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魔女がやって来た翌日。十一月も後半に差し掛かると、かなり寒くなってくる。日本支部はその立地的にも気温が低く、この時期は多くの生徒が寒さに震えていた。
愛美もそのうちの一人であり、彼女は特に寒がりだから、マフラー手袋耳あてと完全防寒のモコモコ装備に身を包んでいた。
「さむ……」
風紀委員会室へと向かう最中、廊下の窓が僅かに開いていて、隙間風が華奢な身体を震わせる。一体誰だ、窓を開けっ放しにしてるバカは。犯人を見つけ次第殺さなきゃ。
物騒なことを考えながらも歩いていれば、あっという間に風紀委員会室へとたどり着く。校舎はそれなりに広いとは言っても、所詮は徒歩圏内。さっさと中に入ってあったまろうと扉に手を掛け、違和感を覚えた。
よく見ると、それは通い慣れてしまった風紀委員会室の扉ではなく。
「……なにこれ?」
風紀委員会室の隣。昨日まではなかったはずの扉が存在している。ノブを捻っても開く気配はなく、しかし鍵穴のようなものもない。
後で緋桜に聞けばいいだけだとは思うが、中がどうなってるのか気になるのも事実。
と言うわけで、やることは一つ。
ダガーナイフで扉を斬り捨てた。
袈裟にかけて真っ二つになってしまった扉をダメ押しで蹴り破れば、中は下に繋がる階段となっていた。横幅は二メートル以上あるだろうか。愛美が両手を広げても、なお余裕がある。
ここは二階だ。となれば、一階に繋がっているのだろうか。しかし校舎の構造的に、仮に一階に繋がっていたとしても、その先にある部屋はかなり狭くなっていると思うのだが。
「まあ、入ってみれば分かる話よね」
ナイフを構えて警戒しつつも、階段を降りていく。壁は石で出来ており、外の光が差し込んでいる気配はない。ロウソクが所々に灯っているから、真っ暗ということはないのだけど、不気味な雰囲気には違いない。
しばらく進んでみれば、奥から魔力を感知した。咄嗟に身構え、前後どちらにも意識を巡らせる。
なにかがいる。
魔術師か、もしくは魔物か。その正体はまだ分からないが、何者かに敵意を向けられているのは変わらない。
辺り一面に、魔力の流れが。警戒を一層深めて一歩踏み出そうと足を上げた、その瞬間。
右の壁から、愛美の頭を潰さんと石ブロックが突き出してくる。反射的にナイフを振るって斬り落とし、それによって周囲を這うように流れていた魔力が止まる。
足元と腰のあたりの石ブロックも、今にも動き出しそうにしていたのだが。愛美の異能に魔力の流れごと切断されたことで、トラップはそれ以上作動することはなかった。
「もう終わり?」
落胆も隠さずに呟いて、先に進む足を再び動かす。
やがて辿り着いたそこには、木製の扉が。そこまで長く降りていたわけではないのだが、それでも一階へ降りるには階段の数が多かった。となると、ここは地下か。あるいはどこか別の場所か。
トラップはもうないだろうと踏んで、ドアノブに手を掛ける。予想通りこれといった反応はなく、扉自体も随分と簡単に開いた。
中は10畳ほどの部屋になっていた。全面石造りではあるが、天井には蛍光灯が吊り下がっている。どこから電気を引っ張ってきているのかは謎だ。部屋の奥にはシングルのベッド。左手前に机と、右手側には様々な魔導具が置かれた棚が。
生活感のない殺風景なその部屋の中央で、驚きに目を見開いている魔女が一人。
「嘘、死んだんじゃなかったの……?」
「勝手に殺さないでくれる?」
不機嫌さも露わに言い返すが、桃はぶつぶつと独り言を始めてしまった。一体どんな術式を、いや魔力の反応はなかった、ならなにかしらの異能か。
考え込む魔女を無視して部屋を見渡していると、急にグイッと距離を詰められた。好奇心に満ちた仄暗い瞳に見つめられ、思わず後ずさりしそうになる。
「教えて。どうやって突破してきたの? 仮にここまで降りてこられたとしても、扉に触れた瞬間、天井が落ちて来るはずなのに」
