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Recordless future  作者: 宮下龍美
第1章 探偵と殺人姫
43/182

遺したモノと残されたモノ 1

 夢を、見ていた。


 それは、百八十年に及ぶ戦いの記録。

 ただひとり、仲間のために、己のために、復讐だけを考えて。名を変え顔を変え、その身に宿った石の力を使い、それだけでは足りぬと研鑽を重ねた、魔女の記録。


 夢を、見ていた。


 それは、これから訪れるはずだった未来。

 復讐に身を費やした百八十年で、唯一出来た親友と、その家族である少年と。三人で、普通の人間の様に遊んだり、出掛けたり。普通の少女のように、恋だってしてみたり。

 ついぞ叶うことのなかった、願いの記録。


 夢を、見ていた。


 生きて、と。

 そう言い遺して去っていく、魔女の背中を。

 手を伸ばしても届かない。呼び止めたくても声が出ない。

 ただ見ていることしかできず、


 魔女は、暗闇へと姿を消した。



 ◆



「なんだよ、それ……」


 目が覚めると同時に、全てを理解した。

 あの戦いはどうなったのか。なぜ自分は生きているのか。


 学院の医務室のベッドで寝かされていた織は、身体のうちに感じる力へ意識を向ける。

 底知れない量の魔力。知識にない、けれど知っている数多くの術式。

 なにより特筆すべきは、自分の眼。そこに宿った異能。

 まるで、足りなかったピースがカチッとハマったような。今なら手足のように使えるだろう。あの、不可能を可能に変える力を。

 根拠はなくても、確信はあった。


「最悪の目覚めね……」


 隣のベッドから声がした。視線をやれば、静かに涙を流している愛美が横たわっている。

 彼女が泣いているところを見るのは初めてで、不覚にも、綺麗だなんて思ってしまう。


「織も、見た?」

「ああ、見たよ」


 主語が曖昧な問いかけに、力なく頷く。

 魔女と呼ばれた友達の一生と、未来に抱いていた想い。その記録。

 そして、遺された願い(のろい)


 己の内に感じるのは、賢者の石だけではない。それともう一つ。彼女の唱えた最期の魔術が、この体に生きている。


 生きろ。死ぬな。半ば強迫観念のように、頭の中で響き続ける言葉。


「本当、バカよね。こんなもの遺して、私たちに全部託して……あの子自身がいなかったら、意味ないのに」


 上半身を起き上がらせた愛美が、胸に手を当てる。涙は止めず、そこに宿った友人のカケラを感じるために。


 これはきっと、罰だ。

 弱い自分たちへの。あの場でなにも出来なかった、足手まといにしかならなかった罪に対する、罰。


 ならば、戦わなくてはならない。

 それが織と愛美に課せられたものだ。この力と願い(のろい)と共に託された使命だ。


「行きましょう、織」


 ベッドから立ち上がり、涙を拭う愛美。やるべきことも、やらなければいけないことも、沢山できた。泣いている暇なんてない。

 あれから何日経ったのか、学院はどうなったのか、今の二人にはなにも分からないのだ。

 ここで立ち止まるな。弱音を吐くな。見せかけでもいい。強くあれ。


 こみ上げるものを呑み込んで、織も立ち上がった。愛美と並んで歩き出そうとして。


「ごめん、やっぱり無理……」


 堪え切れなかったのだろう。愛美が体にしがみついて、織の制服を涙で濡らす。漏れる嗚咽は小さなもの。けれどそれは紛れもなく、あの友人への想いの大きさを証明していて。


「いいよ。無理しなくていい。今くらい、好きなだけ泣けばいいんだ」


 この強くて弱い女の子は、きっと、みんなの前では泣けないだろうから。せめて、今くらい、俺の前でくらいは。


 愛美の頭に手を置き、さめざめと泣く彼女を撫でていると、不意に医務室の扉が開いた。

 バサリ、と書類の落ちる音。しかしそちらを一切気にもせず、二人の娘である少女は驚きに目を見張っていて。


「父さん……母さん……」


 そう呟いた朱音は、一目散に織へ突進して、二人に抱きついた。


「よかった……よかったよぉ……」

「悪い、心配かけたな」


 二人の体を抱き寄せる。

 この腕の中に、ちゃんと命の温もりがある。俺たちは、生きてる。

 そのことを自覚して、ついに耐え切れなくなって。

 感情が、決壊した。



 ◆



 一ヶ月。それが織と愛美が眠っていた時間らしい。その間に色んなことが変わったと言った朱音に連れられて、三人は学院長室へとやって来た。


 道中、朱音がずっと二人の手を離さない上に、どうやら学院内で元から悪目立ちしていた二人は、一ヶ月前の事件もあって更に有名になってしまったらしく。校舎内にいる生徒たちから大注目となってしまった。

