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Recordless future  作者: 宮下龍美
第3章 未来を創る幻想の覇者
116/182

この手を伸ばした先に 3

 風紀委員会室の窓から見下ろした校庭では、朱音と翠が龍とルークを相手に戦っていた。

 二人の少女はレコードレスを纏い、しかし転生者は一歩も引いていない。それどころか、位相の力を使う二人を圧倒していた。


「すごいな、あの二人。あの状態の朱音と翠相手に、あそこまで立ち回るのか」

「ソウルチェンジを使ってるみたいね。さすがの朱音でも、あれだと苦戦するでしょ」


 部屋の中から観戦している織は、己が師匠の仲間にあたる二人を見て、感嘆の息を漏らしていた。

 ルークの強さは知っている。怪盗を瞬きの間に殺せるほどの力を、素の状態で発揮できるのだ。すぐ近くで見ていた織は、勢い余って娘が大怪我しないかとハラハラして仕方ない。

 一方の剣崎龍だが、彼は強いというよりも、戦いが巧い。特に防戦に慣れている。異能で作り出したであろう剣を持ち、二人からの攻撃を巧みに躱している。


 そうやって龍が敵の攻撃を防ぎ、ルークが攻める。完璧なコンビネーションだ。


「朱音を見守るのもいいけど、こっちも仕事をするわよ」

「え、なんかあるのか?」

「アーサーから呼び出し。お客さんが来たみたいね」


 今は事務所で留守番している白い狼は、愛美の使い魔だ。一時期朱音にパスを譲っていたが、現在は愛美と魔力のパスを繋ぎ直している。

 使い魔とその主人同士では、繋がれたパスによる意思の疎通が可能だ。とは言え、人間の言葉を理解はしていても話すことが出来ないアーサーが相手だと、明確な会話は出来ないのだが。


「依頼人か。またペットが迷子とか、平和なもんならいいんだけど」

「あの街はどれだけペットが迷子になるのよ。それは最早飼い主の問題じゃない」


 なんて話しつつ、事務所へ転移する。

 一瞬で自宅の二階に移った二人は、その足でそのまま一階へ。

 そこには、扉を開いたままアーサーに驚いてる女性が。


 マキシ丈のワンピースに、最近の寒さのせいかコートを羽織っているセミロングの髪の女性。愛美に負けず劣らずの美人で、しかし愛美とは違いその顔には幼さを残していない。完成された美、と言えばいいか。まあ、愛美の方が美人で可愛いのは変わらないのだが。

