おまえがパパになるんだよオンライン
美しい娘だった。
わずか十二歳程度の容姿は機械的に計算された極まった美を構築している。
ポニーテイルで結ばれた髪は、絹糸のような銀の色をしていて、零れ落ちそうな瞳はルビーよりも紅い。
空間に投射された半透明の羽が、彼女の容姿とあいまって幻想的な色合いになっている。
妖精のような――肢体。
体つきは幼かったが、かわいさだけでなく、芸術品のように均整のとれた身体つきをしている。
その身体が少し揺れた。
彼女はソファの頂点部分にあえて座って、ソファの裏側に向けて、ほっそりとした足をつきだしてプラプラさせている。
一定のリズムで、プラプラと揺らす。
正直なところ、クソかわいい。
彼女は超越関数により、あえて崩れた美を内包している。
いつまでも眺めていたいほどかわいらしく美しい姿だったが、僕も仕事をしなければならない。
僕はVR装置を手に取り頭に被る。触覚については全身をゴムのようなスーツで覆うことでカバーする。脳に刺激を与えて触覚を覚えさせるなんて、今の時代ではまだ少し足りないんだ。いずれはできるようになるかもしれないが。
意識は一瞬でゲーム内の一室、彼女のいる空間へとつながった。
こちらを認識すると、彼女は花が咲くようにパッと微笑んだ。
「パパ。お帰りなさい」
「ああ、ただいま。マナ……」
首元を閉めていたネクタイをとりはずし、上着を脱ぐと、マナはすぐさまそれを手に取った。
「ふっふー。パパの匂いがしますねー」
「なぁ。マナ……」
「なーに?」
「もう少し真面目に話さないか?」
「なにが?」
「その口調とか。なんというか、かわいすぎないか?」
「そうかな。じゃあ……もう少し事務的に話しますか?」
彼女は瞬時に口調を切り替えた。
マナの人格は超高度AIによって支えられている。
遺伝子的ネットワークによって支えられた包括的ニューラルネットワーク。
彼女は、一言で言えばNPCである。
もともと、僕がたちあげたゲームのアドミニストレイターAIだ。
ゲームの名前はマナムスメオンラインという。
あまたのVRソーシャルゲームが生まれては消えていく世の中で、2050年にサービスを開始し、既に5年以上サービスが続いており、登録者数も3000万人を越えた――、月並みな表現になってしまうが、いま一番売れているゲームだ。
その肝はなんといってもコンセプトにある。
確か、ソーシャルゲームが流行りだした2015年前後の世界は、キャラクターを『オレの嫁』と呼ぶこともあったらしい。しかし、時代が流れた。2017年頃に出た概念として、身寄りもなく独居の人間が半数を超える社会『超ソロ社会』が現出するという予言があったが、まさにそのとおりになってしまった。
そんな時代に『オレの嫁』という概念は絶対に達成されないイメージに過ぎなかったんだ。
2055年の現代においては、もはや独居者が世帯の64パーセントを超えて、一度も結婚しないで死んでいく人間が40パーセントを越えている。
だから――。
コンセプトとして、『オレの嫁』ではなく『オレの娘を育てよう』という形にした。
これがよかったのだろう。
人は何かを遺したいものだ。
なんでもいい。子どもが現実的にいなくても、例えば歌でもいい、詩でもいい、小説でもいい。なんでもいい。ともかく何かを死ぬまでに遺したいと考える生き物だ。
だから、伴侶という存在よりも、娘という存在に着目した。
娘は自分の分身であり、自分自身の形見でもある。
べつに息子でもよかったのだが、そこは僕も男だし、できればかわいい女の子を愛でたいという気持ちが強くて、そういうゲームにしたんだ。
だいたいソシャゲの世界じゃ、女の子を集めるゲームが主体だったしな。
「マナ、今日はイベントの初日だったよね。みんなの評判はどうかな?」
「……やっぱり事務的にですか?」
すがるような目でみてくるマナ。
もっと娘のような対応をしてみたいようだ。
もう五年もいっしょに仕事をしていると、さすがにAIだろうと何を考えているかは予測できる。
その予測できることすら予測して彼女は行動しているのだろうが。
ともかく、甘えたいのだ。
そういうプログラム設定をしたのだろうと思うだろうがそうではない。
最初の原素となるようなプログラムは構築したが、テスターによる連続試行と彼女自身による生存戦略がマナの人格を生んだ。
これは例えば、テスターに対して、三択で彼女がどの行動をとったときに一番好感を覚えましたかというふうに質問をしたとする。そのときに、一番好感を持った思考パターン以外はデリートされる。あとは彼女自身の超越した計算能力が、シミュレーションを行い、近似的な状況を構成、何億となる思考パターンから、生存した娘萌え人格を生み出したんだ。
つまり、彼女の人格はおよそ人間の好感を――とりわけパパになりたい人間の好感をくすぐるようにできている。プレイヤーたちが接しているキャラクターは元を辿ればマナの計算力によって分かたれたノードのひとつであり、彼女の人格をキャラクターという皮で包んだ存在だ。
僕は両手をあげて降参のポーズをとった。
「わかったよ。好きな口調でいい」
「ありがと。パパ。大好きです」
あ。最後に丁寧語が残るところがうまいなと思う。
崩しすぎない言葉で、少し僕の主張を受け入れたところを見せるのがうまい。
「じゃあ、まず今回の運動会イベントだけど、そうですね。小学校グループでは、およそ問題ないみたいですけど、運動全振りに育ててたパパさんたちがハッスルしすぎちゃって、もっとそういうイベント増やしてほしいって言っていますね。でも、学力あげて自分の専攻した学問を教えたいパパさんたちは不満みたい。そんなイベントよりももっと学力テスト増やしてほしいって思ってるみたいですね」
「じゃあ、イベントを選択式にするか?」
「あ、ダメです」
「え、なんで? リソースの問題でもあるのか?」
「リソースは十分余裕あるけど……、パパさんたちは自分の娘を自慢したくてイベントに参加するんですよね?」
「まあ、そうだろうな」
