Ⅰ-4
ここは、どこ・・・?
蒼い黄昏の闇の中で、少女は独り立ち尽していた。
ヒューヒューと風が渦を巻いて通り過ぎる。
言い知れぬ恐怖を感じて、少女はぶるりと震え、ふと、自分の手の中にあるものに気づく。
何、これ・・・。
呟く少女の顔が、嫌悪感に激しく歪む。
両手が、汚らしいドロドロとした真っ黒な物質で汚れていた。
「何で、とれないんだ!?」
ゴシゴシと制服に擦りつけてとろうとしても、そのべっとりとした染みは全くとれない。それどころか、悠理の手のひらから溢れるように滲み出してきた。
それは、ニタリ、と笑った。
『ヤット、見ツケタゾ・・・!!』
耳障りの悪い、機械的な声に、本能的な恐怖を感じ、少女は逃げようとした。だが、とろそうな外見に似合わず、それは少女の腕をがっちりと握り締めた。
「放せっ!」
嫌悪感に、少女は腕を振り回した。まるでタールでもつけられたかのように、つかまれた手が嫌な感触に包まれている。
『フフフ・・・。マタ、ソウヤッテ、逃ゲル気カ、裏切リ者よ──』
トプン、と泥がうねり、瞬時にして人形を形成する。
『私は、お前だ。咎人よ──』
嘲笑うように、もう一人の自分が囁く。
『多くの存在を殺した、罪人め・・・!!』
「嫌だっ!!」
身体に進入してくる異物に、少女は悲鳴を上げた。
『報イヲ受ケルガイイ──』
「先生、ユーリはどうなんですの!?」
「早く、治してくれよ!」
「ええい、うるさいわ!」
そばで騒ぐ二人を黙らせて、保険医は組んでいた足を組みなおした。
「あいつがちょっとやそっとで、死ぬわけないだろう。取り乱しおって、情けない…」
度の入ってない銀縁眼鏡を押し上げながら、若い保険医は言う。
「第一、鈴花!お前は死にそうだったんじゃないのか?角谷さんからホンがあったぞ」
「あら、あの教室にいると死にそうなんですわ」
「姉さーん!」
ガラッ、と盛大な音を立てて、保健室の扉が開かれる。
「くおら、芽衣!ここでは、先生だと言っているだろう!?」
「いーじゃん別にぃ。誰もいないんだし…って、何してんの、あんた達?」
のんきな芽衣に、紫苑がため息をつく。
「ユーリが突然倒れたんだよ」
「私たちは付き添いですわ」
「えぇぇ──!?あのユーリがぁ!?」
目を真ん丸くして、早速ベットを覗き込もうとして、
「うるさいなぁ…」
むっくりと悠理が起きてきた。
「ユーリ、大丈夫か?」
「平気平気。少し寝たら、すっきりした!」
さっそく悠理のそばに近寄っていく紫苑。その後ろで、芽衣はひそひそと鈴花に囁いた。
「ねぇねぇ、あんな紫苑、初めて見るわぁ」
「昔も一回だけありましたわよ。ユーリがさらわれた時」
「えっ!?ユーリがさらわれたの!?」
ユーリの強さを知っている芽衣は、仰天した。その凄さに、鈴花は笑った。
「幼稚園のときですわ。いくらユーリでも、無理ですわよ。もっとも、警察が行ったころには、犯人たちはボコボコにされていたらしいですけど…」
「ひぇ〜」
口元に手を押し当てて、芽衣は呟いた。
「あたし、ユーリと喧嘩するのよそう…。姉さんにも勝てないか弱いあたしじゃ、殺されちゃうわ」
「なんだって!?」
鋭く芽衣の呟きを聞きつけて、保険医が言う。
「それは、衣貫(いぬき)のことかい!?」
「まさか。衣貫姉さんは、音樹(ねき)姉さんと違って大人しいからね」
「ふん、あいつは要領が良いだけさね」
末妹のおでこをペンで弾くと、音樹は悠理に近づいた。
「どーする、波遥?もう授業はなしだろ?返ってくるテストだって、お前だったら大丈夫だろ。帰るか?」
教師らしくない発言をすると、音樹はユーリの額に手を当てた。
「まぁ、熱はないようだけど…」
「音樹さん…」
「ん?どうした?」
「あの転入生…」
言いよどむ悠理に、音樹は豪快に笑った。
「あの老けた女か!大丈夫、本物の美女の前には、化けの皮も剥がれるってもんよ!」