 二十代後半ほどに見えるその顔を、織はどこかで見覚えがあった。


「すいません、お待たせしました。依頼人の方、でよろしいですか?」


 所長である織よりも先に、愛美が声をかける。アーサーがその足元に擦り寄って、愛美が白い毛並みを撫でた。

 そんな主従を困惑した様子で眺めつつ、女性が答える。


「あ、はい。探偵事務所って聞いて来ました。あなたが探偵さん、でいいんですか?」

「そいつは助手ですよ」

「誰が助手よ」

「ならなにか他に、良い感じの役職でも欲しいか?」

「探偵の妻、とか?」

「やっぱ助手で」

「なんで」


 依頼人にそんな風に紹介できるわけがないからである。まだちょっとそういうの慣れてなくて恥ずかしいんだから、いきなり妻とか言わないで欲しい。

 そもそも俺たち、まだ籍は入れてないし。娘はいるけど。


 改めて妙な関係だなぁ、とか考えていると、ポカンとした女性が視界に入った。

 これはいけない、依頼人を無視して夫婦漫才してる場合じゃない。


 コホン、と咳払いをひとつ。


「すいません。俺は桐生織、ここの所長やってます。んでこいつが桐原愛美。まあ、助手みたいなもんってことで」

「やっぱり、あなた達だったんですね」

「やっぱり?」

「学院から追われてる、殺人姫と探偵賢者」


 ホルスターから銃を抜いた。

 隣では愛美が、鞘から刀を抜いている。


 二人から得物を突きつけられ、女性は半ば涙目で両手と首をぶんぶん横に振った。


「違います違います! あ、あたしも魔術師ですけど、本職じゃないですし、お二人をどうこうしようなんて力はありませんから!」


 言われて気づいたが、彼女から感じられる魔力はとても微々たるものだ。織はおろか、愛美でさえ魔力があること自体に気づかないほど。


 愛美が刀を納めたのを見て、織も銃をホルスターへ戻した。となると、大変な失礼を働いたことになってしまう。


「申し訳ありません。まさか依頼人に刀を向けてしまうとは……」

「いえいえ、今のはあたしも悪いです。迂闊でした」


 織と愛美、依頼人の女性が三人揃って頭を下げる。なんとも珍妙な光景だ。


 一先ずソファを勧め、愛美が三人分の紅茶を淹れてくれた。紅茶を一口飲んでから、女性が改めて自己紹介をする。


「大倉優子って言います。一応、役者をやってるんですけど……」

「……あぁ! 思い出した!」


 名前を聞いて合点がいった。

 大倉優子。かなり有名な若手舞台女優だ。最近注目されているルーキーとかで、この前テレビに出ていたのを織も見ている。


 まさか魔術師だとは思わなかったが、それを言うなら、こんな大女優がこんな街に、もっと言えば探偵事務所なんて場所に一人で来るなんて。


「そういえば、この前適当につけたバラエティに出てた、かしら?」

「それより、どうして大倉さん程の大女優がこの街に?」

「あ、あの、そんなに大女優なんて言わないでください……あたしなんてまだまだですからっ……!」


 顔を赤くして恥じらう様子は、実年齢よりも若く見え、おまけに美人な見た目とのギャップでヤバい。愛美で耐性がなければ織も目を奪われていたことだろう。我が恋人様に感謝だ。


「今日この後、この街で舞台をやるんです」

「そんな話あったか?」

「あー、そういえば最近、街の様子とかあんまり見てなかったわね」


 学院側で、というかネザーの件が色々あって、棗市での催事などはチェックしていなかった。それにしても、こんな大女優が出演するのなら、商店街でチラシの一つでも見かけていいものだとは思うが。


「それで、依頼内容は?」

「実は、普段雇っている警備の人が、直前になってみんな食あたりになってしまって……」

「何食べたのよ……」

「生牡蠣を……」


 優子が言うには、先週からこの街には滞在しており、つい三日前に懇意にしてる警備会社の人と出演者何名かで、食事に出かけたらしい。そこで優子と警備会社の人が、生牡蠣を食べたらしいのだ。

