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Recordless future  作者: 宮下龍美
第2章 カゲロウが揺れる
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海に揺らめく光 1

「ラブコメの波動を感じる……!」

「変なこと言ってる場合じゃないでしょ!」


 魔術学院日本支部の校庭で、突如謎の声を上げるのは桐生朱音。弱冠十四歳でありながら、この学院に教師として在籍している少女だ。どこか遠くを見つめる彼女に突っ込む葵は、黒い刀を持って狂戦士と相対していた。


「それそれそれ! 二人掛かりでこの程度なのかい⁉︎」

「実質私一人ですけどね!」


 右手に持った西洋剣で乱撃を叩き込むのは、金髪ポニテの小柄な女性。朱音と同じく、教師として学院に雇われたルーク。

 重く速い攻撃をいなしつつも、葵は隙を探る。以前朱音に教えられた駆け引き。それを意識しながら必死に観察するが、ここから攻撃に転じられる隙なんて見当たらない。


 そもそも、今日は普段にも増して力が出ないのだ。

 七月の後半に入ってからと言うもの、気温は三十度近くまで一気に上がり、太陽の光も激しさを増していた。葵の体質的に、一番キツイ時期がやって来たのだ。

 その上でルークの相手をしなければならない。共闘者の朱音は何故か「今からイギリス行きます!」とか言ってるし。


「朱音ちゃん! どうでもいいから援護して!」

「む、仕方ないですね」


 ルークの剣を受け続けていると、葵の左右から魔力の鎖が伸びて来た。それを斬りふせるルークだが、その隙に葵が攻撃へと転じる。

 真横に薙いだ一撃は、バックステップで躱される。直ぐに距離を詰めて袈裟斬りをお見舞いするが、それも容易く受け止められて鍔迫り合いとなった。


「第三術式解放、深淵を覗き叫ぶ招雷クラマーレ・ヴィタル・アビス!」

「雷纒!」


 雷の球体が背中に迫る。雷纒を発動した葵は離脱することもせず、球体を背で受けた。これにはさしものルークも驚いたのだろう。目を見張って後退しようとするが、逃すわけがない。


 纒いを発動した葵は、対応する元素と同じ魔術を無効化する。それどころか、その力さえも吸収することが出来るのだ。

 離脱しかけたルークを逃すことなく、刀を鎌へと変化させた。小柄な背中に独特の動きで迫る刃。同時に、着弾地点である二人の元へ、天から稲妻が降り注ぐ。


 もらった、これは避けられない!


「うーん、惜しい。中々いい線いってるんだけどねぇ」

「え……?」

「葵さん、下がって!」


 朱音に無理矢理転移で後退させられる。次の瞬間には、葵の立っていた場所で白い炎が燃えていた。

 直感する。あれにやられたら、ただでは済まないと。


 白い炎を放ったルークは無傷だ。朱音の魔術は、雷球の着弾地点に稲妻を落とすもの。着弾した葵があの場を離れてしまったのだし、当然なのかもしれないけど。

 それにしたって、稲妻が直撃する時間は十分にあったはずなのに。


 やはり、あの白い炎の仕業か。


 異能を使って情報を視る。

 転生者が等しく持つ超常の炎。果たしてその全容は。


「変幻と、侵食……?」

「お、もう分かっちゃった? さすが黒霧ちゃん。相変わらず便利な異能だねぇ」


 言いながら、白炎を放つルーク。それに対して、一歩前に出た朱音が銀炎を展開する。

 ぶつかり合う二色の炎。

 拮抗していたのはほんの一瞬だけだった。銀は瞬く間に白く染まっていき、朱音の手元まで侵食してしまう。


 これが、ルークの持つ炎の力。あらゆるものを白く染め上げる炎。

 それだけじゃない。まだ何色にも染まっていない白は、裏を返せば何色にも染めることができるということ。

 故に、変幻と侵食。

 あらゆるものを白く染め上げ、好きなように色を変えられる。


「まあ、私には通用しないのですが」


 白く染まりきった己の炎だったものを、朱音の短剣が両断する。

 母親から受け継いだ異能の前には、転生者の炎だろうが関係ない。例えそれが神であっても、朱音の短剣は全てを斬り裂く。


「へぇ、ボクの炎も斬れちゃうんだ。愛美の異能って結構凄いんだね」

「私に斬れないものなんてないですよ。なんなら試してみます?」

「上等!」


 大地を蹴った二人の転生者が激突する。

 そんな光景を見て、呆然とする葵。おかしい。たしか最初は、葵の特訓という名目だったのに。

 カゲロウのこともあるし、今後朱音と行動することも多くなるだろうからと、朱音との連携を確認する意味もあった。

 だというのになぜ、自分は無視されているのだろうか。


「お疲れ、葵」

「ほれ、こいつ飲んどけ」


 先程まで観戦してた蓮とカゲロウの元へ歩み寄れば、カゲロウからスポーツドリンクを手渡された。案外気が利くのは、ここ数日で知ったこと。礼を言ってそれを受け取り、冷えた液体を喉に流す。