 物凄く居心地が悪かったのだが、仕方ない。そんなに長い間眠っていた自分たちが悪いのだし、朱音からすればまた両親を失うかもしれなかったのだから。しかも今度は、自分の眼の前で。


 自分たちを注目する生徒の中に、友人たちの顔はなかった。またそのうち顔を見せにいかないとダメだな、と思いつつ、織は案内された先、学院長室の扉を潜った。


「おはよう、二人とも」

「無事に目を覚ましてよかったです」


 三人を迎えたのは、学院長が座るべきそこに腰を下ろしている蒼と、その傍に立つ有澄。

 その二人は織も予想通りだったのだが、その他に予想外の人物が、二人いた。


「あんた達、なんでいるのよ」

「おいおい、お前の大好きな先輩とようやくの再会だってのに、随分冷たいな。ここはハグの一つでもするとこだぜ?」

「殺す」


 予想外の人物、その片割れである黒霧緋桜が和かな笑顔で両手を広げる。イラついた愛美が懐から短剣を抜こうとするが、そこに己の得物がないことに気づいたのだろう。緋桜には襲いかからず、不満そうに睨むのみ。

 かつて聞いていた人物像と、以前ネザーで出会った時に抱いた印象とが乖離していたのだが。なるほど、セクハラ野郎とか言われるのも納得だ。


 そんな二人のやり取りを見ていたもう一人、銀髪の吸血鬼は呆れたようにため息を落とした。


「やめんか緋桜。貴様、そんなだから最近葵が微妙に距離を取ってるのだぞ」

「……マジ?」


 割と真剣なトーンで聞き返す緋桜に、サーニャはなにも答えない。まあ、つまりそういうことなのだろう。


 その葵の姿がないが、あの後輩は無事なのだろうか。あの日までいたはずの葵と碧はもう消えてしまって、今いる黒霧葵は織たちの知る後輩ではないけれど。

 それでも、可愛い後輩であることに違いはない。具体的な数字は知らないが、今の葵はかなり久しぶりに自分としての生活を送っているはずだ。緋桜とはともかく、クラスメイト達とは上手くやってるのだろうか。


「しかし、貴様らが目を覚ましてくれて良かったよ。この一ヶ月、朱音のやつが陰気な顔ばかりで鬱陶しかったのでな」

「ちょっ、サーニャさん⁉︎ そういうのは言わないで欲しいのですが!」

「それは、なんというか……うちの娘がご迷惑を……」

「よい。朱音が鬱陶しいのは慣れてる」


 そう言えば、朱音とサーニャはあの廃墟で一ヶ月ほど生活を共にしていたのだったか。両親のことでうじうじしていた朱音で慣れたのかもしれない。

 朱音は未来でもサーニャにお世話になってたようだし、この二人なんだかんだ仲良いよなぁ、とか思いながら、織はサーニャに問う。


「朱音のことはともかく、サーニャは学院にいていいのか?」

「緋桜、あんたもよ。グレイの味方してたくせに、なに仲間ヅラしてここにいんのよ」

「その辺も含めて、僕から説明するよ」


 とりあえず座って、と進める蒼。革のソファに三人並んで座る。朱音が織と愛美の間に腰を下ろし、二人の腕を絡めて離そうとしない。織も愛美も困ったように微笑みながら、しかし満更でもなさそうだ。

 まあ、一ヶ月も放ったらかしにしてしまったのだし、親としてこのくらいは甘んじて受け入れよう。


「まずは、あの日のことについて話そうか」


 あの日。グレイの一派が学院に攻めて来た日の一部始終。織も愛美も、その全てを把握しているわけではない。分かっているのは、ただ一つ。

 大切な友達が自分たちに全てを託し、そして死んだことだけだ。


「最初から説明しよう。そもそも、グレイ達が攻めてくることを最初に突き止めたのは桃だ。舐め腐ったことに、やつらはここ、学院長室で作戦会議じみたことをしててね。ジュナス・アルカディアの手引きで盗み聞きしていた桃は、君たちを巻き込まないための作戦を立てた」