 腐っても魔術師、体内の魔力コントロールによって優子はもしもの事態に備えたらしいのだが、残念ながら警備会社の人たちは生牡蠣にあたった、と。


 いやまあ、なってしまったものは仕方ないし、生牡蠣も美味しいから食べたくなる気持ちは分かるけど。もう少し考えて食事したらどうなのだろう。


「で、俺たちに代わりの警備をして欲しい、ってことですか」

「はい。他の出演者さんやマネージャーには、もう許可を貰っていますから」


 断る理由はない。しかし、疑問がないわけでもなかった。

 なぜ、大倉優子本人が事務所に来たのか。こういうのは普通、マネージャーの仕事ではなかろうか。マネージャーでなくても、それ以外の事務所関係者が来ると思うのだが。


 紅茶を一口飲んで、思考を落ち着かせる。

 こう疑ってばかりではよろしくない。相手は依頼人だ。失礼になる。優子が魔術師ということで、無意識のうちに警戒レベルを上げてしまっていたのだろう。


「分かりました。その依頼、お受けしましょう」

「ありがとうございます!」


 元より、依頼を断るなんて選択肢は、織の中に存在しない。



 ◆



 優子に案内されるがままにやって来たのは、棗市に唯一存在してるコンサートホールだ。今日の夕方、十六時から、ここで大倉優子率いる劇団の演劇が行われるらしい。


 本番まではあと二時間。リハーサルも既に済ませており、織と愛美はその間にホール内を見て回ることにしていた。


「結構タチの悪い追っかけがいるらしいわね。大女優ともなれば、それも当然なのかもしれないけど」

「おまけに週刊誌やらのマスコミには、有る事無い事書かれたりするんだろ? 大変な職業だよなぁ」


 織の言葉は完全に偏見によるものだが、それらから劇団員を守るためにも、警備は万全にしないといけない。

 だと言うのに、本職の警備員たちは生牡蠣で食あたり。もう少しプロ意識というものを持ってくれないだろうか。


「それよりあなた、さっき事務所で優子さんに見惚れてたでしょ」

「俺が? まさかそんなわけ」


 いきなりそんなことを言われて、織は全力で首を横に降る。しかし愛美の目から疑念は消えない。


「本当に?」

「マジマジ。見惚れるわけないだろ、愛美の方が美人で可愛いんだし」

「そう……ならいいんだけど」


 ぷいとそっぽを向いて、足早に歩き始めてしまった。僅かに見える耳がちょっと赤くなっている。ほれ見ろ、やっぱり愛美の方が可愛い。


 ホール内を大体見て回り、織と愛美は舞台裏に移動した。本番の時は、ここで待機しておくように言われているのだ。


「おかしいところは?」

「わざわざ聞くの?」


 念のため確認すると、盛大なため息と共に肩を竦められた。

 まあ、そんな反応にもなるか。


 舞台裏から舞台の上、そして客席を見たが、愛美がため息を吐きたくなるのも分かるというものだ。


 客席の配置、照明の当て方、音響設備の向きに、さきほど確認した劇中曲のタイミングなどなど。

 それら全てが、ひとつの魔術的な儀式として機能してしまっている。


 もしもこれが、単なる一般人の仕業であれば。何も起きず、演劇は恙無く終えることが出来るだろうけど。

 依頼人であり主演である大倉優子は魔術師だ。声や動きに魔力を乗せると、儀式が成立して魔術が発動してしまう。


「これ、どんな魔術かわかるか?」

「発動してみないことにはなんとも言えないわね。優子さんに聞いてみましょうか」

「だな」


 舞台裏から移動して、役者の控え室へ向かう。優子以外の劇団員とは、一度紹介された時に顔を合わせたが、その中に魔術師はひとりもいなかった。となれば、あの儀式の準備は優子の仕業ということになる。


 控え室の扉を叩き、中から返事の声が聞こえてからドアノブを回した。

 中にいたのは、優子ともうひとり。スーツ姿の白髪が目立つ壮年の男性だ。


「お二人とも。ホールの見回りはもういいんですか?」

「いや、そのことで聞きたいことがいくつか」


 男性の方は見覚えがない。他の劇団員、というわけではなさそうだが、この場にいるということは関係者なのだろう。

 織の訝しげな視線を受け、男性が恭しく一礼する。


「優子のマネージャーをしています。大倉正信です」

「ということは……」

「ええ、父親でもあります。この度は警備を引き受けていただき、ありがとうございます。お気づきでしょうが、私も魔術師の末席に身を置いているのです。かの有名な殺人姫と探偵賢者がいてくだされば、とても心強い」


