第3話:休み最初の平日
──小学三年生:夏休み──
朝のラジオ体操は、この地域では毎年夏恒例の行事となっている。
めんどくさいが、毎日行くとお菓子詰め合わせとジュース一本がもらえる。
ぼくはそれにつられずともラジオ体操には参加するような少数派の男子だ(ほんとだよ)が、貰えるのならありがたい。
さて、そんなぼくだが、大人しくラジオ体操だけのために公園に行くようなマジメな男子でもない。
ぼくが家を出るのは朝5時──ラジオ体操の始まる、実に一時間半前だ。
目的は、虫取りだ。
早く行くと、スズメ以外に虫取りのライバルはいない。
虫取りの為なら、ぼくは早起きが出来る。
今日も例に漏れず、朝5時に家を出た。
公園までは徒歩1分。
ついた時には、もうズズメが熾烈な争いを繰り広げていた。
それを見ると、ぼくは無言でダッシュした。
もちろん、スズメに向かってだ。
ピィピィピィピィと鳴きながら、飛び上がるスズメたち。
「......ざまあみろ。ぼくより早く来るからだ」
スズメに対してドヤ顔を決める。
......実にいい気分だ。
「何してんの?」
「なっ......!?」
入り口を振り返ると、幼馴染の久美が、不思議なものを見る目でこちらをみていた。
(いやなものを見られたな......)
軽く深呼吸。
「別に。虫取りだよ」
平静に、出来るだけ平静に。
しかし。
「いや、そうじゃなくて、スズメに向かって走ってったじゃん」
(見られとるがな!)
まあ、当然か。
「......気にすんな」
なんとか平静を装いそう言うと、久美は「ふーん」とだけ言って、公園に入ってきた。
「虫取れた?」
「いや、今日まだ探してない」
「じゃあさ、一緒に探そ」
結局、早起きの徒労も虚しく、収穫はゼロだった。
──現在──
夏休みに突入してから早3日。
月曜日である。
僕は自分がセットした目覚まし時計によって、4時45分に電子音によって起き、布団から這い出た。
昨日の自分をほんの少しだけ恨みつつも、パジャマから外着に着替える。
そして、ドアを音を立てないように開け、手ぶらで外に出る。
空は、ようやく白みを帯び始めていた。
小学校を卒業し、ラジオ体操に行く必要が無くなってからも、僕は異様に早起きし、家を出ている。
一種の習慣となってしまっているが、後悔はほとんどない。
家から公園までは約1分なので、本当にすぐに着く。
公園を見ると、まだスズメは到来していなかった。
嬉々として公園に入り、電灯の周りを地面を見ながら闊歩する。
すぐに、黒光りする影を見つけた。
「ラッキー。ヒラタのオスだ」
この辺りでは滅多に見れない。
今年は運がいい。
さらにもう一匹、今度はコクワのオスを拾い、それを持つと手がいっぱいだ。
一度家に帰る必要がある。
虫を手に家に帰り、公園に戻って来るまで3分。
戻った時、公園に人が増えていた。
その人はスカートをヒラリと揺らしながらこちらを向く。
「あ、やっぱり今年も来たんだ」
久美だった。
「荘司ってさ、毎年こうやって早起きしてるよね。なんで?」
久美のその疑問に、僕は考える。
「......どの小学生やスズメよりも早く虫を取るため、かな」
「大人気ないなぁ」
「ほっとけ。これでも毎年楽しみにしてんだよ」
そう言い、改めて地面を見回す。
うん、いないな。
次は木だ。
「そう言うお前も、俺が何時に来ても夏休み中は必ずいるじゃん」
実際には僕の方が早いけど。
「......そうよ。私もちょっと興味はあるから」
そう言い、久美は桜の木を勢いよく蹴った。
バラバラと降って来る葉っぱに紛れ、硬いものが落ちる音。
久美が拾い上げたそれは、ノコギリクワガタのオス。それも大型。水牛とか呼ばれるレベルの大きさだ。
「おおーやるね」
久美はポケットからビニールを出し、それにクワガタを落ち葉と一緒に放り込んだ。
「別に。たまたまよ」
久美がビニールを手渡す。
「サンキュ」
しかし僕は気づいている。
久美はクワガタを見つけてから蹴った。
視線からして間違いない。
「......なんか、年々上手くなってるな」
呟く。先に見つけられたのは少しシャクだ。
「何年一緒にやってると思ってるのよ」
そう言うと今度は、別の桜を蹴った。
今度は、ノコギリクワガタのメスだ。
「持って帰ってよ」
「んー、繁殖の予定はないんだが...」
僕らの住む地域は、周囲を山と田んぼ、川に囲まれた、静かな場所だ。
