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序章・裏:失われた女王を求めて

 盗難事件のその日に起こったこととその後を語ろう。

 カフェでアルと別れた後アカデミーに戻った私は、強盗を追いかけるアルと出くわした。カーペットを使って敷地内を飛び回ったけれど、結局犯人の姿は見つけられず私達は聖堂カテドラルに戻ることに。そこで私はメリッサさんから事の顛末を教わった。アルが魔石杖のありかを発見し、ディアナさんが杖を宝物庫に戻そうとしたところ黒服の魔術師が現れて杖を盗んでいった。扉には魔法がかけられていて開かず、こじ開けたところに私がいた、ということだった。

 その話を聞いている間ディアナさんはたいそう慌てた様子で電話をかけていた。聞き流していたけれど、あれは門番に扉を閉鎖するよう指示し終え、プレジデントに連絡していたのだろう。すぐに学院長が教会に駆けつけて事を把握し、学院に残っている職員総出で文字通り飛び回って杖と犯人の捜索にあたったのだった。

 二時間ほどの肉体労働も虚しく収穫はゼロ。プレジデントも同時に探索サーチの魔法をアカデミー全体に張り巡らせたそうだけど、それでも結局ヒットはなかった――という話を、学院長室に集められた私達は聞かされた。その後も魔法による探索と物理的な人海戦術を使って捜索を続けるとのことで、翌朝まで学院の出入り一切が禁じられた。ああメランコリー。歩いてすぐのところにドミトリーがあるのに、わざわざ学院で夜を明かさなければならないなんて。出来るなら医務室のベッドで眠りたい。

 戒厳令の直後、プレジデントは関係者に事情聴取を始めた。関係者といっても私達四人だけだ。最初にアル、その次に私。聴取するも何も、私はゲートをくぐったすぐ後に黒服の魔術師が飛んで行くのを見ただけだ、と証言するしかなく、すぐに終わった。

「早かったな」

 待機場の応接室に戻ると、アルが言った。

「だって私はただの目撃者だし、話すことなんてないのよ」

「次は私の番ですね」

 と言ってディアナさんが別室に出て行く。

「ところでアル、一体どうやってあれだけの情報からディアナさんが犯人役だって見抜いたの?」

「あれだけの、というより、実際に会っていたから分かったと言うべきかな」

 真相に気付いたのはカフェで私から「これはゲームだ」というヒントを得た直後だったらしい。その時に、杖が盗まれたというのに平気そうな顔をしていたディアナさんの違和感に気付いた。そして手にしていた謎の巨大な本。これらが彼女が犯人役である証拠だと確信したそうだ。

「なるほどね。メリッサさんは気付かなかったんですか? その本を目の前で見たんですよね?」

「ダイレクトに調べたら分かったかもしれないな。その時私は宝物庫の他の杖の方が気がかりだったし、そっちにまでアテンションが回らなかったようだ。それに、あれはそんじょそこらの魔術師の代物じゃない。世界に二十二人しかいないトロネスランクの筆頭エギル・クァッドランの魔法だ。見ただけで見破れる方がおかしい」

 エギルというのは学院長の名前。創設者の直系の子孫らしい。トロネスランクというのは魔術師の能力のランキングのうち上から二番目だけど、最高ランクに分類される人間が不在なので、トロネスの筆頭と評されるというのはつまり世界最強ということを意味する。

 それから、ディアナさんに答えを伝えるだけではなく、その本を破壊して杖を取り出す過程までやってのけたことを聞かされた。まさかそこまでやっていたなんて。この二人、実はすごく相性のいいコンビなんじゃない? それに引き換え私は考えがずいぶん甘かったよ。本筋とは全く関係のない船舶のデータ集めてさ。

 その時ディアナさんが戻ってきた。すれ違うようにしてメリッサさんが出て行く。

「今、真相全部聞きましたよ。アルとメリッサさん以外に教会に出入りした人はいたんですか?」

 ディアナさんが座ったのを見計らって、私は尋ねた。

「朝の礼拝とミッションの出発報告に来た生徒、それから学院長を除くと、その二人だけですね」

 つまり杖の保管場所を気遣った人が他にいなかったということか。私も含めて。

「あ、そういえば……いえ、何でもないです」

「何か気付いたんですか?」

「うっかりしてきちんと閉めなかったからだと思うんですけど、入り口がひとりでに開いたことがありましたね。外には誰もいませんでしたし、中にニャンコとかアイビスとかが入った様子もなかったですし」

 アイビスって戦争の時に絶滅した鳥じゃなかったっけ?