「ジュナス……怪盗が?」


 安倍家で初めて対峙し、以前に愛美を攫おうとした怪盗。その経験から、やつらの立ち位置はある意味ハッキリしていた。

 探偵、桐生織の敵。

 グレイとは単純な協力関係ではないと思っていたが、桃を手引きするなんてのは明らかな裏切りだ。下手すれば、自分の身すら危ないかもしれないのに。なんのためにそんなことをしたのか。

 その疑問に答えたのは緋桜だ。


「俺とジュナスたちは、それぞれに目的があってグレイを利用していたんだ。利害の一致。あの日俺たちがここに来たのは、借りを返すためだった」

「目的、ね。あんたの場合は葵だったってわけ?」

「そうだな。あの異能を消す。それが俺の目的だった。グレイにとっても、葵の異能は脅威だったんだろう。俺とやつの利害は、そこで一致した」


 しかし実際には、葵の異能は消えることなく。二人の代償をもってして、更なる進化を遂げた。

 葵本人の言葉を借りるなら、消えた二人は異能を守るためのプロテクトだったと。だからこそ緋桜は、まず二重人格の呪いを消そうと考えていたのだが。南雲仁の仕業で緋桜の計画もご破算というわけだ。


「結果がどうであれ、あんたは私の後輩二人を消そうとした。それは変わらない事実よ」

「分かってる。だから、それでいい。お前は俺を許さないでくれ」

「……なにも変わってないのね。そういうとこ、嫌いだわ」

「そういうお前は、随分変わったよ」


 肩を竦めた緋桜が、織へと視線を寄越す。

 自分の知らない愛美を知っている。織にとっては、それだけで緋桜に対する嫉妬心が湧いて来てしまう。情けない話だ。しかし、今の視線の意味を察せられないほどに、織は鈍くない。


 だからこそここではなにも返さず、織は話の続きを促した。


「緋桜さんについては分かった。怪盗も、今の話を聞く限りだとグレイを裏切ったんですよね」

「サーニャさんが無理矢理味方につけたって感じだったけどな」

「人聞きの悪いことを言うな。あの状況ではあれが最適だっただけだ」


 なんにせよ、ジュナスとルミの二人も、あの日にグレイを裏切ったのは確からしい。この場にいないと言うことは、学院の味方になったわけでもなさそうだが。


 話が一旦落ち着いたのを見計らい、蒼が続きを話し出す。


「ともあれ、ジュナスと桃のお陰で、僕たちは事前にグレイの計画を知ることが出来たわけだ。そして当日。桃とサーニャ、それから僕と有澄の仲間を合わせた五人で迎え撃ってたわけなんだけど、こちらとしては想定外のことが起きた」

「グレイの介入、ですか」

「それもそうなんだけどね。あの吸血鬼が介入してくること自体は、僕たちもある程度予測はしてたんだよ。問題は、その方法だ」


 思い出されるのは、あの日の空。夜を訪れさせたのは、グレイの魔術によるものだろう。あの日の蒼と南雲の会話を鑑みるに、それは明らかだ。


「正直、あれは完全に予想外だった。空を夜に変える魔術を使うなんてね」

「大量の賢者の石があってこそ、ですね。グレイの異能によって量産された石を、やつはその体にいくつも取り込んでいた」


 有澄が難しい顏で言えば、蒼は疲れたようにため息を吐く。この人類最強を感嘆せしめるほどの魔術。それを行使するグレイの強大さが、改めて実感できる。


「そんなグレイに対して桃が使った魔術は、僕たちがやつを殺しきれる唯一の手段、のはずだったんだ」


 はずだった。つまり、そこから先が本当の想定外。魔女や人類最強でも予測できなかった、灰色の吸血鬼の不死性。


「サーニャ。吸血鬼の不死身は、どういうギミックだった?」

「再生力だな。吸血鬼は、正確に言うと不死身ではない。人間よりも遥かに優れた身体機能と魔力。その両方を持っているからこそ、不死身と見紛うほどの再生力を有している」

「そう、吸血鬼といえど、本当に不死身なわけじゃない。そして吸血鬼の再生力に対しての例外が、やつらの持つ弱点だ。銀や十字架、そして太陽」

「我がそうであるように、弱点を克服している吸血鬼など現代では珍しくない。だが、魔女のあの魔術は違った。たとえ太陽の光を克服した吸血鬼でも、受ければ消滅していただろうよ」


