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「でも、感謝って?」
私は首をかしげる。思い当たることがない。
「別に何も」
「いや、英文学のレポートでは世話になった」
坊ちゃん先輩は重々しく言った。
ああ。あれね。
そのことについては、坊ちゃん先輩と出会った日にさかのぼるし、出会ったばかりの私が坊ちゃん先輩と(ついでに王子先輩と)急速に親しくなった原因でもあるのだけれど。
あの時、図書室で何冊もの本を積み上げて坊ちゃん先輩が勉強していた、それがその英文学のレポートとやらのためだったのだ。
建築学科の学生であるお二人がなぜ、そんな課題を出されたのか。それについては、二人は頑として口をつぐんで語らなかった。おそらく、ろくでもない理由が絡んでいると思われる。
とにかく、我が英米文学科が誇る名物教授、マダム・ピンクからの厳重なお達しだということだった。
あ、ちなみにマダム・ピンクも本名じゃないよ。山城真理子先生という、英文学の研究書もたくさん出しておられる、立派な学識のある教授なんだけど。
服の趣味が……ちょっとね。
好きな色、ピンク。コーディネートの基本、若者の流行り服。(特にヒラヒラ系とキラキラ系がお好み)
六十近い威厳のあるおばさまが、そんな恰好で学内を闊歩していらっしゃったらどうなるか。
特に、甘ロリコーデにツインテールで教壇に立たれた時のことは、学生間に伝説として語り継がれている。誰も教授を直視することが出来ず、みな笑いをこらえるのに必死だったらしい。
とはいえ、本学でダントツの実績ある学者であるマダム・ピンクは、学長の覚えも理事長の覚えもめでたいという実力者なのである。
で、そのマダム・ピンクから何故か課題を出されていた我が校の二大人気者、坊ちゃん先輩と王子先輩。
その出されていた課題というのがまた、珍妙なものだった。
坊ちゃん先輩に出されていたのは、「三十連以上の愛の詩を作る」こと。
この課題に、坊ちゃん先輩はかなり苦しんでいたらしく、現れた英文学科の学生である私に助言を求めてきたのである。
見せられた詩を見て、私も「なるほど」と思った。
坊ちゃん先輩の作った詩は、「あなたとの間に堅牢なる愛の城を築きたい」というようなもので。
そのコンセプトは悪くないし、英語力も決して悪くなかったと思う。
ただ、詩の内容がね。
一連目で「愛の城を築きたい」と言った後、残りの二十九連、延々と中世のヨーロッパの城の建築方法が語られるのである。
おかげで、私もお城の建築についてずいぶん詳しくなりました。
それを、いろいろ助言して、有名な詩人の愛の詩とかをお見せしたりして、なんとか「愛の詩」らしく恰好がつくまでお手伝いすることになったわけである。
ちなみに、王子先輩に出されていた課題は愛の詩ではなく、「日本の怪談を十五編以上読んで英訳せよ」というものだった。
こちらは何しろ、王子先輩にやる気がなくて困った。何を助言しても、どんな資料を持って行っても、
「そんなくだらない課題やりたくない」
の一言。
最後はこちらもさじを投げて、
「ハーンの『怪談』でも丸写しして行ったらどうですか」
と言ったら、その通りにしたらしい。
世話をかけられたと言えばまあ、確かに世話をかけられたなあ。主に王子先輩にだけど。
「いいんですよ、別に。感謝されるほどのことはしてないですし」
なんだかんだ言って、坊ちゃん先輩はご自分でその課題をやり遂げたのだ。部分部分丸写しもあったけど、全体的にはちゃんと坊ちゃん先輩のオリジナル作品になった。
苦手なことでも頑張った坊ちゃん先輩はすごく偉いと思う。単にお坊ちゃんなだけではないのだ、この人は。
文学作品を丸写しで提出した王子先輩とは根性が違う。(その丸写しすら取り巻きの女の子にやらせたというウワサがあるが、もうその真偽を確かめる気にもなれない)
「いや。あれは君の助力あってのことだった。ぜひお礼をしたい」
坊ちゃん先輩は熱心に言った。礼儀正しい人なんだなあ。どうして、こんなきちんとした人と王子先輩が親友なんだろうか。
「それに、だな。実はあのバカが最近小型船舶免許を取ったので、少々練習をしたがっている。そのついでに、船上で軽くバーベキューでも、と思ったのだが。気楽な気持ちで来てくれればいい」
あ、なるほど。そんな感じなのか。
それだったら、三人でお昼を取る時の延長みたいな感じで行けそうだ。
王子先輩の操縦というところに一抹の不安が残ったが、そこは坊ちゃん先輩が、自分は前々から免許を持っていて操縦経験もあるから、いざとなったらフォローすると言ってくれた。
クルージングにはやっぱり興味をひかれるし、私はその申し出を快諾した。




