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Recordless future  作者: 宮下龍美
第3章 未来を創る幻想の覇者
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怪盗、再び 3

「さすが怪盗! やることだけじゃなくて性根までしっかり腐ってやがるんだな! いっそ尊敬しちまうよ!」

「ハッ! 綺麗事ばかり抜かす探偵には刺激が強すぎたかな? 素直なことは美点だと思うぜ! 今後は詐欺に遭わないよう気をつけることだ!」

「怪盗様のお言葉とは思えねえな!」

「探偵殿はもう少しスマートに推理したらどうなんだ!」


 互いに罵声を浴びせながら、何度も激突が繰り返される。

 ジュナスの細剣と織の鋼鉄化した左拳がぶつかり、金属音が響き渡る。ゼロ距離から右手のグロックの引き金を引くが、ジュナスは瞬時に転移で後退。お互いに放った魔力弾が、両者の間でぶつかり衝撃を撒き散らした。


「賢者の石か! グレイからお恵みを貰ったかよ!」

「いいや、僕たちが自力で盗んだお宝の一つさ! あの吸血鬼から恵んでもらうなんて、死んでもゴメンだね!」


 どこの誰からかは知らないが、賢者の石を盗み、その身に宿しているのだ。だから織と互角の戦いを演じられる。


「術式解放! 其は大海を割る嵐の剣!」


 掲げた左手の先に、魔法陣が広がる。現出するのは巨大な魔法剣。賢者の石に記録された中で、物理的な攻撃力が最も高い魔術だ。

 容赦なく振り下ろされる剣。大気を引き裂きながら怪盗の頭上へ迫るが、奴に慌てる様子はない。


 冷静に魔力を練り、魔法陣からアンカーが射出された。アンカーが突き刺さった大剣は、その動きの一切を停止させる。


 舌打ちを一つ。以前安倍家で戦った時にも感じたが、ジュナスは魔力コントロールの技術がやけに高い。

 あのアンカーは、こちらの術式、そこに流れる魔力へ干渉してくるものだ。


 早々に魔術を手放し、織は次の術式を構成していく。当然ジュナスも見ているだけでは終わらない。再び細剣を手に突っ込んできた。


「チッ、殴り合いがご所望かよ、野蛮な奴だな!」

「殺し合いに優雅さなんて求めても仕方ないだろう!」


 咄嗟に作った魔法剣で迎撃するが、やはり剣術だと相手の方が上手だ。ここで経験の差が如実に出てしまう。

 瞳を橙色に輝かせ、未来視で常に動きを先読みしながらなんとか凌ぐ。


「どうしたどうした! こんなものか探偵!」

「ほざいてろ……!」


 あまり使いたくはなかったが、こうなってしまえば仕方ないか。


 オレンジの輝きが、強く発せられる。


 途端、織の動きが変わった。

 鋭く繰り出された刺突を躱した織が、反撃に魔法剣を振るう。あまりにも大ぶりな、素人同然の動きだ。ジュナスにとっては容易くいなせる一撃。

 だが、予想外の衝撃がジュナスを襲った。


「ようやく本気みたいだな……」


 ()()()()()を抑え、強く睨め付けてくる怪盗。たった一度の再現だけで、織の頭に鈍い痛みが走る。


 織には使えるはずのない亡裏の体術。それを魔眼で、無理矢理に再現したのだ。普段はもっと基礎的なもの、体の動かし方程度を真似るだけだったが。


 この怪盗を倒すには、それじゃ足りない。


「肉体のスペックが追いついてないじゃないか。無理矢理にもほどがある」

「うるせぇ、お前をぶん殴れるならそれでもいいんだよ!」


 再び剣を構えるジュナス。だが、今度は簡単に近づけさせない。

 宙空に出現させた無数の魔力弾が、濃密な弾幕となって雨のように怪盗へと降り注ぐ。巧みな動きで躱すジュナスは、回避行動に専念するだけだ。

 そこを好機と捉えて、同時に二つの術式を構成する。


貫き穿て氷樹の螺旋(ドリルライナー)!!」


 構えたハンドガンの銃口から、氷で形成されたドリルが放たれた。今なおジュナスへ降り続ける弾幕の全てを蹴散らし、ドリルは一直線に向かっていく。


「バカな一つ覚えみたいに魔術を撃つしか能がないのかよ、探偵!」

「そいつはどうだかな!」


 大剣を受け止めた時と同じアンカーを放つジュナス。それら二つが、なぜか、激突するよりも前に霧散した。

 目を見張る怪盗。不敵に口元を歪める探偵。


 魔力を、吸収する。

 ドリルと同時に構成していた術式へ、この場の大気中にある魔力が、全て流れ込んだ。


「そっちが本命か……!」

「遅いんだよ!」


 金髪の怪盗を囲むようにして、無数の魔法陣が展開される。空間を歪めるほどに濃密な魔力が凝縮され、織の叫びと同時に撃ち出された。


魔を滅する破壊の銀槍(シルバーレイ)!」


 桐生織が最も信を置く魔導収束、彼の十八番である銀の槍が、ただ一人の怪盗を破壊し尽くすためだけに放たれる。


 これは躱せない。確信にも似たものがあったのに。槍は怪盗を貫くことなく。


「来い、黒廟黒猫(キャスパリーグ)!」


 ジュナスが召喚した黒い化け猫によって、一つ残らず消滅した。

 いや、食われた。


 アーサー王伝説に出てくる怪猫。かの王に深手を負わせた魔物。キャスパリーグ。

 あらゆるものを喰らうその猫は、次の標的を見据えて顎を開く。


「くそがッ! ()()()()()()()!」


 力ある言葉。オレンジの輝きが増し、なにをせずとも化け猫は消滅した。


「強引な使い方だな、殆ど反則じゃないか!」

「俺の力だ、どう使おうが俺の勝手だろ!」

「ならお次はこんなのでどうだ!」


 細剣を上段に、刺突の構えを取るジュナス。魔力の動きから、なにかヤバイものが来る。直感的に判断する織は防護壁を展開して。


捻れ狂う稲妻の劔(カラドボルグ)