 あの闇に差し込む、一筋の光。織も愛美も、それを見ていた。恐らく、あの光こそが桃の使った魔術だったのだろう。


「どんな魔術だったんだ?」

「そこまで言うからには、太陽の力を使ったとか、そんなんじゃないの?」

「愛美の言う通りだよ。あの魔術はね、この世に存在しない、全く新しい元素によるものだったんだ」


 それを聞いて絶句した。

 元素魔術は、最もオーソドックスな魔術だ。向き不向きはあれど、ほぼ全ての魔術師が扱える。火、水、風、土の四つを基本とし、それらを組み合わせることによって別の元素を生み出せる。シンプルであるがゆえに奥が深い魔術。

 神話の時代から現代に至るまで、基本の四元素は一切増減しなかった。各神話や歴史によってその呼び方は変わっただろうが、本質に変わりはない。


 あの魔女は、最後の最後にそんな常識を覆したのだ。


「未だかつて誰もなし得なかった、五つ目の元素の開発。僕にも不可能だったそれを、桃は成し遂げた」

「その元素って……」

「空の元素。それが、桃の使った魔術の正体だよ」


 地球が誕生した時より存在している、この空の力。それを振るうことのできる元素。

 言葉にすれば単純だが、それはつまり、この宇宙の力を使うということだ。桃はグレイを倒すという目的のため、太陽の力に着目してその力を振るう魔術を開発したが、この元素の真価はそれだけではない。


 例えば、宇宙に瞬く星やその繋がりとして形を成す星座。重力の塊と言われるブラックホール、吸血鬼に力を与える月など、その力の可能性はどこまでも広がっている。それこそ、宇宙のように。


「その元素と魔術を可能としたのが、位相と呼ばれる力だ。聞いたことは?」


 その問いには首を振る。ただの言葉、単語としては当然知っているが、そのまんまの意味ではないだろう。


「じゃあ質問だ。僕たちが日常的に使ってる魔力や異能。これら超常の力は、一体どこから来たと思う?」

「どこからって……最初からこの世界にあったんじゃないの? それこそ神話の時代とかの大昔から」


 愛美の答えに、蒼は首を横に振る。次いで、その視線は織へと向けられた。

 え、俺に答えろと? 困惑するが、まあ、考えるしかない。


 どこから来たのか、と問われたからには、この世界に最初から存在していたわけではない。どこか別の場所からやって来た、と言うことである。

 しかし、魔術の歴史は神話の時代まで遡るのだ。神がまだ地上にいて、今では考えられないほどに大気の魔力が濃い時代。

 ならば着目すべきは、神、だろうか。


「どっか、神様の世界みたいなのがあって、それが人間たちに分け与えられた、とか?」

「んー、いい線いってるけど、残念ながらハズレだ」


 いい線いってたのか。でもそういうの、わざわざ言わなくてもいいかな。愛美が悔しそうに舌打ちしてるから。


「別の世界からこの世界に分け与えられた、ってのは正しい。いや、分け与えられたわけじゃなくて、漏れ出てると言った方が正確なんだけどね」

「異世界、と呼ばれるものがあります。この世界とは全く異なる法則を持った世界。文字通りの異世界が。漫画などに出てくるものをイメージしてもらえれば、分かりやすいと思います」


 有澄に言われてイメージしてみる。例えば中世ヨーロッパを舞台とした話。魔王を倒すために勇者が旅をしたり、エルフやらゴブリンやらがいたりと言った、ファンタジー世界。

 それがフィクションの中ではなく、実際に存在すると。


「実際に存在している異世界と言うと、その世界に住まう人々は皆、五体の竜神を崇めていて、その龍神から力を分けてもらうために竜の巫女と呼ばれる少女が存在する、そんな世界があります」

「えらく具体的ですね」

「ええ、まあ、わたしのいた世界の話ですから」

「はい?」


 何か今、サラッと物凄いことを言われた気がするのだが。

 どうやらサーニャや緋桜も知らなかったようで、蒼と有澄を除いた全員が驚きに目を見張っている。そんな一同を愉快げに眺めて、蒼は話を続けた。


「まあ、そういう異世界ってのがあるんだよ。僕たちが魔術や異能と呼んでるものが存在している世界もあれば、存在していない世界もある。並行世界とは違って、決してこちら側と交わることない世界。そして、僕たちのいるこの世界は本来、そう言った力が存在しない側の世界だった」