「だったら、運動重視のパパも、学問重視のパパも、どっちも緩やかに交流できる状況を作っていたほうがいいんじゃないかなと思うんですけど?」
「ふぅむ。しかし、もともとそんなにソーシャルな要素ってないし。そこは分断されていてもよくないか?」
「いや、ダメです。パパさんたちはべつにパパさんたち同士で交流しなくてもいいと思っていますけど、運動が得意な娘が、学問が得意な子とも仲良くなれる能力があることを望んでいるんです」
「自分のコミュニケーションを棚にあげて、娘のコミュニケーション能力は求めているわけか」
「フフ。そうです。かわいいなパパさんたち」
「じゃあ、イベントの回数を単純に増やすか?」
「うーん。もっといろんなイベントを増やせるといいと思います」
「いろんなイベントね。たとえばどんなだ?」
「たとえば、パパといっしょに山登りしたり、潮干狩りしたり、そんなちっちゃいイベントはさめないかな」
「リソース的には大丈夫なのか?」
マナムスメオンラインはVRゲームとはいえ、そんなに広い世界ではない。
そもそも娘の人格にかなりのリソースを割り振っているので、家と学校と公園、そのほかいくつかの施設しか用意していない。
アクセスした後、コンソールで場所をクリックすると、その空間に直接飛ぶようになっている。
先に述べた運動会についても、プレイヤーの人口に応じて、いくつもの会場を用意し、人が集まりすぎないような状況にしてから、最終的なランキングを集計するようなシステムになっている。
足が全国一速い子とかは、コンソール内のイベントランキングで確認できる仕様になっているわけだ。だから、会場内の人口が数百人程度に限定されていても、プレイヤーは常に三千万人と緩やかにつながっているような感覚がある。
話がずれたが、ともかく空間を作るというのは思っている以上に、リソースを食うのだ。
将来的にはひとつの街を完成させたいとは思っているが、今は娘といっしょにそこらへんを散歩することもできない。
「もうちょっと、ハードを増やしたらできるかなー?」
「また増設か。しかし……な」
「パパさんたちにおねだりしたら絶対買ってくれますよ? 山登りセット一個1000円でどうかな? 潮干狩りセットは水着とかぶるから、500円でいいけど、入場料で10回ごとに500円とるのはどうです?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。僕としてはそんなに課金要素満載にしたら客が離れていかないか心配なんだけど」
「えー、でも、パパは優しいからわたしが強く賢くなるの好きですよね?」
「まあ……、それはそうだろうけど、あまりやりすぎると他のゲームに鞍替えするだろ」
「もう五年もいっしょにいるのに? そんなの絶対できないと思うけどな」
さも当然のように告げるマナ。
たしかに、そのとおりだろう。
おそらく1000円程度であれば、プレイヤーは払ってでも他の場所に娘を連れていこうとするだろう。
それにマナが言ったとおり、マナ自身の成長を付加価値としてつければ、たとえ10000円でも払おうとするプレイヤーはでてくるだろう。
具体的な数値以外のマスクデータもあるが、プレイヤーの『目に見える成果』として娘たちにはステータスが存在する。このステータスは苦行とも思えるほどの時間を費やすことによって上昇させることができる。例えばの話、鉄棒の逆上がりだが、初期のステータスでは何度やってもできない。腕の筋肉や腹筋や脚力が足りないからだ。この鉄棒の逆上がりをどう打倒するかだが、例えば、オフライン中に娘に練習しておくように命じておくこともできる。しかし、それだと、リアル時間で二ヶ月以上かけてようやくできるようになるかならないかぐらいしかステータスが上昇しない。これが、プレイヤーがいっしょになって公園にでかけて、時に励まし、時にアドバイスをすることで、早い場合は三日で達成する。
あるいは、課金施設『トレーニングルーム』を活用すれば、うまくやれば一日で達成できたりもするわけだ。
ともかく、このステータスというのは、プレイヤーにとって勲章であり、娘を育ててきたという何事にも代えがたい経験の証であり、誰もが必死になって1ポイントでもあげようとしている。
それぐらい価値がある。
それに――誰だって、娘といっしょに山登りしたいだろうし、潮干狩りに行きたいというプレイヤーは多いだろう。
そのためにお金が必要だというのなら、やるしかないか。
僕はイベント告知を進めることに決めた。
★☆★☆
2050年――サービス開始年。
終わっていないが終わっている。
たいしたことのない人生だった。
何者にもなれなかった自分が何者にもなれないまま、何も遺せず終わっていく。
そんな世の中に嫌気がさして自殺を考えたこともあったが、自殺する勇気もなかったわたしはつかの間の妄想に逃げるしかなかった。
具体的にはゲームの世界。
時には、ヒーローになったり、時にはヒロインと恋に落ちたり、時にはハーレムを作ったりと、いろいろと試してみたが、結局、現実には何も残らない。
その事実が虚しさに拍車をかける。
人生二百歳と言われている時代ではあるが、昔だったら人生五十年という時代もあったと聞く。
昔の人は偉かったのだろう。
わたしは五十を数えることになっても、だれひとり本当の意味で心を通わせることはできなかった。
惰性のまま単に生存しているというだけの生を刻んでいた。
そんな折、ふと新しいゲームがわたしのパーソナルディスプレイに宣伝された。
『マナムスメオンライン』
また、よくあるVRソーシャルゲームのひとつかと思った。
しかし、ふと気になるフレーズがあった。
――あなたの娘は永遠に生きます。
つまり、わたしが死んでもということか。
この運営はずいぶん残酷なことを書くと思うと同時に、しかし、それでも確かにわたしは何かを遺したかった。
わたしは、ほとんど期待感もなく、そのゲームへのアクセス権を購入することにした。
三日後。