「それ、いつ頃のことですか?」アルが身を乗り出して聞いた。

「時刻は分かりませんが、メリッサに宝物庫を見せたしばらく後ですね」

「そうですか」

「中に何も形跡がないなら手がかりにはならないわね。カテドラルとしては比較的新しい方だけど、古い建物だもの、勝手にドアが開くことくらいあるでしょ」

「そうかな。ディアナさん、後でちょっと調べさせて下さい」

「いいですよ」

 それからアルは不意に視線をこちらに向けた。

「そういやエル、パートナーはどうした?」

「一時的に手分けして手がかりを探すつもりだったのよ。まあ、その予定もなくなっちゃったけどね。後で連絡しなきゃ」

 それから私は、カフェでアルから聞いた話が気になり、自分も教会に行こうとしたところでクイーンガーネットが盗まれる現場を目撃したことを話した。

「犯人の特徴とか何か覚えてないか?」

「同じ事さっきも聞かれたけどあんな遠くからじゃ分からないわよ。せいぜい箒で飛んでたことくらいね。杖らしきものは持ってなかったわ」

「犯人は恐らくプロファイルを特定されにくいようにあの大きな服を着て箒で逃走したんでしょう」

「ですね。箒で飛ぶのは基本訓練の一つですし」

 そういうことを知らない可能性の高い人がいるのでわざとらしく説明しておく。

「身長は見たところ俺と同じくらいだったな。特に高いというわけではない。でもブーツで高く見せられるからあまり当てにはならないか。男か女かさえ分からなかったんだし」アルが溜息混じりに言った。「しかもこっちに気付かれないうちに侵入して盗んで逃走する、それだけの魔法を連発する相当の手練れときてる」

「え、メリッサさんも気付かなかったの?」と私は訊いた。

「気付いてたら盗まれてないだろ。まあ、ディアナさんを追い詰めるのに集中してたのが一番の理由だろうけどさ。って言っても、学院内で盗みをしたって逃げ場がないんだ、いずれ見つかるんじゃないか」

「アルって楽天的オプティミストね。実際、現代最強と言われるプレジデントの捜査魔法に未だ引っかからないほどの相手なのよ。もう逃げたのかもしれない」

「うーん、脱出法ね。そっちも大事だけど俺は侵入経路と犯行の動機が気になる」

動機モチーフなんていくらでもあるわ。クイーンガーネットは魔力強化系の宝具の中でも属性や相性を選ばないという点が優れているの。欲しがるマギカはいくらでもいるわ」

「エル、バカなこと聞くけどマギカにとって宝具ってのは自分でも扱えるから欲しいっていうもんなのか?」

「そうよ、宝具って持ち手を選ぶの。それを作った人と使う人の相性が良くないと機能さえしないこともあるらしいわ」

「そうなんです。ですから宝物庫は、実用性や汎用性という点ではガラクタばっかりなんですよ。完全に波長が合うことは自分か親族が作った場合を除いてめったにありませんね」

 とディアナさんが補足する。

「でもクイーンガーネットは、その波長や相性の問題が存在しない唯一無二のアイテムなんです」

 宝具というのは魔術師の魔力を高めたり、ある特定の魔法を継続・強化するための道具で、かなり腕の立つ魔術師だけが作ることが出来る。そのため、宝具には製作者の魔力パターンがある程度刻み込まれる。

「残念なことにその構造ストラクチャーは全く不明でして、使い手を選ばない理由が分からないんです。クリエイターはガルシア協会に名を残す魔術師ガルシアだと言われていますが、協会はそれを否定しています」

 ディアナさんはそう続けた。ただ雇われの管理人をしているという訳ではないらしい。解析アナライズの魔法が使えるのかもしれない。するとアルがそれに応える。

「ただ分かるのは、相性がある宝具を普遍的ユニヴァーサルにする方法テクニックはあるということですね」

「ザッツライト」

「でもそういう宝具は世界に唯一ユニーク

「確認できる範囲でですけどね」

「矛盾していませんか?」

「あっ」

「アル賢い!」

「そういう宝具は本来マギカにとって有益なはず。しかし杖のクリエイターはその技術を残さなかった。闇に葬り去ろうとしたなら破壊するはずなのに杖は現存している。どういうことなんでしょうね」