わかりやすく表現するなら、田舎以外にない。
ただ、電車もバスも通っているから、本物の田舎とはほど遠い。
そしてこの町には、公園が四つある。
僕たちはそのうちの、山に近い3つの公園を回った。
そして、合計七匹のクワガタを捕まえた。
「大量だね〜」
「だな〜。今年は凄いな」
「小学生誰か採れるのかな、虫?」
時刻は6時。
そろそろ小学生が集まりだす頃だ。
だがな、小学生。
「お前らにやる虫はないっ」
「......大人気ないわね」
T字路に着く。ここで僕たちは別れる。
「荘司、ちゃんと部活来なさいよ」
「信頼はねーのか」
軽く手を振り、別れる。
家に帰り、ケースを出し、そこに腐葉土を適当に敷いていく。
そしてその中にクワガタを種類別に入れていく。
豊作だ。
時間を見ると、もう直ぐ6時半。
「やっべ」
時間ギリギリだ。
急いで手を洗い、台所に向かう。
食パンをトースターに入れる。
ついで、冷蔵庫からミニトマトをだす。
「お、ハムもあるな」
ハムを出し、そのまま頬張ること2分。
チーン!と、心地いい音が部屋に響く。
トーストを取り出し、ミニトマトを食べながら蜂蜜をかける。
うん。美味い。
(やっぱりトーストには蜂蜜だな)
そう結論づけ、僕はカバンを持った。
寝てはいるが両親ともいるから大丈夫だろう。
「行ってきま〜」
施錠はせずに、家を出る。
自転車にまたがり、駅まで突っ走る。
改札を通し、ホームに入ると、横から声をかけられた。
「やっほー。さっきぶり」
「お前早いな」
「今さっき来たところよ」
久美はカバンを持ち、柱にもたれていた。
周りには、出勤や部活の人たちが多く集まっている。
もう7月の後半なのにこんなに私服の人が少ないあたり、この国は忙しい国だ。
僕らの高校も、もちろん制服だが、学校指定のシャツが他校のそれより少し青っぽい。
だから、僕らの通う「県立的里高校」の生徒は制服を着ているとすぐに学校が割れる。
せめてもの救いは、バカ高校でも秀才高校でもないことか。
やって着た電車は、満員と言うほどでもなかったが、座席はすでに埋まっていた。
仕方なく入り口近くの壁にもたれる。横には久美がきた。
電車に揺られること約15分。
電車に乗った途端、壁にもたれてそのまま目を瞑っていた久美だったが、気がつくとそのまま眠っていた。
雑談もできないので、僕はその横で読書する。
『次は的里〜的里〜。降り口は〜......』
「おーい、起きろ〜」
「......すぅ......すぅ......」
ガチ寝か。
このまま寝顔を見ていたい気もあるが、電車が駅のホームに入った。
このままだと遅刻するので、軽くデコピンする。
「起きやがれ〜。着いちまうぞ〜」
「.........うぅん......えっ?」
やっと起きたか。
電車を降り、住宅街を歩くこと20分。
これで、高校に到着する。
少し遠いが、これ以上近い高校はバカ高校のみなので、実質いちばんいい高校だ。立地的に。
部室についたのは、部活の始まる十分前。
定位置に付き、パソコンを起動。
同時にメモを開き、文章を脳内で組み立てる。
まあ、いつものことだ。組み立たないところまでも。
「荘司、設定でも考えてきたの?」
「ああ、一応な」
メモを久美に手渡す。
「どう思う?」
「うーん......文章次第じゃない?」
「そうか、ありがとう」
どうやら設定はおかしくないらしい。
心の中でガッツポーズ。
......いや、落ち着け。まだ設定だけだ。
書き終えるまで、安心してはダメだ。
「チーッス!」
「おはよ〜」
「おはよう」
「おはー」
紡と空原さんが来た。
僕は文章を書き続け、久美は読書をしている。
(余裕こきやがって)
いいタイミングだから、一度キーボードを打つ手を止め、メモをもう一度見直した。
(そういや紡ってリア充歴あったよな......空原さんは.........ないだろ)
僕はメモを手に、2人の方に向かう。
「リア充経験のある紡に聞きたいんだが、この設定どう思う?」
「お、ラブコメまじで書くのか?」
「そのつもりだ」
紡にメモを投げ渡す。
メモを読む紡と空原さん。
先に返事をくれたのは、空原さんだった。
「......えっと、特にないかな」
「そうか。ところで空原さん、誰かと付き合ってた時期ある?」
「あるけど、それが?」
.........。
こいつも元リア充か。
結局、否定やアドバイスはもらわなかった。
いけるか?