 防護壁ごと、肩を貫かれた。

 見れば、ジュナスの細剣が刀身を一直線に伸ばしている。


「ッ……、それも盗品の一つかよ」

「まあね。今まで盗んだ中で、一番重宝してるよ」


 伝説にある魔剣と同じもの。本物のカラドボルグ。

 エクスカリバーといいアイギスといい、そんな簡単に本物の伝説を持ち出さないで欲しいものだ。


 肩から刀身が引き抜かれ、ジュナスの手元には元の長さに戻った細剣が。厄介な能力ではあるが、対応できないわけじゃない。

 肩の傷を癒しながら、痛みに堪えるように無理矢理な笑みを見せる。


「もうネタは残ってないのかよ、怪盗。まさかこれで終わりってわけじゃないだろうな」

「そっちこそ、オリジナルの賢者の石を持っておきながらこれ以上は打つ手なし、なんて言わないでくれよ? これ以上ガッカリしたくないんでね」

「抜かしてろ。消し炭にしてやる」

「上等、次はその心臓を貫いてやるよ」


 互いの戦意は未だ消えず、力はまだまだ残っている。

 織の頭に怪盗を捕まえるなんて思考は残っていなくて、それはジュナスも同様。お宝、アイギスの盾のことなんか完全に忘れているだろう。


 二人が戦う理由は、もはやただ一つ。

 こいつだけには、負けたくないからだ。



 ◆



 バカな男二人が派手にドンパチやっている間にも、周りの状況は刻一刻と変化する。


 織とジュナスが戦闘を始めるや否や、愛美は呆れたようにそこを離脱し、葵たちと合流していた。


「あれ、放っておいていいんですか……?」

「いいわよ。どうせ決着はつかないでしょうし」

「そのうち二人とも疲れて帰ってくるのが見えてますからねー」


 葵の問いに返したのは愛美と、なぜか一緒にいる怪盗の片割れ。ルミ・アルカディア。

 愛美からしたらおかしな状況ではないのだが、後輩たちと娘からするとそうでもないだろう。ルミの方に警戒を向けているのは、致し方ないことだ。


「ルミ、あんたたちの目的は?」

「あの亀の中にある、アイギスの盾ですよ」

「なるほど、つまり一時休戦ね」


 超がいくつあっても足りないほどに巨大。

 説明不要なほどデカイ亀は、亀らしくスローペースでありながらも、人里へ向けて足を動かしている。

 やはり近くを飛ぶ愛美たちには一瞥もくれず、ただ歩くのみ。


「あれは私に任せなさい」

「どうにかできんのかよ、あのデカさだぞ?」

「どうにかできるから言ってるのよ」


 短く、なんの根拠もない言葉。しかしカゲロウはそれだけで納得したようだ。


 納得せざるを得ない、と言った方が正しい。そもそも、自分たちの攻撃は意にも介さないようなのが相手。正攻法は通じず、異能による搦め手すらも弾かれた。

 その情報は、愛美にも共有しているのに。


 ただ、力強い一言だけで。桐原愛美にならできると、確信してしまう。


「でも母さん、どうやってあれを倒すの?」

「ま、色々試してみるわよ。あなたたちはそこで見てなさい」


 言い残し、宙を駆ける愛美は、亀の正面へと躍り出た。


 改めて見てみれば、なるほどデカい。

 それ以外の言葉では言い表せられない。こんなやつを相手にするのは初めてではあるけど。


「いいじゃない、殺し甲斐がありそうだわ」


 唇を三日月に裂き、刀を鞘から抜く。

 色々と試したいことがあるのだ。テイのいいサンドバックになってもらうとしよう。


 しかし一先ずは、こっちを見てもらうとこからだ。さっきから無視されてばかりで、愛美は地味に腹が立ってるのである。


「集え、我は星を撃ち落とす者、万物万象悉くを斬り伏せ、命を刈り取る者」


 亀の直上に、六つの魔法陣が広がった。

 複雑な幾何学模様は、この世界のどこにも二つと存在しない、桐原愛美だけが持つ唯一の術式。