「盲点だったわ」

「考えられる可能性はまず、その普遍的性質が世界のバランスを崩してしまうこと。例えば火は人類最初で最高の発明と言われますが、歴史を見ると火を使った戦争は少なくありません。優れた技術は簡単に悪用できるんです。次に考えられるのは、コスト的理由。単に金額の問題なら国や資産家に頼めばなんとかなるはずです、有益なんですから。でもそうしなかったのは、最初の理由以外に、例えば、人の命を使わなければならないから、かも知れません」

「まさかそんなはずは、ねえ?」

 言っていることは分かる。でも筋が通っているからと言って腑に落ちる訳でもない。

「推理としては悪くないです」

「どういうことですか、ディアナさん」

生贄サクリファイスを使って発動させる闇魔術はかつてより存在していますし、宝物庫にも、人骨をつないだ杖や冠が眠っています。クイーンガーネットもそうやって作られたかもしれないんです」

「嘘……」

「いえ事実です」

「その秘密を知るという目的でも利用価値はあるんですね。しかしそれを盗むとなると、かなりリスクが高い。以前に研究のために貸して欲しいって交渉を受けたことは?」

「ありませんね。いかなる条件でも魔石杖を外には出せませんので交渉はナンセンスです」

 この外っていうのは学院の外ってことでいいのかな?

「犯人はそれを知っていて盗み出すことにしたのか」

「でもここから持ち出すなんてハードよ。捕まった時のペナルティも考えたら、アルも言った通りリスクが高すぎるわ。よっぽど自信があったんでしょうね」

 その時メリッサさんが取り調べから戻ってきた。これで四人全員終わったことになる。

「通達があるから少しここで待っていて欲しいそうだ」彼女はそう言いながら座った。

「それで、何か分かりましたか?」アルが聞いた。

「取り調べ自体は形式的なもので意味は無いよ。それより、エギルのサーチ魔法には犯人も杖もヒットしていないらしい。もちろん宝物庫は例外だ。犯人は探知魔法を反射して潜んでいる可能性があるから物理的な捜査を強化するそうだ。あるいは、何らかの方法で既にアカデミーの外にいるのかもな」

「動きがないので予感はしていましたがやっぱりですか。でも盗み出された直後に全てのゲートは封鎖して、学院を覆うバリアも相変わらずなんですよね」

「だから逃げた可能性は限りなく低いとエギルは言っていた。しかしね、現実に見つからないし、もう中にはいないと私は思ってるよ。あいつは聞く耳を持たなかったがね」

「俺も同意見です。魔法に引っかからないステルス持ちを物理的に追い詰められるとも思えません。目と手で敷地内を探しても無駄でしょうね。やっぱり警察と協力して、学院の外を――」

「それは駄目だ」とメリッサさんが遮った。

「この盗難事件を外部に知らせる訳にはいかない。騒ぎを大きくしたら関係者全員が被害を受けるし、アカデミーの看板にも傷がつく。水面下で処理するしかないんだ。だからエギルは内部に犯人が潜んでいる可能性に賭けているんだ」

「確かにそれはそうですが、なりふり構ってる場合ですか」

 そう、この学院は国費で運営されている魔法と機械の研究機関のトップで、宝具の保管という役割もある。そこがこういう不祥事を起こしたら、その評判を再建するのは困難を極める。犯人が何をするか分からないという心配もあるし、警察沙汰にするかどうか悩みどころ。

 その時アルが「あれ」と声を上げた。

「何か分かったの?」

「うん、犯人は今日あの杖が宝物庫から一時的に出されることを予め知っていたんじゃないか? でないとそもそも盗むことが出来ない。だから、犯人は学院内部の人間だ」

「チイもエギルの焦り具合は見ただろう、あれが自作自演じゃないのは明白じゃないか」

「自作自演だとは言ってませんよ」

「それに、杖の所在を知っていたなら何故あのタイミングまで待っていたんだ?」

「杖を覆っていた本型のバリアが邪魔だったんじゃないですか」

「……確かに。あの状態では運びづらいし追跡もされやすい。盗みようがないな」

「あれはシンプルに隠すためのものだったんですけどね」

「ディアナさん、卒業試験が始まってから教会に出入りしたのは俺達だけだって、さっき言ってましたよね」

「間違いありません」

「杖を本にした後も、ですか?」

「プレジデントが本型のカバーを付ける現場にいたのは私一人です。それ以降は誰も」

「ということは、盗み出せないように本にするところまで予め知っていた人間が犯人?」

「アル、それは考え過ぎでしょ。だって、予め全貌を知っていても、本を壊す手段がなければ盗めないんだよ。アルがあの場に行ってアンチマジック弾を撃つことまで想定するなんて、予言者プロフェットじゃないと無理」

