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Recordless future  作者: 宮下龍美
第4章 まだどこにも記録されていない未来へ
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破壊者の帰還 4

 突如全世界に広がった夜空。それによる魔物の活性化は、もちろん棗市だけで起きているわけではない。

 地球の裏側まで至るところで、今も暴れる魔物に対応するため、多くの魔術師が動員されている。学院と関係を持っていようがなかろうが、有事の際には戦うのが魔術師だ。


 もはやこうなってしまえば裏表など関係ない。恐らくは魔術の歴史上初、この世に存在している全ての魔術師が共通の敵を持った。力を合わせて、なんて綺麗事は言わないが。学院と裏の魔術師が長年繰り広げてきた泥沼の戦いは終止符を打ち、『人間』の敵である灰色の吸血鬼打倒のために動いている。


 繰り返そう。戦っている魔術師は、棗市だけにいるわけじゃない。


「とは言え、魔術学院という組織自体はもうガタガタだ。君たちが主戦力の殆どを無力化しちゃったからね」

「私たちは悪くないわよ」


 広い部屋の中で、拗ねたような声が。

 それは分かってると言わんばかりに、目の前に立つ学院本部のトップとなってしまった男は苦笑を浮かべた。


 イギリスである。

 魔術大国イギリス。織と愛美も以前は身を寄せていたその国の中心。ロンドンは大英博物館の地下に広がる、魔術学院本部。

 本来ならばそこのトップである首席議会が一同に介し、魔術の均衡を保つための会議が行われる部屋に。


 桐生織、桐原愛美の両名は呼ばれた。

 アダムと名乗ったあの男伝いに、己の師から呼ばれたから。


 長く息を吐いて、人類最強として全世界の魔術師を統べ導く立場になった隻腕隻眼が、淡々と残酷な現状を述べる。


「各支部から人員を割いて全世界の魔物に対応しているけど、いつまで持つかは分からない。さっきも言ったけど、主力は日本支部によってほぼ壊滅状態。中でも腕の立つ数名は、前首席議会と繋がっていたから君たちが殺してしまった」

「その首席議会を殺したのだって先生じゃないの」

「だからこうして、僕が指揮を取らざるを得ないんだよ」


 日本支部の学院長になった時と同じ経緯だ。

 うんざりしたようにため息を吐く蒼だが、彼は人類最強として、魔術世界のトップを排除した者として、その責任を果たそうとしている。


 実際、蒼はこの短時間でよく組織を纏めた方だ。魔術師という人種は基本的に、己に降りかかる火の粉を自分自身で振り払おうとするから、そういう面を利用してのことだろうけど。


「こうなることを見越していたから、クリフォード卿やアンナ・キャンベルを早々にここへ派遣してたけどね」

「だからアイクがいなかったのか」


 今日の朝、登校した頃に級友の姿が見えなかったが、蒼がそんな根回しをしていたとは。


 今朝までの平和な日常を思い出してしまって、織は奥歯を噛み締める。

 本当に、今日の朝はなにもない普段の日常が広がっていたはずなのに。あれから何時間が経過した? その長くはない時間の中で、どれだけの人間が死んだ?


