Ⅰ-5
「うー、きっついわねぇ、この山!」
額を流れる汗を拭きながら、最後尾で芽衣はぐちった。最初は率先して先頭を歩いていたのだが、裏山とはいえ山は山。すぐに疲れ果て、体力のない鈴花以上に疲れきってしまった。
「ねぇ、変だと思わない?」
「何がです、ユーリ?」
グルリとユーリは周囲を見回した。
「死体が発見されたのに、どうして誰もいないんだ?」
他の三人がハッとしたように、立ち止まった。木々がザワザワと揺れ、あれほど耳障りだった蝉の音が一瞬止んだ。
「そう、でしたわね」
思わず物見遊山気分でいた自身の迂闊さに、鈴花は爪を噛んだ。
「でも、もう帰ったのかもよ?」
こみ上げてくる不安を隠すように、芽衣が言った。だが、それを打ち崩したのは、冷静な紫苑の声だった。
「いや、人が入ったにしては、全然荒らされてない。いくらヘボ警察でも少しは調べるだろう」
「ねぇ、誰かこの山のこと知っている人いる?」
悠理の言葉に誰も反応しなかった。
「俺たちは夜刀さんにきつく言われてたしなぁ」
「私も父から。決して入るな、と」
「そーいえば、うちのかーちゃんも祟りがあるとか言ってたわ。もっとも、か弱いあたしはこんなところに入ろうとも思わなかったけど」
少し余裕を取り戻した芽衣が言った。
「祟りぃ?」
「初耳だな」
悠理と紫苑が顔を見合わせた。
「そうするとこの山は、霊山なのかしら?」
「霊山!?」
突拍子もない鈴花の台詞に、三人の声がはもった。
「昔何かを祀っていたとか、何かを封じたとか…その手の話って禁忌として地方には残っているものでしょう?」
「なるほど、伝承ってわけ。さっすが、鈴花!」
「ね、ね!徳川埋蔵金ってのはどう!?」
「お前はそれしかないんかっ!」
調子を取り戻してきた芽衣に、紫苑が突っ込む。
「いくらなんでも、あまりにも場所が違い…」
「シッ、静かに!人だ」
悠理の言葉に、四人は反射的に身を隠した。向こうの木々の間を、辺りを窺うようにして、人影が見える。
「警察、じゃなさそうですわね?」
「こそこそして、怪しさ爆発だわ」
「あっちのほうだな」
「行くよ、みんな!」
悠理の言葉を合図に、四人は人影を追い始めた。
「あいつ、早い…」
追跡を行いながら、悠理は呟いた。あまりの速さに芽衣と鈴花が音を上げ、紫苑を先行させていた。
「大丈夫、二人とも?」
「えぇ、何とか…」
「もう、ダメ。死ぬぅ〜。…ギャ!?」
ガサッ、と茂みがゆれ、髪の毛に葉っぱをつけた紫苑が現れた。
「脅かさないでよ、紫苑っ」
「わりぃ。見失った。でも、あっちに怪しげなものがある」
ごねる芽衣を無視して、紫苑は北を指した。
「でっかい洞窟だ。見てみれば分かると思う。こっちだ」
紫苑に案内されて、道なき道を一行は進んだ。進むに連れて、次第に木々が少なくなり、ふいに拓けた場所に出た。
「うっわあー!何によ、これ!?」
眼前に広がる洞窟に芽衣は叫んだ。大きな岩をくりぬいた洞窟はとてつもなく大きく、ひんやりとした冷気を漂わせている。
「これって、扉じゃありませんこと?」
洞窟の入り口を半分覆う石の壁を指差し、鈴花が行った。
「おい、入ってみようぜ!」
「ダメだ、紫苑!!」
突然、悠理が叫んだ。
「ダメなんだ。ここは。きちゃいけなかったんだ」
「ユーリ?」
まるで、とり憑かれたように言葉を繰り返す悠理に、紫苑は近づいた。
「紅葉が…」
ゆっくりと、悠理の身体が崩れ落ちる。辺り一面の新緑が一斉に真っ赤に染まり、ザワッ、と空を染めるように紅葉が舞った。
「一体何ですの!?」
「危ないっ、紫苑!」
反射的に紫苑が動く。頭の上を真っ黒く素早い生き物が通過する。
「キャー!!」
「鈴花!?」
足元を指差し、鈴花はガクガクと震えた。大地から土気色した干からびた手が何本も出ていた。
「逃げるんだ!」
とっさに悠理の身体を横抱きに抱えると、紫苑は走り出した。続く、芽衣と鈴花。
「キャー、一体、何なのよ!」
襲いくるすばしっこい生き物に翻弄されながら、芽衣は叫んだ。
「メイ、早く!」
制服のベストでそれを弾き飛ばしながら、鈴花が叫んだ。
「とにかく、山を降りるんだ!」
うおおぉぉぉお…!!
背後からの不気味な唸り声に紫苑が振り返ると、まるでホラー映画の一場面のように土気色した死体達が追っかけてくる。
「あっ!!」
芽衣が足を止めた。
「紫苑、前からも…!」
芽衣の指差す方からは、武者姿の骸骨が永の眠りを打ち破って蘇ってくる。カタカタ、と骨を鳴らして嬉しそうに笑う。
「どうしよう…!?囲まれたわ」
完全に涙声の芽衣。
「…鈴花、何か持ってるか?」
お互いに固まりながら、紫苑は鈴花に囁いた。
「残念ながら、簡易スタンガン以外にしか…」
何回か誘拐や生命の危機に瀕したお嬢様は答えた。
「それは、こいつらには効きそうにないな」
背中を流れる冷や汗を感じながら、紫苑は呟いた。
ギィギャギャギャ!!
まるで新鮮な肉にありつける喜びにか、亡者たちは声を上げた。
「お前ら、ユーリを抱いて、山を降りろ!俺が食い止める!!」
「ダメですわ、紫苑!」
「そーよ、そんなことしたら、ユーリに殺されるわっ」
そう芽衣が叫んだ時だった。
『…一つ 一期の夢の果て…』
「えっ!?」
背中からの声に、紫苑は振り向いた。
『二つ 文を交わしても…』
「ゆ、ユーリが!」
背中に背負われていた悠理の身体が、光を帯びる。淡く輝く真紅のヴェールを纏い、ユーリの体が紫苑から離れ宙に浮いた。
「あ、あたし、夢を見てるの…?」
「ユーリが宙を飛んでいますわ…」
「バカな…!」
『三つ 見つからぬかの人の』
驚愕に三人が見守る中、ゆっくりと悠理の瞳が開かれる。
真紅。
夢幻のきらめきを宿した、燃える意志を秘めた瞳。
『四つ 黄泉への道しるべ』
サラリ、と悠理の髪が解け、風もないのになびく。
『悪しき存在よ、立ち去れ──!』
その瞬間、壮絶な光が悠理の身体から発射される。眩い光は亡者に喰らいつき、そのまま光の彼方に消し去った──。