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Recordless future  作者: 宮下龍美
第2章 カゲロウが揺れる
55/182

変化の先で 4

 カゲロウが目を覚ました翌日から、葵と蓮は早速彼の監視についていた。とは言っても、カゲロウが二人のクラスに入り、一緒に授業を受けるだけだ。

 クラスメイト達は彼を奇異の視線で見ていたが、話しかけようとする者もいない。それも当然で、何故なら葵が一緒にいるから。


「お前、周りから嫌われてんの?」

「もうちょっとオブラートに包めないわけ? まあ、事実だけどさ」


 後ろの席から掛けられた言葉に、葵はうんざりした顔で返す。

 歯に衣着せない物言いは好感を持てるけれど、誰もがそう思うわけではない。反感を買うことだって多くなるだろう。

 その悪い例が昨日だ。自分の兄のように、そういうキャラを演じて発した言葉ではなく、素であんなことを言われた。そのことについては既に和解しているものの、今後は葵や朱音以外との衝突も避けれないだろう。


「別に、葵がなにかしたわけでもないんだけどさ。みんな葵のことを避けたがるんだ」

「ほーん。魔術学院っつっても、バカの集まりなんだな」


 ほら、今だって。カゲロウの声に反応して、彼を睨め付ける者がチラホラと。それら向けられた敵意にも動じず、灰色の少年は椅子の背もたれに身体を預けている。


 その点、蓮はクラス内で上手く立ち回っている方だ。葵の友人でありながらも、だからと言って周囲から避けられることもなく。何人か仲のいい友人もいる。

 その器用さを少しは分けてもらいたい。


「一応言っとくけど、学院内での私闘は禁止だから」

「破ったらどうなるんだ?」

「風紀委員の制裁対象。問答無用で叩き伏せる」


 その仕事もここ最近は、全くやっていないけれど。やはり物足りないな、と思う。毎日のように乱闘騒ぎが起きて、駆り出された先で全員を圧倒する委員長。あの二人は、その背中を追いかけていた。

 どんな気持ちだったのかは分からない。記憶は共有できても、そこに抱く感情は彼女ら二人だけのものだから。


 でも、きっと。楽しかったはずだ。大変で騒がしくても、その騒がしさに救われていたはずだ。

 今みたいな時、二人ならどうするだろう。あの子は自分から騒ぎを起こしに行きそうだけど、それをあの子が必死に止めようとしたりするのかな。


「葵?」


 ふと名前を呼ばれて、思考の海から浮上した。心配そうな蓮の瞳が、葵の顔を覗き込んでいる。


「なに?」


 だから、無理矢理にでも笑顔を見せた。蓮に要らぬ心配をさせてしまわぬよう、嫌な思考に感情ごと蓋をする。


「……いや、なんでもない。そろそろ次の授業の用意しないとな」

「そうだね」


 自分の席に戻っていく蓮に倣い、葵は机の中から教科書を取り出した。次の授業は数学。異能の関係上、理数系に強い葵にとっては、退屈な授業だ。


「やっぱり、バカばっかだな」


 後ろから聞こえた声は、先ほどと違い特定の誰かに向けられたもの。誰に向けられたのかは分からないふりをして、葵は担当教師が来るのを待った。



 ◆



 午前の授業が全て終わり、教室内には弛緩した雰囲気が流れる。今日は合同の訓練がないから、生徒たちは各々が望む魔術講義に向かっていた。

 これも、日本支部が変わった点の一つ。

 以前までなら講義に向かわない者もいたのに、今では殆ど全校生徒が、午後の時間を魔術の研鑽に費やしている。もちろん各部活や委員会は残っているし、講義や訓練が終わればそちらに向かっているのだが。