「後悔はあとよ」


 愛美の強い言葉が耳に届く。

 織だけではなく、愛美だって後悔してるはずだ。朱音が傷つき、多くの人が死に、その責任はあの場で殺せなかった自分達になるのだと。

 もっと遡れば、二人が棗市に戻ってきた時にトドメを刺していれば。


 そんな後悔や弱音を飲み込んで、愛美は先の、未来の話をする。


「それで、私たちをここに呼んだ理由はなに? 棗市の魔物はアダムって人が追っ払ったけど、主戦力がこんなところで油を売ってる暇なんてないはずよね」

「愛美、落ち着いてくれ。現状を共有することは必要だ。特に棗市の付近はアダムも有澄も、龍とルークもいるから問題ないよ」


 諭すように言われ、愛美は乱暴に頭を掻いて舌打ちする。

 らしくない。どこか焦っているように見える。それは愛美自身も感じているのか、まるでそんな自分自身に苛ついているようだ。


 きっと、朱音があんな目に遭ってしまったから。世界は一瞬でその姿を変えて、実家である桐原組もどうなっているのか分からないから。

 焦燥感だけが募り、自分が戦わなければと言い聞かせる。


 学院祭の時とは違う。あの時、織と愛美の目が覚めた時には、すでに全部が終わっていた。だから受け止めるだけの猶予があって、十分に悲しんだ。

 でも今は、そんな暇もありはしない。状況は刻一刻と動いている。二人の遭遇した悪魔のような存在が、あれ一体とは思えない。他にもいるはずだ。

 もしかしたらどこかに出現したそいつと、仲間たちが戦っているかもしれないのに。


 愛美の様子がおかしいと。そう感じるには十分すぎる。

 取り乱しているわけではない。だが焦りすぎだ。感情の起伏が普段より激しい。それは悪魔と相対した時に織を叱った際にも感じられた。


 不安定、と言うべきか。

 ともかく、こんな愛美は初めて見た。朱音がやられ、街を襲われ、桐原組の家族は安否が不明とあれば、仕方ないのかもしれないが。


「それから、現在の日本支部についてだけどね」


 そんな愛美を気遣わしげに見ながらも、蒼は状況の説明を続ける。

 桐原愛美がどう言った少女なのか、織よりも長い付き合いである師が把握していないわけもない。

 だからこそ、蒼は二人に情報を与える。やるべきこと、なすべきことをハッキリさせるために。


「あの場所は異界化した」

「異界化?」

「魔術的原因により人の踏み入れない場所を異界って言うんだ。大抵の場合は魔力濃度の濃さが原因だね。一番最近だと二百年前、賢者の石を宿したばかりの魔女がイギリスの一角を異界化させた」


 彼女が復讐に走る原因となった日。

 吸血鬼に仲間を殺され、その身に宿した賢者の石を暴走させたと。辺り一帯が暫く立ち入り禁止になって、今もまだ完全に元通りとはなっていないと言っていた場所。


 その規模の事件があって、ようやく異界化と判断される。

 つまり現在の富士の樹海、日本支部の校舎がある場所は、それ以上に危険なということだ。


「今回は魔力の濃さもだけど、それ以上にそこにいるやつが原因だ」

「……まだ、あいつはそこにいるのね?」

「落ち着けと言ったはずだよ」


 蒼に睨め付けられ、しかしそれでも愛美は溢れる殺意を隠しもせず、逆に人類最強を睨み返す。

 放っておいたら先走って突っ込みかねない。恐らくは自制してくれるだろうけど、今の愛美にはそう思わせるだけの危うさがある。


「分かってるわよ……分かってるけどっ……」


 苦しげに表情を歪めるのは、彼女がどうしようもなく優しくて、どこまでも正しさを求めるから。

 けれど、そんな性根こそが愛美を苦しめる。


 ならここは、織が舵を取るべき場面だ。

 いつも愛美に引っ張られて、その正しさと強さで二人の行く先を照らしてくれたから。

 決して強くはない、弱い自分が。強がりな少女の手を取る。


「日本支部に、グレイはまだいるんすよね」

「ああ。校舎は跡形もなく、代わりに塔が建っている。正直、あの塔自体の機能は僕にも分からない。龍とルークの話を聞く限り、力を蓄えるまでもなく全力全開だったらしいからね」


 それは織自身もその身をもって思い知っている。

 位相の力を手に入れたグレイは、その直後から100%の力を使ってきた。誰もまともに太刀打ちできず、愛美の『拒絶』を相殺する始末。


 起きた現象から推察するに、やつの力は『崩壊』だ。魔術も異能も、無機物も有機物も、同じ位相の力さえ。あらゆるものを崩壊させる力。

 未来の世界が滅んだ、その最たる原因。


 ならば日本支部跡地に建てた塔は、一体なんの意味があるのか。


「あの塔がなんだとしても、最短最速でやつを叩くしかないでしょ。こっからは今までと違って消耗戦だ。魔物だの悪魔だのには関係ないんだろうけど、俺たち人間には限界ってもんがある」


