終末にむけて 3
魔術学院日本支部の校庭に、銀色の炎柱が聳え立つ。
それはただの炎にあらず。本来ならあり得ない色もさることながら、その性質は燃やすことではない。
時界制御。あらゆる時を自在に操る力こそ、桐生朱音の持つ転生者の力だ。
そんな炎の中から。小さな体が、放り投げられた。地面を転がる朱音の胸には風穴が空き、その傷口に銀炎が揺らいでいる。
「朱音ッ!」
娘の元へ急いで駆け寄る織と愛美。血で汚れるのも厭わず抱きかかえ、必死に呼びかける。
「おい、嘘だろおい!」
「朱音! 目を覚ましなさいよ! ねえ!」
しかし目が開くことはなく、かと言って、風穴の空いた胸からそれ以上の血が流れることもない。
どうなってる。どういう状況なんだ。魔術で治療しても構わないのか?
まただ。また、あの時と同じ。
大切な人が目の前で倒れてるのに、なにもできない。同じことを繰り返す。
無力感と、それを塗りつぶすほどの怒り。
オレンジの瞳で未だ立ち上る銀の柱を睨み、ホルスターに手をかけたところで。
「落ち着けお前ら!」
龍に一喝され、ハッと我に帰る。
腕に抱いた朱音の体が、真紅の炎に包まれた。剣崎龍が持つ転生者の力。絶対防御と治癒の力を持った紅炎だ。
「朱音はまだ死んでない。いいか、絶対助かる。だからお前らは──」
言葉が途切れた。全身に襲いかかる重圧に、龍だけではなくその場の全員が気づいて、その発生源へと視線を向ける。
「今のは予想外だったな。いやはや、さすがの私も危なかったぞルーサー。だが、こちらの方が一手早かった」
銀の柱からゆっくりと出てきたのは、灰色の髪を逆立てた吸血鬼。
なぜかその体に位相の力を纏い、朱音の努力など無駄だったと嘲笑うように、唇を三日月に裂いている。
「水天!!」
「火天!」
誰もが驚愕で動けない中、カゲロウと翠が怒りを爆発させる。水と炎、二つの巨人は拳を振り下ろして、グレイの槍の一振りだけで消滅した。
怯まずにその身で直接斬りかかる二人。白銀と灰色の翼が空を切り、しかし飛来した槍に二人の体は貫かれた。
「……ッ、位相接続!!」
「ほう?」
それでもまだ、出灰翠だけは立ち上がる。その身に宿された結晶の力を解放し、受け継がれた遺志を纏う。
「よくも、わたしの友達をッ……!」
「見違えたな、出灰翠。貴様がそこまで感情を露わにするとは」
「黙れ!」
黒いドレスと三角帽子に身を包んだ翠が、展開した複雑な魔法陣から砲撃を放つ。同じ位相の力が込められた一撃。これなら、通用しないわけがない。
「魔女と同じ力を使えば、私を倒せるとでも思ったか?」
そのはずなのに。
光が粒子となって消え、魔法陣が崩壊する。本能的にまずいと感じて転移で大きく後退する翠だが。一体なにが起きたのか、誰にも理解できていなかった。
「落ち着けよ、お前ら。糸井と黒霧はそのままサーニャを押さえつけとけ。あいつの相手は、俺とルークでやる」
織が振り向いて見れば、銀髪の吸血鬼は怒りを隠そうともしておらず、今にもグレイへ襲いかからんとしている。蓮と葵が必死に体を押さえつけているが、少しでも力を抜けば迷わず突っ込むだろう。
そんなの、織と愛美だって同じだ。今すぐあの吸血鬼を殺してやりたい。娘をこんな目に合わせたグレイを、織自身の手で。
でも、同時に本能が告げる。
今のあいつには勝てないのだと。魔眼を使おうがドレスを使おうが、簡単に殺されてしまうと。
「校舎内にいるやつ、全員連れて逃げろ。時間稼ぎくらいはしてやるが、それもいつまで保つか分からねえからな」
「バカ言うなよ龍! オレらも残るに決まってんだろ!」
