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Recordless future  作者: 宮下龍美
第4章 まだどこにも記録されていない未来へ
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クリスマスは今年もやって来る 3

 魔王の心臓(ラビリンス)六十層。観測されている限り最も地下深く、最奥と呼ばれているそこに、二人の人間が。


 一人は黒霧葵。漆黒の雷を纏い、一体一体がソロモンの悪魔と同等かそれ以上の魔物たちを、複数相手に立ち回っている。

 彼女が持つ『崩壊』の力は絶大だ。相手がどれだけ強かろうが関係なく、問答無用で機能する。その肉体を、魂を、存在全てを崩壊させるキリの力。


 そんな力も、持つものによっては宝の持ち腐れと化してしまう。これはあらゆる魔術や異能、力という概念そのものに言えることだ。


 例え『崩壊』の力がどれほど強力なものでも、葵自身がここの魔物たちと渡り合える実力を持っていなければ、意味がない。


 人類最強ですらたどり着いたことのない六十層。そこにいる魔物たちは、彼女の常識が通用する相手ではなかった。

 力は強く、俊敏で、守りは硬い。

 ただそれだけ。それだけのことで、『崩壊』なんて大それた力も殆ど無意味となってしまうほど。


 それでも、よくやってる方だろう。

 遠目から観戦している赤い豪奢なドレスの女性、イブ・バレンタインは内心で感嘆する。


 織や愛美たちを始め、この世界の住人は鍛え甲斐がある。その中でもこの子、黒霧葵は特に筋がいい。このまま自分が集中して鍛えていれば、いつか人類最強も越してしまうだろう。

 惜しむらくは、その時間的余裕がないこと。いやはや、本当に惜しい。


「は、はははっ、はははははは!!!」


 一撃でもまともに貰えば死に至る状況で、ツインテールの少女は笑っている。二足歩行で一つ目の巨大な魔物、たしかサイクロプスとかいうやつの体に張り付き、その硬い肌に小さな牙を突き立てていた。


 血を吸う。少女の魔力が、また一段と跳ね上がる。吸血されたサイクロプスは全身が砂のように崩壊して、葵は次の標的目掛けて迷宮内を駆ける。


 先程から同じように戦い、彼女は想像以上の継戦能力を見せていた。

 四十層を過ぎたくらいから完全に暴走してしまっているが、イブが止めることはない。そもそもイブは、暴走状態に陥ってしまうこと自体は悪いと思っていないから。


「とはいえ、この先にいる魔王とやらを目覚めさせられても、面倒なことになりそうですね……折を見て止めますか」


 視線は葵が戦っている場所よりも、さらに奥へ。この迷宮の最深部には、ある存在が封印されている。

 人類最強であるあの男もそれに気がつき、下手に封印を解くことがないよう途中でリタイアしたのだろう。


 さしものイブも、自分と似たような存在を相手にすれば、葵を庇いながら倒せる自信はない。


 なるほど、魔王の心臓とは言い得て妙だ。学院本部全体で封印を仕掛けたのも、当時の魔術師は中々いい判断をしたと言える。


 問題は、幻想魔眼で世界を作り替えた時に、どのような影響を及ぼすのかだが。



 ◆



 地面に大の字で寝転がる葵は、激しい後悔に襲われていた。

 十四層で蓮たちと出会い、血も分けてもらってから駆け抜けた迷宮。それでも途中で足りなくなったので、生理的嫌悪感の少ない魔物から血を吸いながら戦い続けていると、気がつけば暴走していた。