「さっぱり分かんねぇ……」

「まあ、普通の高校生と授業内容は一緒だし、仕方ないんじゃないか?」


 半吸血鬼のカゲロウが、まともな教育を受けているわけがない。移り変わる時代に対応するため、一般常識程度は身につけているだろうけど、勉学はからっきりで当然だろう。

 これで葵よりも頭いいとかだったら、あまりの腹立たしさに一発くらい殴ってたかもしれない。


「そもそも、魔術師がこんな普通の勉強してどうするんだよ。魔術のお勉強はしねぇのか?」


 ある意味当然の疑問。だがその疑問を持つのは、魔術の使えない一般人だ。少しでも神秘の力を齧っているのなら、疑問にすら思わないもの。

 まさかと思い、蓮が恐る恐る尋ねる。


「カゲロウって、魔術使えないのか?」

「おう」


 あまりにあっけらかんとした答え。なにを今更そんなことを、とでも言いたげな。

 たしかに使えるとは聞いていないけれど、半分吸血鬼という先入観で使えるものだとばかり思っていた。


 葵の知っている吸血鬼はサーニャとグレイの二人。どちらも魔術師として相当な腕を誇る。吸血鬼特有の膨大な魔力だけでなく、その扱い方も一流だ。

 そんなグレイの息子であり、サーニャと一時期行動を共にしていたのに、まさか魔術を使えないなんて。


「一応言っとくと、使わないんじゃないぞ。文字通り使えないんだ」

「どういうこと?」

「見てろ」


 カゲロウと二人の間に、魔法陣が展開される。しかしそれは、一瞬も形を保てずに瓦解した。術式が崩れ落ち、そこに込められていた魔力が霧散する。

 次いで、右手に紋様を浮かび上がらせるカゲロウ。強化魔術を使った時に起こる現象だ。その紋様が魔法陣に該当するのだが、それも同じように崩れ落ちる。


「とまあ、こんな感じだな」


 肩を竦めてみせるカゲロウ。本人からすれば見慣れたというより、当然の事実を確認しただけ。しかし、魔術師にとっては違う。


「こんなの初めて見た……」

「一瞬でも陣を形成できるってことは、魔力の運用は問題なく行ってる? 陣の魔力を放出、もしくは固定させる過程でなにかが邪魔してるのか?」

「陣を維持できない、って可能性もあるかも。例えば体内の魔力が常に変動してたりとか」

「でも魔法陣として一度放出してるから、体内の魔力は関係なくないか?」

「そっか……なら魔法陣の魔力と体の繋がりが切れてるのかな? それでコントロールを失って、すぐに消えるとか。いや、でもそれだと強化の方の説明がつかないか」

「半吸血鬼ってのが影響してる可能性は?」

「ないとも言えないかも。その辺はサーニャさんに聞いてみたら詳しく教えてくれると思うけど……それか、魔術っていう概念自体に制限がかけられてる、とか?」

「ああ、それはあり得るかも」


 蓮と意見を交わすこと、しばし。呆気にとられたカゲロウに気づいて、二人は議論を一時中断した。魔術師的には非常に気になる事例だが、ここでする話でもないか。


「ごめんごめん。魔法陣があんな風になるの、本当に見たことなかったからさ」

「いや、いいけどよ。お前ら、なんつーか、本当に魔術師なんだな……」


 そう、本当に魔術師なのだ。

 例えば桐生織のような、元は学院に所属していなかった魔術師ならば、ここまでの議論に発展しないだろう。彼らは魔術を力として捉えている。学院にも一定数その考え方の魔術師はいて、そう言う者たちはどちらかと言うと変わり者だ。桐原愛美がそうだと言えば、わかりやすいだろうか。