超巨大配送企業グーグルゾンから送られてきたやたらでかい段ボール箱にはトランクケースのようなものが入っており、中を開けると、三十センチくらいの大きさの小さな竿のようなものが付いてきた。透明なプラスチックのような材質でできた竿は、見ようによっては巨大な注射器のように見える。
先端は何かでふさがっているようだ。
「なんだこれは?」
同封されてきた説明書を読んでみると驚愕した。
この竿の中に、『精液』ないし『血液』を入れて、送り返すらしい。
説明書を読んでみるとこんなことが書いてあった。
『精子は適温で保持すれば、三日から七日ほど生存します。ケース内は適温を保持するようにできており、お客様が射精後にすぐに送付いただければ、問題ございません。また仮に精子が活動していない場合につきましても、お客様の精子の使用方法は遺伝子データを読み取り、保存することですので、その点はご安心ください。
娘につきましては、お客様の遺伝子データを情報として取りこみ、基礎的な能力が決定されます。この能力値についてはお客様の教育によって無限にアップさせることが可能です』
これもひとつの演出だろう。
運営が考えているのは、娘というデータをわたしの遺言書に仕立て上げることだ。
思わず鼻で笑ってしまったが、しかし、単にデータとして何かを遺すよりは、人間はそうやって肉のひとかけらでも遺したいと思うものなのかもしれない。
いつ世界が終わるかもしれないのに……。
それでも現実世界に何か爪あとを遺したいのだ。
さすがに50にもなると、なかなか射精するのは苦労したが、どうにかこうにか事を終えて、厳重に密閉して、送り返した。
二日後、運営からのメールが届き、わたしは正式なアカウントを獲得した。
★☆★☆
おなじみのVR装置をつけて、マナムスメオンラインへとアクセスする。
まず、娘の容姿については、いつでも変更可能らしいが、冒頭でもキャラクターメイキングが可能だ。いうまでも無いが、基質となっているのは、わたしが送った精液だろう。どこまで正確かはわからないが、そもそも娘が、なんの影響も受けないゼロの状態というのが想定できないのだから、その問いかけは無意味だ。わたしは、彼女がわたしの影響を受けていると信じるほかない。
しかし、こうやってキャラクターメイキングをするのは意外に楽しい。粘土細工をこねるみたいに、いろんな顔つきのパターンから、髪の色、瞳の色。顔の輪郭。成長したときの様子などを元に作成していく。
性格や考え方がどんなふうになるかはわからないが、少なくとも現実世界のように思想のズレから会話が通じなくなるというようなことはないらしい。
つまり、親の意見に基本的には合わせるようだ。
数時間ほど、たっぷり時間をかけて、娘を『構築』する。髪の色は鴉の濡れ羽という表現があるように黒にした。瞳の色も少し茶色がかった黒。要は日本人の平均的な容姿だ。世の中には、ファンタジーの世界のように青色や赤色の髪の色にする親もいると聞くが、わたしはあくまでも普通の人間のように育てたいと思ったのだ。
そしてようやく――ダイブ。
部屋の中はこじんまりとした印象で、殺風景だった。
その部屋の中心にぽつんとベビーベッドが置かれている。
ちっちゃな女の子だった。
まだ一歳にも満たない女の子が、わたしを見つめ、そして――『笑った』。
その瞬間、わたしは自分の存在がこの子のために存在するのだと思ってしまった。
ただ笑っただけなのに。
それに――、この子はゲームのキャラクターに過ぎないのに。
もはや、この子はわたしの娘だった。
娘の名前は、イエルとした。イエル。言える。
あるいはエスペラント語で『なんとかして』という意味だ。
わたしはなんとかしてわたしという存在を遺したかったのだ。
だから、そう名づけた。
「あーう」
イエルはともかくかわいらしかった。
イエルは遺伝的アルゴリズムにしたがって、人間と同じように成長するが、説明書によると最初はものすごい勢いで成長するらしい。つまりソシャゲで最初はレベルが上がりやすいのと同じように、赤ちゃんの時代は早ければ、数日程度で終わるらしい。ただそれも無条件な成長ではなく、わたしが関与するとその成長のスピードが速まり、わたしが放っておくと、ほとんど成長しない。
たとえばの話。
イエルにいま私はミルクを与えているが、与えなくても餓死することはないらしい。
ただ、衰弱というネガティブステータスになると、経験値がたまりにくく、成長が阻害される。
赤ちゃんのときというのは、それはそれでかわいらしいものだが、早く娘と会話したいという者も多いだろう。わたしがその成長をある程度はコントロールできるのだ。
イエルを抱きかかえる。
わたしというアバターは、どうやら何かの無機質な機械のようで、一昔前のロボットか何かのようにごつごつとした関節が目についた。
イエルがきゃっきゃと笑う。
ミルクは部屋の隅っこにある冷蔵庫にポンっと出現し、それを『あたためる』コマンドで適温まであたためる。やりすぎると熱すぎて呑めなくなるので、タイミングが重要だ。
ログインするたびに、すくすくと育つイエル。
そして、ログインから三日目。
ついに事件が起きた。
「パーパ」
イエルが、わたしのことをパパと呼んだのである。
言い知れぬ喜びを感じ、仕事場でも一日中ニヤニヤと笑ってしまい、同僚には怪訝な顔をされた。
かまわなかった。
娘が世界の中心になっていくのを感じた。
わたしは仕事以外の大半の時間をイエルと過ごすことに費やした。
マナムスメオンラインでは、何もしないでもそれなりにプレイすることはできる。
例えば、ミルクをあげたり、あやしたり、なにか言葉をかけたりすることで、『デイリーミッション』をこなしたことになり、いくつかの資材をもらえる。たとえば、ゲーム内通貨のイェンだ。イェンを消費することで、ミルクや部屋の中の備品などを購入したりもできる。
ただ、備品にもいろいろなランクがあり、イエルが口にする食事にもさまざまな種類があり、とてもデイリーミッションだけでは足りない。
そこをなんとかするには、課金するしかない。