 六つの陣が描くのは、天に遍く星々の力。

 北斗七星と対になる、南斗六星の力だ。


「穿て! 六連死弓星(ラ・ルーシュ)!」


 それぞれの魔法陣から、光の柱が落ちてきた。大気を灼く熱量と肌を震わせる程の魔力が、未だ木々や土の残る甲羅へと容赦なく叩きつけられ、地響きが起きる。


 巨体の歩みが、止まった。

 顔が動き、目の前に滞空している殺人姫を視認する。


 認めたのだ。この少女が、脅威であると。


「ようやくこっちを見たわね」


 声はなく、しかし蠢く魔力と神氣が、敵の怒りを表している。

 亀の背中から、無数のなにかが飛び散った。刃と化した鋭い葉だ。無差別に撒き散らされる攻撃は、愛美だけに向けたものじゃない。


「チッ!」


 舌打ちをして、当たりそうなものだけを刀で斬り伏せ、後輩たちの元へと戻る。きっと彼女たちだけでもどうにか防げるのだろうけど、考えるよりも先に体は動いていた。


 空中で滑り込むようにして葵たちの前に出る。刀を一振りしただけで、眼前に迫っていた全てが切断された。

 時空間ごと、斬った。

 故に敵の攻撃は届くわけもなく、ただ、少女の殺意だけが増していく。


「誰の前で誰に手を出したのか、分かってるのかしら?」


 背後から後輩たちの声が聞こえるが、もはやそちらに耳を貸すこともなく、殺人姫は弾丸のように飛ぶ。

 もう街は見えてきているのだ。これ以上の進行は止めなければならない。なら、狙うのは足。


「徹心秋水」


 刀の銘を呼ぶ。

 空色に輝く刀身に、力が集約された。


 桐原の持つ力は、繋がる力。

 すなわち、見守っている後輩と娘たち四人との繋がりこそが、そのまま刀の、愛美の力となる。


「これ以上先には、行かせないっ!」


 接近した左後ろ足へ、一閃。


 世界に存在する、あらゆる大樹を全て束ねたような太さの足が、ただそれだけで斬り落とされた。

 物理法則など完全に無視。アイギスの守りすらも貫通して。


 バランスを崩し、亀の体が沈む。

 大地はその重さを支えられず、所々がひび割れ、めくれ上がっていた。

 噴き出すのは大量の血。赤紫色のそれが滝のように落ち、全身に浴びた愛美はそれでも笑みを浮かべたままだ。


「いいわね、なかなか斬りごたえがあるじゃない! もう一本行っときましょうか!」


 続け様に、今度は左前足へ肉薄するが、そこで異変に気付く。

 亀の口が、開いた。そこに集まる魔力と神氣を見て取り、急いで前面へと向かう。


「どういうつもりよ、アイギスの影響ってのはないわけ⁉︎」


 アイギスの盾は、守護神アテナの持ち物だ。アテナの神性も多少受け継いでいていいはず。

 仮にそうであるなら、街への攻撃なんてするはずがないのに。


「集え、我は星を繋ぐ者、万物万象悉くを斬り伏せ、命を刈り取る者!」


 七つの刃を顕現させる。

 それだけでは足りない。あの魔力が放たれたら、愛美の力であっても完全には斬り伏せることができないだろう。


 なら、借りればいいのだ。

 織じゃないけど、自分に出来ないこと、足りないものは、仲間の力を借りるしかない。


「徹心秋水!」


 刀の輝きが増すと同時に、愛美の背に黒と白、二色の翼左右にそれぞれ広がった。同時に、刀は輝きを黄金へと変える。

 しかし全身に迸るのは、対極的な銀の炎。


 その姿を見ていた葵も朱音も、蓮にカゲロウ、休戦中のルミですら、息を呑む。

 桐原愛美という少女の美しさに。

 見かけの話ではない。その在り方。魂の形とも言えるものにこそ、目を奪われ、魅了された。


 繋がり。

 言葉にすれば酷く陳腐に聞こえるそれは、殺人姫と呼ばれ恐れられる少女が、なによりも大切にするもの。