 その考え方が間違っているわけではない。魔術はたしかに、強大な力だ。しかし、学院の一般的な生徒は力として捉えない。知識として捉える。

 それこそ、一般社会に数ある学問と変わらないのだ。

 力を求めるために知識を得るのではなく、知識を求めるために力を得る。それが、魔術学院の生徒たちだ。


 ここ最近の日本支部は、どちらかと言えば力を求める傾向にあるが。そこはまあ、仕方のないところだ。


 そして葵と蓮も、そんな学院の生徒である。

 二人とも正統な魔術師の家系に生まれ、学院に入る以前から真っ当な魔術の訓練を受けている。葵に至っては、兄が先に入学していたのだ。

 であれば当然、魔術の捉え方は一般的な魔術師に寄る。


「私達のこと、なんだと思ってたのよ。こんなちんちくりんでもちゃんと魔術師ですぅ」

「まあ、葵はそう見えなくても仕方ないよな。鎌とか刀振り回す魔術師なんて、かなり少数派だし」

「鎌振り回す魔術師はこいつだけだと思うぞ……」


 使いやすいのだからいいじゃないか。まあ、たしかに、刀はともかく鎌なんて持ってる魔術師、自分以外に見たことないけど。

 そういえば愛美からも、鎌は使いにくいと不評だったか。でもあの人、刀も使いにくいとか言い出しそうだからなぁ。


「で? 話が逸れてんぞ。お前ら、なんのためにあんな勉強してんだよ」

「そういえばそんな話だっけ」


 話が逸れたのはカゲロウのせいなのだが、そこに食いついてしまった自分たちも悪いか。


 なぜ一般教養の勉強もしなければならないのか。単純に必要だからだ。それは現代社会を生きる上でも勿論だが、なにより魔術を使う上で、かなり重要になってくる。


「術式構成に必要だからだよ」

「術式に? 俺でも構成するまでは出来るぞ。普通の勉強出来ねぇけど」


 どうやらこれは、魔術とはなんなのか、から説明しなければならないらしい。

 この後予定がある葵はチラリと時計を見て、時間に余裕があることを確認してから口を開く。


「カゲロウは、魔術がなんなのかって理解してる?」

「なんかすげー力」

「それで術式構成まで出来ちゃうのか……」

「ま、まあ、そこまでならその理解度でも問題ないし……」


 首をかしげるカゲロウだが、この先の話を聞けば、自分がいかに凄いかを理解してくれるだろう。


「神秘を用いて奇跡を起こす。これが魔術の謳い文句みたいなものなんだけど、実際はそこまで大仰なものでもなくてね。そもそも、魔力っていうのは全ての人間が等しく持ってるものなんだ」

「魔術師とか魔物だけじゃないのか?」

「一般人も、持ってないわけじゃないんだ。眠ってる、って言えばいいのかな。魔力は生命力の一種で、普通に生活するだけなら使うことのない力。魔術師は、生命力から魔力を汲み取ることが出来るんだよ」


 蓮が説明しながら、宙空に光の図を描く。

 大きな川が流れ、そこから小さな川へと枝分かれしている図。それを用いて説明を続けた。


「この大きな流れが、あらゆる生命が生きるために持つ力。生命力ってやつ。で、そこから枝分かれしている流れが、例えば運動能力だったり治癒能力だったり、あとは精神力だったり。生命力からこんな感じで汲み取ってるんだ」


 生命力が強いと言われる人間ほど、この川はより大きくなる。吸血鬼なんかは、大小どちらの川も人間とは比較にならないくらいに巨大なものとなっているだろう。


「もちろん、個々人によってこの川の大きさは違う。運動が得意なやつとか、メンタルが強いやつとか、そんな感じで」

「魔術師っていうのは、ここから更にもう一つの小さな川を持ってるの」

「その川が魔力ってわけか」


 カゲロウの言葉に頷きを返し、蓮が光の川に変化を与えた。大きな川から枝分かれした流れを一つ増やし、色も若干変えている。


「正確には一つ多いとか増やしてるとかじゃなくて、蓋を開けてるんだ。一般人は、この魔力の川に蓋をされてる。魔術師になるためにはまず、その蓋を開くところから訓練しないといけない」

「魔物の場合は最初から開いてるんだけどね。カゲロウも半分は吸血鬼だから、最初から開いてたんじゃない?」


 ほーん、と興味なさげな声を出すカゲロウだが、裏腹にその目は好奇心の輝きを宿している。言動は粗雑だが、案外こう言った知識には興味があるのかもしれない。


 そのことに気分を良くした葵は、更に説明を付け加えた。


「生命力っていうのは後天的にある程度鍛えることができるけど、殆ど生まれつきで決まってる。いわゆる才能ってやつ。それは枝分かれしてる小さな川も同じで、特に魔力は先天的な部分が大きいの」

「川が大きいほど魔力の量は多くて、流れが早いほど質がいいんだ」


 蓮がまた光の図を操作して、川の流れが変わった。一箇所だけ色の違う流れ、魔力に該当するそこは少しだけ大きくなり、流れも早くなる。


「これ、蓮くんの?」

「ああ。量はそこまでないけど、質になら自信があるんだよ」

「私はどっちも平凡だからなぁ」


 量は多ければ多いほど、多種多様な魔術を使える上に、より高威力な攻撃を放てる。一方で質が良ければ、魔術の精度が向上し、複雑な術式構成を扱うことができる。おまけに魔力消費の効率もよくなるのだ。