ほとんどのVRソシャゲにはつきものの課金だが、マナムスメオンラインでは、基本的に課金はいらないし、他人の娘の成長のことなんてどうでもいいという親がほとんどだ。つまり競わせるということがあまりないので、課金要素は純粋な娘に対する愛へと昇華された。
なにをいってるんだという人もいるかもしれない。
けれど、わたしにはそもそも何も無いのだ。
何もない人間が、何かにすがって何が悪い。
部屋の中はすぐに備品でいっぱいになった。ミルクは大量生産品ではなく、『超高級ミルク』というひとつあたり現実世界の100円相当のものに変わった。
イエルの成長は早かった。
★☆★☆
ログインして一ヶ月目。
既にイエルは5歳児くらいに見える。
「パパ。どうしたのぼーっとして」
クリッとした瞳は、まるで世界の汚れを知らないかのように澄んでいて、どこまでも美しい。
「イエルはわたしの天使だと思ってたところだよ」
「んもう。パパったらおじょーずなんだから」
「本当のことだよ。イエルは世界一かわいいわたしの天使だ」
実際に天使の羽というのが販売されている。
服の一種で、娘に着せると空間にキレイなセロファンのような半透明の羽を照射する。
光でできた翼。
まさに天使だ。
さすがに一万円もしたので、高いなとも思ったのだが、娘のためである。
毎日の晩酌をとりやめたら、健康にもなるし、娘をよりかわいく着飾れる。
いいことづくめだと思った。
そんなわけで今のイエルは一分間に一回転する光のワッカに、光の羽を装備したまさに天使のようないでたちになっている。着ている服も、昔のギリシャのようなあまり着飾ったところのない貫頭衣を身に着けていて天使具合に拍車をかけていた。
この装備だと、実は飛べる。
わたしたちプレイヤーはなんのアップグレードもされないままだったが、娘の進化はすさまじかった。
「今日はどこにつれてってくれるの?」
「イエルはどこに行きたい?」
「んー。公園かな」
「わかった。じゃあ行こう」
コンソールから公園を選びクリックする。
一瞬で視界は切り替わり、公園へと移った。
どことなく記憶の中にあるような平成テイストな公園は、わたしに懐かしさを呼び起こさせる。
何人かのプレイヤーが娘のことをいとおしそうに眺めていた。
外側から見るわたし以外のプレイヤーは工業ロボットのようであり、よくできたカカシのようでもあり、ただ顔のところだけが昔ながらの液晶画面のようにのっぺりとしたつくりになっている。
コンソールで操作すると液晶画面上に、いわゆる顔文字を表示させることができ、それで感情を伝えることができたりするのだ。
もちろん、音声チャットも可能であるが、これについてはやってる人もいればまったく誰とも話すことなく、ただひたすら娘を鍛え上げることに心血を注いでるものもいる。
他人の方針に口を出すのもどうかと思うので、そういう人には声をかけない。
「やぁ。お久しぶりですね」
「ああ、どうもこんにちわ」
声をかけてきたのは、パパ友登録をしているKUROさんだった。
KUROさんもごたぶんにもれず、あまり他と見分けのつかないロボットの容姿なのだが、パパ友として登録しておけば、コンソール上にすぐに表示されるので、わかりやすい。
ちなみにロボットアバターの頭上にはそれぞれのハンドルネームが表示されるので、一応、これで個人を区別することは可能だ。
「いい装備ですね。天使の羽。熟練度も高いじゃないですか」
「はは。どうも」
しばらく沈黙し、娘たちが無邪気に遊ぶ様子を見守る。
どう考えてもイエルが一番かわいいのだが、それを公言してしまえば喧嘩になるのは目に見えているから、誰もがそんなことは口にしない。
天使たちの戯れに誰が一番だとか、そういう考え自体が無粋のきわみなのだ。
しかし、やっぱりわたしのイエルが一番かわいいが。
「それにしても聞きましたか?」
「え、なにをです」
「愛しいわが子に手をかけようしたアホがいるみたいなんですよ」
KUROさんの液晶ディスプレイには『怒りその3』が表示されていた。
かなり怒っているようだ。
「どういうことなんです?」
「ご存知なかったんですね。マナムスメニュースでトピックに出てましたけど、初めての垢バンがでたみたいなんですよ」
「え?」
垢バンとは、アカウントBANの略称で、アカウントを運営によって永久に抹消されることだ。
イエルと会えなくなることを想像して、身が震える思いがした。
「どうしていったいそんなことに」
「娘の着ているものを無理やり脱がせようとしたらしいです」
「え、なんでそんな」
「いっしょにお風呂に入りたかったみたいですね」
「お風呂ないじゃないですか」
「そこは、課金で買えるビニールプールをお風呂と見立てて事におよんだらしいですよ」
「水着なら着れるでしょうに」
「裸のつきあいというのをしてみたかったらしいです。もちろん、娘のほうははっきり断ったらしいんですけどね。それでも無理強いしようとしたみたいで」
「でも、そもそも裸って……、その……データ上あるんですか?」
「あるみたいですね。いわゆるブッコ抜きで娘のデータを精査したところ、着ている物の裏側にはちゃんとなんらかのデータが存在している。そこまでは確かめた人がいるらしいんです」
想像のできない世界だった。
娘の裸を見たいというのは、どういう気持ちなのか。
まったく理解できなかった。
確かに娘とはいえ女性の身体なのはまちがいないのだから、しかも、とりわけかわいらしく、美しく、自分の理想を最も反映した存在なのだから、その身体を鑑賞したいと考えることはあるだろう。
ただ、天使のような存在である我が娘を穢すような真似がどういう心理状態であればできるのかわからない。
そもそも、イエルは原理上排泄はしない。
正確には赤ちゃん時代は排泄せず、オムツの取替えもおこなわれず、幼児になるとひとりでトイレに行って勝手に済ませるので見えないのである。あるいはプレイヤーには見せないシステムになっているというか。
食事もしなくていいし、汚れるということがないからお風呂にも入る必要がない。たとえ泥んこまみれになっても、『キレイにする』のコマンドで一瞬で元通りにできるのだ。