「……なんとなく、話が見えてきたわね」

「さすが僕の一番弟子。話が早いね」

「さすが俺の後輩。頭が回るな」


 蒼と緋桜の言葉が被る。緋桜が蒼を睨め付けるが、対する蒼は和かに笑顔のままだ。

 喧嘩するなよ。あと愛美は俺の嫁だから。

 思っても口に出さない織である。なんでって恥ずかしい以上にあの二人の間に挟まりたくないから。


 二人が火花を散らしている様を見て、朱音以外の女性陣が揃ってため息を吐く。これは愛美が周囲から愛されている証拠なのだろうが、未来の旦那としてはなんとも微妙な心情だ。いや別に旦那になるって今から決まってるわけでもないけど。

 なんて心の中で誰に向けてかも分からない言い訳をしていれば、となりの朱音が無邪気な顔で織を見上げて言った。


「母さんはもう父さんのだもんね」

「うん……うん? まあ、そう、だな?」

「そうだよね?」

「はい」


 有無を言わさぬ迫力があった。やだうちの娘怖い。これがカプ厨というやつか。違うか。

 恐る恐る愛美の方をチラ見してみると、頬が僅かに赤らんでいた。さすがに恥ずかしかったのだろう。うーん、可愛い。五千兆点あげたい。


「話が逸れてるわよ。その異世界がどうしたのよ」

「じゃあ愛美、君の考えを聞かせてもらおうかな」


 ジト目で問えば、逆に問い返される。頬の赤みも完全に消えた愛美は、顎に手をやり、考えをまとめながら話し出した。


「そうね……私たちのこの世界には、元から魔力や異能がなかった。けれど今はこうして存在している。ここで異世界の説明を挟んだってことは、私たちの使ってるこの力は、異世界から齎されたもの、ってことでしょ?」

「位相ってのは、異世界とこの世界を繋ぐ扉みたいなもんか?」


 愛美の言葉を補完するように言えば、蒼は頷きを一つ。正解らしい。


「正確には齎されたというよりも、漏れ出してる、って言った方が正しい。そういった力が存在している世界のキャパを超えた力が、この世界に溢れて漏れてるんだ」

「ただそれだけじゃない。本来の魔力や異能の力って言うのは、この世界に置いて毒にしかならない。世界の構造がそもそも違うんだ。この世界は、超常の力の存在を前提として作られてないからな」


 つまり、異世界から漏れ出した力をこの世界に適応させるため、毒素を抜き取るフィルターのようなもの。それが位相と呼ばれるものだ。


「そしてその位相を自在に操れる力がある。純度100%の魔力を使い、あらゆる超常の力を支配する力。桃が奥の手として使い、今は君たちに託された力。彼女が黒いドレスを着ていたのは見ただろう?」


 アウターネックの黒いドレスに三角帽子(ウィッチハット)。見慣れない姿だとは思っていたが、どうやらあれこそが桃の奥の手、織と愛美に託された力だという。


「その名をレコードレスという。本来なら記録されていない筈の術式。そして、この世界に記録される筈のなかった力を、自在に操るドレスだ」


 己の内側に存在する力へと、意識を向ける。記録された膨大な術式の中に、一つ。たしかにあった。明らかに他とは違う術式が。

 その構成の複雑さも緻密さも、決して真似できない程に段違いな魔術。


 位相を操るための力。レコードレス。


「……いや、ちょっと待ってくれ。桃がこの力を使って、新しい元素を生み出したってのは分かった。グレイが賢者の石に固執してるのも、このレコードレスを狙ってるってのもなんとなく察しがつく。けど、俺と愛美の両方にあるのはおかしくないか?」


 前例として、朱音がいる。より正確には、朱音のいた時間軸の織だが。

 朱音の持つ賢者の石は、カケラに過ぎない。魔力量は変わらないだろうが、記録されてる術式が少ないのだ。半分は向こうに、グレイに持っていかれたと、以前夢で見た未来の織は言っていた。