 丁寧な口調と物腰。たしかに魔力は感じられるが、それも強いものではない。優子よりはまだ大きいが、学院に所属する他の生徒の方が強い魔力を持っているだろう。


 織と愛美も腰を折りながら自己紹介して、改めてさきほど見た儀式の準備について聞いてみる。

 答えたのは、正信の方だった。


「あれはたしかに、こちらで故意に行なっているものです。しかし、魔術自体は些細なもの。優子にほんの少し、勇気を分け与えるものですよ」

「これまでもその術を?」

「ええ。客席の配置は場所によって違うので、それに合わせて照明や音響なども調整していました。どれも同じ魔術が発動されています」

「それはあたしも確認してます。本当は魔術に頼らない方がいいんでしょうけど……」


 自信なさげに苦笑する優子。自分の実力だけで、今の立場があるわけではない。その自覚があり、罪悪感を抱いているのだろう。


 しかし織は、それが悪いことだとは思わない。魔術の効果が本当に正信の言う通りであれば、優子は大女優と呼ばれるだけの実力を、ちゃんと持っているということだ。

 それを正しく発揮するため、魔術の力を借りているだけ。


 間違えた使い方ではないはず。


「この魔術、いつから使うようになりましたか?」

「優子にメディアの露出が増えてきた頃からだから、つい数ヶ月前からになりますね」

「具体的な回数は?」

「はて、二十は超えていたと思いますが……」


 愛美の質問の意図が読めず、織も困惑してしまう。もしものために、と言われればそれまでだ。魔術儀式はほんの些細な要因で、発揮される魔術が変わってしまうから。

 例えば、今愛美が聞いた回数のように。


 それから二、三打ち合わせをして、二人は控え室を出る。その後休憩所に移動して、自販機で買ったコーヒーを片手にベンチに並んで座った。


「なにか気づいたか?」

「あの大倉正信は嘘をついてる、ってことくらいね」


 どこで嘘をついたのか。それは聞くまでもないだろう。魔術の効果についてだ。

 今までは本当に、優子を助けるためのものでしかなかったのかもしれない。儀式の準備は正信が行い、実際に魔力を通すのは優子の声と動き、演技によって行われる。


 だが、今回は違うと、愛美は言う。


「そもそも、儀式によって全く同じ魔術を使うんだったら、その準備も同じじゃないとダメなのよ。それは織も知ってるでしょ?」

「ああ。講義で習った」

「だったら、今までだって全く同じ魔術ってわけがないの。結果的に効果が同じだっただけ。まさかそれを知らないわけもないだろうし、何かあるのは間違いないわ」


 やっぱりこうなるのか、と嘆息してしまう。

 依頼人が魔術師の時点で普通の依頼なわけがなかったが、どうにもややこしい事態に発展してしまいそうだ。


 缶の中身を空にして、織は瞳を橙色に輝かせた。



 ◆



 織が未来視を使ってから二時間後。その間に問題が起きることもなく、開演の時間となった。

 演目名は『シバの女王』だ。旧約聖書に記されたソロモン王とシバの女王の話を演劇にしたもので、大倉優子が率いる劇団の出世作と名高いらしい。


 舞台裏から演劇を眺める織は、素直に見入っていた。

 たしかに、優子から魔力を発する反応はある。しかし今のところはなんの魔術も発動されていない。

 それでも、彼女の演技は素人目に見ても素晴らしいものだと分かった。


 事務所へ依頼に来た時の彼女はそこにおらず。舞台の上にいるのは紛れもなく、シバの女王その人だと。そう錯覚させるほどの。


「そろそろね」

「だな」


 物語は佳境に入る。この演目一番の見どころ、シバの女王がソロモン王に難題をふっかけ、ソロモン王がそれを全て答えてしまうシーン。

 これによってシバの女王はソロモン王を称え、多くの金や香料など、当時貴重だったものを贈ることになる。


 しかし、いつまでも演劇に見入っている場合じゃない。

 残念ながら中止にすることは出来なかったが、これから起こるだろう惨劇は、なんとしても止めなければならないのだから。


「お初にお目にかかります、ソロモン王よ。本日は王を試させて頂きたく、いくつかの問いをお持ちしました」


 綺麗な声が、会場内に響き渡る。

 人々の注目を一身に集め、その心すら奪う。魔術なんて関係ない、優子自身の実力によるものだ。


 しかし、その綺麗な声が、次の言葉を紡ぐことはなかった。


 優子を中心として、舞台上に魔法陣が広がったからだ。

 観客はおろか、その場にいる役者たちは優子を含めて全員が戸惑い、演技が中断される。


「きゃーーーーー!!!」


 誰かが悲鳴をあげた。