 だから、最大効率の最短最速。

 ただ闇雲に突っ込むのではダメだ。イタズラに被害を広げるだけになりかねない。かと言って持久戦に持ち込むなんてのは以ての外。こちら側が一方的に摩耗していくだけ。


 だから、被害を最小限に抑え、可能な限り迅速に手を打たなければ。

 そのためにも情報が必要だ。

 ソロモンの悪魔は何体いるのか、そいつらを打倒する手立てはあるのか、グレイの力に対する確信も欲しい。


 織が脳みそをフル回転させている間に、虚空から三本足のカラスが現れた。蒼の使い魔だ。カラスが姿を消すと、人類最強の男は顔を顰めた。


「どうやら、向こうも中々に小賢しい手を使ってくるみたいだね」

「なにがあったんすか?」

「糸井蓮が敵の手に落ちた。葵とカゲロウは重症らしい」


 プツン、と。なにかが切れる音がした。

 いや、それは気のせいだ。しかし織は見ていた。愛美の顔から、表情が消えていくのを。


「これ以上は無理よ」

「あ、おいッ!」


 織の静止も聞かず、愛美は姿を消す。恐らくは日本支部跡地、グレイが待ち受ける塔へと転移したのだろう。


 タイミングが最悪だ。今の彼女はただでさえ不安定で、普段から殺人衝動を抑えている理性が効きにくい状況だった。

 そんな時にこの報告。

 抑えの効かなくなった衝動が向かう先なんて、考えるまでもない。


「先生、あんたにもついて来てもらうぞ」

「分かってる」


 音もなく、魔法陣の展開すらなしに転移した先は、今朝までいつもの日常を過ごしていたはずの場所。


 しかし日常は崩れ去った。

 跡形もなく、魔術学院日本支部の校舎は消滅している。

 代わりに立っているのは、天を衝く巨大な塔だ。一体何メートルあるのか、地上からでは先が見えない。


 織たちよりも数歩前に、二つの人影が。

 一人は愛美だ。父親から譲り受けた刀で居合の構えを取り、無遠慮に殺気を撒き散らす。

 だが対峙しているのは、灰色の吸血鬼じゃない。右手に槍を、左手に棍棒を持った男。頭には冠が乗せられていて、全身から漲る闘志はやつが戦士であることを雄弁に語っていた。


「カカッ! 殺人姫のみならず、探偵賢者に人類最強まで揃い踏みとは! やはり(オレ)はツイてるな!」


 心底嬉しそうに笑うそいつを前に、冷静さを欠いていたはずの愛美は一歩も動かない。いや、動けない。

 正面からぶつかれば死ぬ。

 それが嫌というほど理解できてしまうから。

 絶対的な力の差がある。人間では勝てない、同じ土俵に立つことすら許されぬ相手。


 すなわち、ソロモン七十二柱の悪魔が一柱。

 序列一位、バアル。


「此度の召喚はつまらぬ契約者に呼ばれたと思っていたが、存外に楽しめそうではないか。さあさ、尋常に死合うとしよう!」

「……織、愛美と下がっててくれ」


 冷や汗を流した蒼が、抜き身の刀を虚空から取り出す。しかし動かない。人類最強ですら、迂闊な行動を起こせない。


 その意味が分からないわけもなく、数歩先にいる愛美を転移で無理矢理下がらせようとした、その瞬間。


 目の前で、甲高い金属音が鳴った。


「貴様が相手か、小鳥遊蒼! (オレ)を楽しませてくれるのだろうな?」

「そこの二人よりはね」


 バアルの槍を蒼の刀が受け止めていた。

 隻腕の体から魔力が解放され、悪魔は距離を取る。追撃する蒼と何度もぶつかり、やつは余裕の笑みを浮かべたままだ。


 人類最強と互角以上。

 織と愛美が少しでも動けば、やつはこちらにも牙を向ける。その余裕がある。だから蒼は、逃げろでも離脱しろでもなく、下がっていろと言った。


「楽しいなぁ最強! 貴様の力をもっと見せてくれ!」

「お望みの通りに! 流星一迅(ミーティア)!」


 蒼の体が光に包まれ、かと思えば激しい金属音が連続して響いた。

 目が追いつかない。視認できない。それほどに高速の戦闘を行い、互いに無傷。しかし浮かべる表情は対照的だ。


「こうも簡単に防がれると、どうにも自信を無くすね」

「カカッ! その魔術は視認できないだけだろう? 目に見えずとも、感じ取ることは出来る」

「一応、光速の三十倍を謳ってるんだけどな」

「それが最高速度か?」

「まさか」


 ニヤリと不敵に口角を上げた蒼が、動く。いや、織がそう認識した時には既に、両者が激突した後だ。この世界の法則すら無視した速度の戦いは、織や愛美であっても追いつくことができない。