「物騒なもの作ってるんじゃないわよ……」
つまり、本来ならここまで来ようと思った時点で、侵入者の死は確定しているわけだ。この感じだと、作動しなかったトラップもタチの悪いものばかりなのだろう。
昨日は本人を前にして、堂々と興味ない発言をしたくせに。今では真逆。興味津々に愛美を見つめている。
それもそのはずだ。魔女の作ったトラップを、無傷で潜り抜けてきた。並の魔術師なら、愛美が斬り捨てた石壁のトラップにすら対応できていなかっただろうから。
おまけにトラップが停止した、つまりは侵入者は死んだと思っていたのに、殺人姫は何食わぬ顔でこの場にいる。
ふと、いいことを思いついた。
魔女が求めてる説明は、愛美の異能についてだ。正直自分でも、どう言ったプロセスで発動しているのかは分からない。ただ、斬れると思ったものを斬っているだけ。
ならば口で説明するより、実際に見てもらった方が早い。
「そんなに気になるなら、ちょっとついてきなさい」
口角が上がるのを自覚する。
どうせこの魔女とは、暫く付き合いが続くのだろうし。せっかく興味を持ってくれたのだ、少しくらいは親睦とやらを深めてもいいだろう。
◆
「で、なんで俺まで付いて来なきゃならないんだ?」
全力の不満顔で尋ねてきた緋桜を無視して、愛美は今日の依頼内容を頭の中で再確認していた。
今回は少し、いやかなり気色の異なる依頼だ。どこぞの森の中やら無人島やらではなく、ある街の近郊。そこにある廃ビルが標的の住処。
「攫われた子供の救出、ね。さて、このメンバーで上手く行くかしら」
それこそが今日の目的。
愛美が自身の在り方を見つめ直して選んだ依頼。強くなるために正しいことを成すのではない。正しくあるために、今より強く。
殺すための戦いではない。守り、救うための戦いだ。
とはいえ、やることはこれまでと変わらない。結局は敵の魔術師を殺せば解決するのだから。ただ、最優先とすべきは子供の救出だ。そこを履き違えるな。敵を殺すのは、己の衝動に身を任せ欲求のまま殺しを楽しむのは、その後だ。
「普通に戦う分なら、今まで通りなんの苦労もないだろうけどな。お前が突っ走って俺が援護。おまけに今日は、魔女様までいる」
緋桜の視線が、愛美の隣に向けられる。つられてそちらを見るものの、少し距離を開けて立つ桃は、こちらに一瞥もしない。
「わたしは殺人姫の異能を見にきただけ。手伝うつもりなんてないから」
大袈裟に肩を竦める緋桜。元から魔女の助力は必要としていない。どのような魔術を使うのかは知らないが、緋桜との連携を邪魔されても困る。
まあ、連携と言っても、まともな会話すら交わさずに共闘してきた勘から来るものなのだが。コンビネーションと言うにはあまりにもお粗末なもの。しかし、信頼を置くには十分だ。
「問題は、いつもみたいに、私が突っ走ればいいだけってわけじゃないことよ」
すぐそこに立つ廃ビルを見上げる。三人は近くに身を隠しているが、中の構造や敵の人数、子供の居場所は、緋桜の感知魔術で把握済みだ。
結界こそ張り巡らされているものの、かなり低レベルな術式で形成されている。緋桜でなくとも、術者の目を掻い潜って中を感知できるだろう。敵の程度も知れるというもの。
しかし何度も言うが、今回の目的は攫われた子供の救出だ。敵の強さがどうであれ、あちらに人質がいる以上、なにをしでかすのか分からない。可能であれば気づかれず、隠密に徹したいところではあるのだが。
「緋桜、この結界、どうにかならない?」
「ならないことはない。壊せば気づかれるが、目を欺くことならできる」
緋桜の掌の上に、魔力が収束する。やがて現れたのは、緋色の桜を模したバッヂだ。愛美と桃にひとつずつ渡し、緋桜自身は制服につけてみせた。
すると、目の前の男から魔力の反応が消える。いや、実際に消えたわけではないのだろう。認識阻害の一種。相手の魔力感知を阻害して誤魔化しているだけにすぎない。