 魔法陣が輝きを増す。漆黒の魔力が吹き荒れる。そうして現れたその姿を見て、観客たちは立ち上がり、会場の外へ我先にと逃げ出した。


 翼を持った、真っ黒な犬だ。

 人間よりも大きな体、凶悪な牙と爪、ただの魔物ではあり得ない魔力。

 舞台上にいた役者も全員が逃げ惑い、しかしただ一人腰を抜かして立てないでいる優子を、無機質な瞳が見下ろしている。


「あたしの、舞台が……」

「優子さん!」


 駆け寄ろうとしたが、黒犬の放った衝撃波のせいで容易に近づけない。


 あれはただの犬、ただの魔物じゃない。悪魔だ。グレイが作った人工のまがい物とは違う、本物のソロモン七十二柱。


 序列二十五位、グラシャラボラス。


「人間よ、願いを言え。対価さえ払えば、願いを叶えてやろう。さあ、誰を殺して欲しい?」

「え……?」


 悪魔からの問いかけに、優子は困惑するばかりだ。突然現れた悪魔から、誰を殺せばいいかと問われているのだから、無理もない。

 優子の魔力によって呼び出されたのだから、この悪魔との契約は、優子と結ばれる。


「優子、願いを言うのだ! そこの殺人姫と探偵を殺せと! そうすれば私達は、あの方から……!」


 どこで見ていたのか、織たちとは優子と悪魔を挟んで反対側、下手側に正信の姿が。

 なるほど、依頼に来たのはそういう理由か。そりゃわざわざ、犯人が直接依頼に来るわけがない。


 しかしここまでは、事前の予定からなにも脱していない。


「予測通りの未来だよ、クソ野郎」


 舌打ちと共に吐き捨て、ホルスターを抜く。隣に控えていた愛美が、グラシャラボラスへ向けて駆けた。


 鞘に収めたままの刀を構え、居合一閃。

 しかし刀を抜くよりも前に、横殴りの衝撃が愛美を襲う。完全な不意打ちにも関わらず躱した愛美は、優子を回収して織の元へ戻ってきた。


「なるほど、そこな人間二人を殺せばよいのだな?」

「ち、違う……!」

「まあよい。我は殺戮を好む。この手で人間を殺せるのなら、誰でもよい」


 悪魔を召喚した魔法陣が消え、溢れ出る殺意が織たちに向けられる。

 それに相対するのは、微塵も劣らぬ殺気を放つ少女。ただの人の身でありながら、悪魔と遜色ない、いやそれ以上の殺意をぶつけている。


「犬っころが調子に乗るんじゃないわよ。悪魔だかソロモンだか知らないけど、楽しませてくれるんでしょうね?」

「悪いな優子さん。こっからは、俺たちの舞台(ステージ)を見ててくれよ」


 ニヤリと口角を釣り上げて、織は魔法陣を展開した。同時に、愛美が再び地を蹴り駆ける。


「集え、我は星を繋ぐ者、万物万象悉くを斬り伏せ、命を刈り取る者」

「術式解放、其は昏き底より落ちる稲妻」

七星死剣星(グランシャリオ)!」

深淵を覗き叫ぶ招雷クラマーレ・ヴィタル・アビス!」


 七つの刃と共に肉薄した愛美が、悪魔の動きを置き去りにして刀を振るう。魔力の刃は意思を持ったように動き、翼と四肢を斬り裂いた。

 それで死ぬはずもなく、遅れて悪魔の頭に着弾するのは雷の球。天井を突き破って稲妻が降り注ぎ、グラシャラボラスは沈黙した。


「まだだ」

「分かってるわよ」


 切断された翼と四肢が再生する。稲妻によって焼かれた胴体は、完全に元通りだ。

 不死性を有しているのではない。

 そもそも、死という概念が与えられていない。契約を履行し対価をもらわなければ消えない。

 本物の悪魔とはそういうものだ。


「ウオォォォォォォ!!!」


 耳をつんざく咆哮。グラシャラボラスの魔力が一気に跳ね上がった。賢者の石を持つ二人に届くほどに。


「人間ごときがッ……! 我の翼だけに飽き足らず、四肢まで斬り落とすか!」

「チッ、斬撃(アサルト)三之項(フルフォートレス)!」


 濃密な魔力の凝縮された弾丸が、おぞましいほどの量で放たれる。しかし織と優子の前に一歩出た愛美が概念強化を纏い、襲い来る悉くを斬り落とした。


 怒りを瞳に宿した悪魔が翼をはためかせる。織が穴を開けた天井から、外に出るつもりだろう。


「行かせるかよ!」

「ぐぅ……! 貴様、我が魔力を奪うか!」


 魔力の鎖を放ち、翼を搦めとる。地に落ちたグラシャラボラスから魔力を吸い取り、織はそのまま新たな魔法陣を展開した。


 二人に届くほどの魔力濃度。だからこそ、魔導収束による魔術は、その力を遺憾なく発揮する。


魔を滅する破壊の銀槍(シルバーレイ)!」

「無駄だァ! 我らソロモンの悪魔に、死は訪れない!」


 銀の槍をその全身に受けても、悪魔は怯まない。傷はすぐに再生して、そもそもダメージなんて概念すらあるのかもあやふやだ。


 このままではジリ貧。

 しかし、打てる手はひとつだけある。


「本気出さないとまずいわよ」

「分かってる、位相接続(コネクト)


