Ⅱ-1 夢か幻か
「ねぇ、一体、どういうことよ…?」
疲れたように、芽衣が呟いた。波遥家の悠理の部屋。あれから逃げるように山を降り、四人はここへと来ていた。夜刀はどこかに出かけているのか、姿がなかった。
「わかりませんわ…。ユーリも眠ったままですし」
心もとなげに床に座ったまま、鈴花が答えた。
「おーい、開けてくれ」
行儀悪く足で扉を開けると、紫苑がカップとお菓子をのせたお盆を持って現れた。
「紫苑、勝手にとっていいの?」
「あっ、お前は知らなかったな。俺、ここに半居候だから」
「なるほど、夫婦生活は本当だったわけね…」
げんなりと芽衣が呟き、カップに手を伸ばした。
しばらくの間、お茶をすする音だけが辺りを支配していたが、やがてそれに耐えかねたように芽衣が叫んだ。
「ああ、もう!説明してよ、誰か!」
「そういわれましても…」
「わっかんねぇんだよ」
言葉ほどには焦りを感じさせない口調で、紫苑が呟く。
「こいつとは長い付き合いだけど、こんな力があるなんて知らなかったし。第一、こいつもこんな力あるの知らなかったんじゃないか?」
「私もそう思いますわ」
「そりゃあ、あんた達はいいわよ!ユーリのことよく知ってるんだからっ。でもこんなことがあったら、一般人のあたしはどうすればいいわけよ!?」
噛み付くように言うと、芽衣は立ち上がった。
「おい、どうするんだ?」
「帰るのよ。もうあんな目に会いたくないもの!」
そういい捨てると、芽衣は勢いよく出ていった。
「…まあ、仕方がないか」
ひとごこちつくと、紫苑はそう切り出した。
「正直言って、俺も驚いている。付き合いの短いメイが、ああいうのも仕方がないのかもしれない。お前はどうなんだ、鈴花?」
探るような目つきで語る紫苑に、鈴花は口を開いた。
「確かに、あの力は人が持てるものではありませんわ。でも…私は、私を助けてくれたユーリを信じています」
きっぱりとした、断言。その端正な横顔には、揺るぎない親友への信頼と自信に溢れていた。
「それから、紫苑」
鋭い眼差しを紫苑に向けて、鈴花は続けた。
「二度と、私(わたくし)を試すような真似は許しません」
静かな怒りを真っ向から受け止めて、紫苑は両手を上げた。
「悪かった。もうしないさ」
「…問題なのはこれからですわ」
窓から外を見ながら、鈴花が言った。もう既に日は傾き、茜色の空を覗かせている。
「そうさなぁ。こんな話誰も信じちゃくれないし…」
スッ、と鈴花が立ち上がった。
「来たようですわね」
「お、おい!」
鈴花は振り返った。
「家にある古い文献を持ってくるように頼んでおきましたの」
「なるほどな」
瞬時に鈴花の思惑を汲み取って、それを受け取りに行くべく紫苑も立ち上がった。
「お嬢様。遅くなりました」
みごとな白髪の紳士が、深々とお辞儀をした。
「頼んでいたものは?」
「こちらでございます…」
数人の男が持つ膨大な書物を、恭しく指差す。
「そう、ありがとう。セバスチャン」
「もったいなきお言葉…」
また深々と執事がお辞儀をすると、
「それでは、失礼いたします」
と、後ろに控えた男たちが荷物を運び出した。
「相っ変わらず、お前の執事は凄い名前だな」
紫苑が鈴花に小さく耳打ちすると、聞こえるはずもないのにジロリと執事は睨んだ。
「それから、悠理様のご容態はいかがなものですか?これは、旦那様からのお見舞いでございます」
そう言って、セバスチャンは、高そうな果物の盛合わせの篭を紫苑に差し出した。
「そして、お嬢様。これがお着替えでございます」
「はぁ!?」
唐突な展開に、紫苑は間の抜けた声を出した。
「ユーリが心配ですもの。少しの間、こちらにお世話になりますわ」
荷物を受け取りながら、鈴花はニコニコと説明をした。
「ありがとう。後のことは大丈夫だから」
「かしこまりました」