 プロフェシー、つまり予言法は有史以来何百何千という魔術師が挑み続けながらも誰一人として成功例がない魔法だ。例えば天気がそう。マギカにとって天候は「操作する」ものだったのに、マキナにとっては「予測する」ものだった。終戦直後にマギカの先祖はその知恵に驚いたそうだ。余談。

「それもそうか。でも教職員が怪しいのに変わりはない。犯行時刻にアリバイが、というか今朝はいたのに今はいない人が犯人かな」

「ええ、プレジデントもそう考えたんでしょう、私達の次には教職員に事情聴取すると言っていました」

 でもさっきからこの部屋には人の出入りはない。先生の取り調べは別の部屋でやってるのかな? 何にしても、犯人は思ったより簡単に見つかり……いや。

「でも魔法科の教授陣の中に犯人がいるとしたら、プレジデントの捜査網をくぐり抜ける技術を持った人に限られますよね。いるんですか、そういう人」

 そう私が言うと、ディアナさんが答えた。

「そうなんですよね。生きているマギカの中では最高の腕を破る才能を持つ人も、それに挑もうとする勇敢な人も、まずいませんよ。見つかったら解雇だけでは済まないはずです」

 学院は国家の研究機関でもあるから、そこから宝具を盗み出したとしたら反逆罪の汚名を着せられるかもしれない、そう彼女は続けた。そんな危険を犯してまで杖を盗むとは、クイーンガーネットを使って犯人は何をするつもりなんだろうね。

「外部の人間が盗んだ可能性は?」とアルが見当外れなことを言い出した。「その場合単独犯ではなく、当然内部に共犯がいることになります。学院の関係者でない限り、出入りすら出来ませんからね。犯人はミッション開始以前から杖が持ち出されることを知っていたと考えるべきでしょう。あのメールが来てから思いつきでこんな大胆な犯行に及んだとは考えられません」

「そうよね、犯人はディアナさんが杖を本に隠して持っていることまで知っていたんだし」

 するとアルは私の方を見て頷いた。その目はよく分かってるじゃないか、と言っていた。

「だとすると、出入口の記録を洗う必要があるか」

「ねえアル、記録消しちゃっていいの?」

「洗うっていうのは、警察の用語で調べるって意味だよ」

「へえ、知らなかった。メモしとこ」

「だけどアル君、ログを取ってもナンセンスだと思うわ」とディアナさんが言った。

「どうしてです?」

「ゲートの仕組みは、マキナである君の方が詳しいんじゃないかしら?」

 するとアルは少し考えて、ああそうか、と呟いた。

「生徒用の門だとカード一枚で一人しか通過できないし、裏の通用門でもちゃんと人数分のパスが要求される。入場用のカードキーは事前に書類申請しないと手に入らない。つまり犯人が侵入するにはその身分を明かしておく必要があるし、門を通ったならカードの情報からバレる可能性がある」

「え? それならログ取ることに意味がありそうだけど」

「学院内の人間と手を組んでるなら、そこに気付かないはずはない。ましてや学院長の手をすり抜ける実力者だ、そう簡単に証拠を残しているとは思えない。一応調べる必要はあるだろうけど」

 結構長いこと話をしている気がするけど、実のところ事件解決には一歩たりとも近づいていない。でも無理もない、命令でこの部屋から外には出られないんだから。動き出せない以上は議論も捜査も進まない。その時、スピーカーから放送が入った。学院長の声だった。

『アカデミーにおられる生徒、職員、および関係者に通達します。先程より発生しておりますアクシデントの解決のため、翌朝までアカデミーの出入り一切を禁止いたします。繰り返します――』