30分後。
目の前の液晶には、少しだけ文字が書き込まれたページ。
「......リア充書けねえ......」
このつぶやきを聞き、紡が言う。
「いや、最初はやりたい事だけイメージしろよ。さっき言ったけど」
それができたら苦労はしない.........。さっきも言ったけど。
あ、元リア充ならできるのか。
それを把握するとイラっとするな。
僕の理不尽な怒りを視線でぶつけるが、紡はこっちを見ておらず、気づくことはなかった。
そんなこんなで、昼。
文芸部の活動時間は昼までだから、僕たちは帰宅する。
カバンに荷物をしまいつつ、思う。
さて、今日は何も書けなかったな。
ため息をついてしまう。
(......こんなんで本当に終わるのかな)
不安だ。
すると、隣にいた久美が言う。
「荘司、誰かに恋したことないの?」
「......ないことはないけどさ」
久美の問いの言わんとするところはわかる。
実体験を書け、と言い出すのだろう。
だけどそれは。
「あくまで勝手に思ってるだけだしさ、告ったわけじゃないんだよ」
「それは知ってるわよ。ったく、何年一緒だと思ってんの?」
「そりゃ知ってるか」
でも、だからと言って全部知られてるわけじゃない。
だって僕は。
「片想いで満足してるんだよ」
「え〜。告れば良いのに」
にやにやしながら、とんでもないことを言う久美。
一瞬、どきりとする。
「......できたら、悩まねえよ」
「まあそうよね」
そうだ。
僕は、告白しない。
ドアを開け、お先に、と声をかける。
久美は、まだぶつくさ言っている。
もう一度言うが、僕は絶対に告白しない。
だって、今に、現状にとても満足しているから。
これ以上の幸せは、リスクも大きい──と思う。
だから、絶対に。
「僕は、告らないよ」
「つまんないのー」
久美は、それはそれはとても不服そうにドアを閉めた。
紡と梨乃は、自転車通学である。
故に、2人は一緒に駐輪場に向かう。
「ねえ、皆川くん」
「どうした?」
「気づいてるよね、2人のこと」
「......ああ、まあな」
2人とはもちろん、久美と荘司のことである。
荘司本人は気づかれてないと思っているか、それとも無自覚かだが。
「あいつ久美のこと見過ぎだろ」
「だよね〜」
2人はもうとっくに気づいていた。
荘司は、チラ見を多くする。
しかも、久美だけに。
あれでは「好きだ」と言っているようなものだ。
もっとも、久美は気づいていないように見える。
「その点栢山さんも鈍感だよな」
「どうかなあ、案外、気づいてるかもよ?」
紡にとって、その意見は意外だった。
「気づいてるのか?荘司に何も言ってないのに?」
「そう言うもんよ」
「そう言うもんか」
紡は、納得する。
正直なところ、梨乃は納得されると思っていなかった。
「もし、もしも久美が気づいているならだけど、その場合2人は───」
梨乃の仮説を聞いた紡は、一層ニヤニヤした。そして、
「だよな」
と、面白そうに言った。
「くーちゃんはいつ気づくかなあ?麻山くんの好意に」
「できればこの夏休み中に気づいて欲しいもんだぜ」
「あ、だからあんなこと提案したの?」
頷く紡。
あんなこととは、もちろんラブコメのことだ。
「きっかけにでもなれば良いけどね」
この2人、荘司のことに関しては、世話焼きだった。それも、無駄なほどに。
「まあ、俺たちは見守り、少し背中を押すだけさ」
「そうね。少しね」
荘司はとてもネタにされていた。
これを聞いていたら、荘司はきっと大きなお世話だと顔をしかめるだろう。
しかし、そんなことは全く知らない荘司は今も、久美と電車に揺られていた。