と、執事はノブを回す手を休めた。
「小僧」
先ほどまでとは打って変わった声を出して、セバスチャンは紫苑を睨んだ。
「お嬢様に手を出したら、その首飛ぶと思えよ!」
「だ、だれが出すかっ」
「あらあら、それでは、ユーリ直伝の格闘技の冴えをお見せすることになりそうですわね」
コロコロ、と鈴を鳴らすように鈴花が笑った。
「…鈴花」
げっそりとした声で紫苑が呟くのと同時に、扉が閉められる。
「さて、紫苑。遊んでないで、調べますわよ」
鈴花の言うとおりリビングに移動した紫苑は、手近の文献を手にとると思い切り顔をしかめた。
「げぇ〜、古典ばっか!鈴花、任せたぞっ」
「紫苑、これは現代語ですわよ」
手渡された書物を嫌そうにめくった紫苑の手が止まる。
【季由山(きゆさん)…地元住民が忌み嫌う山。その一角には、決して植物が生えない場所がある。また、その昔季由山は “季由宇山(きゆうさん)”であったという説もある…】
ざっ、と目を通して、紫苑は口を開いた。
「鈴花。あの時、俺らがいた場所…草木が無くなかったか?」
「え、ええ。急に拓けたとは思いましたけど…」
「…何してんの?」
背後からの声に、二人は振り返った。
「ユーリ!」
まだ顔色が悪そうだったが、しっかりとした足取りで悠理は近づいてきた。
「…メイは?」
悠理の言葉に、二人はハッとした。口ごもる二人に、察しがついたのだろうか、悠理はそれ以上何も言わなかった。
気まずい沈黙に耐えかねて、紫苑がテレビのスイッチを入れた。早くも夕方の速報が流れる。つまらなそうに変えようとした紫苑の手が止まった。
『季由山に捜索に入った警察官30名が、行方不明になった模様です。警察当局によりますと、正午には全てを終えて帰るとの無線後、連絡を絶ったらしく、警察は行方を追っています。何か知っている方は、警察までご一報を』
三人は顔を見合わせた。
「正午、というと、私たちがあれに襲われた少し前ですわ」
「じゃ、まさか、警察も化け物に…!」
「電話しなきゃ!」
立ち上がり、電話をとった悠理の手を鈴花が押しとどめた。
「ダメですわ。こんなこといったって、信じてもらえませんわ。下手をしたら、疑われてしまいます!」
「その通りだぜ、ユーリ」
二人の言葉に、悠理は力なく座り込んだ。
『それから、発見された死体は、S県在住のカメラマン・北條 司さんと判明いたしました』
「北條 司…!?」
「どうしましたの、紫苑?」
先ほど読んでいた文献を紫苑は叩いた。
「これ、これ!季由山のことを書いてある本だけど、これの作者と同名だぜ!」
「見せてくださいっ」
ひったくるようにして鈴花が本を覗き込む。
「…ミイラとなって見つかった奴と」
「その山に魅せられた人とが同名…。これは、何かの符号といってもいいですわ!」
鈴花の叫びに、紫苑はうなずいた。
「何でもいい、この山の云われを調べるぞ!」
「…もういいよ、紫苑」
静かな声が、それを阻んだ。
「きっとあれは夢だったんだよ」
そうじゃないことが一番分かっているはずの悠理の言葉。
「きっと警察が何とかしてくれるって!さぁ、夕食の支度しなくっちゃ」
無理に元気に立ち上がると、悠理はキッチンの方へと歩いていった。
「ユー…」
声をかけようとして、鈴花は紫苑に止められた。無言で首を振る紫苑。
「確かに、俺たちがどうこうできる問題じゃない。第一、これ以上首を突っ込んだら、もっとユーリが傷つくかもしれない。ユーリが嫌がっているのに、無理強いはできんさ…」
「鈴花ー、何食べたい?今日はごちそうにするぞぉ!」
「そう、ですわね…」
明るく振舞う悠理の姿にかつてない葛藤を見出して、鈴花は黙した。
「ユーリ、手伝いますわ!」
「うまいの作れよー」
普段のように接してくれる二人に心から感謝しながら、悠理は一つの決意を固めていた…。