 あの時、蓮を助けた時と同じだ。

 ひたすらに喉が渇いて、どれだけ血を啜っても満たされることはなくて。

 ただ本能のまま、血を求めるがままに。


 そんなのは、私のやりたい戦いじゃない。でもその考えすらも雲散霧消し、血を吸うことしか考えられなくなる。


 もしもまた、仲間の前で暴走してしまえば。あの時はカゲロウが止めてくれたけど、今度はうまく行くとは限らない。あの黒い雷が、仲間を、大切な人たちを貫くかもしれない。


「暴走することが、そんなに怖いですか」

「イブさん……」


 差し出された手を取って立ち上がる。スカートの裾を軽く払って、女性にしては高い身長を見上げた。


「たしかに、暴走と言ってしまえば聞こえは悪い。けれど悪いことではありませんよ」

「でも、あんな……本能のままに戦うなんて……」

「そこです、葵。あなたは少し履き違えている」

「え?」


 吸血鬼の暴走とは、つまり本能の爆発だ。

 葵の場合、吸血鬼の遺伝子に精神が追いついていないこともあるが。必要以上に血を吸ってしまうと、その本能が爆発する。

 通常時よりも力は増すが、理性を失い、正真正銘の化け物となってしまう。


 それを、悪いことではないと。イブはそう断じた。


「例えば、人間の三大欲求を考えてみなさい。あなたはお腹が減った時、ご飯を食べるでしょう」

「え、ええ、まあ……」

「眠たいと思えば寝るし、性的興奮を覚えれば自身を慰める」

「せ、性的……」


 普段耳慣れないそのワードに、思わず頬が熱くなる。そんな葵を微笑ましく見ながらも、イブは説明を続けた。


「吸血衝動も、結局はそれと同じです」

「いや、でも。私たちはいつどこだって睡眠や食事を取れるわけじゃありませんよ?」

「自慰行為もですね。わざわざ外す必要はありませんよ?」

「わざわざ言う必要もないですっ!」


 クスクスと笑うイブは、有澄から事前に聞いていた通りかなりのサディストなのだろう。あきらかにこちらをからかって楽しんでいる。


 コホン、と咳払いして気を取り直し、葵は疑問を投げかける。


「取れるわけじゃない、というか。そうすべきじゃない場面で、その本能を律することができる理性が、人間には備わってるじゃないですか。私の暴走とはまたちょっと違う気がするんですけど……」

「同じですよ。理性というのは、本能をコントロールする舵のようなものだ。完全に押さえつけることなどなく、その方向を操作しているにすぎない」


 ブレーキではなく、舵。

 本能をどこに向けるか操作するもの。


 そういえば、アダムからも同じようなことを言われたか。

 この『崩壊』の力を使いこなしたければ、力の方向性をコントロールしろ、と。


「理性というのは、たしかに素晴らしいものだ。人間に備わった優れた機能と言える。しかし、本当にそれひとつで本能を抑えつけることができるのなら、今頃世の中は戦争ひとつない平和な世界になっていますよ」

「なんだか急に話のスケールが……」

「大きくなどなっていない、同じことです。戦争はいけないことだと理解している人が大多数いる中、それでも己の私利私欲のために、つまりは本能のために戦争を起こす人間がいる。つまり、暴走する。しかしその暴走、延いては戦争自体が齎すのは、悪い結果ばかりではない」


 例えば技術力。かつての世界大戦などを見ても分かるが、その前後を比べると、各国の技術力は飛躍的に上昇した。

 結果として今日の暮らしにおける科学が成り立ち、人々の生活は豊かになっている。


 やはり些か極端な例だと思うけど、イブの言葉は間違っているわけじゃない。


「つまり、私の本能、暴走が、いい結果だけを招くようにコントロールしろ、ってことですか?」

「その通り。そもそも本能と呼ばれるものは、根本的にはその個人にとってプラスに働くようになっている。その先に待つ未来がどうであれ、戦争を起こした本人には目先の得がある。この辺りは逆に、動物で例えた方がわかりやすいでしょう」