 静かに、力ある言葉を発した。

 全身が光に包まれ、その姿が変貌する。学院の制服は裾の長い黒の燕尾服へ、胸元にはネクタイの代わりに半透明の石。


未来を創る幻想の覇者レコードレス・フューチャー


 最強の力を顕現させた織が、その瞳をオレンジに輝かせる。

 幻想魔眼。

 不可能を可能にする力。あるいは、この世界を新しい世界で塗り替える力。


 それさえあれば、目の前の犬を殺すなんて容易いことだ。


「教えてやるよ、犬っころ。殺人姫に、殺せないもんなんかないんだ」


 織の隣に立っている愛美。

 その姿が、霞む。


 探偵の宣言が終わるのと同時だ。犬の姿をした悪魔が、その首を斬り落とされたのは。


「なるほど、私の視点から未来が見えてたのは、私の方に問題があったってわけね」


 断末魔もなく死んだ悪魔にはもはや興味を持たず、血を払った刀を鞘に戻す愛美は、納得したように呟いていた。


 幻想魔眼による死の概念付与と、愛美の繋がる力に呼応した引き寄せる未来視による、不可避の一撃。

 即興ではあったが、やってみればできるものだ。


 さて、厄介な悪魔はこれで消えた。

 後は犯人を捕まえるのみ。


「おっと、逃がさないぜ」

「あんたには色々と、聞きたいことがあるのよ」


 この場からの逃走を図ろうとしていた大倉正信へ、銃口を向ける。

 冷や汗を垂らしながら、その表情は絶望一色に染まっていた。


「違う……こんなはずじゃなかった……! お前たちを殺せば、私たちは……優子は、まだまだ上へ行けたはずなんだ! だから、優子のために……!」

「あんた、父親失格だよ」

「なんだと……?」


 織が放った一言に、正信の表情が怒りへと染まる。

 父親のそんな顔を見たことはなかったのか、背中に庇う優子が小さく悲鳴を上げた。


「お前のような子供になにが分かるッ! 優子の才能は本物だ、なら父親として、その才能を発揮できるための舞台を整えてやらないとダメだろう! 障害は私が全て排除する! そのためには力が必要だ、魔術師として、家を大きくしなければならない! お前たちを殺せば、あの方は力をくれると約束した!」


 なにが分かる、と来たか。

 たしかに、この男の方が父親としては先輩なのだろう。優子が生まれてから今日まで、二十年以上に渡り、その成長を見守って来た。それに比べて、織はまだ数カ月程度。しかもかなりイレギュラーな経緯だ。


 そんな織でも、分かる。父親っていうのは、そういうもんじゃない。


「たしかに父親ってのは、子供を助けるもんだ。俺にだって分かるさ。娘ってのは可愛いからな。なんでもしてあげたくなる」


 でも、それだけじゃダメだ。

 ただ助けてあげるだけじゃダメなんだ。


 銃を下ろし、ホルスターにしまう。一歩ずつ正信へ歩み寄りながら、拳を握りしめた。


「ちょっとは、優子さんを信じろよ。本当に才能があるって思ってるなら、その才能を信じてやれよ。父親だったら、そんくらいできるだろうが!」


 魔力もなにも帯びていない、けれど、織なりに父親としての矜持を宿した、ただの拳で。正信の頬を打ち据えた。


 たったの一撃で、男の体が舞台の上に倒れる。魔力の鎖で四肢を地面に固定した。


「それでも壁にぶち当たって、どうにもならなくなった時に、俺たち親は手を差し伸べてやるんだよ。頭を撫でてやって、励まして、一緒に乗り越える方法を考えるんだ。二十年以上も父親やってるんだったら、それくらい理解しやがれ」



 ◆



「どうした、もう終わりか?」

「はぁ……はぁ……くッ、まだまだ、終わりなわけないでしょッ……!」


 息を切らし、それでも刀を握る手に力を込める葵。

 攻撃が、なにひとつ通らない。現状の葵が持てる、最強の力を振るっているのに。全てが槍一本に容易くいなされてしまう。


 グレイの傷は、まだ完璧に癒えていないのだ。魔女と探偵、二人から受けた太陽の力は、確実に吸血鬼の体を蝕んでいるはずなのに。

 それなのに、葵の力は及ばない。


「無理はしない方がいいと思うがな。そろそろ限界だろう」

「馬鹿にするな!」


 刀を構え直し、再び稲妻と化して突撃しようとして。寸前で、纏っていた雷が全て霧散した。力が抜け落ち、膝をついてしまう。


 なんで。どうして。目の前に、憎い相手がいるのに。倒すべき仇がいるのに。こんなところで、膝をついている場合じゃないのに……!