 蓮の使う糸の魔術は、術式がそれなりに複雑だ。あれは誰もが使える汎用的な魔術ではなく、蓮の家に伝わる魔術だからだろう。それを難なく扱い、どころか新たな術式まで作り上げるのだから、蓮はかなり才能に恵まれている方だ。


 他方で葵の場合、魔術師としての才能は平凡極まりない。両親や兄が使っていた霧の魔術は使えず、魔力量もそこまで多くないから燃費も悪い。

 だが、葵には異能がある。魔力なんていくらでも誤魔化しが効くのだ。それゆえに、纒いという魔術を使えるようになった。異能様様である。


「魔力は先天的な部分が大きいけど、勿論鍛えることだってできるし、魔力だけが魔術に影響するわけじゃない。特に術式を構成する段階では、魔力は殆ど用いないんだ」

「それは俺も分かるぞ。構成するだけなら出来るからな」

「じゃあカゲロウは、どうやって術式を構成してる?」


 葵が尋ねれば、カゲロウは首をひねってしまった。まともに魔術の知識がなければこんなものだろう。


「術式の構成はね、術者のイメージが大切なの。どういう魔術を、どういう風に使いたいか。そのイメージさえはっきりと思い描けば、術式を構成できる」

「俺が魔術を使えないのは、イメージが足りないから、とかか?」

「いや、一度魔法陣として現出した術式が崩れるなんて、本来は有り得ないはずなんだ。その時点で魔術として成り立たないとおかしい。カゲロウのイメージが足りないなら、術式構成の段階から出来ないはず」


 そもそも、イメージが足りなくて魔術が発動できない、なんてこと自体が有り得ない。例えば火を起こしたいとして、人間なら誰しも火をイメージ出来るはずだ。その時点で術式構成の条件はクリアしている。

 簡単な式ならば、難しいイメージはいらない。漠然としたものでも問題ない。


「話を戻すね。人間のイメージ、想像力っていうのは、絶対に限界がある。それは理解できる?」

「まあな」

「ならそれを補うためにどうすればいいか」

「……ああ、本当に話が戻ってきたわけか」


 その通り。

 想像力を補うには、実際の知識が必要だ。先の例に則れば、火を起こすにしてもどの程度の強さ、熱さなのか。起こしたとして、どういった目的で使うのか。

 具体的には、熱量の計算式を知っていれば、より細かく火力を調整できたりする。


「詠唱や魔法名を定義づけるための言霊は、国語や英語が、熱や電気なんかの計算には理数系が必要だ。だから、魔術を極めるためには、こういう普通の勉強も避けては通れないんだよ」