「この手の魔術は専門じゃないんだが、まあ大丈夫だろう。この程度の結界なら、バレることはない」
「ありがと、これで突入できるわね」
礼の言葉を受けた緋桜が、眉根に皺を寄せる。しかしそこに負の感情があるわけではなく、困惑と言ったら近いだろうか。
そんな表情を見せられたもんだから、礼を言った側の愛美からすれば多少イラっとしてしまう。
「なによ」
「いや、なんでもない」
出会った頃なら、考えられないことだ。まさか愛美に礼を言われるとは。それだけ緋桜に対する態度が軟化し、彼女本来の優しさが表に出てきた、ということか。
そんな心情を知る由もない愛美は、苦笑を浮かべる緋桜に怪訝そうな目を向けるのみ。一体なんなのかこの男は。
まあ、緋桜のことはどうでもいい。今は仕事に集中だ。
「まずは屋上の見張り二人をどうするかね。魔力感知を誤魔化しても、突入前に肉眼で見られたら意味ないし。このバッヂ、どこまで誤魔化せる?」
「魔力を放出しなければ問題ない。だから転移は使えないぞ」
「つまり、強化は使えるわけね。それで十分だわ」
小さく詠唱を口にして、概念強化を纏う。蒼との修行のお陰でかなり形になってきてはいるが、それでも未だ完成とは言えない。
概念強化とは、文字通り概念に作用するものだ。
通常の強化の場合、筋力を強化すれば走るスピードは上がるし、攻撃の精度も増す。愛美と言うデバイスの入出力を強化しているのだ。
他方で概念強化の場合、「走る」「斬る」などと言った、行動のひとつひとつに対して発動させなければならない。その手間を思えば、通常の強化には利便性で劣っている。
しかしその効果は絶大だ。概念に作用し、ある種の存在意義をより強固にする魔術。つまり、愛美というデバイス本体を直接強化している。結果的には入出力も勿論強化されるが、それ以外にもその精度、質までもが段違いに強化される。
通常の強化は、あくまでも人間の身体能力の延長上。だが概念強化は、その域を軽々と越える。
「見張りを片付けたら合図するわ」
「任せた」
だから地上十メートル近くにある屋上でも、ひとっ跳びで到達してしまう。
「……ッ⁉︎ しんにゅ──」
「まず一人」
突然姿を現した愛美を見て、見張りの一人が叫ぼうとする。が、愛用のダガーナイフを投擲。正確に心臓を突き刺し、その光景をもう一人の見張りが呆気に取られて見ている。
ナイフは回収しない。相手が冷静になる時間を与えないため。
温存のため概念強化を解除し、生身のままその体術のみで敵に肉薄する。強化を解いたことでスピードは落ちるが、それでも愛美の体術は捉えられない。
攻撃の予備動作による踏み込みで崩震を使い、地面を伝って敵の生体活動、その波長を狂わせる。ぐらりと揺れて倒れそうな敵へ、トドメの蹴りを側頭部に見舞った。
愛美の使う体術の特徴。そのひとつが、その腕や脚だけであらゆる力の流れを操れることだ。
衝撃を体内に直接叩き込まれた見張りの男は、蹴りひとつだけで頭蓋骨を粉砕されてしまった。
これが、殺すことに特化した体術。愛美の持つ力。
以前戦ったあの男が、なぜ同じ体術を使えたのか。亡裏とはなんなのか。こんな時でも疑問が湧いてくるが、そこを考えるのは後だ。今ではない。
ナイフを回収して空を切り、こびりついた血を飛ばす。屋上からひょっこりと顔を出し、下にいる二人に合図を送ったのだが。
魔女の姿がない。頭を抱えてる様子の緋桜がひとり残されてるだけで。
「変な体術に変な魔術。本当に変な子だね」
「……勝手に変人扱いしないでくれる?」
唐突に背後から聞こえる声。いつ、どうやってここまで登ってきたのか。全く気づかなかった。転移はするなと緋桜に言われていたし、愛美のように自力で跳んできた、というわけでもなさそうだが。
それどころか、声をかけられるまで全く気配がしなかったのだ。愛美はそう言ったものに敏感だ。数多くの殺し合い、戦闘で培われた、第六感のようなもの。それが人よりも優れている自負があるのに。