 織と愛美の二人を救うため、桃は賢者の石を二つに分けた。それは事実であるし、こうして二人ともが無事に生きていること自体が証明している。

 織と同じく、愛美の中にも賢者の石は宿っているのだ。なら、記録されている術式は半分ずつで分けられていないとおかしい。


 だが、蒼は首を横に振るのみ。代わりにサーニャが口を開く。


「貴様らが眠っている間、ずっと葵に見てもらっておったのだ。賢者の石を取り込んで、どのような状態なのかも、どうなるのかも分からなかったからな。しかし、葵の目でもその理由までは映し出されなかった」


 葵の異能。情報操作による副作用、情報の可視化。現在の葵は、以前の二人の時よりも異能が進化している。

 にも関わらず、賢者の石についてはその全てを閲覧出来たわけではなかった。

 曰く、桃の時からそうだったらしい。レコードレスなんてものは賢者の石の情報に含まれておらず、どころか位相の力についても、彼女は全く知らなかったと言う。


「賢者の石については、僕にも分からない部分が多いんだ。なぜレコードレスが、位相を操る力が存在してるのか。その力になぜ魔術という明確な形が与えられてるのか。桃はなにか知っていたみたいだけど、僕たちにはなにも語らなかった」


 織たちには、自分はただの器であり、賢者の石の全容は未だ把握していない、と言っていた。蒼に対しても同じことを言っていたのだろうし、実際に彼女は、全てを知っていたわけではないのだろう。

 グレイならあるいは、と思うが、それよりも身近なところに、心当たりがあった。


 それはひとまず置いておくとして、話の続きだ。少々脱線しすぎている。


「二人ともが賢者の石の力を全て使えるのは、色んな理由が考えられる。朱音のいた時間軸の織とは違う手順を踏んだからか、もしくは桃が最後に手を加えたのか。それ以外の可能性も考えられるから、ひとまずは保留にしておこう」

「話を戻しましょうか。位相の力については、二人とも理解してくれたと思います。桃さんが使った元素と、レコードレスについても」

「その力を使っても、グレイは殺しきれなかった……」


 事実を口にしただけなのに、その言葉はやけに重たく吐き出された。

 そう、問題はそこなのだ。今軽く説明されただけでも、位相やレコードレスがどれほどの力を持つのかは理解できた。しかし、それでも魔女は、仇敵である灰色の吸血鬼を殺せなかったのだ。


 太陽の力を込めた、空の元素魔術。それは吸血鬼の再生能力を、無意味とするだけの威力があるはずだった。いくら太陽の光を克服していようと関係ない。確実のやつを殺すための魔術。


 ならばなぜ、グレイは無事だったのか。


「信じがたいけど、やつには死の概念が存在しない。実際に対峙してよく分かったよ」

「吸血鬼の特性とは、また違った不死性を持ってる、ってこと?」

「まあ、一応そういうことになるのかな」


 その詳しいところまでは蒼にも分からないが、ともかくやつがなにをしても死なない、というのは確定だ。吸血鬼の弱点を用いようと、どのような魔術、異能を使おうと、やつは殺せない。


「先生でも無理だったのか?」

「うん。僕でも無理だった。でも殺せないだけで、負けることはない。ここからは君たちと桃が倒れた後の話だ」


 人類最強の男ですら、殺すことはできないと断言してしまう。いよいよ勝機が見えなくなってきたが、今は過去の話をしているだけだ。未来の話は、まだ残っている。


「桃の賢者の石を君たちに移植した後、僕と有澄、龍とルークの四人でやつを追い返した。織はルークのこと、知らなかったね」

「名前だけは」


 剣崎龍の魔導具店に行った時、他の三人が名前を出したのを聞いただけだ。実際にどのような人物なのかは全く知らない。


「まあ、僕と同じくらい強い転生者、って認識でいいよ」


 なんだただの化け物か。


「で、グレイを追い返した時、やつの体内にあった賢者の石をいくつか破壊しておいた。おまけにルークが治癒阻害をかけてくれたから、今頃やつは体内で暴れる魔力に苦しめられてるんじゃないかな。いくら吸血鬼の再生能力と不死性があると言っても、かなりの時間は稼げたはずだ」