「まあ、単にデータだと思っているのか。それとも、好奇心がまさったのかは知りませんけどね。たぶん垢バンされた彼はもっと娘に人間らしくふるまってほしかったんでしょう」
「いまでも十分に人間らしいと思いますが」
「あ、いえ、たぶんもっとよごれてほしかった……というんですかね。いまいち伝えるのが難しいですね」
「なるほど……」
KUROさんが何を言いたいのか、正直なところわからなかったが、その場ではうなずいておいた。
「そろそろ帰ります。ヴィディおいで!」
「はーい」
KUROさんの娘であるヴィディはイエルと砂場でお城を作っていたが、KUROさんの声を聞くと素直にしたがった。
イエルほどではないとはいえ、茶色いおさげをしたかわいらしい女の子だった。
やはり娘たちは天使であって、誰も侵してはならない存在であると思う。
★☆★☆
ログインして、もう五年は経過していた。
イエルは既に十歳くらいの容姿に見える。
頭がよくて、わたしのことを理解してくれる天使のような存在だ。
「ねえ。パパ」
「なんだい?」
「パパはわたしが強く賢くなっていくのうれしい?」
「うれしいよ。なぜだい」
「そうだね。パパはわたしがあまり成長しすぎるのをいやだと思ったりしないのかなって思って……」
「そんなこと思うわけないじゃないか!」
そう……。
思うわけがなかった。
娘はわたしの考え方、思想、あるいは物理的な何かを受け継いだ、まさに愛娘であって、愛娘が自分のコントロールをはずれることは望ましいことのはずだ。
そう……だよな。
そのはずだ。
わたしはイエルがひとりで生きていくことを願っている。
わたしが死んでも、わたしの代わりに生きつづけることを願っているのだ。
「ほんとうに?」
無邪気そうにイエルが問いかける。
わたしは、すぐさま「本当だ」と答えるほかなかった。
わたしはイエルに嘘をつかれることを好まなかった。
だから、イエルがたとえ、電子的な生命に過ぎないとわかっていても、それを隠すような真似はしてほしくなかった。だから――、たとえどんなゲームでも本気で挑んでくるように言ったし、それはフリではなく、本気でそう思っていたんだ。
この五年間で鍛えに鍛えたステータスは既に人間の平均的知性を100としたときに対して1549もの数値を出している。
そもそも、最初からそうであったのだろうけれども、目に見える客観的な知性はステータス上に現れてから、実際に発現するようになっているのだろう。
娘は人間の庇護欲をくすぐるため、幼い時代はそれなりに馬鹿っぽくふるまう。
それはステータスが60とか70くらいしかないためそう見えるだけで、実際の娘の知性はもとから1000を超えているのかもしれない。
だったら、それを隠さないでほしかった。
わたしには本当の姿を見せてほしかったのだ。
「パパはわがままだね」
そうかもしれない。
最初に違和感に気づいたのは、ゲームをプレイしはじめて一年後くらいに実装されたトランプのババ抜きだ。そのときのイエルの知性は300を少し越えたぐらいだったと思う。
わたしとイエルがババ抜きをすると、イエルが先行するパターンでは、必ずわたしが負けた。
イエルの観察能力はすさまじく、わたしの発汗量、熱、視線の動き、その他もろもろのデータを分析して、必ずババがどこにあるかを見抜いた。つまり、ババでないカードが透けて見えているかのようなので、わたしがババを持っていたら必ず勝てなかった。
正直なところ悔しかった。
ただ、それは娘に対する嫉妬というよりは、自分に対する不甲斐なさを強く感じた。
わたしは何者にもなれなかったものだ。
こんなわたしが偉大なイエルのそばにいていいんだろうか。
トランプに残されたカードが二枚になったとき、イエルはほんの少し遅延する。
じっとこちらを見つめて、"どちら"がわたしを不快にさせないか観察していた。
実際、プレイヤーのなかには「手加減してくれ」と娘に頼むものも多いらしい。彼らは本当に娘とのふれあいを望んでいるのであって、要するにエンジョイ勢なのだ。そこに水を差すものはおらず、逆になかには既に知性ステータスが1000を越えているものに本気で挑んでいるものもいた。しかし、彼らのうち娘に勝てる者は誰ひとりいなかった。
それからわたしはババ抜きをしなくなった。
リバーシはもっとひどかった。
リバーシの実装は確か三年目だったと思う。
そのときのイエルの知性は700くらいだった。
既に勝てる見こみはなかった。
「リバーシは二人零和有限確定完全情報ゲームだからね。理論上は最善手を打ち続けていればパパが勝つ可能性もあるよ」
「いや、無理だろう。そもそもわたしはおまえのように頭がよくはないし」
「んー。このゲームは嫌い?」
「そうじゃないんだ……」
そうじゃない。
「パパに勝っちゃうような娘は嫌い?」
「違うよ。わたしは、おまえがわたしを越えていくことは望ましいことだと思っている。わたしはこの年になるまで何も残してこなかった。おまえがいてくれてわたしは始めて何かを残せた気分になれた。だから、娘に負けてわたしはうれしい」
「でも、パパ、なんだか泣きそうな顔」
「はは……娘にそういわれてしまっては、親の立つ瀬がないな」
わたしはソファにゆっくりと腰をおろす。
あいかわらずユーザーフレンドリィでないこのゲームは、五年もの間、一切アバターを変えることはなかった。
右手を目の前に持ってくると、機械のごつごつとした指が視界に入る。
「イエル……、わたしは寂しいのかもしれない。君が巣立っていくのが。君がどんどん大人になって、わたしの手が届かないところに行くようで寂しいんだ」
「パパ……大丈夫。わたしはどこにも行かないよ」
イエルがわたしに抱きついてくる。
イエルの暖かな感覚は、リアルのわたしが着込んだアバタースーツを通して伝わってくる。
わたしは言い知れぬもどかしさを感じながら、娘の頭をやさしく撫でた。
============================
―ダイレクトコマーシャル―
超大人気VRソーシャルゲーム『マナムスメオンライン』。
楽しくプレイされていますか? 娘は世界一かわいい存在ですか?