「ここまでだよ、チビ。クソ親父の言う通り、お前はもう限界だ」

「なに言ってるの、カゲロウ……私は、まだ戦える……」

「自分でも分かってんだろ」


 無理に力を引き出した反動。本来なら血を摂取しなければいけないのに、キリの力だけで無理矢理使ったのだ。


 ああ、分かっているとも。

 今自分を襲う喉の渇きも、枯渇した魔力も、全て分かっている。

 分かっていて、それでも葵は、戦うことをやめようとしない。


 刀を杖代わりにしてなんとか立ち上がるけど、それだけだ。黒い翼は広がらず、魔術の一つも使えない。

 こんな状況で戦ったところで、呆気なく殺されるのがオチ。


 そんな葵を庇うように、カゲロウが前へ進み出た。


「もういいだろ、クソ親父。こいつには、もう手出しするな」

「ノーと答えたら?」

「尻尾巻いて逃げるしかねえだろ」

「ほう、らしくないなカゲロウ。そもそもここを訪ねたのは、貴様の意思だろう」

「うるせぇ、お前にオレのなにが分かるってんだ」


 不機嫌に吐き捨てたカゲロウが、チラとこちらを一瞥する。

 そして次の言葉は、想像もしていなかったもので。


「こいつ守る為なら、らしくないことだってやってやるよ」


 カゲロウがどういう男なのか。改めて、思い知らされた気分だ。

 単細胞な馬鹿で口も悪くて、普段は葵と喧嘩ばかりだけど。それでも彼は、周囲の人間を大切にする。

 彼が守りたいと、大切にしたいと思ったものに、迷わず手を差し伸べる。


「よく分かったよ、クソ親父。お前はやっぱり、オレの家族なんかじゃねぇ」

「ほう、なら誰が貴様の家族だと言うのだ? 黒霧葵や出灰翠とは違い、貴様にはほかに家族と呼べるものはいないだろう」

「まさしくその二人だよ」

「は?」


 困惑の声は、カゲロウの後ろにいる葵から。

 急に変なことを言い出すから、全身の倦怠感すら忘れて頭の上に疑問符が踊る。


 たしかに、葵と翠、カゲロウの三人は兄妹のようなものだけど。

 別にそう言うカゲロウのことを拒絶するわけでもないけど。

 ちょっと前までそのことで馬鹿なりに悩んでいたくせに、もう答えを出してしまうのか?


