2.私はやはり恵まれていた
ちょうど、噂の隣村に私は買い物に行くことになった。シャーロット様の話と、同僚たちの話を合わせると、家畜の血を抜く化物は夜間にだけ活動するらしい。被害は毎回朝になってからしか分からず、不審な影を見たという目撃証言も夜間に限定されるらしい。ということは、昼間は安全だということだ。
久しぶりに出てきた隣村は、以前より人通りが少ないように感じた。私の村でも隣村でも同じ程度の被害が出ているが、初めに被害が出たためか、被害を恐れて行商人が減ったためか隣村のほうがやや活気が無いようだ。私は馴染みの店で買物を済ませると、何事も無く帰宅しようとするが、冬であるため日が落ちるのも早く、気が付くとあたりが夕闇色に染まっていた。私は化物のことを思い出し、いつもよりも早足で屋敷へ帰っていった。
***
屋敷へつくと、使用人があちこちを駆けまわっていることに気がつく。何があったのかと老執事を捕まえて尋ねると、どうも隣村の領主が来ているらしい。そのような予定はなかったはずだ。
慌てて荷物をキッチンへ届け、急いでシャーロット様の部屋へ駆けつけると、シャーロット様は青ざめた顔で、ベッドに座っていた。声をかけようと思い近づこうとすると、シャーロット様のそばから、メイド長が立ち退く。どうしたのだろう、メイド長のことをシャーロット様はあまり好かれていない。そのため、このようにシャーロット様の部屋にメイド長がいることはとてもめずらしい。本当に、何があったのだろうか。
シャーロット様、と声をかけると彼女は私の顔を一度見て私の名前を呼んだきり、黙りこんでしまう。虚ろな目で自身の震えを必死に抑えこみ、苦しくても必死に私を見ようとしていた。
「どうしたのですか、シャーロット様……」
やっとのことで絞りだすように私が声をかけると、シャーロット様はせきが外れたように勢い良く泣き出した。私はどうしたのかと、そばに駆け寄ってベッドに腰掛け、シャーロット様の背をさすった。
「ごめんなさい。ごめんなさいアデル」
「いいえいいえ、どうしたのですかシャーロット様。一体何が……」
そんなことを繰り返しながら、シャーロット様の背をさすり、数時間ほど慰め続けていたところ、突然ドアのノック音が響き、私とシャーロット様はびっくりした。はい、と返事をして扉を開けると、来訪者は領主様だった。部屋に入れてもよいものかとシャーロット様の方を振り返ると、来訪者に察しがついていたのか、シャーロット様はまた無言で俯いていた。問題無いだろうと思い、領主様をそのまま部屋に招き入れ、領主様が座ったところで、私はシャーロット様を連れてこようとした。
「いや、それはいいよアデル。君に話があるんだ」
領主様はそうおっしゃって、強い口調で制止された。私はなんのことだろう、買い物で何か大きなミスでもしてしまったのだろうかと不安に駆られながら、手で示された向かい側の席へ腰を掛けた。
「アデル、君は血を抜いて家畜を襲う化物の話を知っているか?」
領主様はいつもと変わらない、優しく諭すような口調でそう言った。しかし、いつも声色から伺える彼の人間的な暖かさや穏やかさというものが感じられない。鉄が入っているような、ひどく冷たい物言いだ。
「はい知っています」
シャーロット様や同僚から聞きました、そう付け加えて答える。
空気がひどく重い。言葉を、ただそう答えるだけの言葉を吐き出すためにとてもとても体力を使う。いつも領主様が持っている和やかで親しみやすい空気とは全く別物だ。領主様自身も話すことが辛いのだろうか、ひとつひとつの言葉を慎重に選ぶように、ゆっくりと話し始められた。
「隣の村で初めの被害が出て以来、両方の村で深刻な被害が出ている。そして、今回隣村と協力して、その化物の住処を襲ったのだ」
私は固唾を呑んだ。化物の正体は分かっていなかったが、すみかは分かっていたらしい。そこで、隣村と協力して襲ったのか。しかし、なぜ領主様はそのことを私に話しているのだろう。何が私に関係があるのだろうか。
「そして、それは失敗した。その化物はあまりにも強かった。しかし、化物は人をむやみに殺すつもりもないし、家畜を殺すことも本当はしたくないと言ったのだ。そして、代わりに条件を出した。娘を一人、よこして欲しいと」
私はすべてを理解し、視界が真っ白になった。自分の耳へ遠くから聞こえてくるのは、シャルロット様の泣き声だけだ。私は私は、と泣いている。心臓の音だけが、自分の耳にはっきりと聞こえてくる。ばくばく、ばくばく。音が大きすぎて破裂してしまいそうだ。
「アデル、すまない。しかし皆のためだ。行ってくれるね?」
なぜ私なのか、ということを優しい優しい領主様は自分の口からおっしゃらなかった。しかしわかっている。私以外の人間は皆家族がいる。でも私はどうだろう、家族もいない上にそもそもこの村の者ではない。そんな人間でも、領主様は面倒を見てくださった。
領主様が私を引き取ってくださってからも、私に対する周囲の態度は変わらなかった。やはり、病気を持ち込んだにも関わらず、のうのうと当人が生きているのは目障りなのだ。
「はいもちろです」
私がそう答えたとき、窓の外でカラスがばさばさと飛び去った。そして、鉄砲のようなもので弾かれたように、シャルロット様が私のもとへ駆け寄った。
「お父さま、しかし!」
「シャルロット」
シャルロット様に対して、領主様は厳しく、大きい声で制止する。
「わかっているね」
領主様がそう言うと、シャルロット様は再び黙りこんでしまう。仕方がないのだ、みなを守るためには仕方がない。それが領主の家に生まれたシャルロット様の責務なのだから。
私は自分を守ってくれようとする、長年仕えた主人を見て、心から感謝の気持ちがこみ上げてきた。最後の最後まで、私を守ってくれようとした主人に恵まれて、私は本当に幸せだったと。