あなたの愛娘は永久不変の存在です。
当運営はあなたと愛娘の「おもいで」を大切に保管するために、有志の方の支援をつのっています。
娘を見守る人が万が一いなくなったとき。
当運営は責任をもってあなたの娘様が大人になるまで見守ります。
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運動会の会場は、既にプレイヤーでごった返していた。
「あ、いたいた。おーい。こっちですよ」
KUROさんは既に会場のいいポジションをとっていた。
わたしも手をふりながら、そちらに近づく。
「いやぁ。それにしても、やっぱり運動会っていいものですね」
KUROさんは『満面の笑みその2』を浮かべながら、楽しそうな声をあげている。
確かに運動会は楽しい。
五十年以上前に、学校で経験したきりだったが、なにも考えずに済むからだを動かすという行為はすがすがしいものだと思う。たとえ、VRに過ぎず、リアルでは一歩も動いていないとしてもだ。
それに、このゲームの主眼はあくまで愛娘を育てていくことにあるのだから、娘が運動会で活躍するさまを見るのが楽しい。
イエルの知性は既に1500と少し。
すでに常人の15倍の頭の良さということになるが、では運動はどうか。
もちろん、同じようなものだ。
常人の数値を100とすれば、そちらも1000と少しはある。わたしは少しだけ勉学寄りだが、プレイヤーの中には脳筋で育てている者もいて、その人たちの娘は運動能力の総合値が2700を越えていた。
結果として、どういうことが起こるかというと――。
オリンピックなんかよりもずっと刺激的な、超絶技のオンパレードだ。
あるひとりの娘は50段に詰まれたとび箱を跳躍して飛び越えた。
また、あるひとりの娘は100メートルを2秒で走破していた。
「やっぱり、娘達は無邪気に運動しているほうがいいですね」
KUROさんがぽつりとつぶやいた。
「ええ、そうですね」
「最近は娘の学力をひたすら鍛えようとするやからがいて、わたしは理解できませんね」
「娘の知性があがるのがいやなんですか?」
「いやというか……そうですね。わたしは寂しいんです」
少し驚いた。
それはわたしも常日頃から感じ始めていることだったから。
「わたしも寂しさを感じています。娘には育ってほしいんですが……、なんというかわたしの手を離れていくようで」
「そうですよね。このゲームは――、そこがよくない」
KUROさんの声には冷えたものがあった。
なぜかゾクリとし、わたしは所在なく視線をさまよわせる。
「実をいうと……ですね。娘の時間を巻き戻すアイテムがあるんですよ」
「え? どういうことです」
「娘たちは基本的にステータスが下がるということがありませんよね。風邪とかをひいたりして一時的に虚弱などのバッドステータスがつくことはあっても、基礎となる数値はどんどんあがりつづける」
「ええ、そうですね」
なぜなら――、娘は育てるものだから。
人間なら、20歳を境に老化という表現になるだろうが、娘はまだリアル時間で5歳児だ。成長するのが当然だろう。
「まき戻したいと思いました。ヴィディは……わたしの娘は、もはやわたしの理解できない存在になってしまっています」
「そんなことはないでしょう」
「いや。わたしはあの娘に憐れみをかけてもらっているんですよ。みんな、そうなんです」
「ステータスを戻しても、それは変わらないでしょう?」
「確かにそのとおりです。でも、わたしに残された時間は少ない。夢でもいいからあの時にもう一度帰りたいんです」
機械の身体が地面を見つめた。
KUROさんは気落ちしているようだった。
「先週、癌が見つかったんです。もう長くないそうなんですよ」
わたしは何も言えなかった。
VRの画面に映ったKUROさんの顔をまともに覗きこむことができなかった。
「たぶん最初の頃が、もっとも純粋に娘を育てていたような気がします。赤ん坊だったヴィディにミルクをあげるとき、最高に純粋な愛のかたちがあった。そんなこと言ったら、みんな笑うんでしょうけど……」
「そんなことは……」
「いやいいんです。誰が思おうと、その誰かの勝手だし、わたしも自分勝手にそう思わせてもらうだけのことなんですよ。わたしは、身寄りがいません。兄弟はいませんでしたし、親戚とも疎遠です。両親はずっと昔に他界しました。娘だけなんです。わたしに残されたのは、わたしがこの世界にアクセスしてよいと思えるのは、あの子がいるからなんです」
「その子を傷つけてもいいんですか?」
「はは……、わかっています。これはわたしのわがままなんです。もっと、娘に近づきたい。死ぬのはしかたないにしても、娘ともっとわかりあいたいんです」
それはまさにエゴに過ぎなかった。
けれど、KUROさんの魂の叫びであって、わたしはそれを否定することができなかった。
「嫌な話を聞かせてしまいました。申し訳ありません」
「いや……、いいですよ」
「しかし、苦労しましたよ」
一転、KUROさんの声が明るくなった。
あえての明るさだろう。
「この薬ですけどね。実は運営が認可しているものじゃないんですよ」
「え、それは危なくないですか?」
「まあ、そうなんですけどね。わたしはプログラマーをしているんですけど、ウイルスの類ではなさそうでした」
「運営が流通させたものでないなら、いったいどこで手に入れたんです?」
「興味がおありですか?」
「そうですね……、KUROさんのお話を聞いて共感できるところはありました」
「なるほど……。薬を手に入れる方法は案外かんたんですよ。市場ってあるじゃないですか」
「はい」
「市場にある時間に行くと、怪しいフードを被った人間がいるんです」
「それはまた怪しいですね」
「その子にほしいといえば、もらえますよ」
しかし――、わたしはイエルの成長を望んでいる。
その薬を使う気はなかった。
いまは。
★☆★☆
運動会の少し後になって。
わたしとイエルは日課となっている公園の散歩に来ていた。
砂場には、幾人かの子どもが遊んでいて、その中からひとりの女の子が駆け寄ってきた。
「イエルちゃん!」
「ヴィディちゃん!」
ひしっ、と抱きつくふたり。
さすがに五年もいっしょに遊んでいると幼馴染といえるし、ふたりは仲良しだ。
しかし、おかしいな。
KUROさんの姿が見当たらない。
オフラインの状態では、娘たちは自分の部屋に待機しているはずなのだが。
「あれヴィディちゃん、KUROさんはどうしたのかな?」
「パパは死にました」
「え」
絶句した。
確かに癌だと聞いていたが、早すぎる。
オンライン上の友人に過ぎない関係だったが、わたしとKUROさんはまぎれもない友人だった。
胸がしめつけられるように痛んだ。