「知らねえのか? オレはこう見えて、ラブ&ピースのために戦ってんだ。だったら、家族くらい守れなきゃダメだろうがよ」


 不敵に笑って、白銀の翼が広がる。同じ色の大剣を父と呼ぶ吸血鬼に向け、全身に魔力を漲らせていた。


「そうか……貴様も結局、そこに行き着くか」


 フッと笑みをこぼしたグレイは、どうしてか嬉しそうに見える。

 なぜかと、問いかけようとしても、言葉は喉に詰まって出てこなかった。触れてはいけないような、そんな気がしたから。


「冗談だ。言っただろう。貴様ら二人には、これでも情を抱いてる方なのだよ」


 カゲロウがあからさまな舌打ちをして、葵の肩に手を置く。異能を使ったのか、魔力がみるみるうちに回復した。

 取り敢えず立てるようにはなったけど、喉の渇きだけはどうにもならない。


「ありがと……」

「無茶しすぎだ。お前になんかあったら、蓮に顔向けできねぇだろうが」

「うん、ごめん」


 感謝と謝罪は、自分でも驚くほど素直に出てくれた。

 ひとつ深呼吸をして、心を落ち着かせる。

 目の前にいる灰色の吸血鬼は許せない。許せないけど、今の自分にどうこう出来る相手じゃない。それは、身をもって痛感した。


 なら、葵にできることはひとつだけ。

 過去の真実を、知ることだけだ。


「さて、いい加減に本来の目的を果たすとしようか」


 一瞬だった。

 これだけ長い前振りをしておいて、たったの一瞬。グレイがその異能を行使するだけで。


 葵の脳裏には、様々な情景が蘇る。

 ネザーの研究施設で、色んな実験を行ったこと。真っ白な部屋に隔離されていたこと。

 当時そこの研究者だったサーニャと、同じ部屋にいたカゲロウが、唯一触れ合うことのできた他人だったこと。カゲロウを兄と呼び慕っていたこと。

 それらが百年前の出来事であること。


 そして、その五十年後。研究施設が何者かの、グレイの襲撃を受けた。

 その隙を突いたカゲロウは施設から脱走しようとして、葵にも手を伸ばしたんだ。


 けれど葵は、その手を掴むことが出来なかった。その場にいた他の研究者に捕まって、脱走に成功したのはカゲロウだけ。


「オレは、あの時……手を伸ばしたのに、救えなかった、助けられなかった……」


 共に施設を脱走したサーニャに保護されたカゲロウは、しかし完全にネザーの魔の手から逃れられたわけではなかった。


 それが、魔術的な呪いによる記憶のロックだ。組織を抜ければ、強制的にその呪いがかかるようになっていた。


 更にその四十年ほど後。グレイは霧の魔術師と共謀して、シラヌイを奪還することとなる。その時に生まれたのが、葵の妹であるあの二人。

 自分のために、色んな人が傷つく。いなくなったカゲロウも、死んでしまった両親も、実の父親であるグレイも。

 そんな現実が嫌になって、あの二人が生まれた。


「これで満足か? だったら、私はまたどこへなりと姿を消させてもらおう」

「待って!」


 一気に記憶が戻ったせいで、頭が痛む。それでも葵は、グレイを呼び止めた。

 聞きたいことが、まだひとつだけある。


「お父さんとお母さん……霧の魔術師にまで助けてもらってまで、私をネザーから解放した。そこまでしたあなたの目的はなに? そんなあなたが、どうして賢者の石を狙うの?」

「桐生織から聞いていないか? この世界の救済だよ」

「どうやって?」


 問題はそこなのだ。

 この吸血鬼はきっと、救済なんて言っても人間のことはなにも考えちゃいない。

 なら、なにをもってして救済と考えているのか。どのような世界を望むのか。


「愚問だな。シンプルで、ありきたりな、悪役が考える方法で、だよ。人間は全て殺す。人間という種は絶滅させる。ルーサーのいた未来とは違う、あいつが愛したこの世界を、生かしたままに」


 その声に宿るのは、怒り。

 知っている。その目と声を。似たものを見て、聞いたことがある。


 それは、復讐者のものだ。

 なにかを憎み、恨み、怒りを抱いて、報復を誓った者が持つ心だ。


 だからグレイは、人間という種そのものに復讐すると、そう言っているのも同然。


「未来の私は失敗したらしいがな。だが、この私は違う。全てのピースは揃っている。あとは手元に置くだけだ。精々止められるよう、努力してみることだな」


 そしてグレイは、どこかへと姿を消した。

 残された葵とカゲロウは、ただその場に佇むのみ。

 グレイの目的と、蘇った過去の記憶。それらに混乱しているから。

 ペタリと、地面に座り込む葵。疲れがどっと押し寄せてきて、考えることすら億劫だ。


 でも、ひとつだけ。確実なことがある。


「私たち、ちゃんと家族だったんだね」

「……そう、なのか?」

「そうだよ。さっきは答えられなかったけどさ。いつも当たり前のように一緒にいて、相手のことを信じられて、それでも手を伸ばしたいと、差し出された手を掴みたいと思ったなら。家族って、言えると思うんだ」


 葵にとっては、緋桜と翠がそうであるように。多分、蓮にも同じように思えるのだけど、彼は家族じゃなくて恋人だ。


 いや、きっとその名前に意味があるわけじゃないんだの思う。

 ただ、そう思える相手が、大切な人であることには変わらないのだから。

 敢えてその関係に名前をつければ、家族とか恋人とか、少し違ったものになるだけ。


「ほら」


 地面にへたり込む葵へ、手が差し出された。かつて兄だった半吸血鬼の少年の手を、今度はちゃんと、掴む。


「帰るぞ、葵」

「うん。帰ろっか、カゲロウ」

「そこは兄さんじゃねぇのかよ」

「今更呼べるわけないでしょ。ちゃんと兄らしいことしてから言ってくれる?」


 いつもと変わらない憎まれ口。

 やっぱり、今の私たちにはこっちの方が向いている。

 例え過去がどうであろうと、それは過去でしかない。


 黒霧葵にとって、大切なのは今だから。

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