 家族を、後輩を、友人を。全ての仲間を想い、想われ、今の彼女がある。


 ならばその力の全てを振るう彼女に、負ける道理などありはしない!


「撃たせはしない。私たち全員の力、そのデカイ図体全部使って味わいなさい!」


 七つの刃と銀の炎が、黄金の輝きを帯びた刀身へと束ねられる。


 天に掲げた徹心秋水を、振り下ろした。


 それだけだ。

 ただそれだけの動作で。


 まず最初に、亀の首が落ちた。

 断面からはもはや言葉にできない量の血が流れ落ち、放たれようとしていた魔力の塊は霧散した。


 まだ終わらない。

 巨体の至る所に、剣閃が迸る。


 遅れて、だ。瞬きの間に、全高百メートル以上を誇る巨体が。

 バラバラに切断され、赤紫の雨を降らせた。


 人一人と同じほどの大きさに斬られたそれは、血と共に大地へ落ち、そこに新たな山を築く。

 衝撃で揺れる地面。血の雨は降り止まず、それを諸に浴びているにも関わらず。


 殺人姫の少女は、愉しそうに笑っていた。



 ◆



「嘘ぉ……」


 絶句だ。

 目の前の光景を見て、黒霧葵は絶句する他なかった。


 頼りになる先輩だとは思っていたし、とても強い人だとよく分かっていたけど。

 刀を一振りしただけで、あの巨体を微塵切りにしてしまうなんて想像できるだろうか? いや出来ない。


 なにをしたかは大体見当がつく。

 先日亡裏の里で聞いた話を照らし合わせる限り、愛美が最後に行使したのは、彼女が持つキリの力。

 普段使っている異能、拒絶の力ではなく、繋がる力だ。


 そして視界が映した情報も、やはりその通りで。

 葵、蓮、カゲロウ、朱音。四人の象徴とも言える力を、その身一つで扱ってみせた。


 愛美自身のグランシャリオと蓮の聖剣の力で、まず刀の概念的な強度を上げた。キリの力を宿した刀といえど、あそこまでデカイ相手なら、単純に物理的な相性が悪すぎるからだ。

 そして葵とカゲロウの力を使い、逆に物理的な瞬間火力を底上げした。あの翼は、魔力的なサポートを大いに果たしていただろう。


 最後に、彼女の実の娘である朱音の力。

 銀の炎。

 時間操作の力を持つそれを使うことによって、過去を斬ったのだ。


 つまり、愛美が刀を振った時点で、()()()()()()()()()()()()()()()()

 因果を逆転させたのだ。

 きっと朱音にも可能な芸当なのだろうけど、それを愛美が使うことにこそ驚愕を覚える。


 どこまで反則な存在なんだ、あの先輩は。


 なんて、驚いている場合じゃない。


「おい、あのルミとかいう怪盗はどこ行きやがった?」

「あ、しまった……!」

「桐生先輩! アイギスの盾を!」


 事態を把握した蓮が、未だ血の雨に身を晒す愛美へと叫ぶ。

 しかし遅い。

 だって、音よりも光の方が速いに決まってるからだ。


「アイギスの盾、確保ー! マスター、やりましたよ! 子供っぽい喧嘩は辞めて、さっさと退散です!」

「子供っぽいって言うな!」


 愛美が亀を相手にしてる最中も、微塵切りにした後も、全く構わずに織と戦っていたジュナス。

 彼が織へ強力な魔砲を叩き込み、相手が怯んだ隙に離脱。ルミと合流した。


「よし、よくやったぞルミ」

「あとでご褒美期待してますね!」

「常識に則ったものなら考慮してやらんこともない。んじゃ、とっとと退散させてもらうか」

「逃すかクソがッ!」

「はいそうですかって行くわけないでしょ!」


 ジュナスの広げた転移の魔法陣が、ガラスの割れたような音ともに切断され、砕け散った。遠距離から切断能力を飛ばした愛美の仕業だ。本人たちに当てなかったのは、シンプルに狙いが逸れただけか。