「老けてたっけ…?」
音樹の様子を見ながら、あっけに取られたように紫苑が呟く。
「音樹さんには、負けますわ…」
「音樹さん!僕、帰る!」
悠理が叫ぶと、音樹は三枚の紙を渡した。
「…何で三枚?」
「どーせ、晃間と烏帽子も帰るんだろ」
にやっ、と音樹は笑った。
「アリガト、音樹さん!愛してるよっ」
「さすがですわ」
「サンキュー」
口々に礼を述べる三人。芽衣がツンツンと音樹の白衣の袖を引っ張った。
「姉さん、あたしのは?」
「お前、数学赤点だっただろ?化学だって似たようなもんだし…そんなバカを返すわけないだろ」
「ええぇ!?ずるぅー!」
「文句あるなら、ユーリ並にとってごらん。これ以上ごねるなら、母さんにバラすよ!」
「ひぇぇ。それだけは勘弁っ」
拝む芽衣の姿に、不思議そうに鈴花が言う。
「芽衣のお母様って、どんな人ですの?」
「すっごい肝っ玉母さんで、さすがメイの親って感じ。紫苑なんか、メチャ気に入られたんだ」
「そ、その話はやめてくれぇ〜」
真っ青になって騒ぐ紫苑の頬を、悠理はつついた。
「紫苑、キスされそうになったもんなぁ」
「人が嫌がってるのに、このヤロウ!お前なんか、勝手にくたばってろ!」
「な、何だと!?ほんとに具合悪かったんだからな!」
「けっ。ダンプに轢かれたって死なねぇーくせに!」
ギャーギャーと騒ぎ始めた悠理と紫苑。
「くおら、夫婦喧嘩はよそでやれ!」
「だ、だれが夫婦喧嘩だ!」
音樹の一喝に、悠理はつっこんだ。
「具合悪くて帰る奴が、そんな元気でいるな。ほれ、とっとと帰れ」
「ほーい」
ぞろぞろと外へ出て行こうとして、
「おっ、お前ら。1000円だからな」
「チェー、やっぱ金取るのぉ」
「やっぱりメイの姉さんですこと」
「失礼な!あたしは、もっとまっとうよっ」
「まけろ!」
各自文句を言いながら、そのまま教室に向かわず玄関へと向かう。
「どーしたんだ、おめぇら?」
守衛室から守衛さんが顔を出して聞いた。
「具合が悪いんで帰りマース!」
元気一杯の調子でいい、早退届を提出する。
「んだべか。まぁ、おめぇらならしっかたねぇが」
ちらりと鈴花を見て、守衛さんは言った。
「だども、芽衣っちゅう子はいかんど。逃げ出したって電話がきたがらよ」
「俺たち知りませーん」
ぞろぞろと足元に芽衣を隠しながら、三人は校門を出た。
「さぁーて、これからどうする?」
素早く学校脇の土手に行って、悠理が呟いた。
「あいたた、腰が痛いわ」
芽衣がぼやき、腰をさすった。
「それより、あたし荷物持ってこなかったのよ。鈴花、頼める?」
「大丈夫ですわ。私たちもですから。執事に頼んでおきますわ」
「このままじゃ、補導されちまうぞー」
土手に寝っ転がりながら、紫苑が言う。
「家っつても、今日は夜刀兄はフリーだからなぁ」
「私の家も今日はちょっと…」
「そうだ!」
ガバッと起き上がって、紫苑は叫んだ。
「季由山(きゆさん)に行こうぜ!」
「季由山!?」
三人の声がはもった。
「そうさ。ミイラが見つかったっていうじゃないか!もしかしたら埋蔵品とか宝物があるかも!」
「お宝ぁ〜♥」
紫苑の台詞に、芽衣の目はキラキラと輝いている。
「でもあれは、死後三日といっていましたわよ」
「んなに簡単にミイラができるわけないだろ!?確かめてみようぜ!第一、ここにいたって暇だろぉ?」
「でも、紫苑」
「何だ、ユーリ?」
珍しく消極的な悠理が言った。
「あの山は、夜刀兄が禁止してたじゃん」
「だからこそ、行ってみたいんだろ!あの心霊否定派・科学主義な夜刀さんが反対する理由…知りたくないのか!?」
「そりゃ、もちろん!よーし、行ってみるか!」
「警察がいたら逃げればいいですし…」
「危ねぇ奴は、俺とユーリがぶっ飛ばすし」
「お宝お宝ぁ〜♥」
瞬時に意見はまとまって、再び四人はブレザー姿のまま裏山へと向かった。