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疳の虫

作者: shichuan

 二時間ほどで戻るからと、妻が出かけて行った。

 家に、娘と二人。


 八ヶ月を過ぎた娘は、ベッドの上を縦横無尽に転がりまわる。

 乱雑に崩した掛け布団が山脈となり、下敷きの毛布は足を取られる砂浜となる。父は大仏のように鎮座し動かない。服の裾や膝に掴まり立ち上がり、片手を離してみて、バランスを崩しお尻から転げる。一瞬、天を仰いで呆然と固まるのだが、すぐさまひらりと寝返りをうち、また大仏に挑みかかる。孫悟空のような愛すべき愚直さがある。立ち上がって両手を離すことを目標としていることはわかるのだが、仰向けに倒れることは、娘にとっては失敗ではないかのようで、一連の動きをひたむきに繰り返す小さな身体のどこを見ても、「努力」とか「成長の過程」だとかと、身勝手な大人が好きこのんで見出したがる言葉の気配がない。娘にとって、これは遊びなのだろう。

 娘が生まれたばかりの頃、その存在は朧げだった。首がすわるまでは、その柔らかさが、水まんじゅうのようで、存在感は圧倒的であるのに、抱き上げ腕のなかの決まった形に収まらなければ、崩れてしまうような危うさがあった。左右の眼球の動きがずれていたり、指が曲がらず物をつかむことができなかったりする姿に「なんかロボットみたい」というと、妻に怒られた。脳と身体がうまく結びついてない。子どもの頃に観た、カクカクした動きのポンコツロボットのアニメの絵が浮かんだ。半年くらいして、娘は、瞳に意思を込めたり、耳元の輪郭にくっきりとした色がさしてきた。「人間みたいになってきた」というと、妻から、元から人間だと呆れられた。娘の中で、何かが静かにつながりはじめているようだった。人間が、便利さの代償として、社会的に画一的な、日々組み込まれた生活のプログラム処理に追われるロボットと化し、逆にAIが心を手に入れて人間に近づき、追い越すことを目標としている、そんな奇妙な時代に、ロボットから人間へ成長を遂げる娘。娘のロボット時代に、無意識の、本能的な動きこそが、人間の動物的本質なのか、と考えた。生まれた日に、はじめて乳をふくんで音を立てて吸う、その力強さに驚いた。「吸う」ことは生まれながらに、知っている。手足をバタバタさせる、意図が見えない仕草に、無意識の世界をみた。しかし、翻って考えると、人はどれだけ無意識の領域に頼って生きているかを知らされる。足を組む、まばたきする、髪をかきあげる、呼吸する。すべての仕草や動作を、はっきり意識することはない。気が付くこともなく、いつの間にかしている。頻度が増えれば、癖となる。人間は、実は生まれながらにしてロボット的な組み込まれたプログラムを実行している生き物なのだ。人間らしさ、とはなんなのか?

 娘が小さなカゴに入った玩具で遊びはじめる。握って振り回し、口に含み、また振り回し、ぱっと手を離す。目をこする。玩具の入ったカゴ自体が玩具になる。妻がいつの間にか購入した、小さなマスカラや鈴付きのオモチャであったり、レゴの欠片であったり、中身が残っているガムのボトルだったり。大人の意図には頓着せず、お気に入りを決める。ブラックサンダーの切り口のトゲトゲを興味深げに指先で触り、服や布団についたタグに執着する。娘が何を気に入り、何を面白いと思って笑うのか、そういうことがよく分からない。娘があくびをする。ぐずり始める。

 娘を抱き上げた。比べる術もないのだが、知人から育児の話を聞く限り、我が娘は手のかからない子どもらしい。近所の人に抱かれてもほとんど泣くことはない。ありがたいことに、病気らしい病気もしていない。それが、七ヶ月を過ぎた頃から、夜泣きするようになった。眠くなると泣き、夜中に、目が覚めると泣く。普段、機嫌が悪くても、抱き上げて背中をトントンとあやしてやれば、愛くるしい顔に戻るのだが、眠くて泣く娘は、釣り上げられた魚のように暴れる。柔らかい身体をこわばらせる。万が一、父の腕から滑り落ちたら、痛いのは自分であるのに、構わず身体を反らす。大人しい普段とのギャップに戸惑う。オムツを替えろ、お腹がすいた、調子が悪い、ならまだ分かる。眠いなら、そのまま寝ればいいのに、とも思うが、それは違うらしい。眼を線にして、泣き声を上げる。一文字の真ん中から涙の粒が湧いてきて、重力に従ってこぼれ落ちる。小さな腹の底から、息の続く限り叫ぶ。声ならぬ声が、耳に響き、木霊し、次第にお坊さんの誦経を聞いているような心地よさすら感じる。念仏。