 続けて、さっきのお返しとばかりに、ジュナスのものより更に強力な魔力砲撃が襲いかかる。ルミとジュナス二人掛かりでそれを防いだ時に、既に探偵の二人が肉薄し、二人へそれぞれの得物を向けていた。


「怪盗てめぇ、まだ勝負はついてないだろ。尻尾巻いて逃げんのかよ」

「戦略的撤退と言ってくれよ、探偵。僕は負けてない。なんなら僕の方が勝ってたまであるね」

「は? どの口がほざいてんだその口か鉛玉ぶち込んでやる!」

「やれるもんならやってみやがれ! ルミ!」

「あいあい!」


 ルミの体が発光する。この場から逃げるつもりだ。彼女の異能は、光子化。一度発動されたら最後、葵の情報操作が届くよりも前に離脱されてしまう。

 事実、手助けに入ろうと開始した演算は、このままだと間に合わない。朱音もドレスの力を使おうとしているのだろうが、そちらも同じく。


「それ、ボクの所有物なんだよね。返してくれるかな?」


 光が収まる。なにか特別な力が働いたわけではない。ルミはそのまま、異能を使って逃げ切ることが出来たはずだ。


 ただの一声。それだけでこの場を支配した女性が、ゆっくりと。


 アイギスの盾を持った怪盗へと、空中を歩いて近づく。


「ルージュ・クラウン……!」

「こんな大物が来るとか、聞いてないんですけど……!」


 転生者ルーク。

 アテナ本人である彼女は、自分のものであるアイギスを回収するため、この場に現れた。


 小柄な全身から放つプレッシャーは、直接向けられたわけでもないのに、葵たちの体を震わせ、動きの一切を禁じる。


「いい修行になると思って、あの亀には手出ししなかったけどね。君たちがそれを持ち去ろうって言うなら、話は別だ」

「こいつを返せば、見逃してくれるとでも……?」


 慎重に言葉を選ぶジュナス。今この場に置いて、彼らの生殺与奪を握っているのは、紛れもなく転生者である彼女。


 人類最強ですら、単純な強さだと敵わないと言い切ってしまう人間。


 そのルークから直接プレッシャーを向けられて、それでも会話を試みるジュナスの胆力は、賞賛に値すべきだろう。

 だが、彼は選択を間違えた。

 今の問答で、じゃない。それよりも一つ前。


「ははは、笑わせないでくれよジュナス・アルカディア。ボクはね、ボクをクラウンと呼んだ敵は、例外なくぶち殺すことにしてるんだよ」

「ルミッ!」

「……っ、分かってます!」

「ソウルチェンジ」


 決着は、一瞬だった。


 ルークがソウルチェンジを発動させて、コンマ以下の時間。

 投擲した槍がジュナスの胸に突き刺さり、肉薄されたルミの首が刎ねられる。


 その結果を以てしても不満げに、ルークは言い放った。


「なんのつもりかな、二人とも」


 確実に絶命したはずの怪盗二人は、全身をびっしょりと汗で濡らしながら。敵であるはずの探偵たちに庇われていた。


 今、たしかに。ジュナスとルミは死んだはずだ。しかし事実として、二人は生きている。


「悪い、ルークさん。こいつらには、一つ借りがあるんだ」

「殺すにしても、それは私の手で殺すわ。獲物を取られるのは嫌いなの」

「ボクにあんな幻覚を見せてまで、その二人を庇うってわけ?」


 幻覚? あれが?

 とても信じられない。葵の目ですら誤魔化していたというのか?