「ほーん……社会科系は?」

「歴史を学ぶのは魔術的に意味あるけどね。それ以外は一般社会の常識として知っておくべきでしょ」


 現在は魔術が現代社会に出てしまっているものの、二ヶ月前までは魔術を秘匿すべき、という絶対のルールがあった。

 ゆえに、魔術師は一般人から正体を隠すべく、世間に身を溶け込ませる。そのためには現代社会の知識が必要、というわけだ。


「これで大体の説明は終わったかな。カゲロウが魔術を使えない理由は気になるけど、本人にも分からないんだったら、私達が気にしても仕方ないしね」

「でも、魔力のコントロールくらいは出来るようになった方がいいと思う。魔術に限らず、使い道はそれなりにあるしさ」


 魔術以下の魔力行使はいくつか存在している。魔力に攻撃の指向を持たせて放つ魔力弾もその一つだ。魔力による防護壁なんかも、あれは魔力を固めて壁にしているに過ぎない。

 そう言ったものは使えるに越したことがないだろう。カゲロウはただでさえ追われてる身だ。監視する側としても、自衛策くらいは持っていて欲しい。


「それじゃ、私この後用事あるから。せっかくだし、蓮くんと一緒に講義にでも出てみれば?」

「たしか今日は、ちょうど朱音の講義あるんだっけ」

「あの仮面女が? あいつ教師だったのかよ」


 仮面女、とは朱音のことだろうか。昨日は仮面を持っていたものの、カゲロウの前ではつけていなかったはずだが。

 まあいい。葵のようにちんちくりんなんて呼ばれるより何倍もマシだろうし。


「あんまり朱音ちゃんに逆らったら痛い目見るからね。じゃあ、ちょっと行ってくる。終わったら合流するね」

「こっちも朱音と合流して風紀委員会室で待ってるよ」


 席を立ち、教室から出る。

 残っていたクラスメイトたちは、やはり三人のことを注視していた。先ほどの話し声も聞こえていただろう。

 魔術を使えない半吸血鬼。果たしてそれを知ったクラスメイトたちは、カゲロウにどう接するだろうか。もしくは葵に対するように、接することさえ拒むか。


 仮にカゲロウが受け入れられたとして、私はどうしたらいいのだろう。

 あの二人なら、どうするだろう。


 答えの出ない自問自答に蓋をして、葵は目的地まで急いだ。



 ◆



 ノックを二回すると、中から「どうぞ」と声がかかる。大仰な扉を若干の緊張と共に開けば、中にはひとりの女子生徒が座っていた。


「生徒会室へようこそ、黒霧葵さん」


 笑顔で出迎えてくれたのは、肩まで伸ばしたセミロングに、頭頂部で髪が一房跳ねた三年生。魔術学院日本支部の生徒の中で、最も大きな権限を持つ生徒会長。現学院長である小鳥遊蒼の妹、小鳥遊(たかなし)(しおり)だ。


 風紀委員会室と同じくらい広い部屋を見渡す。広さは変わらないが、この部屋には長机が長方形を描く形で置かれていて、風紀委員会室よりも狭く感じてしまう。

 あの部屋のように寛ぐためのスペースはなく、それ故かどことなく雰囲気が重苦しい。


 しかしそんな雰囲気とは逆に、部屋の奥に座っている栞は柔らかな笑みを携えていた。


「好きに座ってくれて構わないよ。今日は私以外に誰も来ないから」

「じゃあ、失礼します……」


 栞の対面に位置する場所に腰を下ろし、葵は栞を観察する。異能は使わない。プライバシーに土足で踏み込むような真似はしたくないから。

 笑顔の生徒会長に、悪意は見て取れない。発する声も酷く柔らかな、聞いていて安心するような、不思議な耳触りをしている。

 しかし、わざわざ朱音経由で呼び出されたのだ。なにかしら大切な話があるのだろうが、心当たりがありすぎて逆に分からない。


 カゲロウのことか、風紀委員のことか。あるいは、あの日のことか。


「君を呼んだのは他でもない。風紀委員のことなんだ」


 早速切り出した本題に、身を強張らせる。

 緊張と警戒は相手にも伝わっているのだろう。栞は肩を竦めて、優しい声を発する。


「大丈夫、風紀委員をなくそうとか、そういう話じゃないから。それには兄さん、学院長の許可が必要だしね」

「ならどういったご用件ですか?」


 一先ず安堵しつつも尋ねる。

 あの場所がなくなるのかと警戒したのはたしかだ。風紀委員は、先輩たちの帰ってくる場所の一つでもあるから。あの場所だけは、なんとしても死守しなければならない。


 だがそうでないなら、どういった話になるのだろう。今度は逆に心当たりがないのだが、考える葵に向けて、栞は一つの提案をした。


「現在空席になっている風紀委員長の席。そこに黒霧さんが座って欲しいんだよ」

「え……」


 全く予想だにしていなかった言葉に、言葉を失くす。

 風紀委員長。それはその肩書き以上に重いものだ。この学院の治安を武力でもって維持する風紀委員のトップ。それはつまり、日本支部の生徒の中で最強を意味する。

 誰が決めたわけでもないが、歴代の風紀委員長は事実としてそう在った。今はいない愛美も、兄である緋桜も。


 その席に、私が?