「さすがは最強! (オレ)をここまで楽しませる男がまだいるとは! だが悪いな、この身に刻まれた契約により、これ以上楽しむわけにもいかんのだ」

「……ッ⁉︎」


 槍の矛先が、向けられる。

 ただそれだけだった。魔力の動きもなく、矛先を向けただけで。


 人類最強の姿が、忽然と消える。


「先生……?」

「嘘でしょ……」


 気配も魔力も感じられない。

 小鳥遊蒼は、この場から消えた。


 人類最強とはすなわち、言葉通りの意味を持つ。現代に生きる人間の中で最も強いからそう呼ばれているのだ。

 そんな男が、こうも呆気なく。


「さて、貴様らは(オレ)を楽しませてくれるのか?」


 悪魔たちの王が笑う。

 絶望の加速は止まらない。



 ◆



 棗市にある市立高校は、街の住人たちが避難する砦と化していた。

 隣町まで魔物を駆除しに行っていた緋桜も、現在はそこに身を移している。アダム・グレイスと名乗った黒ずくめの少年により、無理矢理連れて来させられたのだ。


 しかし、状況は緋桜が思っているより尚悪かった。


「葵!」

「お兄ちゃん……?」


 校庭に現れた妹は傷だらけだった。カゲロウと共に有澄に担がれて、吸血鬼の特性による再生も遅い。


「ここに来る途中で倒れてました。ごめんなさい、わたしたちがもう少し早く駆けつけていれば……」

「あんたのせいじゃねぇよ……オレたちだって、間に合わなかったんだ……」


 地面にへたり込んだカゲロウが、力ない言葉を溢す。

 有澄から傷だらけの妹を預かれば、まなじりから涙を溢して、ギュッと胸に抱きついて来た。


「どうしようお兄ちゃん……蓮くんが……」

「蓮がどうした? なにかあったのか?」


 この場にいないということは、逆に死んだわけではないだろう。仮にそうであったなら、遺体をそのままにしておくはずがない。

 あるいは、それすら残らないほどに?


 嫌な想像だけが脳内を駆け巡る中、端的に答えを告げたのは豪華な赤いドレスの女性だ。


「糸井蓮は敵の手に落ちました」

「敵の手にって……」

「推察するに、彼はダンタリオンとぶつかった。人の心や精神を弄ぶ悪魔です。聖剣の担い手と言うことは、ダンタリオンと相性が悪すぎる。その精神を反転させられ、やつの操り人形となりました」

「あなたは……」

「イブ・バレンタインといいます。以後お見知り置きを」


 蓮が敵に回った。つまりはそういうことなのだろう。胸の中で嗚咽を上げる妹と、力なく項垂れた灰色の少年を見る限り、それは紛れもない事実のようだ。


 朱音と蓮がやられて、カゲロウと葵は満身創痍。これまでの戦いの中で、ここまでの被害を受けたことなんて一度もなかった。

 それだけ敵の力が強大だと言うことだ。


 妹の体を優しく抱きしめてやりながら、悔しさに歯噛みする。

 けれど状況は、それ以上に悪くなる一方で。


「蒼さん……?」


 心配そうにこちらを見ていた有澄が、弾かれたように虚空を見上げた。

 それに反応したのは、緋桜をこの場に連れてきたアダムだ。


「あの馬鹿……おいイブ、どうにかなるか?」

「どうにかしますよ。わたしを呼んだのはそのためのはず。桐生凪がこの展開を視ていなかったとは思えない」


 一体なにが起きている? まさか、人類最強の男がやられたのか?