再生を終えたカゲロウがそう叫ぶが、対する龍は視線をグレイから外さず、冷や汗すら流してこう返す。
「バカなのはお前だカゲロウ。敵の実力くらい、しっかり見極めろ」
「ま、可愛い後輩諸君のために命投げ出すのも、ボクたちの役目だしね」
命を、投げ出す? ルークはなにを言ってるんだ? だってこの二人は転生者で、織はおろか、愛美でさえ手が届かないほどに強くて、人類最強の男が認めた人たちだっていうのに。
今のグレイの力を見極められていないのは、織も同じだった。
だって、そんな二人が負けるわけないと。今の状態のグレイが相手でも、殺せはしなくても殺されるわけがないと、勝手に思い込んでいたのだから。
「それを聞いて、私たちが逃げると思ってるの⁉︎ バカにしないで! あいつは、朱音に手を出したのよ! 私たちの娘を傷つけた!」
「じゃあ聞くが。愛美、今のお前がやるべきことはなんだ? お前がこの場で、最も正しいと思うことは?」
「それ、はっ……」
言葉に詰まった。愛美とて理解している。この場でなにが正しいのかと問われれば、重症を負った朱音や戦えない学院生たちを逃すことであり、わざわざ無謀な戦いを挑むことではない。
桐原愛美は、紛れもなく強い。
その身に宿している力の全てを使えば、人類最強にすら届くだろう。
それでも無理だ、と。剣崎龍はそう言っているのだ。
すなわち今のグレイは、小鳥遊蒼であっても敵わない相手なのだと。
だからって素直に言うことを聞けるわけがない。
この場で誰も犠牲になることなく逃げられる方法を考えろ。なにか、手があるはずだ。この魔眼自体は、やつにも通用するはず。だったら、織が動かなければならない。
そう、例えば。今ここで。
亡裏に言われたことを、実行するとか。
「読めているんだよ、探偵」
「お前の動きもな!」
気がつけば目の前にいたグレイが槍を構え、織の眼前に広がった紅い炎とぶつかる。
傍の愛美が刀を抜き放つが、それはグレイの腕一本に防がれる。
「相殺された……⁉︎」
「ふむ、貴様とぶつかればこうなるのか。邪魔だな」
切断能力。キリの力である拒絶が、通用していない。それどころか、なにも纏っていない腕一本のみに止められた。
怯んでいる場合ではない。織は瞳をオレンジに輝かせ、考えたことを実行に移す。
もはや悩んでいる場合ではない。
いや、覚悟ならとうに決めている。
だから、思い描け。どこにも記録されていない、新しい未来を──!
「無駄だ、と。何度言わせれば気がすむ?」
◆
なにも、起きなかった。
世界はなにも変わらず、織の魔眼はその真価を発揮しなかった。
それどころか、織たちはいつの間にか事務所に移動させられている。
「おい、どういうことだよ……なんで!」
ドレスは発動させていた。魔眼も間違いなく、発動はしたはずだ。
いやそれよりも、どうして自分たちは事務所にいる? つい今の今まで、学院の校庭にいたはず。
「龍さんとルークさんは……?」
この場にいない二人の名前を緋桜が呼び、状況を把握できた。
ルークの異能は空間断裂。それは転移と同じことも可能としていた。ならば彼女が、あの二人を除いた全員をここに運んだのだろう。
おそらく、校舎の中にいた生徒たちも、どこかに飛ばされているはずだ。
状況の把握はできた。落ち着け、冷静になれ。あの二人がそう簡単にやられるはずがない。今やるべきことは、他にある。
だから、抑えろ。
この身に湧き起こる激情を。
織だけじゃない。全員が、あの吸血鬼に対して怒りを抱いている。大切な娘を、仲間を、友人を、こんな目に遭わされたのだ。
今すぐ殺しにいきたいのは、みんな同じだ。
深呼吸をひとつして、腕に抱きかかえたままの朱音をソファに寝かせる。