 なんの冗談だと笑いたくなるものの、栞の目にそんな色は見られない。


「それと出来れば、風紀委員には何名かメンバーを補充して欲しい。委員長だった桐原さんもいなくなって、桐生くんもいなくなって。今は黒霧さん一人しかいないでしょう? みんな前みたいに騒ぐ余裕がなくなってるけど、それも多分時間の問題。ある程度余裕が出てきたら、また二ヶ月前までみたいに、あちこちで乱闘騒ぎ。黒霧さん一人じゃ厳しいだろうし、抑止力の意味でも委員長の席を埋めて欲しい。どうかな?」


 言葉は問いの形を保っているものの、それは半ば命令だ。

 人の上に立つ強者のみが持っている、力強い言葉の圧。愛美にもそれが備わっていたし、その娘である朱音も、昨日はその片鱗を見せていた。


 それに呑み込まれて頷きそうになる。でも、ダメだ。この人の提案は呑めない。


「お断りします……」

「どうして? 黒霧さんなら、風紀委員長として申し分ない実力があると思うけど」


 たしかにその通りかもしれない。葵自身、日本支部の生徒で一番強いという自覚も自負もある。友人である蓮よりも、目の前の生徒会長よりも。

 それでも、頷けない。


「風紀委員長の席は、空いてなんていません。私が入学してから今日まで、委員長は愛美さんです。明日からも、それは変わりません」


 力強い瞳で、生徒会長を見つめ返す。

 断られるとは思わなかったのか、栞は少し驚いたような表情をしている。

 この学院において、生徒会の決定は絶対だ。そのトップである生徒会長からの命令とあらば、尚更のこと。


 それでも、頷けない。あの場所は、あの人たちが帰ってくる場所だから。


「メンバーの補充については引き受けます。アテがあるので。でも、委員長になるのだけは、できません」


 毅然として言い放つ。

 生徒会室にはしばしの沈黙が降りた。栞は色のない表情でじっと葵の目を見つめており、葵もまた、そんな栞の目を見つめ返す。

 ここは譲れない。いつどんな時でも、自分を貫き通した愛美。その後輩であるなら。

 なにより、きっとあの二人も、こうするだろうから。


 やがてフッと破顔した生徒会長のお陰で、緊張の糸が切れる。


「さすが、桐原さんの後輩だね。私が知る限り、生徒会長に楯突くのは三人目だよ」

「あの、一応ほか二人を聞いても……?」

「あなたのお兄さんと先輩の二人」


 それは、なんというか……身内が迷惑をおかけして本当に申し訳ない……。

 しかしそんな葵も、現在進行形で迷惑をかけてる身だ。そんなこと、思っていても口には出せない。


 項垂れる葵。声を上げて笑う栞は、わざとらしくコホンと咳を一つ。改まった口調で決定事項を告げた。


「そういうことなら、了解しました。風紀委員長は、三年生の桐原愛美。書類上でもそのように取り計らっておきます。ただし、風紀委員会は新たなメンバーを、最低でも二人は迎えること。これが生徒会側から出せる最大の譲歩です。よろしいですか?」

「はいっ、もちろんです」


 ちょうど二人、入ってくれそうな生徒に心当たりがある。いや、片方は生徒扱いしていいのか微妙なところだし、快く引き受けることはないだろうけど。


 なんにしても、暫くは風紀委員の仕事なんてないに等しい。栞の言う通り、以前までの騒がしさを取り戻すには、まだ時間が必要だろうから。


 ホッと息を吐いて、いくらか肩の力を抜いた瞬間だった。

 首元のあたりに、チリっとした感覚が走る。次いで脳内に羅列される情報。

 第三講義室。講義後に六人。担当教師は静観。そして最後に、見覚えのある名前が六つ。どれもクラスメイトのもの。どころか、その内二人はここに来る前まで談笑していた男子二人で。


「すいません、早速仕事が出来たみたいなので、これで失礼します」

「ふふっ、頑張ってね」

「はい」


 カゲロウのバカはともかく、どうして蓮くんまで……。

 痛くなる頭を抑えつつ、葵は生徒会室から第三講義室まで直接転移した。



 ◆



 葵の提案もあったので、蓮はカゲロウを連れて第三講義室に足を運んでいた。

 今日はここで、朱音による元素魔術の講義があるのだ。二年生向けの講義だから、魔術のことを殆ど知らないカゲロウが聞いて面白いのかは分からないが。


「あいつ、本当に教師だったんだな」

「俺たちよりも歳下だから、色々とチグハグだけど。教えるのは上手だよ」


 講義室の中列辺りに座る二人は、教壇に立つ朱音を見て小声で言葉を交わす。講義中は許可されない限り声を出さないのは、どの世界でも暗黙のルールだ。


「──ですので、元素の組み合わせ自体は難しいことではありません。水と風で氷へと変化させる。それ自体はみなさんも出来るはずです。もちろん個々人によって、得意とする元素は違うでしょうが。さて、ここまででなにか質問は?」