「おい龍、本当に待っていていいんだろうな。あいつがこの世界から追放された今、序列一位に対抗できる戦力はほぼゼロだぞ」

「安心しろアダム、そろそろだ」


 剣崎龍が見つめる先は、桐生探偵事務所のある方角だ。釣られてその場の全員がそちらを見やった、その直後。


 銀色の炎が、空に浮かび上がった。



 ◆



 大和丈瑠が桐生探偵事務所に足を踏み入れ真っ先に目にした光景は、信じがたいものだった。


 銀色の炎に全身を包まれて眠る朱音。

 快活な笑顔も、声も、全てが失われてしまったように錯覚してしまう。

 そんな朱音を見守るのは、銀色の吸血鬼と灰色の少女だった。


「何者ですか」

「待て翠、そいつは朱音の友人だ」


 少女から敵意を向けられ、丈瑠は思わず足がすくみそうになる。サーニャが諌めてくれたおかげで敵意自体はすぐに消えたが、一般人の丈瑠はそれだけでこの場から逃げ出したくなるほどだ。

 でも、そうするわけにはいかない。


「友人、ですか。朱音には、わたし以外にもいたのですね」


 少し拗ねたように感じられる口調。この少女も、朱音の友達なのだろう。目を覚さない朱音のことを心配してくれている。

 収めてくれたと思った敵意は、まだほんの少し感じられるけど。


「えっと、大和丈瑠、です……」

「出灰翠です。丈瑠、あなたはなにをしにここへ? 外は危険だったはず、アーサーがいたとはいえ、市立高校へ向かった方が安全だったのでは?」


 翠の言う通りだ。街の人たちはみんな、高校に避難している。アーサーからも最初にそう説明されて、丈瑠はその上で危険も顧みずここへ来た。

 それはなんのためだ? 友達が心配だったからか?

 いや、違う。心配するだけなら、わざわざこの場に来なくてもいい。朱音のことを心配しているのは丈瑠だけじゃない。高校に避難した花蓮と英玲奈だってそうだし、織たちなんかもっとだろう。