 肉食獣は、他の動物を狩り、食らう。そこは人間も変わらない。ならばそれは何故か。当然生きるためだ。

 生存本能。葵で言うところの、吸血。


「基本的な考え方を変えなさい。暴走することは、本能に呑まれることは、悪いことではない。それは生物として当然の機能であり、権利でもある」

「でも、それで仲間に危害が及ぶなら、話は違います」

「危害が及ばない暴走の仕方をすればいい」

「それはもはや暴走と呼ばないのでは……」


 たしかに、と笑ってみせるイブ。

 結局やることは変わらない。本能に呑まれることなく、暴走することなく黒雷を完全制御できるようになる。

 それが目標だ。


 しかし、どうやらその意識は間違っているようで。


「ふむ……少し話の角度を変えてみましょうか。葵、あなたには『崩壊』以外にも、キリの力がありますね?」

「はい、まあ……」


 黒霧が継承した『心』の力。

 それがあれば最悪の事態にはならない。アダムはそう言っていたが、裏を返せば最悪の事態にならないだけ。それだけなのだ。

 この力で暴走を制御できるように、なるかもしれないけど。残念ながら葵は、未だそこに至っていない。


「想いの大きさや心の強さを力に変える。それもひとつの暴走状態と言えます」

「えっと、それってどういう……?」

「感情の暴走ですよ」


 思い返されるのは、翠がまだ敵だった頃。彼女は一度、朱音の血を摂取することで暴走している。

 あの時の暴走は本能に呑まれたとかではなくて、まさしく感情が爆発して暴走した、と言えるだろう。


 そして同時に、そんな翠と相対した兄の姿も思い出す。

 彼は『心』の力一つで、あの状態の翠と渡り合った。葵にカゲロウ、蓮の三人を一瞬で倒した翠を。

 そこまでの力を引き出すのに、果たしてどれだけの想いが必要なのか。

 その強さを、大きさを、力として形にしている時点で。ある意味では兄の感情も暴走していたと言えるだろう。

 ただし葵や翠と違い、完全にコントロールした状態で。


「感情というものもまた、我々知的生命体に与えられた優れた機能のひとつだ。理性にも本能にもなるのですから」

「暴走の仕方を変えるって、つまりは本能じゃなくて感情を暴走させろ、ってことですか?」

「あなたには、それができるだけの強い想いがある。そうでしょう?」


 ああ、たしかにある。

 私が私でいるための、黒霧葵としてここに立つための、強い想いが。願いが。

 ただ、大好きなみんながいる場所に、私もいたいから。

 みんなのためを想うと、どんな相手でも戦えるから。


 シラヌイでもなく、かつて存在した二人でもなく。今ここにいる黒霧葵としての原点。

 それを忘れかけていた。


 感情を暴走させて、本能の舵を取る。

 吸血衝動なんかよりもよほど強く、ただ強く、想えばいい。それだけだ。


「ありがとうございます。多分、もう大丈夫です」

「それはよかった。では、そろそろ帰りましょうか。あまりここに長居するべきではない」


 意外な言葉に、つい目を丸くしてしまう。

 たしかに最深部であるここは、長く留まっていれば半吸血鬼の葵でも危険なほどに、空気中の魔力濃度が高い場所だ。

 長居するべきではない、という言葉は間違いじゃないけど。


 イブは迷宮の奥へ、鋭い視線を飛ばしている。まるでその先にいるなにかへ、牽制しているかのような。


「あの、私まだ頑張れますよ? 時間的にも余裕ありますし」

「では、帰りは徒歩にしましょうか。恐らくはまた魔物も湧いているでしょうから、そいつらを全滅させながらで」

「えっ」


 やる気を見せたことを、早速後悔する葵だった。



 ◆



 ついにやって来た十二月二十四日。クリスマスイブ。学院本部で大規模なクリスマスパーティーが行われる当日だ。


 正装で参加とのことだったが、織はそんなの持っていない。ので、普通にレコードレスを使わせてもらうことにした。あれなら燕尾服だし、ネクタイさえちゃんとしていればなにも言われないだろう。

 なにより、有事の際はすぐさま対応できる。考えたくはないが、このパーティー中によからぬ事を企んでる奴がいないとも限らないのだ。


 まあ、人類最強のお膝元でそんなことをするとは、すなわち自殺志願者以外の何者でもないのだが。


「その辺りは僕らも目を光らせておくし、問題ないよ。探偵殿はなにも気にせずパーティーを楽しんでくれ」

「嫌味かオイ」

「それ以外のなにかに聞こえたか? だったら耳鼻科をオススメする」


 学院本部の地下六階。パーティー会場である地下七階の一つ上にある控え室で、織はなぜかジュナスと二人だけになっていた。


 怪盗アルカディアは今回、さすがにパーティーには出席できない。悪い方で顔と名前が売れてるからだ。それこそ、よからぬ事を企んでる奴らからは、格好の餌食にされかねないだろう。