「それを使ってわたしのトラップを潜り抜けてきた、わけじゃなさそうだね。ねえ殺人姫、早く異能を使ってみせてよ」
見た限り、桃は緋桜の作ったバッヂをしていない。だが敵に気づかれた様子もないから、自前で認識阻害をかけているのだろう。なるほど、気配も感じられなかったのはその仕業か。さすがは魔女だ。
「そう焦らないでよ、獲物はまだまだいるんだから。そのうち嫌でも見れるわ」
地上を見下ろして緋桜が突入したのを確認し、愛美も屋上から階下へと降りる。やはり魔女も付いて来るらしい。
まあ、適当に戦っていれば飽きてくれるだろう。愛美の異能はなんの面白みもない、ただ斬ることしかできない力なのだから。
この廃ビルは四階建てだ。中の構造自体はいたってシンプル。一つの階につき部屋が一つ。そこまで広い部屋ではないから、あまり大技を使うこともできないだろう。
屋上から四階に降りて、階段の踊り場に身を潜める。攫われた子供は、三階にいると緋桜が言っていた。一階と二階の敵は緋桜に任せることにして、子供の救出は愛美の役目。
ここの敵をスルーしてしまうのも手だが、後々囲まれたりすると厄介だ。
さてどう始末しようかと考えていると、爆発音が響きビルが揺れた。
「な、なんだ今の⁉︎」
「一階からか⁉︎」
「敵襲らしい! 俺たちも援護に向かうぞ!」
バタバタと部屋の中から足音が聞こえ、咄嗟に屋上の方へと身を返す。しばらくしてから恐る恐る戻って部屋を見てみれば、なんと全員出払ってしまったようだ。
緋桜の負担が増えてしまったが、精々囮としての役割を果たしてもらおう。
三階まで降り、部屋の気配を探る。三人、いや四人か。うち一人は攫われた子供で間違いないだろう。敵が三人だけなら、やれる。
深呼吸をひとつして、ナイフを握り直した。
さあ、始めよう。殺すためではなく、救うための戦いを。
◆
廃ビルの一階で囮として戦う緋桜は、余裕の表情で敵をあしらっていた。
放たれる魔術はどれもが低レベルなもの。術式構成はめちゃくちゃだし、魔力量も大したことない。それらを防ぎ躱し、刃と化した緋色の桜で敵の数を削る。
「まとまに魔術の手解きも受けてないやつらが、俺を仕留められるわけないだろ」
まるで生き物のように蠢く桜の花びら。死角などなく、三百六十度全方向に対応可能な刃を潜り抜けるには、かなりの実力が必要だ。
愛美との依頼では、こう言った雑魚の掃除が緋桜の役目だった。実力のある魔術師には、真っ先に愛美が突っ込んでしまうから。取り巻き連中がいなかったとしても、緋桜はあくまで援護に徹していたのだ。
たまには俺も、強いやつと戦ってみたいよなぁ。漠然とそんなことを思う緋桜だが、彼より強い魔術師なんてそういない。
日本支部の生徒で最も強いのが緋桜だ。単純な強さで言えば、一部の教師も抜いてしまっている。それこそ、今の日本支部では人類最強や魔女くらいでないと勝てない。
そんな強敵がいるわけもなく、緋色の桜はあっという間に敵を蹂躙し尽くしてしまった。
大体三十人ほどだろうか。血の海と化したこの部屋には、もはや緋桜以外誰も立っていない。中にはまだ生きてる者もいるだろうが、わざわざトドメを刺す必要もないだろう。別に愛美のように、好んで敵を殺しているわけでもないのだから。
三階に上がって愛美と合流するかと足を動かしかけて、近くに転がっていた魔術師の男が、僅かに呻き声を漏らした。
やはり生きていたか。立ち上がる力すら残っていないようだから、このまま無視して先に進もう。
「学院の、犬め……お前らに、あのガキを渡して、たまるか……」
「なに?」
しかし、足を止めてしまった。
学院に依頼が来たからには、ただの誘拐犯ではないと分かっていた。それはもちろん、攫われた子供も。依頼主はその両親だ。魔術師の子供が攫われたから、学院に依頼する。至極真っ当なことである。
しかし、この男の口振りからすると、単に魔術師の子供と言うだけじゃないのか?