「魔術師ってのも大変なんだな。今は夏休みだろ?」


 目の前で繰り広げられている次元の違う戦いを眺めながら、カゲロウがどうでも良さそうに話を振ってきた。


 そう、現在七月の末。普通の高校ならとっくに夏休みに突入しているし、それは魔術学院だって例外ではない。

 そもそもが普通の高校を模して作られている日本支部。長期休暇だって存在しているが、具体的に言えば長期休暇というよりも、自由登校期間といった方が正しい。

 魔術の講義は希望すれば受けられるし、依頼の斡旋も通常通り行なっている。


 とは言っても、やはり長期休暇には変わらない。生徒の殆どは自宅で休んだり、どこぞへ旅行に出かけて羽を伸ばしたりしている。海外出身の生徒などは、このような機会でもないと実家に帰らない。


 だが今年の夏休みは、一部例外の生徒も存在した。

 特に三年生の実力者などは、昼間に出没した魔物の対処に当たっているのだ。葵の知り合いで言えば、生徒会長の小鳥遊栞や、以前織や愛美と依頼を共にした安倍晴樹などが、フリーの魔術師と協力して魔物の駆除に当たっている。一足早い実地訓練のようなものだ。

 そして葵も、そんな一部例外の一人。


「夏休みなんてあってないようなもんよ。仕事は多いし、訓練を欠かすわけにもいかないし」

「ほーん、ガキも動かさにゃならんとか、ホントに人少ないんだな、ここ」


 相変わらず子供扱いしてくるカゲロウにムッとしたが、すんでのところで思い留まる。今の言葉は、葵や蓮を心配してくれてのものだ。カゲロウの年齢から見たら子供であることは変わらない。粗暴な言動で勘違いしがちだが、根はいいやつなのだ。

 一々目くじらを立てていてはキリがない。


「まあ、カゲロウも他人事じゃないけどね」

「は? なんでだよ」

「私と蓮くんが仕事行くなら、カゲロウも付いてこないとダメでしょ?」


 見るからに嫌そうな顔をするカゲロウ。気持ちは分からないでもない。だってこんなに暑いのだ。葵はただの体質だからいいものの、生物として太陽に弱い半吸血鬼は、もっとつらいかもしれない。


「なあ蓮、マジでオレも行かなきゃダメなのか?」

「まあ、一応俺たちが監視役だし。離れるわけにも行かないから」


 蓮からも苦笑いでそう言われ、カゲロウは肩を落とした。

 実力的には問題ないはずだ。魔術が使えないと言っても、吸血鬼としてのスピードにパワーがある。魔力量だって人間とは比にならないから、そこらの魔物に負けるなんてことはまずないだろう。