 芥川龍之介に、「酒虫」という短編小説がある。

 舞台は中国、長山というところ。この小説は、蒲松齢『聊斎志異』の同名の編を翻案したものだ。あらすじは同じ。資産家の劉大成という男が、たいそうな酒好きで、大酒飲みなのだが、しかし酔ったことがない。ある日、劉のもとに坊さんが訪ねてきて、お前は病だと言う。腹の中に酒虫がいる、と。坊さんはその病を治してやろうと、炎天下、劉を裸にして縛らせ、そばに酒瓶を置く。この珍妙な場面の描写は、芥川の筆がのびのびと冴えている。そうこうするうちに、虫が口からぽんと飛びだし、酒を入れた瓶に入る。酒虫の治療は成功したが、ところが、これ以降、劉は酒が全く飲めなくなるだけでなく、病気がちになり、家産も傾いてしまう。という話。


 娘の身体の中にも虫がいる。「疳の虫」が娘を泣かせている。夜泣き、癇癪は、身体のなかに住まう虫が引き起こしている病気らしい。身体に異常はないのに、大泣きするのだ。中国人の妻に話を聞いても、夜泣きは虫が引き起こすなんて聞いたことないという。どうやら、疳の虫は日本の虫のようだ。この疳の虫を抑えるための、虫封じの薬や、霊験あらたかなお寺もあるという。この虫はいつの間に、娘に入り込んだのだろうか。こんなにも小さく、絹のように清らかな肌を持つ娘に、虫というのは、似合わないと思う。きちんと調べることもできないので、これは憶測なのだが、この虫は、ある意味では日本の文化が生んだ緩衝材ではないだろうか。夜な夜な泣き、癇癪を起こす、理不尽な存在に、育てる親は疲弊する。鈍い父は、自分が寝てしまえば、娘の泣き声が遠くに聞こえるだけなので、なんということもないが、常に寄り添う妻は、時々疲れた顔を見せる。父は娘よりも妻に気を遣うことが多い。妻の疲れた顔をみると、ノイローゼになったり虐待をする親がこの世に存在することに、残念ながら、説得力を感じる。それでも、この癇癪であったり、夜泣きの原因が、子ども自身にあるのではなく、虫にあるのだとしたら、子どもには非がない。疲弊して湧き上がる悪意を、虫に向ければいい。もちろん、バレンタインのチョコレートや実効性の薄い印鑑文化など、奇妙な日本の商魂文化の一部で、お寺や薬屋の利権という可能性もあるのだろうけど、なんとなく、これは日本文化の智慧としておきたい。

 先に紹介した、酒虫の話の終わりに、芥川は劉が酒虫を吐いたあと、なぜ健康でなくなり資産をなくしたのか、その理由を三つ説として上げている(聊斎にも作者の感想があり、少し重なっている)。1つ、虫は劉の福であって、その福を失ったため。2つ、酒虫は病であって福ではなく、もし虫を吐いていなければ死んでしまっていた。3つ、虫は病でも福でもなく、劉そのもので、酒虫が身体からいなくなったことで、自分を失ってしまったため。娘に住まう疳の虫を追い出す術も知らないが、芥川の示唆する説を娘の虫に当てはめるて考えると面白い。


 泣き疲れたのか、娘の力が抜けた。ここでベッドに戻すとまた起きてしまうかもしれないので、しばらく、ゆらゆらと静かに揺らす。娘の寝息が静寂のなかに立ち上る。そっとベッドに下ろす。への字で半開きの小さな口が、なんとも無邪気だ。娘はロボットでも人間でも虫でもなく、ただの可愛い娘だ。

 ほどなくして、妻が戻ってきた。音を立てないよう忍び足で娘の顔を覗き込み、こちらの苦労もしらないで、「なんだ、眠っちゃったか」、と言った。

娘の今を自分なりに素描し、感じたことを記録した文なのだけど、

日に日に大きくなるから、どの時間を切り取るかで、

いろいろ違ってくると、最近わかった。


※途中で入れた、芥川は青空文庫、聊斎はネットにある簡体字版で読んだ。


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