 それでも、何の力も持っていない少年がここに来たのは、胸に秘めた確かな想いがあったから。


「大切な友達が、好きな女の子が苦しんでるんだ。僕にはなんの力もないかもしれないけど、それでも僕は、桐生が帰ってこれる場所になりたいから。だからここに来た」


 翠の無感動にも思える瞳を強く見返して言い切る。この期に及んで、自分の気持ちに嘘を吐いても仕方がない。

 きっと朱音にはそんなつもりはなかったのだろうけど、だけど友達以上の好意を抱いてしまうには、十分な時間を過ごしたから。

 そんな朱音の、いつも戦っている少女が帰ってこれる日常に、自分がなりたかったから。

 目を覚さないなら、朱音の小さな手を握っていてやりたかったから。

 だから丈瑠は、危険も承知でここに来た。


 朱音の寝かされているソファに歩み寄り、その手を取って握る。

 年相応に小さな、しかしいくつもの命を摘み取ってきた手。


 繋いだ手から、銀の炎が丈瑠の腕にも伝ってきた。


「え、えっ?」

「まさか……丈瑠、手を離さないでください」


 困惑しながらも、翠の言う通り手は離さない。しかしそうこうしてる間にも、炎は丈瑠の全身を包み始めた。

 熱いわけじゃない。そもそもこの炎は、燃やすための炎じゃないから。


「いいですか、今からあなたの意識は、過去に遡ります」

「過去って……なにが起きてるんですか? この炎は……」


 丈瑠は知る由もない話だが、出灰翠の異能は情報操作。その副作用として、あらゆる情報をその目に映す。

 だから翠は、朱音の体が銀炎に包まれた時点で、何が起きているのかを把握していたし、サーニャとも共有していた。


 ただ、一般人の丈瑠にそれを説明しても、全てを理解できることはないだろう。

 いや、説明する暇もない。


「なんとかこちらからガイドします。過去に遡ったら、朱音を探してください。それで彼女も戻ってこれるはず」

「そんなことを言われても……!」

「丈瑠」


 なにかを察した様子のサーニャが、丈瑠へ真摯な目を向ける。

 人ならぬ彼女の、大きな優しさが。


「朱音を頼む」


 分からないことだらけだ。丈瑠は一般人だから、魔術や異能のことなんてなにも分からない。朱音がどういう状況なのか、これから自分がどうなるのかも。


 けれど、サーニャのその一言を聞いただけで、自然と落ち着けことができた。

 しっかりと頷きを返し、丈瑠の意識は遠くなる。


 地に足のつかない浮遊感が一瞬訪れたと思えば、丈瑠の意識はハッキリとしていた。

 知らない街中。見上げた街頭スクリーンには、16年前の日付。翠の言っていた通り、本当に過去へ来ている。


 この街で朱音を探す。手がかりはなにもないけど、足は自然と動き始める。翠が言っていたガイドとやらのおかげか、どこへ行けばいいのかわかる。


 大切な友人を迎えに行くために。

 大和丈瑠は、足を踏み出した。



 ◆



「迎えが来たみたいだな」


 旧桐生探偵事務所で、その所長である凪と他愛ない話をしていた中。

 突然、凪が呟いた。


 促されるまま外に出てみれば、そこには朱音にとって大切な友人であり、ここにいるはずのない少年が。


「桐生!」

「丈瑠さん?」


 異能を持ってはいるものの、それ以外はただの一般人である大和丈瑠。

 彼は朱音の姿を認めた途端、弾かれたように駆け出して朱音の小さな体を抱きしめた。


「よかった……ちゃんと生きてる……」

「当然ですが。私はまだ死にませんよ」


 心底から安堵したため息が耳にかかって擽ったい。

 同時に実感する。

 自分は、そんなにも心配をかけさせてしまったのだと。


 体を解放してくれた丈瑠は、少し顔が赤くなっていた。友人とはいえ、勢い余って女の子に抱きついてしまったからだろうか。

 そんな様がなんだか可愛く見えるが、しかし一方でなぜか朱音まで恥ずかしくなってしまう。


 誤魔化すように咳払いをした後、シンプルな疑問を投げかけてみた。


「でも、どうして丈瑠さんが?」

「いや、僕にもよく分からないんだ。向こうでは桐生の体が銀色の炎に包まれててさ。手を握った途端、僕はその炎に包まれて……翠って子はなにか知ってるみたいだったけど」


 凪は迎えが来た、と言っていた。そして朱音がこの時代に来たのは、朱音自身の異能、銀炎の仕業だ。

 つまり丈瑠の意思でここに来たのではなく、朱音が呼んでしまった、と言うことになるのか。


「ごめんなさい、もしかしたら私のせいかもしれませんが」

「桐生が謝る必要なんかないよ。おかげでこうやって迎えにこれたんだからさ」


 ニコリと微笑みかけられて、なぜか丈瑠の笑顔を直視できない。さっき思いっきり抱きしめられたせいだろうか。

 父親以外で、男の人からあんな風にされたことはなかったから。


「サーニャが来るかと思ってたが、こりゃまた予想外だな。この可能性は見えなかった」


 なんとなく変な雰囲気が漂う二人の間に、凪が声をかけた。

 この探偵ですら、一般人の丈瑠が現れることを予期できなかったようだ。


「そういえば、サーニャさんとは知り合いなんですか?」

「まあな。学院に通ってる頃、依頼でたまたま知り合ったんだよ。聞けばグレイとは敵対してるって言うし、それ以来なにかと協力してもらってるんだが……あの人には悪いことをしたな」