 問題があるとしたら、昼間には全力を出せないことか。それは葵も同じことが言えるものの、葵には異能がある。いくらでも誤魔化しが効くのだ。

 いざとなれば、私と蓮くんが守ってあげればいいだけか。

 適当に結論づけ、ペットボトルを傾ける。


「この後、俺たち四人で学院長に来るように呼ばれてるんだ。多分仕事の話だと思う。カゲロウは会ったことなかったっけ?」

「ない。サーニャからどんなやつかは聞いてるけどな」

「……待って。そう言えばカゲロウって、サーニャさんのところでお世話になってるの?」

「それがどうかしたか?」


 今まで気にしていなかったが、この半吸血鬼はサーニャのところ、あの廃墟で寝泊まりしているらしい。

 あんな美人とこの男が二人きり。訝しむ視線を向ける葵に、カゲロウは鼻で笑った。


「安心しろよ、あんな年増に欲情しねぇ」

「本人聞いてたら氷漬けにされるぞ……」

「その後容赦なく砕かれるね」

「さすがに再生出来そうにねぇな……」


 その光景を想像したのか、カゲロウは背筋を震わせる。思わず吹き出してしまうくらいには、葵も打ち解けていた。



 ◆



 ルークとの戦闘を終えた朱音を連れて、四人は学院長室へと向かっていた。


「うー、不完全燃焼です……」

「余裕で勝てるとか抜かしてた癖に、全然勝ててなかったな」

「煩いですよ。まさかソウルチェンジまで使うとは思ってなかっただけです」


 唇を尖らせている朱音は、結局ルークとの決着がつかないまま、彼女の付き添いでその場にいた龍によって戦いが中断させられた。

 戦況は朱音がやや押されていたかと言ったところでの中断だったので、朱音としては悔しいものがあるのだろう。


「まあまあ。どうせこの後、学院長から厄介事頼まれるんだろうし。そこで発散したらいいじゃん」

「それもそうですね」


 不承不承といった感じだが、それで納得してくれたようだ。尖った唇は元に戻ってないけど。こういうところは本当に可愛いなぁと思いながら、学院長室への道を歩く。

 交わされる雑談は他愛のないもの。カゲロウの監視をするようになって、もう一週間が経っていた。その間は殆どの時間をこの四人で過ごしていたのだ。

 午前中は蓮とカゲロウの三人で。午後からは朱音も合流して、風紀委員室か桐生探偵事務所で。それだけの時間があれば、カゲロウがどんな人物かを知るのにも、ある程度打ち解けるのにも十分。

 それはきっと、カゲロウの性格もあってのことなのだろう。他人を慮る余裕を、この半吸血鬼は持ち合わせている。


 羨ましいなぁ、と。漠然と思う。

 生きている時間が違うのだ。記憶がないとは言っても五十年。人間で言えば、人生の折り返し地点をとうに過ぎている年齢。

 それでも、私にはないものだ。他の誰かのことを考える余裕なんて。

 いつも自分のことで精一杯。改めて友人になってくれた蓮にも、懐いてくれている朱音にも、気にかけてくれるサーニャにも。私はなにも返せていない。


 ダメだと分かっているのに、違うと分かっていても、考えてしまうのだ。

 あの二人なら、と。


「葵さん」

「え?」


 呼ばれ、顔を上げる。その先では朱音が、酷く透明な視線を向けていた。まるでこちらの全てを見透かすような瞳。けれどそれも一瞬のことで、すぐにニコリと笑顔になって目を細める。


「着きましたよ」

「あ、うん……」


 言われた通り、学院長室の前まで着いていた。蓮とカゲロウが怪訝な目で二人を見るが、そちらに反応を返すこともなく、葵は学院長室の扉を叩いた。

 中から返事の声が聞こえ、無駄に立派な扉を開く。入った先は、あまりいい思い出がない部屋。そこに座る人物が違うから、割り切れてはいるけれど。


「お呼びしてすみません。こんにちは。カゲロウ君は初めましてですね。ここの図書室の司書と学院長補佐をしてる、彼方有澄です」


 しかし、部屋にいたのは現在の学院長ではなく。その妻であり、日本支部の膨大な蔵書全てを管理している司書。綺麗な白い長髪が特徴的な彼方有澄だった。


「あれ、有澄さんだけですか? 学院長に呼ばれて来たのですが」

「仕事疲れたとか言って逃げられました。代わりにわたしから説明しますし、蒼さんには後でお仕置きしておきますから、安心してください」


 ニッコリ笑顔。そのはずなのに、そこはかとなく薄ら寒さを感じるのは何故だろう。

 心の中で合掌しつつ、有澄に促されるまま四人はソファに腰を下ろす。淹れてくれた紅茶をありがたく頂き、話は早速本題に。


「察しがついてるとは思いますが、みなさんには一つ、仕事を頼まれて欲しいんです」

「石持ちの対処ですか? それなら、私一人でも十分ですが」

「半分正解です」


 やる気満々な朱音に苦笑を向ける有澄。賢者の石を持つ魔術師を倒すだけなら、朱音一人で事足りる。むしろ葵たちは足手まといにしかならないだろう。

 だが半分正解ということは、やはり石持ちの対処も仕事に含まれるのか。


「わたしも含めたこの場の五人で、ちょっとした餌になります」

「餌?」

「はい、餌です」


 一様に首を傾げる四人。最初に納得のいったような声を出したのは蓮だった。


「なるほど、こっちから動こうってことか」

「その通り。蓮君はよく頭が回りますね」

「どうも……」


 美人に笑顔で褒められたからか、蓮はほんのりと頬を染めて後頭部をポリポリと掻く。それが照れ隠しの時の癖だと知っているから、ちょっと面白くない。


「朱音ちゃんとカゲロウに目立つよう暴れてもらって、あの悪魔を誘き寄せる、ってことですよね?」

「はい、そういうことです」


 思った以上にトゲのある声が出た。やっちゃった、と思うものの、有澄は特に気にした様子もなく頷く。隣に座る朱音が目を輝かせた気がするけど、多分気のせい。

 別にこの脳内お花畑のアンテナに引っかかるようなことは、なにもなかったはずなのだから。


「どうせあの吸血鬼は出てこないでしょうから、あなた達が遭遇したという悪魔を誘き寄せて、グレイの手掛かりを掴む。それが目的です。朱音ちゃんとカゲロウ君には申し訳ないですけど」