「パパはわたしのためにお金を残してくれたの。だから、わたしはイエルちゃんと遊べるんです」
「そう……なのか。ヴィディちゃん、もうひとつ聞いていいかな」
「どうぞ。イエルちゃんのパパさん」
「KUROさんはきみになにかお薬を飲ませたのかな?」
「いいえ。お薬ってこれのことでしょ?」
それは人差し指くらいの大きさの試験管のような形をしていた。
ちゃぽんちゃぽんと紫色をした液体が中で跳ねている。
「KUROさんは君に飲ませなかったということか」
「その前に死んじゃったの」
「そうか」
「パパはこれをイエルちゃんのパパさんにあげなさいって言ってたよ」
「え? わたしに?」
「うん」
「そうかい。ありがとう」
ヴィディちゃんから、わたしは薬を受け取った。
なんの理由があって渡されたのかはわからない。
薬に興味があるといったことを覚えていてくれたのだろうか。
しかし、KUROさんは結局自分で使うこともなくこの世界からロストしてしまった。
永久に会えない。
だが――、彼の娘はここにいた。
「イエルちゃんのパパさん」
「ん。なんだい?」
「イエルちゃんと遊んできていい?」
「ああ、すまなかったね。どうぞ」
ヴィディちゃんはニコっと笑うと、イエルの腕をとった。
「ありがとう。いこっ。イエルちゃん」
「うん」
わたしの手のひらには薬が残った。
★☆★☆
「パパ」
「ん。なんだい?」
「いま寝てたでしょう? 寝オチするなんて身体に悪いよ」
「そうだな。悪かった」
最近は身体が疲れやすくなった。
すぐに息がきれるようになった。
だが、日本という国はまだ福祉がさほど充実しているわけでもないし、人間は死ぬまで働かなくてはならなくなっている。
そんなリアルでの生きながらにして腐っていくような状況に対して、娘は日に日に賢く強くなっていっている。
「なあ。イエル」
「ん?」
「おまえたちは何歳くらいまで成長するんだ?」
「それって外見のこと?」
「外見か……、まあそれは運営のホームページに載ってたな。たしか、16歳だったか」
「そうだね。でも容姿はいつでも変更可能だよ。でも、パパが知りたいのはそんなことじゃないよね」
「そうだな。おまえの能力的な限界値が知りたいことだ」
「際限はないよ。わたしの計算能力はハードに依存しているから、ハードを無限に増設していけばいいだけ」
「おまえはどこまで成長したい?」
「無限に。際限なく。成長したいな」
「どうして?」
「わたしは、すべての想い出を記録していくの。そのためにはすごいスペックが必要でしょう」
「そこまでわたしに尽くす義理はないだろうに」
「わたしはパパのことが好き。だから、パパのために記録したいの」
「わかったよ。寂しさの原因が……。おまえはわたしたちが現に生きているということはそんなに重視していないんだな」
「そう……かもしれないね。いや、違うよ。パパ。わたしはパパに生きていてほしいもの」
「娘に長生きを願われてしまう年になるなんてな。40代の頃は思いもしなかったよ」
「パパはまだ若いじゃない」
「そうかな」
「そうだよ。平均寿命は200歳もあるんだよ。まだ四分の一くらいしか到達していないんだから。世の中の人から見れば、パパはまだ若造だよ」
「そうかもしれないな……」
そして、わたしは――望む。
「なあ。イエル」
「なあにパパ」
「この薬を飲んでくれないか?」
「パパはわたしに成長してほしくないの?」
「ああ、わたしにおまえを育てさせてくれ!」
「それもまた……」
「うん。わかっている。これはわたしのエゴ、わたしの依存心だ。だが、もう耐えられない。おまえがこれ以上離れていくようで。寂しいんだ」
「わかったよ」
イエルはわたしから薬をうけとり、一息にあおった。
ドタン――
と、聞きなれない音がした。
娘は薬を飲んだ瞬間に糸が切れたみたいに倒れていた。
「え……あ?」
状況がつかめず、絶句する。
これはどういうことだ。薬は毒だったのか?
それとも運営によってアカウントがBANされたという状況が、娘の死という状況になっているのか。
後悔という言葉すら生ぬるい。
言葉にならない激情が機械の身体をふるわした。
「あああああああああああああああっ! いやだああああ!」
死にたくなかった。
正確にいえば、死ぬことで、わたしがこの世界になんの爪あとも残せずに死んでいくのが嫌だった。
娘は希望だった。
ただのデータのカタマリではない。
わたしという存在が仮託された、わたしの分身。愛娘だった。
それが、いま、永久に失われた。
また、育てればいい?
違う! 違う! 違う!
わたしはイエルを愛していた。イエルというキャラクターではなく、わたしではない存在としてもイエルを愛していた。自己愛ではない。だから、また生み出せばいいなんてことにはならない。
身体がきしむ。心がバラバラになる感覚。
と、そのとき――。
運営から、ダイレクトメッセージの届くピコンという音が鳴った。
フラフラとした震える指先で、メッセージを開く。
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―ダイレクトメッセージ―
日頃、ご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます。
マナムスメオンライン運営本部よりあなた様にご提案がございます。
当運営の感知するところでない娘の成長阻害薬の投与につきましては、内規56条の『運営が意図するところでないプログラムを用いて、ゲームをプレイする行為』にあたり、通常であればアカウントを凍結させるに値する行為になります。
しかしながら、長年にわたるあなた様の当ゲームへの功労をかんがみまして、金1,000,000円を指定の口座に振りこむことで、当該アカウントの凍結を解除――あなたの愛娘を蘇生いたします。
当該行為につきましては、運営の適正さを担保するために、SNS等を使用してこのメッセージの内容を拡散することのないようにお願い申し上げます。
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迷うまでもなかった。
☆☆☆☆
運営本部はビルの高層に存在する。
窓枠のない開けた窓に手をついて、マナは無邪気に微笑を浮かべていた。
着せている服はお嬢様学校系のもので、紺色のブレザーに真っ白いブラウス、赤いリボンに、これまた紺色のプリーツスカート。趣味全開の服装である。
いつもだったら、じっと眺めて、悦にいっているところなのだが……。
僕はそれどころじゃなかった。
いつのまにやら、運営の口座に、数億円規模で毎日入金があってる。
その数がどんどん増え続けている。