 広い講義室を見渡す朱音。質問の余地など殆どないくらい、完璧な説明だった。教師としての仕事は十分以上に果たしている。

 だが、朱音はこの場の誰よりも歳下だ。彼女が教師としてここに立っているのは、現学院長の取り計らいがあり、三年生達が彼女を受け入れたから。二年生である彼らにはそんな事情を知る由もなく。


「はーい、いつまでこんな基礎ばっかやらせるつもりですかー?」


 明らかな侮蔑の込められた声が、講義室に響く。最後列の席で、下卑た笑みを浮かべている男子生徒だ。その周りには、彼の取り巻きらしい生徒が三人。同じく朱音に、嘲笑を向けていた。


「俺ら、もう二年なんすよ。それ、一年でやる内容ですよねぇ?」

「やめたげなって海斗(かいと)。相手は歳下だよ? 多分基礎しか教えられないんだよ」

「そうそう。あんまり虐めたら可哀想だろ?」

「応用なんて難しくて出来ません! って泣き出してもいいんだよー?」


 なんの因果か、四人全員が蓮と同じクラスだ。しかも今朝、教室でカゲロウに敵意を向けていたやつら。

 蓮は朱音の講義に何度も顔を出しているが、あの四人がいるのは初めて見た。つまり、関係者や三年生達のように、朱音の素性や学院に来た経緯も、全く知らないのだろう。


 毎年のように、二年生ではああいう生徒が出る。とは、担任教師である久井聡美の言葉。

 一年間を学院で過ごし、自分はそれだけの力があるのだと過信する。そして依頼先で呆気なく死ぬ。

 なんともまあ、お手本のようなやつらだな、と蓮は思う。彼らともそれなりに話す仲ではあるが、やはり好ましく思う相手ではない。

 葵をクラスから排斥している、その筆頭でもあるのだから。


 さて。件の男子生徒、志波海斗の嘲笑に対して、果たして朱音はいかな対応をするのだろうか。


「ふむ、応用ですか。例えば、こんな感じですかね?」


 朱音の足元に魔法陣が展開される。教室内にいる全員が身震いする冷気が一瞬感じられたかと思えば、魔法陣の上には氷で作られた狼が現れた。

 正直この時点で、朱音と自分たちの実力差は明らかなのだが。軽く魔術を発動する。その余波だけで、あの冷気。寒さ以外の理由で身が震えそうだ。


「氷で造形するくらいなら、みなさんも出来るでしょう。ただこの狼は、見かけだけではありません。術式には標的の自動追尾と、破損個所の自己修復、魔力探知の機能もつけてる優れものです。次の授業からは、こんな感じのを教えればいいでしょうか?」