「いや、オレらが狙われてんだから、それが合理的な判断だろ。好きなだけ利用してくれよ。オレだってオレを付け狙う理由くらい知りたいしな」

「私も同意です。それで、具体的にはどこでなにをすれば? 私たちに暴れてもらうなら、それなりの相手を用意して欲しいですが」


 あの悪魔はグレイの手先だった。グレイは学院の場所も把握しているから、その気になれば今すぐにでも悪魔どもにここを襲わせて、カゲロウを回収出来るはずだ。

 そうしないのは、シンプルに戦力の問題だろう。仮にあの悪魔があと百匹いたところで、学院を攻め落とせるわけがない。ここには人類最強とその仲間達がいるのだから。


 だが一度学院を出てしまえば、グレイの手先は間断なくやって来る。それはあの悪魔ではなく、石持ちの魔術師なのだが。

 実際、ここ数日でも棗市にはかなりのペースで裏の魔術師が来ていた。その度に朱音とカゲロウが排除していたのだが、これ以上街に被害を出すわけにもいかないし、なによりキリがない。


 カゲロウの捕縛とルーサーの排除。

 それこそがやつらの目的。グレイからどのようなメリットを提示されて、裏の魔術師たちが力貸してるのかは分からない。若しくは、賢者の石のコピーを渡されること自体がそうなのかもしれないが。


 なんにせよ、だ。やつらの目的がそこである以上、朱音とカゲロウの存在は囮や餌として十分に機能する。


 さてでは、その為にはどのような仕事をこなさなければならないのか。問題はそこだが。


「みなさんには、沖縄に行ってもらいます」

「沖縄……」

「絶対暑いだろ……」


 渋い顔を返したのは、葵とカゲロウ。太陽が苦手な二人にとって、この時期の沖縄は地獄だろう。有澄もそれは分かっているはず。それなのにわざわざ沖縄を選んだということは、それなりの理由があるはずだ。


「目的は三つ。一つは先程も説明した通りですね。わたし達が餌になって、敵を誘き寄せる。二つ目はシンプルに魔物討伐なんですけど、ちょっと厄介なやつでして。わたしが同行するのも、その辺りが理由なんです」