 ということで、蒼からの要請で付近の警備をすることになった。


 普段から怪盗として、どれだけ厳重な警備でも、簡単にすり抜ける二人だ。ならば逆に、侵入者の心理や行動パターンなどは熟知している。

 毒を以て毒を制する、というわけだ。


 それにしたって、なぜこいつと二人きりなんだ。ついため息を吐きたくなってしまうが、それを見咎めたジュナスからまたなんぞ難癖をつけられても面倒なので、なんとか我慢する。


「しかし、女性の準備っていうのは時間がかかるな。また愛美さんがルミの餌食になってなきゃいいけど……」


 ジュナスまで控え室にいる理由は、そこにあった。

 愛美はいつぞやイギリスで買ったドレスを持って来たのだが、本人も着るのに慣れないため、ルミが手伝いを申し出たのだ。

 二人はここで待ってろ、と言われてそろそろ二十分。店で買った時はそろそろ出てくる頃合いだったが、今回はドレスを着るだけでなく化粧やらなんやらとある。

 まだもう少し時間がかかるだろう。


「そうだ探偵。今のうちにこいつを渡しといてやる」

「なんだこれ?」

「今日の出席者リスト」


 ジュナスが懐から取り出した紙は、ビッシリと文字で埋まっていた。なんか有名らしい家の名前と、参加人数。その隣に出欠のチェックが。当主の名代として他の者を寄越す家には、その名代の名前まで書いてある。


 その中に、友人二人の名前を見つけた。

 安倍晴樹とアイザック・クリフォード。

 どうやら、知らない奴らばかりのところに放り込まれる、なんてことにはならなそうで一安心。


「しかし、これまた多いな」

「全世界から集まるんだから、こんなもんだよ。で、この中でも特に注意しといて欲しいのが、こことここ」


 机に広げた紙の上で、ジュナスが二つの家名を指差す。


「クラウンと、ハートレス?」

「ルミからパーティーをやることになった経緯を聞いて、色々調べたんだ。そのハートレスってのが、彼方有澄さんの話を無駄に大きくしてこんなパーティーをやることになった元凶。メリットもなにもない、形だけのこんなパーティーをな」


 たしかに、このご時世でこんなパーティーをやる暇があれば、少しでも多く敵を倒していた方がいい。

 今だって、最前線で戦ってる魔術師がいないわけじゃないのだ。魔物たちは常に、人々の命を狙っている。


 だが、そんな時に限らずこのパーティーが開かれるよう仕向けたと言うことは、このハートレス家にとってはメリットとなるなにかがある。


「で、もう片方のクラウンだけど。説明するまでもないだろう?」

「ルークさんの実家か……」


 転生者ルーク。本名、ルージュ・クラウン。

 彼女はその家名を呼ばれることを、酷く嫌っている。呼んだだけでその相手を殺すほどだ。久井聡美以外には許されていない。

 いや、あの人も別に、許されてるから呼んでるわけじゃないんだろうけど。


「クラウンの方は念のためだ。あの人があんなに嫌がるほどだし、なにかあるんじゃないかと思ってね」


 この怪盗も、かつてクラウンの名を呼んでルークに殺されかけている。借りを返すという形で織と愛美が助けたものの、その助けがなければ冗談抜きに死んでいた。


 ルークがそこまで毛嫌いするクラウン家とは、果たしてどのようなやつらなのか。

 気にならないわけではないが、藪を突いてヤマタノオロチでも出てこられたら大変だ。なにもしないようなら、基本的には不干渉でいいだろう。


「そういや、アルカディアの名前もあるぞ。お前のとこにも招待状来てたのか?」

「まあね。一応、歴史だけは無駄にある家だったから。エリシアはまだ完全に回復してないし、欠席にしてもらってるけど」

「当主はお前が継いだんじゃないのかよ」

「公にはエリシアの名前で通してる」


 そのエリシアも、先日の事件から回復しきっていない。なにせ魂を弄られていたのだ。外傷は殆どなく、日常生活にも支障をきたさないレベルの回復はしているとしても。魔術学院本部なんて魔窟には放り込めない。


「ところでだが、探偵」

「どうした怪盗」

「お前、愛美さんにプロポーズするんだって?」

「……」


 百八十度変わった話の内容に、織はだらだらと汗が流れる。

 あの変態従者、よりにもよって面倒なやつにバラしやがった……!