胸の傷は完全に塞がっていた。龍のお陰だ。しかしまだ目は覚まさない。
「サーニャ」
「なんだ」
こちらも冷静になったのか、比較的落ち着いた様子のサーニャに声をかける。とは言えやはり、声色には怒りが隠せていない。
「朱音を頼む。ここで、守ってやっててくれ」
「……貴様はどうするつもりだ」
「他にやることがある。葵、街の状況分かるか?」
「魔物で溢れかえってます……多分、ここにアーサーがいないのも、その対処に向かったから……」
前回グレイが、空を夜に変える魔術を使った時と同じだ。魔物の強制的な活性化。しかし、前回と全く同じとは思わない方がいいだろう。
術者である吸血鬼自身が、急激な強化を遂げたのだから。
「わたしも、残らせてください……朱音はわたしの友達です。だから、わたしも……」
「ああ、頼むよ」
俯く翠の肩を叩いて、織は事務所の外に出た。空は夜の闇に包まれ、事務所の目の前にも魔物が湧いている。
街の人たちは、すでに何人が犠牲になってしまったか……。
悔やむのは後だ。やれることをやれ。
立ち止まってる暇なんて、ありはしない。
◆
「上手く逃したな。魔眼が発動しないことを知っていたのか?」
「いいや、勘だよ。こういう時は上手くいかないって、経験としてよく知ってんだ」
学院の校庭に残されたのは、転生者の二人と灰色の吸血鬼。
銀の炎は完全に消え、代わりに揺れているのは紅と白の二色。
「朱音の石に干渉、媒介として、未来の自分にアクセスしたってところかな? その力は未来の君が使い、世界を滅ぼしたものだろう」
ルークの推理に、グレイは不敵な笑みを見せるだけ。それがなによりの肯定となっていた。
だが解せないのは、なぜ今、世界全体がその未来と同じ結末を辿っていないのかだ。
賢者の石の暴走。つまりは、グレイが使った崩壊の力が暴走した、ということなのだろう。その結果、人類のみならずこの地球という星が死滅した。
未来と今の相違点はなにか。
「なるほど、朱音はなにも、無駄なことをしたわけじゃなかったのか」
朱音が放った銀炎は、グレイの体内に宿った賢者の石を破壊するためのものだった。正確に言えば、グレイの肉体時間を巻き戻すことで、消滅させるため。
そこまでは至らなかったが、どうやら体内の賢者の石は全て破壊することが出来たらしい。
未来のグレイも恐らく、異能で作り上げた石を大量に取り込んでいたのだろう。その上でオリジナルを奪い、グレイのキャパを超えたことで暴走が起こった。
その石を朱音によって破壊された結果、世界は滅びず、しかしグレイは未来の自分から取り込んだ力を制御できるようになってしまった。
「さて、どうする龍? こいつ、冗談抜きでボクたちより強いけど」
「はっ、んなもん決まってんだろルーク。こういう時、俺たちはいつもどうしてきたよ」
「私にも教えてほしいものだな。貴様らは、ここからどうするつもりだ?」
「「逃げる!」」
恥も外聞もなく言い切った二人が、異なる色の炎を同時に放った。だがそれはグレイに触れた途端、塵となって崩れ落ちる。
その隙に転移の魔法陣を展開したが、陣の上に槍が突き刺さり、術式ごと崩壊した。
視認できない速度で、吸血鬼がルークに肉薄する。恐らく、あの手に触れられたら終わりだ。炎や魔法陣と同じ末路を辿ることになる。
それでもルークは、最後まで笑みを絶やさず。
「そこまでだ」
ルークへと迫る腕を、何者かが掴んだ。
どこから現れたのか、そこには全身を黒の服とコートに包んだ、黒ずくめの男が立っている。
グレイに触れているのに、崩壊の力が作用していない。それだけで驚くべきことだが、突然、なんの前触れもなく、グレイの体が砕け散った。