 だが実際に二人が生きている以上、信じるしかないだろう。恐らく、幻想魔眼によるものだ。それなら葵でも見破れないことに納得がいく。


 そして果たして、ルークが出した結論は。


「ま、しょうがないか。ボクはこう見えて、仲間には甘いからね。今日は二人に免じて見逃してあげよう」


 まるで興味を失ったように、ルークはそれだけ言って姿を消した。

 途端、場に張り詰めていた緊張の糸が切れ、弛緩した空気が流れる。


「なにあれ……あの人あんなにヤバイ人だったんだ……」

「ルークさんのあれは、私も久し振りに見ましたが……慣れるものじゃありませんね……」


 さしもの朱音ですらこの始末。蓮とカゲロウもかなり疲弊しているし、申し訳ないが、ここは先に帰らせてもらった方がいいだろう。


「愛美さん、織さん、私たちは先に戻ってますね」

「あー、悪いな葵」

「ついでに、報告もお願いできるかしら」

「了解です」


 転移のための演算を開始しながら、葵は思う。

 あの人の本名は、絶対呼ばないようにしよう、と。



 ◆



「で、どういうつもりだ、探偵」

「言っただろ、お前らには借りがある。それを今返しただけだ」


 ルークも後輩たちも去った後。その場に残された四人は互いに向き合い、少しの対話を行なっていた。

 戦いの、殺し合いの時間は終わりだ。

 なら次は、同じテーブルについて話し合いを始めるべき。


「礼は言わないぞ」

「求めてねえから安心しろ」

「マスターはこんなですけど、私からはちゃんと言いますよ。ありがとうございました。命を救ってもらって」


 そっぽを向いたジュナスと、丁寧にお辞儀するルミ。まるで対照的な二人だが、これで丁度いいバランスなのだろう。

 織も、ルミ相手には比較的友好な態度で接することができる。


「俺らも、この前まではそっちの屋敷に世話になったからな。これで貸し借りなしだよ」

「ていうか、骨のあるやつが勝手に死なれると困るのよね。楽しみが減っちゃうし」


 ちゃっかりアイギスの盾を回収している愛美は、既にドレスを解いている。こんなこと言いつつ、愛美にも戦意は既にない。


「なあジュナス、ルミ。ひとつだけ、聞かせてくれ」


 決して呼ぶことのなかった名前を呼んだ。

 そのせいか、呼ばれた本人からは怪訝な目で見られる。

 しかし、こればかりは真剣に、誠意すら込めて尋ねなければならない。


「お前らの目指す理想郷ってのは、なんなんだ?」

「ルミが、誰にも傷つけられない世界だ」

「マスターが、誰にも傷つけられない世界です」


 即答があった。

 怪盗アルカディアの目的。理想郷へ辿り着くこと。


 なるほど、それはたしかに理想だ。

 あまりにも遠く、どこにも存在しないかもしれない世界だ。


 だって、人間である以上は。誰かを傷つけ、誰かに傷つけられて生きるしかない。

 なにをしても、なにもしなくても。


 叶うわけがない理想。

 それでも、二人は手を伸ばす。いつかそこへ辿り着くために。


「アイギスには、その可能性があると思ったんだけどな。愛美さんの異能が普通に通じるあたり、期待してたものとは違った」


 都市を守護する神。その持ち物である盾。

 たしかに、アテナ神の守る都市は、ほかの何人にも傷つけることが出来ないだろうが。


「僕からも一つ聞くよ、織。お前はこの世界をどうするつもりだ?」


 その質問は、キリの使命を、幻想魔眼の真価を、その全てを知っていなければ投げられないものだ。

 どこで知ったのかは、この際どうでもいい。

 あちらも織と同じく、決して呼ぶことのなかった名前を呼んできたのだ。

 そこに込められた誠意も感じ取った。

 なら、正直に答えるしかない。


「やるよ。やるしかないからな。ただ、まだ覚悟が決まらない……そうするしかないってのは分かってるのに、でも、俺にはその覚悟が、まだ足りてない」

「情けないな」

「全くその通りだよ」


 自分でも心底からそう思う。乾いた笑みすら漏れる始末。

 でも、本当に分からないのだ。それが正しいことだと、そうするしかないのだと理解していても。

 この世界を壊して新しい世界を作る。

 そんなことが、果たして自分に出来るのか。


「じゃあ、僕らは行く。次は白黒つけるからな。覚悟しておけよ、探偵」

「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ、怪盗」


 最後にルミがもう一度お辞儀をして、二人はどこかへと転移した。

 残されたのは、織と愛美の二人だけ。


「情けなくなんてないわよ」

「……そうかな」

「ええ、私が断言してあげる。あなたは弱いかもしれないけど、それでも前を向いてるじゃない。私がそう言っても、信じられない?」

「まさか。お前の言葉なら、他の何よりも信じられる」

「ならよかった」


 クスクスと、機嫌のよさそうな笑みが、織の耳に届く。

 ただそれだけで、愛美が隣にいるだけで。

 織はこれからも、前を向いて進めるだろう。

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