「あ、ああ……分かればいいんだよ……」


 無詠唱でそこまでの機能をつけたのだ。さすがに喧嘩を売る相手を間違えたと気づいたのだろう。忌々しげに舌打ちして、四人が声を上げることはなくなった。


「質問もないようですし、今日はこの辺りにしましょうか」


 朱音が解散を告げ、講義室内の生徒達はぞろぞろと退室していく。蓮とカゲロウは朱音と合流して葵を待つ予定だから、席を立たずに座ったままだ。

 だがどうやら、先程の四人もまだ残っているようで。


「なんだ、そういうことか……おい蓮! お前、なんでそんなやつ連れて来てんだよ」


 やっぱり、厄介なことになった。頭を抱えたくなる衝動を必死に耐えて、蓮は後ろに振り返った。

 視線の先には、蓮の隣に座るカゲロウへと標的を変えた、志波海斗と取り巻きの三人が。


「さっき教室で聞こえてたぜ。そいつ、魔術使えないんだろう? そんなやつがいるから、俺らまで基礎からやらされる羽目になってんじゃないのか?」

「カゲロウ一人に合わせて、授業内容が変わるわけないだろ」


 憂さ晴らし、だろうか。朱音にしてやられて溜まった鬱憤を、カゲロウで発散しよう。なんて考えだろう。

 もはやウンザリした様子も隠さず、蓮は話は終わりだと言わんばかりに視線を切る。


 が、しかし。隣から、火に油を注ぐような声が。


「ハッ、やっぱりバカばっかじゃねぇか。おい蓮、お前あんなんと友人なのか? やめとけよ。付き合う相手は選ぶべきだ」

「吸血鬼ごときが……!」


 案の定、志波海斗は怒りに表情を歪めてカゲロウを睨む。

 なるほどこれがいわゆる、怒りが有頂天、とかいう状態か。なんて風に現実逃避していないとやってられなかった。


 朱音の方をチラリと見るも、どうやら助けてくれる様子はなさそうだ。澄ました顔で静観してるのみ。周りの生徒も関わり合いになりたくないのか、そそくさと講義室を出て行ってしまう。あっという間に、残っているのは蓮とカゲロウ、志波海斗と取り巻きの四人、朱音の七人のみとなった。


「なあ蓮、俺も同じことを忠告してやるよ。付き合う相手は選べよ? ただでさえ、普段からあんなやつといるんだ。その上そこの化け物と連むのはどうかと思うぜ?」

「あんなやつ?」


 鋭い視線で睨む。蓮の表情の変化にも気付かず、海斗はなおも言葉を続ける。


「黒霧のことだよ。お前みたいな優秀な魔術師が、あんな気味の悪いやつと連む必要なんかねぇだろ?」


 ああ、これはマズイな。そう思ったのはカゲロウだ。粗雑で乱暴に見えて、伊達に五十年以上生きていない。案外理性的だった半吸血鬼は、隣に立つ友人の怒りに気づいていた。


 お前らもそう思うだろ? と、取り巻きに同意を求める海斗。口々にこの場にいない少女を罵り始める取り巻き連中。

 そして不意に。海斗の体が、宙に浮いた。


「は?」


 なにも状況を理解できぬまま、少年は勢いよく背後の壁に投げ飛ばされる。

 講義室の照明を受けて、キラリと光るなにかがあった。糸だ。鋼鉄よりも硬く、それでいて鞭のようにしなやかな糸が、海斗の体に巻き付けられていた。


「なんのつもりだ糸井!」

「いきなり危ないじゃない!」

「よくも海斗を!」


 取り巻きの一人が、反撃に魔力弾を放ってくる。だが、蓮の前に立ったカゲロウが、それを拳で叩き伏せた。


「おお、やれば出来るもんだな」

「カゲロウ……」


 カゲロウの手首の先には、淡い光が灯っている。拳に魔力を集中させたのだろう。術式すら必要ない、魔術以下の魔力行使。

 その拳で、吸血鬼のパワーをふんだんに使い、魔力弾を叩き落とした。


「痛えじゃねぇか、蓮……好きな女バカにされて怒ったか?」


 立ち上がった海斗の顔に浮かぶのは、やはり嘲笑。自分が二人よりも優秀な魔術師だと確信しているのだろう。

 そしてそれは事実だ。志波海斗は、その性格はともかくとして、魔術師として既に一流と呼べる。


 だが、魔術師として優秀な人間が、必ずしも強いわけではない。


「その通りだよ、海斗。俺の友達を好き勝手罵ってくれたんだ。相応の報いを受けてもらう」

「俺も付き合うぜ、蓮。取り巻きは任せとけ。魔術なんざ使えなくても、これさえあれば十分だ」


 カゲロウが拳を鳴らし、蓮が魔力の糸を現出させる。海斗を始めとした四人も、魔力を練り上げ始めた。

 しかしカゲロウがそれを待つ理由はない。詠唱を始めるよりも、術式を構成するよりも早く、吸血鬼の膂力も持って肉薄する。


 魔術師であっても捉えられないスピード。瞬く間に取り巻きの一人である女の前に躍り出て、拳を振り上げた直後。


 黒い翼が遮った。


「うおぉっ⁉︎」


 右翼の一薙で、弾丸のように吹っ飛ぶカゲロウ。静観していた朱音の真横に突き刺さり、あっという間に沈黙。

 翼の持ち主、風紀委員としてこの場に現れた黒霧葵は、親しい友人すらも標的として、魔術を発動する。


氷纒(ひょうてん)


 黒い翼が氷の翼へと変貌し、葵の髪が白く染まる。その光景を最後に、蓮の意識は途切れた。


「全員氷漬けとは、さすが葵さん。容赦ないですね」

「見てたなら止めてよ朱音ちゃん……」

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