「今のうちに逃げるぞ」
男が、孔を開く。
彼方有澄が開いたものと同じ、異世界へ繋がる孔。そこへ躊躇いなく入った男に続いて、龍とルークも飛び込んだ。
孔の向こうに広がっていたのは、一面緑の草原だ。そこにはへたり込んだ人類最強と、苦笑して立つそのパートナーが。
ひとまず助かったのだと安堵して、龍は盛大に息を吐いた。
「遅いんだよ、アダム」
「文句ならそこでくたばってる馬鹿に言ってくれ。こっちは寝てるところを叩き起こされたんだ、これでも早い方なんだぞ」
アダム・グレイス。
それが男の名だ。ここ、有澄の世界とは別の異世界で暮らしていたところを、蒼から連れ出されてやって来た。
小鳥遊蒼、彼方有澄、剣崎龍、ルーク。四人とは学院生時代からの付き合いであり、本物の人類最強だ。
「おい馬鹿、疲れてる暇はないぞ」
「いたっ、ちょっ、蹴らないで! 割と本気で疲れてるんだよこっちは! アダムが行き先教えてくれなかったせいで、軽く百は回ったんだよ⁉︎」
「知るか馬鹿」
へたり込む蒼を容赦なく足蹴にし、それを誰も止めようとはしない。この二人が仲良いのは、長く離れていても変わらないようだ。
なんてホッとする龍だが、残念ながら再会に浸っている暇などない。
立ち上がった蒼は一転真剣な顔になる。
「状況は?」
「とりあえず誰も死んでないよ。ボクたち以外は全員逃した」
「吸血鬼に関してはご覧の通り、俺たちが尻尾巻いて逃げるレベルだ。ありゃもう手がつけられん。破壊者様が来なかったら、今頃次の人生に送られてたな」
おどけて肩を竦めてみせる龍。虎の子の炎まで通用しないとあれば、あの崩壊現象は愛美の切断能力などと同様のものと見たほうがいい。
「俺の体質も、完全には通用しないぞ。昔と同じだ。この世界の根幹の部分には干渉できない」
「だろうね。となると、やっぱり織の魔眼に頼るしかないかな」
「それ、発動しなかったよ」
「その辺りの真偽は、アダムに見てもらう。なんにせよ、そろそろ戻ろうか。織たちが心配だ」
◆
魔術学院日本支部の校庭に一人残された吸血鬼は、ほんの少し感慨に耽っていた。
全て、計画通りに進んでいる。ルーサーの石を媒介として未来に干渉できたことも、やつが体内の石を破壊してくれたことも、全て。
うまく行きすぎて、逆に警戒してしまうほどだ。
「さて、仕上げと行くか」
腕をかざす。魔術学院の校舎が一瞬にして塵となって崩れ落ちた。
そこに異能で、巨大な塔を構築する。
全長五百メートルほどの円柱型の塔だ。
その最上階へ一息に転移して、床に魔法陣を広げた。
先日とある魔術師をけしかけて、この召喚が上手く行くのは実証済みだ。
やがて魔法陣の中に、四体の悪魔が現れた。
いずれもソロモン七十二柱に名を連ねる、強力な悪魔だ。
バアル。
アモン。
バルバトス。
ダンタリオン。
対価を払う代わりに、願いを叶える存在。
にも関わらず、四体の悪魔はみな一様に、グレイに対してこうべを垂れている。
「よくぞ我らを呼び出した。さあ、願いを言え、契約者よ」
逆らえない。この吸血鬼がどの様な存在か、どれだけの力を持つか、賢い悪魔たちは理解しているから。
口の端を釣り上げたグレイは、新たな従者に望みを告げる。
その身が吸血鬼と成り果ててから千年、片時も忘れなかった、悲願を。
「人類を一人残らず殺す。この美しい世界を滅ぼすことなく、醜いヒトという種を滅ぼす。そのために、貴様らの力を寄越せ」
世界の終末へむけて、歯車が動き出した。
第三章 完
これにて第三章終結です。
次回からは小鳥遊蒼を主人公とした0章をお届けします。