「おい、どういうことだ。お前たちが攫った子供は何者なんだ?」
尋ねたものの、返事はない。治療して無理矢理にでも吐かせるか。そう思い術式の構成を始めた、その時。
突如地面から突き出した赤黒い槍が、男の身体を貫いた。
「ダメじゃないか、黒霧緋桜。トドメはしっかり刺さないと」
「お前、は……!」
灰色の髪を持つ男が現れた。
いや、現れたというのは適切ではない。まるで最初からそこにいたように、その男は立っている。奇しくも宿敵である魔女と同じく、最高レベルの認識阻害を持ってして。
両親の仇であり、妹の多重人格の元凶たる灰色の吸血鬼は、深い笑みを浮かべて緋桜の前に姿を見せた。
◆
部屋に飛び出してきた愛美にいち早く反応したのは、魔力の鎖で手足を縛られ、ガムテープで口を塞がれている子供。そのすぐ後ろにいる、サブマシンガンを装備した男だった。
「何者だ⁉︎」
男が叫び、残りの二人も愛美に気づく。三人のうち二人が銃を装備しており、その銃口が向けられる。しかし引き金が引かれるよりも、愛美がコンクリートの床を蹴る方が早い。
遅れて弾丸が放たれるが、その全てを回避して敵の一人に肉薄する。銃身を真っ二つに斬り、続けて両腕を斬り落とした。殺せてはいないが、完全に無力化している。今はそれで十分。
次は子供の近くにいたやつだ。そちらに足を向けようとして、しかし。咄嗟に男の体を盾にして、その後ろに隠れた。容赦なく肉壁に突き刺さる氷の矢。
放ったのは、銃を持っていなかったもう一人だ。
「お前、最近噂の殺人姫だな?」
「だったらなに?」
「お前の体術と俺の魔術、どっちが早いか勝負といこうや!」
殺到する氷と雷の矢。肉の盾はもう使えないと判断して、咄嗟に飛び退く。仲間の背中を撃ったことに動揺しないあたり、さすがは裏の魔術師といったとこか。
しかし、たしかに早い。術式構成から発動までの早さと、攻撃自体の速さ。愛美の動きを捉えられるほどとは、早々お目にかかれないレベルのスピードと完成度だ。
本当なら心行くまで殺し合いたいところだが、本来の目的を忘れてはいけない。
まずはなんとか隙を見て、縛られてる男の子を救出しなければ。
「どこ見てやがる!」
「ちッ……!」
意識を男の背後にやった一瞬。それを見逃さず、今度は風の刃が迫る。それをダガーナイフで斬り伏せ、距離を詰めるためコンクリートの床を駆ける。
続け様に放たれる魔力の槍を紙一重で躱し、殺人姫は真っ直ぐに駆け抜けてナイフを振るう。
その寸前。
殆ど直感だけで攻撃を中断し、真横に跳ぶ。先程まで愛美が踏み込んでいた場所には、何本もの魔力の槍が突き刺さっていた。あのまま攻撃を中断しなければ、今頃串刺しになっていただろう。
「今のは惜しかったな! だが、こいつならどうだ!」
男の周囲に同時展開される、多数の魔術。氷の矢が、雷の槍が、風の刃が、炎の弾が、一斉に愛美へと襲いかかった。
廃ビルが崩れる可能性など一切考慮しないその攻撃を、殺人姫は舞うように躱し、斬り伏せる。
間断なく降り注ぐ魔術の雨。そして術者はかなりの実力者。仮に距離を詰めたとしても、先程のように対応される。
一瞬でも気を抜けば、殺されるのは私だ。死と隣り合わせ。命を削り、信念を燃やす戦い。
でもこうじゃないと。命を懸けた殺し合いっていうのは、こうじゃないと楽しくない!