 凪が言っているのは、まだこの時代よりも先の話だろう。

 桐生凪、冴子を殺した冤罪を、サーニャは着せられていた。


 それすらもこの探偵の予測通り。果たしてどこまで先の未来を見通しているのかと、朱音は戦慄する。


「朱音、最後にひとつ伝えておく。現代に戻れば、恐らく蒼のやつがいなくなってる。有澄の方はなんとも言えないけどな」

「蒼さんが?」

「お前のいた未来で、小鳥遊蒼はいなかっただろう?」


 朱音が生まれた時には既に、人類最強は姿を消していた。

 それがなぜかは朱音も知らない。両親に尋ねたこともなかった。ただ、そういう男がいたという話だけを聞いていたから。


「本人にも伝えてるんだけどな。蒼はこの世界から追放される。普通の手段じゃどうあっても戻ってこれない」

「そんな……」


 小鳥遊蒼の存在は、純粋な戦力以上の意味を持っている。

 人類最強が味方にいる。その事実だけで戦える魔術師は、世界に多くいるはずだ。人類側の精神的支柱になっている。


 そんな彼が戦線を離脱してしまえば、今度こそ人類側に勝機は無くなってしまう。


「鍵を握るのは、アダム・グレイスとイブ・バレンタインだ。あいつらがもしこの世界に戻って来ていたなら、蒼のこともどうにかしてくれるはずだ」

「その人たちは?」

「本物の人類最強にして破壊者、あらゆる世界の爪弾き者だよ」


 イマイチ的を得ない説明に、朱音は首を傾げる。本物の人類最強というからには、相当の力を持っているのだろうけど。

 小鳥遊蒼よりも更に、とは。上手く想像できない。蒼とは一度軽く手合わせしたことがあるから、彼の実力は身をもって味わっている。

 あれ以上の人間がいるなんて、想像できるわけがない。


「まあその辺りは、蒼たちが上手く手を打ってくれてるだろうさ」

「だといいのですが……」


 そもそもの話、蒼が負けるということすら想像できないけど。この探偵が言うなら、それは事実なのだろう。

 実際朱音の生まれた未来で、蒼と有澄はいなかったのだし。


「さて、これでお別れだな」

「……なにか、父さんに伝言はありませんか?」

「ないよ。伝えたいことは伝わってると思う。あいつはあいつらしく、弱くてもそれでいいんだって前だけ見てたら、それでいい」


 それはまさしく、朱音の知っている父親の姿だ。

 弱さを受け入れ、それでもいいとひたすらに未来を見つめる。それが桐生織という男。


 だったらきっと、凪が心配することなんてなにもない。


「帰りましょう、丈瑠さん」

「もう、いいの?」

「はい。みんなが待ってますので」


 丈瑠と手を繋いだ。二人の体を銀炎が包み、意識が少しずつ遠くなる。

 そんな中、最後に見た凪の笑顔は。

 やはり、自分の父親とよく似ていた。



 ◆



 目を覚まして真っ先に視界を埋めたのは、見覚えのある天井。上体を起こせば、抱きついてくる影があった。


「朱音……!」

「わわっ、翠?」


 大切な友人の一人、出灰翠だ。

 眦に溜めた涙は、かつての彼女からは考えられない。それほどまでにこの少女が変わったということだ。

 その変化が嬉しくて、朱音は友人の背中に手を回す。


「本当に……目を覚ましてよかった……!」

「ごめんね、翠。心配かけちゃった」


 そして心配をかけてしまった相手は、翠だけじゃない。優しく微笑み朱音の頭に手を乗せた、銀髪の吸血鬼にも。


「サーニャさんも、ごめんなさい。また、ですね」

「全くだ。貴様は何度心配させれば気が済む。こちらの身が持たん」


 呆れたようなため息には、しかしいくらかの安堵が滲んでいる。サーニャには心配や迷惑をかけてばかりだけど、いつもそれを受け入れてくれるから。


 手を握ったままだった丈瑠に引かれて立ち上がれば、アーサーも足に擦り寄ってきた。その顔を撫でてやり、ありがとうとお礼をひとつ。


「桐生。また、戦いに行くんだよね?」

「はい」


 迷いなく頷きを返す。丈瑠の顔にはやはり心配の色が。

 それでも朱音は、戦わなければならない。

 自分の求める未来のために。みんながいてくらる世界を作るために。


「安心してください。私は必ず、ここに帰ってきますので」

「絶対、絶対だよ」

「当然ですが。前にも言いましたよ、私は強いですから」


 不敵で無邪気、それでいて傲岸にも聞こえる笑顔と物言いには、丈瑠もいくらか毒気が抜かれたらしい。

 力の抜けた笑顔と共に、繋いでいた手が解かれた。


「行ってらっしゃい。この街で、帰りを待ってる」

「行ってきます」


 事務所を出て、深呼吸をひとつ。

 凪の言葉が真実なら、状況は最悪に近いはず。日本支部の方向に向けて魔力探知を行えば、強力な反応が三つ。うち二つは両親のものだけど、残りの一つは二人のものよりよほど強力だ。


「父さん、母さん、待ってて。すぐに行くから」


 瞳をオレンジに輝かせ、銀の炎を纏う。

 両親を助けるため。未来を創るため。灰色の吸血鬼に、今度こそ勝つため。


 敗北者の少女は、今一度立ち上がった。

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