囚われた巨体は、いとも容易く。その氷ごと粉々に砕け散ってしまった。


「マジかよ……これ、別にオレいらなかったやつじゃねぇか……」


 海へと落ちていく氷の破片を見ながら、カゲロウの開いた口は塞がらない。


「そんなことないですよ。時間稼ぎはしてくれましたし、十分です。さ、葵ちゃんたちの方に向かいましょう」

「仮面女の方はいいのか?」

「問題ないですよ。朱音ちゃんは、わたしより強いですから」


 今の光景を見せられた後にそんなことを言われても。

 反応に困るカゲロウだったが、有澄がおもむろに砂浜へと視線を向けたことで、釣られてそちらを見る。

 そこには、雷の体を持った巨人が。異能が使える今ならわかる。あれは、葵の魔術だ。

 しかし、どうにも嫌な予感がする。不安を拭いきれないまま、有澄が転移を発動させた。



 ◆



「ギャハハ! クラーケンがやられちまったぜ兄ちゃん!」

「イヒヒ! もしかしなくてもヤバイかもなぁこれは!」


 朱音の放つ魔力弾を躱し、弾きながら、二匹の悪魔は不愉快な笑い声を響かせる。

 クラーケンを倒したのは朱音も見えていた。カゲロウの異能に、有澄が使った異世界の魔術。その二つには興味が尽きないが、色々と聞くのは全てが終わった後だ。


「こっちも、そろそろ終わらせた方が良さそうかな。葵さんの方もやばそうだし」


 小さく呟き、朱音は力を解放する。

 先程は邪魔された位相の接続。何度か試みようとしたが、その度にこの悪魔どもは隙を突いて攻め込んでくる。

 レコードレスがいくら絶対の力を持っていても、やはり発動させる際には隙が生じてしまうものだ。そこを突くのは、戦い方として正しい。仮に朱音でも同じようにしていただろう。


「ギャハハ! 使わせるわけないだろ!」

「イヒヒ! 何回やっても同じなんだよ!」


 だからこそ、対処法を用意してないわけがないのだ。

 二匹の悪魔が、猛烈なスピードで肉薄してくる。その凶悪な爪が届く、その前に。


 銀色の炎が、朱音の身を包んだ。


「やっぱり。周囲の時を止めるのはダメだったけど、時間の流れが違う場所に身を移せば、干渉してることにはならないもんね」


 転生者の炎。朱音の持つ銀炎は、時間操作の力を持つ。

 時間遡行や停止、加速に停滞、巻き戻しとなんでもござれ。この様に、自分の体を別の時間流に置くことも出来る。

 ここでは、周囲の時は止まったも同然。正確には動いているのだが、朱音が今身を置いているこの中では、現実よりもずっと速く時間が流れている。あまり長く滞在できるわけではないのが難点だが。


位相接続(コネクト)略奪せし時の敗北者レコードレス・ルーサー


 ドレスを身に纏い、悪魔から距離を取って銀炎を解除する。


「ギャハ⁉︎」

「イヒ⁉︎」


 水着姿だったはずの朱音が、いつの間にかシャツの上から黒いロングコートを羽織り、朱色のスキニーパンツを履いた仮面の敗北者へと様変わりしていた。

 戸惑う二匹の悪魔だが、朱音はその隙を決して逃さない。


「ギャ、ハハ! こいつは、ヤバイぜ……! 兄ちゃん!」

「イヒ、ヒ! これは俺たち死んだなあ!」


 この二匹は、グレイの異能によって作られた人工悪魔だ。その起源自体に異能の存在がある。であるならば、朱音のレコードレスで奪えない道理はない。


「そう簡単には殺しませんが。まあ、一匹いれば十分ですので。片方は潰しておきましょうか」


 手元で短剣を弄ぶ朱音が、酷く冷たい声音で言い放った。

 そして、なんの前触れもなく。兄と呼ばれていた方の悪魔が、爆発四散する。


「ギャハハ! 兄ちゃんが死んじまった! ひでぇことしやがる!」

「……少し、黙れ」

「ギャハ──」


 残された悪魔の動きが、完全に停止した。殺してはいない。ただ止めただけ。レコードレスでその存在を奪った以上、この悪魔は朱音の操り人形だ。コントロール権は朱音にある。


「本当に、酷いことなんですよ。家族が奪われるって言うのは」


 青い空に溶けて消えた呟きは、誰の耳にも届かない。

 悪魔を銀炎で包んでこの場から消し、朱音も葵たちの元へ急いだ。



 ◆



 砂塵が舞う。地面に電気が這い、その余波はすぐそこのホテルにまで影響を及ぼしていた。今頃中に隠れている人たちは、突然絶たれた電気に右往左往していることだろう。

 それを申し訳なく思いつつも、葵にそんな余裕はなかった。インドラは元々、細かい制御が効かない。まだ倒れているだろう蓮の体は異能で守っているものの、他に気を回すことなんて出来なかった。


「これなら、さすがに!」


 葵が持ち得る最大火力だ。もしかしたら勢い余って殺しかねないほどの。

 だが、砂塵が晴れて視界に映ったのは、そんな予想を裏切る光景で。


 翠の体を守るように、炎で形成された巨大な腕が展開していた。翠自身には傷一つなく、無感情な瞳で上空の葵を見上げている。


「そんな……」


 絶対の自信を持っていた。この際細かいあれやこれやは問わないが、今の葵には朱音の血による恩恵がある。インドラ自体の火力もある。異能によるブーストだって掛けた。

 その上で、あの少女は。葵の攻撃を、真正面から受け切ってみせた。


 炎の腕が消える。翠から急速に戦意が消え始め、釣られて葵もインドラを解いた。

 地面に降り立ち、ハルバードをどこかに消した少女と向かい合う。そしてゆっくりと、その口が開かれた。


「シラヌイ。あなたは、プロジェクトカゲロウを覚えていますか」

「え……?」


 問われた言葉の意味が分からない。

 なぜ彼女は、自分のことをシラヌイと呼ぶのか。あの半吸血鬼と同じ名を冠したプロジェクトカゲロウとは、一体なんなのか。

 葵が知るわけがない。そもそも、翠がどこの何者なのかすら、葵の視界には映らないのだから。分かっているのは、出灰翠というその名前だけ。


「覚えてないのなら構いません。しかし我々ネザーは、最高の研究成果であるあなた達を、必ず取り戻します」

「待って!」


 それだけを言い残し、翠は音もなく姿を消した。分からないことが、聞きたいことが山ほどできたのに。

 いや、今はそこに拘泥している場合ではない。早く蓮の治療をしなくては。


 踵を返して駆け出そうと一歩を踏み出して。


「あ、これヤバイかも……」


 葵は膝から崩れ落ちた。みんなの声が聞こえる。それぞれの相手と決着をつけて、駆けつけてくれたのだろうけど。

 その声が、どんどん遠くなる。意識が朦朧として、肌が焼けるように暑い。


 喉が、渇いた。

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