「集え、我は疾く駆けし者、万物万象悉くを斬り伏せ、命を刈り取る者!」
詠唱を叫び、温存していた概念強化を解放する。綺麗な顔を残酷に歪ませた殺人姫が、魔術師の男へと瞬く間に肉薄する。
自分の魔術より、今まで見せた愛美の動きよりも早く速いその動きに、男は目を剥いて驚くことしかできない。
男が知っていたのは、以前の愛美だ。殺人姫としての名が広め始めた頃。つまり、概念強化のことなど知らず、今までの動きが愛美の最速だと信じて疑わなかった。
そんな噂に踊らされた時点で、男の敗北は決まっていたのだ。
「止まれ!!」
男の首筋までナイフが迫った瞬間、別の声が愛美の耳に届いた。
視界の端に、捕まった男の子の眉間へ銃口を当てている男が見える。反射的に動きを止めた愛美は、要求されるまでもなくナイフを地面へ落とした。
最初に言葉を発したのは、愛美が相対していた魔術師だ。
「おい、なに勝手な真似してやがる。俺がいつ、そんなことを命令した?」
「文句は受け付けないぞ、紅羽さん。俺たちはあんたを信じて、ここまで来たんだ。最後までやり遂げないと、下で死んだ連中に顔向けできない」
男の言葉に、紅羽と呼ばれた魔術師が舌打ちする。階下、一階での戦いが既に幕を閉じているのは、愛美のみならずその場の全員が察していた。結果は緋桜の圧勝。全滅とは言わずとも、殆どが命を落としたであろう。
その割に緋桜が姿を見せないのは、不思議で仕方ないが。
「悪いな、殺人姫。俺との殺し合いはここまでらしい」
小さく舌打ちをして、紅羽は言う。その表情に、怒りと悲しみ、後悔を滲ませて。
「……あんたのこと、勘違いしてたわ。仲間の背中を撃っても、何とも思わないクソ野郎だと思ったんだけど。その点は謝罪する」
「素直に受け取っておこうか」
なんとも思わないわけがなかったのだ。この紅羽という男がどんな人物かは知らないが、それでもその表情を見てしまえば。ただそれだけは、分からないはずがなかった。
地面に落としたナイフを蹴って、大きく後ろに下がる。救出するはずの子供に危害を加えられそうとあれば、他に選択肢はない。
「優しいんだね、殺人姫。いっそ愚かなほどに」
背後から、声が聞こえた。ここまで完全に気配を消し、敵はおろか愛美にすらその存在を察知させなかった魔女の声。
一切の感情を感じさせない、無機質なその声が、愛美の胸を刺す。
子供の救出。その目的さえ捨ててしまえば、愛美は敵の二人を殺しきれる。紅羽と呼ばれた魔術師を殺し、その隙に男の子は殺されるだろうが、残りの一人はどうにでもできる。
だが愛美の目的が子供の救出である限り、その手段は取れない。
いや、依頼なんて関係なくても、それ以上に。なんの覚悟もなく、信念すら持たない幼い子供が殺されるなんて。そんなこと、桐原愛美は許さない。
それが、魔女の指摘した優しさ。非情に徹しきれない殺人姫の、致命的な甘さだ。
「強化を解け。下手な真似はするなよ? このガキの頭が吹っ飛ぶことになるぞ」
そのサブマシンガンの9ミリ弾では吹っ飛ぶまで行かないだろう。呑気にそんなことを思いつつ、しかし打つ手がないのも事実だ。
銃口を突きつけられた男の子と、目が合う。声を上げたくとも、口を塞いだガムテープがそれを許さず、大粒の涙を零し、表情を絶望に歪めていた。
助けなければ。救わなくては。それが私の役目で、使命で、じゃないと、ここにいる意味がないのだから。