「厄介、というと? 強力な異能を持ってるとか?」

「いえ、そういうわけじゃないんですよ」


 蓮の言葉には首を振り、苦笑気味に肩を竦める有澄。

 そんな彼女が相当な実力者であることは、葵も知る事実だ。まず間違いなく朱音と同等。自分では足元にも及ばないほどの力を持っている。

 その有澄をして、厄介と言わしめる魔物。嫌な予感しかしない。


「クラーケン。そう呼ばれる海魔が、討伐対象の魔物です。名前くらいなら聞いたことあると思います」

「私は戦ったこともありますが。ゲソが美味しいんですよね、あいつ」


 いや、どこが美味しいとか聞いてない。サラッと未来の過酷な食事事情を暴露しないで欲しい。反応に困る。

 そんなゲソが美味しいらしいクラーケンとは、読んでそのまま、巨大なイカのような魔物だ。人間の骨など容易く砕いてしまう太い触手に、強力な水の元素魔術を持っている。

 葵は実物を見たことないが、話に聞く限りではかなりの難敵らしい。


「でも、ただのクラーケンを相手にするだけなら、それこそ朱音だけで十分。厄介と言うほどでもないよな」

「です。雷ぶち当てればすぐ勝てますので」


 それは朱音並みの力があればこそだろうが、つまりは雷が弱点ということだろう。攻略法も分かっている。蓮の言う通り、厄介と言うほどのこともない。


「つまり、ただのイカってことじゃないんだろ」

「カゲロウ君の言う通り。ただのクラーケンじゃありません。グレイの眷属にされ賢者の石も与えられている。これは大前提としますが、なによりも大きいんですよ」

「ど、どのくらい……?」

「通常の倍はありますね」


 普通のクラーケンでも十メートルはあるという。その倍と言うのだから、マンション七階分の二十メートル。

 葵の宿敵でもあるあのガルーダよりも遥かに巨大だ。


「そこまで大きいと、もちろんその分しぶといです。おまけに姿を見せるのは夜だけ。グレイの眷属である以上、夜には力も増します。朱音ちゃんでも苦労すると思いますよ」

「でも、苦労するだけで苦戦はしない。こっちには葵もいるから、有澄さんが同行する理由にはならないですよね」


 蓮のその言葉は買い被りすぎだと思うが、客観的事実として、葵がいれば朱音の負担も減る。雷が弱点だと言うのだから、雷纒を使える葵はかなりの戦力だ。おまけに夜。太陽もないから、葵は全力で戦える。インドラの完全顕現も問題なく行えるだろう。


 だから、本当に問題なのは別にある。頷いた有澄は疲れたような顔で、肩を落としながら口にした。


「周辺の住民たちが避難してくれないんですよ」

「あー……」

「それは……」


 思わず苦笑が漏れてしまう葵と蓮。その気持ちは二人にも分かってしまったから。

 一般人たちはまだ、魔物による被害の実感がない。ここに魔物が現れるから、と説明されても、それで納得してくれない。葵も蓮も、これまでの依頼でそのようなことが何度かあった。中には野次馬根性を発揮して近づいて来るような人までいる。


 これは恐らく、魔術絡みの事件に限った話でもないのだろう。例えば、インフルエンザなどの感染症。どれだけ専門家や国がマスクをしろだの不要不急の外出は控えろだのと注意喚起しても、それらを聞かないやつらは一定数存在する。その結果感染が広がり、しまいには死者まで出して、漸く事の重大さに気づくのだ。


 だからこそ、既に何度も魔物や魔術師が出現している棗市の住人は、逃げるのも早い。それは敵だけでなく、ルーサーへの恐怖も一因しているのだろうが。


「というわけで、わたしは周囲に被害が出ないようにするのが役割です。クラーケンの相手は皆さんにお任せします」


 巨大な相手となれば、それなりに大規模な魔術も使うだろう。いくら海上とは言え、朱音の魔力なら余波による被害も考えられる。


 四人が頷いたのを見て、有澄は笑顔で話を続けた。


「最後の目的ですが、日頃のご褒美に軽めのバカンスです。向こうでホテルも取ってますから、夜になるまでは海で遊ぶなり沖縄の街を観光するなりしてて大丈夫ですよ」

「海で遊んでいいんですか! やった!」


 子供らしく喜ぶ朱音。非常に微笑ましいが、クラーケンが出る海で泳ぐつもりだろうか。いや、海水浴場に出るとは限らないし、朱音なら気にしなさそうだけど。

 いや、それ以前に。


「朱音ちゃん、水着持ってるの?」

「持ってないですが。屋敷に行けば母さんのお下がりがあるかもですし」


 やっぱりか。未来から来たこの子が、水着なんて持ってるわけがない。案の定愛美のお下がりを着ようとしている。水着とかいります? みたいなことを言わなかっただけ、まだマシだと思いたいが。

 しかし折角の沖縄の海なのだ。それでは味気ないというもの。


「じゃあ良かったら、この後一緒に買いに行こっか。私も新調したいしさ」

「行きます行きます! 可愛い水着買って、母さんと父さんに自慢してやりましょう!」


 ああ、それはアリかもしれない。連日戦っているだろうあの二人に、少しくらいは娘の様子教えて上げなければ。

 朱音は携帯なんて持ってないだろうから、私が写メを送ってあげよう。


「あ、オレも水着なんか持ってねぇぞ」

「まさか付いてくるつもり?」

「行くわけねぇだろ。つかお前らの水着なんかこれっぽっちも興味ねぇよ」

「は?」

「あ?」


 付いて来られるのは困るが、興味がないなんて言われると、それはそれで腹が立つ。

 互いに睨み合っていれば、苦笑気味の蓮が二人を宥めた。


「まあまあ。俺も新しいの買った方がいいし、カゲロウは俺と行こうか」


 いや、待て。冷静に考えると、蓮にも水着姿を見られてしまうのか。

 なんか、それは、なんというか……やけに恥ずかしい気がするのだけど……うん、ちょっと気合い入れて選ぼう。


 隣の朱音がまた瞳を輝かせた気がしたけど、絶対に気のせいだ。

 ていうかそのラブコメアンテナ、そこまでいけばもはやエスパーなのでは?

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