序章
初投稿です。よろしくお願いします。
『――あなただけを愛しています――』
そう囁いたのは、誰?
私、それとも、貴方……?
どうして、私の手は濡れているの……?
お願い、起きて――……。
朱の雨が降っていた。
次に上がったのは、断末魔の絶叫。
視界を覆う紅葉を払いのけながら、声の方へと進んでいく。落葉は留まることを知らず、容赦なく行く手を阻みくる。
どれだけ紅いベールをかき分け続けただろう。やがて、舞い散る紅葉の中心に座す女を見つけた。くすんだ赤茶色の周防と鮮やかな唐紅の襲着のせいか、まるで敷き詰めた紅葉の中に埋もれているようにも見えた。
女はゆるりと顔をあげた。背の丈よりも長い黒髪を無造作に広げ、涙に濡れた瞳で虚ろに見上げる。
「……お主は……」
幽鬼にも似た女の顔に、みるみるうちに生気が戻る。
「お主を探していた――!」
たっぷりとした袖元から伸びる繊手。その爪先が触れる紅葉の中から、生首だけがぽっかりと浮いていた。紅葉の海に溺れ、必死に呼吸を求める魚に似ていなくもなく、酷く驚いたような、あるいは恋焦がれるような、相反する不思議な表情を浮かべている。
「――わらわは、お主の運命――」
貼りついた笑みを女は浮かべ――唐突に風景が変わった。
見渡す限り茫洋と広がる緑の海原。
雲一つない青空の下、瑞々しい若葉を茂らせた大樹が、柔らかな陽光を浴びてさんざめく。サワサワと風に揺らぐ草が膝をくすぐり、確かな土の感触が素足から伝わる。
「忘却とは罪なもの」
反響する女の声が鼓膜にぶつかり、耳障りな羽音をかき鳴らす。
「見てみるがよい。お主の、その忌まわしき力を」
手が触れた先から、大樹が枯れていく。齢を重ねた海老茶の表皮が黒ずんで節くれだち、天を仰いで伸ばされた枝が四方八方、気ままな方向へと伸張しはじめる。全ての葉が剥がれ落ち、幹を這う赤黒い蔦が、それ自体意思を持っているかのように蠢き、全身に巻きついた。
「必ず、お主は思い出す」
もがけどもがけど身体に食い込む力は緩まず、ゆっくりと視界が上昇していく動きに相反するように、太陽は沈み、薄暗い黄昏刻の蒼さに、世界が閉ざされた。
「自らの宿命を。欲に溺れ、犯してしまった大罪の重しを」
逆さ吊りにされた視界の先に、丘の建物を中心とした街が映っている。大地は姿を消し、今は、広がる水面が街並みを揺らめかせている。
「そして、再び、同じ過ちを繰り返す」
蔦に操られるままに、指先が水面に触れた瞬間、情景が粉々に砕け散る。耳をつんざく、絶叫と苦悶。
「咎人たるお主の罪の証し。お主を狩ることが、わらわの運命……」
女の嬌声が空間いっぱいに広がり、虚空に抜け殻の着物だけが、はたはたとなびく。細々とした光を投げかけていた星々が、青ざめた死人の顔に変わっていく。白く濁った眸に、怨嗟を、憤怒を、絶望を乗せて。
「死ぬがいい。災厄を招きし存在よ!!」