「本当、変な子だよ」
呆れ、憐れんだその声と共に、背後の魔女が魔力を解放した。敵の二人にとっても、愛美にとっても予想外のもの。
まさかこの魔女が、介入してくるなんて。
「我が名を持って命を下す。其は昏き底から這い寄りし混沌」
響く詠唱。濃密な魔力で歪む空間。魔女の足元を中心に、毒々しい色をした沼のようなナニカが広がる。
人の言葉では到底言い表せられない、名状しがたきナニカ。
これはまずい。なにがまずいのかは分からないけれど、とにかくまずい。自分の足元へと到達するよりも前に、愛美は子供の元へと走った。幸いにして、敵の二人は広がる沼に気を取られている。
概念強化を全開にし、その隙に銃を持っている敵に肉薄。拳一つでサブマシンガンを粉砕して、子供の体を抱えて跳躍。空中に魔法陣の足場を作った。
「な、なんだこれは⁉︎」
「足が、なにかに取られて……!」
二人が悲鳴じみた声を上げた瞬間、沼の中から多数の触手が現れた。一部の触手は鉤爪へと変化し、二人の体を突き破る。
なす術もなく、瞬く間に。触手と鉤爪に絡みとられた二人の男は、沼の底へと沈んでいった。
男の子の目を咄嗟に手で覆った愛美だったが、目を覆いたいのは自分も同じだ。
その魔術の存在自体が、生理的に受け付けない。吐き気すら催す。あれは、この世にあってはならないものだ。
這い寄る混沌。無貌の神。闇に棲むもの。
外からの来訪者を、あの魔女は魔術ひとつで再現してみせた。恐怖で身体が震える。嫌な汗が吹き出る。
「信じられない……あんた、この子諸共やろうとしたでしょ……」
「結果的に助かって、敵も殺せて救出できた。文句ある?」
「こんな小さい子に、あんなの見せるんじゃないわよ!」
人間性の欠落。それ自体は愛美も察していたが、しかし実際にその様を見てしまえば、唖然とするしかなかった。
桃の言う通り、結果的には依頼成功といえるだろう。子供は無傷で救出でき、敵も全滅。
その方法は、決して褒められたものではなかったが。
「どうして、そんなに優しくあれるの?」
問うた魔女の目に浮かぶのは、純粋な疑問。
殺人姫と呼ばれるこの少女が、何故そうあれるのか。それが分からない。理解できない。
「分かるよ、殺人姫。人を殺したくて殺したくて、体の疼きも衝動も、止めるのに精一杯なんでしょ? さっきの戦いなんて、結局は殺し合いを楽しんでた。その子の救出なんて、頭から消えてたでしょ」
「……否定はしないわ」
「ならどうして?」
どうして、と聞かれても。答えに困ってしまう。愛美は別に、優しくあろうと思って生きているわけではない。ただ思うがままに生きているだけ。むしろ優しさなんてもの、殺人姫の自分には程遠い。
それでも、敢えて答えるのなら。
「私には、家族がいるからよ」
そうとしか答えられない。大切な家族たちがいる。彼らに囲まれて育ったから。
こんな自分にも優しさなんてものが備わっているなら、きっと彼らのおかげなのだ。
聞いた魔女は、睨め付けるように目を細める。それを正面から受け止めていれば。
「前言撤回。興味が湧いたよ、殺人姫。異能や魔術じゃなくて、あなた自身に」
「なら名前で呼んでくれる?」
「気が向いたらね」
これが、最初の一歩。
魔女と殺人姫が、互いに無二の親友へと至る、長いようで短い道の。