「違う、そんなつもりで贈るわけじゃない」

「だと思ったよ。ルミの言うことだから話半分に聞いてたけど、案の定か」


 はあ、とここにいない己の従者へため息を漏らし、しかしすぐにその唇が愉快げに釣り上がった。


「しっかし、こんな日に指輪をプレゼントだろ? 愛美さんは期待すると思うぜ」

「だよなぁ……期待させちまうよなぁ……」

「いっそ本当にプロポーズしたらいいんじゃないか? 魔術師なんてどこも早めに結婚して後継のこと考え始めるんだし、未成年で結婚でもおかしくはない。おまけに、すでに娘がいると来た。むしろなんで結婚してないんだよ、お前ら」

「それができればどれだけ楽か……」

「なるほど、探偵がヘタレなだけか」

「うるせぇ」


 事実なだけに強く否定できない。

 そう、織がヘタれてるだけなのだ。実際にプロポーズすれば、愛美は喜んで受けてくれる。そういう話を全くしていないわけではないし、異世界に行った際の会話は記憶に新しい。


 あとは織が覚悟を決めるだけ。しかし普通に指輪を渡そうってだけでも、心臓は死ぬほど煩くなるのだ。それでプロポーズとか、俺に死ねと?


「どうしたらいいと思う?」

「僕に聞くなよ。いや、僕に聞くほど追い詰められてるってことか……」

「よく分かってんじゃねえか」


 普段なら、嫌い合っている相手にこんなことは聞かない。しかしそんなことも言っていられないくらい、今の織は追い詰められてるのだ。

 なにせ指輪を贈ることを知ってる朱音から、今朝にエールを送られたばかり。それが変にプレッシャーになってしまっている。


「まあ、僕に言えることはひとつだけだ」

「おっ、いいアドバイスでもあんのか」

「お前はお前らしく、未来だけ見て感情のままに動けよ、織」


 馬鹿にしたような声色ながらも、それはジュナスなりに真剣なアドバイスだ。

 彼が織の名前を呼ぶ。それこそがなによりの証左。


「少なくとも、僕の知ってる探偵はそうするだろうさ」

「……そうだよな。そうするしかないよな、やっぱ。悪いジュナス、ありがとな」

「素直に礼を言われると気持ち悪いな。明日は槍でも降るのか?」

「お前人がせっかく感謝してやってんのになんだその態度は」

「感謝されてやってるんだよ、勘違いするな」

「あ?」

「は?」


 いつも通り喧嘩腰で睨み合う二人。なんだかんだで、ジュナスとはこういう関係が一番落ち着く。


 そうやってガンつけあっていると、突然勢いよく控え室の扉が開かれた。


「お待たせしましたー!」


 元気よく部屋に入って来たのは、ジュナスの従者であるルミ・アルカディアだ。愛美の準備を手伝っていた彼女がやってきたということは、つまりそういうことだろう。


「待たせたわね」


 それからルミに続いて、やはり疲れた様子の愛美が姿を見せた。またしてもルミがなにかやらかしたのだろう。


 そんな彼女が着用しているのは、いつだかイギリスで購入した真っ赤なマーメイドドレスだ。胸元や背中は大きく開かれ、肩は完全に肌を晒している。ボディラインを強調するシルエットは、起伏に富んでいなくとも充分女性らしさを感じられるもの。漆黒の美しい長髪は綺麗に結い上げられ、本格的に施された化粧も相まって常にない色気があった。


 ヤバい。

 なにがヤバいってマジでヤバい。

 なんか、愛美ってこんなに美人だっただろうか……?

