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ということで、いろいろあったが。
時計が正午を回った頃には、船は沖に出て、観光地の島や砂浜を遠望できる場所に停泊した。
天気は良く、波も凪いでおり、絶好のクルーズ日和。
島の近くには、ヨットが何艇か帆に風を受けて走っているのが見える。
あんなクルーズにあこがれた時もあったわね、なんて。遠い目でそれを見る私。
私と坊ちゃん先輩は、バーベキューの準備中。
テーブルの上に置かれたラジカセが、古い演歌を流している。(船内には演歌のテープしかなかった)
うん、なんか。思ったのとはいろいろ違うけど、ガンバレ私。誘ってくれた坊ちゃん先輩の気持ちを無にしてはならない。
「えーと、ホントに素敵なピクニック日和ですねー!」
切った野菜を鉄板で炒めながら、私はにこやかに言った。
ちなみに、鉄板の下にある大きなコンロには、傍らの大きなガスボンベから直接チューブでガスが送られているという素敵なアウトドア仕様である。
慣れてないから、ちょっとコワイ。
「誘ってくださって、ありがとうございます」
私が言うと、坊ちゃん先輩は照れたように片手を振った。
「イヤイヤイヤ。大勢の方が楽しいからな」
「喜ぶのは別にいいんだけどさ」
それを邪魔する氷のような声。
古いデッキチェアの上に寝転がり、顔に新聞を乗せていた王子先輩が、むっくりと起き上がってくる。ちなみに、沖へ出てからはゴーグルまで装着し、生身の部分はどこにも見えない。
「わざわざクルーズに誘ってやったのに、何なんだ、お前のそのカッコウはさ」
「え?」
私は驚いて、自分の恰好を見下ろす。
「な、何かいけませんか?」
というか、今の王子先輩にだけは恰好についてとやかく言われたくないんだけど。
「何か?」
王子先輩の声が低くなる。
「何もかもダメに決まってるだろ! バカか」
王子先輩は立ち上がり、私に向かって人差し指をつきつけた。
「何だ、そのダボッとしたデカいTシャツ! 何だ、その米軍の放出品の長ズボン! 何のためにお前を誘ってやったと思ってるんだ!」
カッコいいと思ったんだけど、アメリカ海軍の長ズボン。ダメだったろうか。
「な、何のためでしょう?」
びくつきながら尋ねると。
「空気読めよ!」
ものすごい不機嫌な声。
「何で水着くらい着て来ないんだよ。気が利かないヤツだな!」
ハイ!?
それは……気を利かすとか空気読むとか、そういう次元の話なんでしょうか?
「沖に出たら着替えるのかと思って、黙っていればいつまでもそのダサい恰好。いったい何を考えてるのか、気が知れないよ」
「気が知れないのはお前だ!!」
真っ赤になった坊ちゃん先輩が、王子先輩の後ろ頭を思い切りはたいた。
「何口走ってんじゃあ、このドアホウ! 何で久住さんが、お前のためにそんな大サービスをしなきゃいかんのだ!」
「はあ? 僕のためじゃないよ」
後頭部をさすりながら、王子先輩は心外そうに言った。表情は見えないが。
「何で僕が、今さらそんな貧相な物見て喜ばなきゃならないんだよ。高原のために決まってるでしょ。あんなのでも見たいだろ?」
坊ちゃん先輩の丸い顔が。更に赤くなる。
「巨大なお世話だ、この大バカ者お!」
そう言って、坊ちゃん先輩は丸めた新聞紙で王子先輩をポカポカ殴った。
すごい。いつも落ち着いているあの坊ちゃん先輩が、ものすごく子供っぽいケンカをしている。
「す、スイマセン」
何とかこの場を収拾しようと、口を挟んでみる。
「大変申し訳ないのですが、その、皆様にお見せできるほどのものではなくてですね」
「そんなことは分かってるんだよ」
間髪入れずに王子先輩が口をはさむ。何だろう、日差しは暑いのに何だか吹雪の中のようダヨ……?
「いいんだよ、どうでも。そんなのでも高原は見たいんだから」
「だからやめろっての! 何で全部俺のせいにするんだ!」
わめく坊ちゃん先輩。
それを聞いて、王子先輩は大きくため息をついた。
「何をイイ子ぶってるんだよ。僕は親切で言ってあげてるのに」
やれやれ、という声が聞こえて来そうな口調。
「だいたい、男二人で顔をつき合わせてても面白くないと思って、せっかく気をきかせてあげたのに、怒鳴られたり殴られたり。ホントに高原は、空気を読まないよね」
「お・ま・え・は……!!」
あ。この声音は聞いたことがある。王子先輩がキレる前にソックリ。
「言葉の意味を一から辞書で勉強し直せ! 空気読むとか、親切とか、気を利かせるとか! 全部間違ってんだよ!」
その上恩着せがましいって、マジ何様だ貴様は!! という坊ちゃん先輩の怒号が、海上に遠雷の如く響き渡ったのであった。




