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結局、それ以上断る理由もないので。顔だけ見てから帰ることになった。
狭い階段を昇った突き当りの部屋に、案内される。
ドアを開けると広い部屋で、正面にある大きな窓がある。白いカーテンの向こうに、向かいの通りの家々と松林、そしてチラリと海が見えた。
部屋は片付いていて、デスクと本棚が二つ。それとベッド二台が置いてある。
その片方に、王子先輩は寝ていた。
ベッドカバーは手作りっぽいパッチワーク。
礼子さんが作ったのかな、って思った。濃い赤とベージュの幾何学模様は、男の人向けじゃない気もするけど、王子先輩にはなんだか似合っている。
顔色はいつもよりピンク色な気がした。息遣いも早く、少し寝苦しそうだった。
でも、何も言わない王子先輩の顔は、美術教室にある模造のギリシャ彫刻みたいで、彫りが深くて整っていて。
とっても、美しい。
白雪姫や、眠り姫を見付けた王子様って、こんな気持ちだったのかな。
相手があんまりキレイで、寝顔を見ているだけでドキドキしてくる。
あの柔らかそうな髪や、白い肌に触ってみたい。そんないけない気持ちで、いっぱいになる。
キスしたら、目を覚ますのかしら。
そんなことを考えてしまって、ドキリとした。
そんなわけ、ないし。
それに起きたら、言い出すことなんて。
「オバケがコワイ」だの。
「僕が百三十六円払ってやるから、お前は百三十五円払え」だの。
「ダンスのステップを忘れたらコロス」だの。
そう思うと、一瞬のイケナイ気持ちは、跡形もなく消え去った。
その雲散霧消した夢の名残は、ほんのちょっと惜しい感じもしたけれど。
「寝てる時は、フツウにカッコいい人なのになあ」
なんて呟いて、なかったことにする。
それから、ふっと気付いた。眠っている王子先輩が、片手に何か持っている。写真のようだった。
余計なお世話かもしれないけど、これ、取ってあげた方がいいんじゃないかなあ。ケースにも入ってないし、ぐちゃぐちゃになっちゃうよ?
そっと手を伸ばし、長くて細い指を一本ずつはずして、写真を救出した。
机の上に置こうとして、見てしまった。
もしかしたら、女の子の写真かな、とか思ったのだけれど。(もしくは礼子さんとか)
「王子先輩?」
それは。中学生か、高校生くらいの男の子の写真だった。
この整った顔立ち、やわらかそうな髪は、まさしく王子先輩そのもの。何で、自分の写真なんか?
相変わらず意味不明な人だ、と思いつつ、写真を机の上に置き、飛んで行かないようにそこにあった辞書を載せた。
だけど。写真の中の幼い王子先輩は。
見たことがないくらい、屈託のない笑顔を浮かべていて。
それが、なんだか胸に刺さった。
どうして、この写真を見ていたのか。
どうして、今はこんな風に笑わないのか。
聞きたい。そう思ったけれど。
私は自分の中の好奇心に、そっと蓋をする。
先輩が、私に話したいと思えば話してくれるだろうし。
そうでなければ、別にいい。
それを知ろうが知るまいが、元気になったら王子先輩は私の前に立ちはだかって、「ダンスをするぞ!」って怒鳴るんだろうし。
いつか、機会があったら聞けばいいや。
「お大事に、王子先輩」
そう小さく言って、私はその部屋を出た。