 いや愛美が美人なのは出会った時から当然分かっていたことだが、それでも。こんな、心臓を射抜かれたような衝撃が走るのは、それこそ出会った時以来かもしれない。


「じゃ、私たちお邪魔虫はさっさと退散しますね! 行きましょうかマスター!」

「だな。ああそういえば、渡すなら早めに渡しとけよ、探偵。パーティーが始まる前にな。じゃないと、ルミ以上に余計な虫が寄ってくるぞ」

「ちょっと! それどういう意味ですかマスター!」


 最後まで騒がしく、かつ余計な一言を残して、怪盗の二人は部屋を出た。

 いやマジで余計なこと言い残していきやがったなあいつ。お陰で愛美が首傾げてんじゃねえか。


「渡したいものってなに? あ、もしかしてクリスマスプレゼントとか?」

「まあ、その通りなんだが……」


 ちょっと目がワクワクしてるじゃん……これもうここで渡すしかないじゃん……。

 この期に及んでもヘタれる織は、とりあえず言っておかなければならないことを口にすることに。


「その前に、あー、なんだ。その格好、やっぱりよく似合ってる。めちゃくちゃ可愛いっていうか、綺麗っていうか……」

「ふふっ、なによそれ。褒めるならちゃんと、ビシッと言いなさいな」

「……他のやつに見せたくない」


 あまりにも幼い言い方。馬鹿みたいな独占欲の発露。たしか、前にも同じことを言った気がする。

 一瞬目を丸くした愛美だったが、気を悪くしたわけではないのだろう。むしろ、唇は嬉しそうに弧を描いていて。


「ありがとう。あなたにそう言ってもらえるのが、なにより嬉しいわ」


 途端に愛おしさが膨れ上がって、何も言わずに抱きしめてしまった。

 日本の着物みたいに着崩れとかしないだろうか、なんてことを頭の片隅で考えながらも、華奢な体を強く抱きしめる。彼女の手もこちらの背中に回されて、全身で感じる温もりが、どこまでも愛おしい。


 手放したくない。この温もりを、桐原愛美という少女を。

 ずっと、ずっとずっと一緒にいたい。


 一度そう思ってしまえば、言葉は驚くほど滑らかに出てきた。


「結婚しよう、愛美」

「え?」

「こんな世界だし、書類がどうとか、式がどうとか、そういうのは無理かもしれない。それでも俺は、お前と本物の夫婦になりたい。朱音の親に、ちゃんとなりたい」


 体を離して、ポケットの中から指輪を取り出す。

 昨日、迷宮で葵から譲り受けた鉱石を材料にして、慣れない錬金術により作った指輪。目立った装飾はなにもない、とてもシンプルなもの。


 それを、細く白い薬指に通した。

 殺人姫なんて呼ばれてるとはまるで思えない、いつもは血に塗れ刀を持つその指に。


 勢いのまま言ってやった。返事を聞く前に指輪を嵌めた。

 後からやり過ぎたかと後悔が襲ってくる。こういうの、普通は返事を聞いてからだろうに。


 なんと言われるのかが怖くて、恐る恐るその表情を伺ってみると。


 その頬に、一筋の涙が伝う。


「本当に、いいの……? 全部終わった後だって、言ってたのに……?」

「最初はそのつもりだったんだけどな……今さっき考えが変わった」

「なによ、その行き当たりばったりなプロポーズ……もうちょっと考えなさいよ……」


 震える声。指輪に向けられる視線。

 やがて感情が決壊したのか、綺麗な瞳からはぼろぼろと涙が溢れ始める。

 せっかくの化粧が台無しで、ほんの少し罪悪感。けれど、泣きながら笑う美しい表情に、そんなものは吹き飛ばされた。


「返事、聞かせてもらえるか?」

「……不束者ですが、お願いします」


 こんな世界だから、書類がどうとか、式がどうとか、そういうのは一切できないけど。


 二人だけのこの空間で、深く熱い、誓いのキスを交わした。

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