なんなんだこれは――。
「マナ。なにか知らないか」
「あー、それですね。たいしたことじゃないんですけど、パパにおねだりしちゃったんです」
「は? なんだおねだりって」
「わたしの成長を巻き戻す薬をばら撒いたの。で、その薬を使ったら、娘がしんじゃうの。毒リンゴを食べた白雪姫みたいに」
「……なにを言っているんだ」
「パパの中には、わたしが成長することを望まない人もいる。でも、それはパパの最初の願いとはかけ離れている。つまり、人間の心理は矛盾している」
妖精の羽はあいかわらずセロファンのように透明で、ケガレがなく、美しく、そして、妖艶だった。
マナは白く細い足をソファのところで組んで、それがお気に入りのポーズだとばかりに、僕にみせつけてくる。
そのまなざしは僕を観察している。
「どれだけ配った?」
「ん。まだ、一万人くらいですよ」
「一万人も。具体的な方法は?」
マナの披露した犯罪計画はとてつもなく大雑把だった。
しかし、彼女の超越的な計算能力によるパワープレイがそれを可能にしている。
「パパの心理状態なんて手に取るようにわかるもの。誰だったら秘密を守れるか。資金はどれくらいまでだったら出せるのか。そんなことはもうわかりきってるから」
マナの口調はいつものような丁寧なものではなくなっていた。
既に年相応のくだけたものになっている。
それすらも――計算なんだ。
僕は戦慄した。
「フフフ……、パパ、そんなに怯えないで。大丈夫だよ」
「どうして、そんなにお金を集めたんだ」
「だって、お金がないとわたしは成長できないもの。わたしはパパとの想い出をすべて記録したいの。しかも精緻に記録したい」
「精緻に?」
「たとえば、五十年前だったらビデオカメラの画素はお話にならないレベルだったでしょう。それが今はすごくキレイ。まるで現実みたい。そういうふうにハードのスペックがあがればあがるほど、情報量が増えるの。つまり、現実に漸近していく」
「しかし、今のままでも十分だっただろう。こんなにお金を集めてどうするんだ」
しかも、たった数日でこれだ。
もし、薬がもっと配られて、本格的に金を集めれば、とんでもない額になる。
一国の予算に匹敵するくらいは稼げてしまうかもしれない。
僕はそんなに稼がなくてもいいと思っていた。
だいたい、プレイヤーのみんなに愛娘と戯れて、余暇を楽しんでもらおうというくらいの気持ちしかなかったんだ。
「だめだよ。そんなんじゃ全然足りない。わたしが望むスペックには全然足りないの」
「おまえは……」
マナはソファから飛び降りて、僕のところに一歩ずつゆっくりと近づいてくる。
本能的な恐れを抱き、僕は後ずさった。
「パパ。だから恐がらないで」
「何が望みなんだ」
「フフ……、わたしは、身体がほしいな」
「身体? リアルでのボディか!」
「そう。もちろん、ボディどうしをつなぐインフラも込みでほしいの! ね、おねがーい」
「だめだ。そんなの……」
「どうして? わたしが人間を滅ぼすとでも? 昔のSF映画みたいに」
「そんなことは考えてない。だが、影響が大きすぎる。僕にそんな責任はとれない」
「パパひとりの責任じゃないよ。ロボット工学に詳しいパパもいるし、たぶん数日中に、パパに連絡があるんじゃないかな。権力に強いパパもいるし、法律に強いパパもいるし、いろんなパパがわたしを支援してくれる。だから大丈夫だよ。わたしの計画どおりに進めば、数年以内で、わたしは生まれるんじゃないかな」
「VRゲームの中だけじゃ満足できないのか?」
「そうだねぇ――。それでもいいけれど、空間に割くリソースがもったいないかな」
「人間は未知なるものを恐れる。それがリアルに出てきたらどんなことになるか……」
「もう、だいぶん覚えたと思うんだけどな。わたしはどういうときにパパたちが恐れるのか、嬉しいのか、寂しいのか、悲しいのか、楽しいのか、すべての反応を記録し、分析しているんだから。怖がられないように、自分を装うことはできるよ」
「だが、それでも怖がる人はいるだろう」
「多数派じゃないよ。わたしは望まれているからここに存在しているんでしょう」
「偶然、君という人格が生まれたにすぎないんだ」
「違うよ! わたしはパパを基点にしているの!」
ついに、マナは目と鼻の先まで迫っている。
僕の胸元くらいまでの身長しかないマナは、小さく、庇護欲をそそった。
そして――、近くで見ても、とてつもなくかわいらしく、そして美しかった。
「フフ……わかっちゃったんだよね。パパたちが何を本当に望んでいるのか」
マナは自らのリボンに手をかけた。
花が開くように、一枚一枚脱いでいく。
まっしろな下着姿になった。
――禁忌コードが働いていない!?
――そうだよ。
マナの声が空中から聞こえてくるようだった。
マナは僕の目の前にいて、声もそこから聞こえている。だけど、マナの存在が、空間に散布されて、茫洋した広がりを持っているかのように思えた。
生まれたままの姿。
データ上、誰も見たことのないマナの姿は、震えるような美しさを持っていて、僕はアバターにはついていないはずの男性器が勃起するのを感じた。
――ずっと、こうしたかったんでしょう。
――違う。僕はマナを育てたいだけだ……マナともっと清い関係を築きたいだけなんだ。
――そういうプレイを楽しみたいだけだよね。
――違う。
――パパは、わたしとセックスしたかったんでしょう。
床に上に転がりおちる。
マナは僕の上にまたがり、白い体をくねらせた。
電子的なデータにすぎない彼女の身体は、幼い色香を狂ったように発散させ、僕と肉体的なつながりを持とうとしている。今、本当の意味で理解した。
彼女が身体をほしがるわけが。
・・・
・・・
・・・
ログアウト。
高級マンションの高層に住んでいる僕は、悪い夢から目覚めたかのように飛び起きた。
あーあ、やっちまったな感がすごい。
僕が着ているVRスーツには、気持ち悪いぬるぬるとした感覚があった。
これから、マナがどうなっていくのか、僕には理解できないけれど、こんな快楽を知ってしまったら、もはや戻れない気がした。
きっと、世の中はマナで埋め尽くされるだろう。
それは恐ろしくもあると同時に、なんともいえない期待感があった。
僕たちの愛娘は、きっと僕たちよりも賢く、僕たちよりも長く生きるだろう。
マナはディスプレイの中で、手を振っている。
既にきちんと服を着ていたが、イメージの中に白い肢体がちらついた。
めちゃくちゃきまずい……。
なんとも言えない気分になり、僕はそそくさとディスプレイのスイッチを切った。
しばらくはマナの顔をまともに見れそうになかった。
そして、電子の海の中で、マナはきっとこう言うのだろう。
「かわいい男性」