「死ねないってのも難儀なもんだな」


 緋桜がハッと嘲笑を浮かべる。

 ある意味、やつの不死に助けられたと言うべきか。お陰でこちらには、時間が出来たのだから。


「厄介なのはグレイだけではないがな。我と緋桜、怪盗の二人が戦ったガルーダもいる」

「神の力を使うあの鳥には、ただの魔術じゃ通用しない。同じ神の力じゃないとな。葵が来てくれなかったら、仲良く全滅してるとこだったよ」

「緋桜だけ死んでたらよかったのに」

「ははは、冗談はよせよ……冗談だよな?」

「どうでしょうね」

「お前、昔より俺への当たりキツくない?」

「気のせいよ」


 しょげてる緋桜を見るに、気のせいじゃなさそうだ。これはこれで仲良さげに見えて、織の中にはやはり小さな嫉妬心が。

 自分でも無意識のうちに緋桜を睨んでしまっていたようで、肩を竦めた先輩が苦笑を向けてくる。


「そんな怖い顔しないでくれよ、桐生織。なにもお前から愛美を取るつもりなんてないんだからな」

「いや、別にそんな心配は……」

「見てくれはいいが、中身が完全にアレだからな。こんなの好きになるくらいなら、ガルーダと地獄の底までランデブーした方がマシってもんだ」

「バカにしてるの? バカにしてるんでしょ? 死にたいならそう言いなさいよこの場で殺してあげるから」


 怒り心頭の愛美を、隣の朱音が宥める。以前の愛美ならいざ知らず、今の愛美なら余裕で緋桜に勝ててしまうだろう。

 それが分かっているからか、緋桜は降参を伝えるように両手を挙げる。顔には笑みを貼り付けたままだが。


「緋桜、愛美をおちょくるのが楽しいのは分かるけど、話が進まないから」

「そりゃすいません」

「母さん! 抑えて抑えて! それはシャレにならないから!」


 早速賢者の石から術式を引き出そうとしている愛美を、朱音が全力で抑える。その様を見て蒼と緋桜が愉快そうに肩を揺らし、愛美の怒りメーターが更に上がってしまう悪循環。


「いい加減にしてくださいよ」

「話はまだ終わっとらんだろう。グレイにガルーダ。それだけではない。グレイが血を分け与え、賢者の石までも埋め込まれた魔物もいるのだぞ」

「しかもその魔物は、既に野に放たれてるんです。これまでの魔物のように、夜から活動しだすわけでもない。昼でも関係なく、街中だろうが容赦なく暴れ回る、通常の個体よりも余程強力な魔物が」


 有澄の言葉に驚愕する織と愛美。

 昼や街中だろうも関係なく暴れる。つまりそれは、これまで存在していた神秘の秘匿というルールが、完全に破られてしまうということで。


「僕たちが学院で戦ってる一方その頃、ってやつだ。空が闇に覆われたのは、学院だけじゃない。日本全土がその現象に見舞われた。そしてその闇は、魔物を活性化させた。幸いにも、賢者の石を埋め込まれた魔物は学院以外に現れなかったみたいだけどね」

「各地の魔術師や異能持ちが動いてくれたお陰で、死傷者はそこまで出ていない。愛美、お前の家も動いていたが、桐原組に被害はなかったそうだ」


 安堵する織と、目に見えて胸をなでおろす愛美。だが逆に、桐原組のみんなは、今もまだ織と愛美のことを心配しているだろう。この場が解散したら、まずはみんなに無事を報告しなければ。


「でも、これで魔術師や魔物の存在が、公になってしまった。表舞台に上がってしまったんだ」

「今のところは国がどうとか、そういう規模での話は出てない。だが日本は、世界は魔の存在を知ってしまった」

「じゃあ、これからどうなるんですか……?」


 魔術師は、人が持つには強大すぎる力を有している。一般人からすれば理解不能。つまり、恐怖の対象でしかない。

 だが魔物に対抗できるのも魔術師だ。例えば銃などの実弾でも魔物を倒せるが、日本という国において実銃を有する人間など、警察や自衛隊くらいだろう。更に言えば、彼らは魔術なんて得体の知れない力の相手を前提とした組織ではない。


 日常を脅かす魔物を排除するには魔術師の力が必要だが、魔術師が介入してしまう時点で、それは日常と呼ぶには遠くなってしまう。魔術師という理解不能な輩を、本能で遠ざけようとする。


 ならば学院としては、どう動くのか。そこに所属している自分たちは、どう動けばいいのか。

 そして、表裏一体なはずの魔術世界と現代社会が一つに溶け込もうとしている世の中は、どうなってしまうのか。


 人類最強の男は、不敵に笑ってこう言った。


「それじゃあ次は、これから先、未来の話をしようか」

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