 奇妙な沈黙が流れた。出入りが一切禁止? ということは、

「これって、今日はドミトリーに帰れないってこと?」

「みたいだな」とアル。

「もしかして学校に泊まるの?」

「仕方ないだろ」

「床で寝るの? それともテント? 寝袋? そんなのあるの?」

「魔術師なら魔法でどうにかなるだろ?」

「医務室のベッド確保しておくべきかな?」

「ならないのか……メリッサさん?」

「あいにく、私もその手の魔法には疎くてな。他のマギカに聞いてみるといい。期待はせずに」

「俺は床でも構いませんけどね。問題は食料か……今日は昼前に開会式があるだけだから食堂には何もないだろうし、一晩だけだから飲まず食わずで我慢するしかないか」

「そうでもないですよ」とディアナさん。「スタッフの中には夕方まで働く人もいますから機能してはいます。ただ、量的に問題が……」

 もう日も暮れかかっている。そんな話聞くと余計にお腹すいてくるじゃないの。

 それにしてもこんな緊急事態だっていうのに食料の話で一喜一憂するなんて楽天家オプティミストだとは思う。いや、サバイバルで大事なのは食料と水と寝床だって、なんかの小説に書いてあったっけ。まさか私がそんな環境に陥るとは思ってもみなかった。水に関しては当然水道があるのでノープロブレム。魔法を弾く石の壁を貫通しているのでバリアの影響を受けずに済んでいる。

 窓から外を見ると、雲が真っ赤に染まっていた。下半分は壁に遮られて見えないので、私達が見ることが出来るのは空だけだった。時折箒に乗った魔術師が横切って行く。まだ犯人は見つかっていないようだ。

「ところでエル、パートナーに連絡しなくていいのか?」

「そうだった。ちょっと廊下に出るね」

 扉を閉めてから、端末でヴィントさんにコールする。

『もしもし、エルちゃん?』

「はい。すみません、連絡が遅くなりました」

『それで、どうなった?』

「それがですね」

 私は事の顛末を全て語った。

「そういうことですので、今日は帰れそうにありません。また明日合流しましょう」

『そっか。それは大変なことになったね。何も出来ない自分がもどかしいよ』

「こっちにはメリッサさんもアルもいるので心配しないで待っていて下さい」

『分かったよ。その様子だと特に危険な状況ではなさそうだね。じゃあ、また明日』

「はい、それでは」

 通話を切って、ポケットにしまう。危険な状況ではない、か。確かに今のところは、トラブルが起こりそうな気配はない。でも魔法絡みの事件の場合、いつどこで何が起こるのか全く予想できないから厄介だと世間では言われている。それは確かに事実。何も起こっていない今が一番怪しい。だからメリッサさんは話しかけられない限り喋らず、ずっと外を警戒していた。

 会議室に戻ると、プレジデントが隣室から移動してきていた。モスグリーンのスーツに身を包んだ、長身で銀髪の壮年の男性、彼こそ、学院の創設者ルレットの子孫、プレジデントことエギル。細く切れ長の目に、ひげのないシャープな顎のライン。神話に出てくる美青年が年を取ったような、美しささえ覚える顔立ち。魔術師としては最強と言われる人物だけど、そういう肩書らしい威圧感というものは全く感じられず、むしろ親近感さえ抱く。

「全員揃ってるな。まず報告からしよう。先程から魔法と人海戦術の両面で捜索を続けているが、未だに収穫はゼロだ。なに、一晩もあれば完全に調べ尽くせる」

「それはロストしたと言うんじゃないのか」いきなりメリッサさんがそんなことを言い出した。「念の為に聞いておくが、これもあの指令の一部なのか?」

「とんでもない。これは本当の事件アクシデントだ。ディアナが杖を持っていることを見破った時点で終わり、それが私の用意したプランだ」

 これでジョークでもドッキリでもない、本物の盗難事件だということがはっきりした。

「しかしだ、私のかけているバリアは誰も破れはしない。必ず見つけ出す」

「そうは言うがねえ。アル、どう思う」

「バリアの性能を疑うわけではありませんが、見つからない以上、アカデミーの外に捜索範囲を広げるのが得策かと」

「私も同意見だ。シーフだって、いつまでも見つかる可能性の高い場所にステイはしないだろう?」

 ごもっとも。逃げ道を用意しない愚者スチューピッドならとっくに捕まっている。方法はまだ分かっていないけど、犯人は逃走したとこの場合は結論付けるべきだろう。しかしプレジデントは私の魔法は完璧だから、とその主張をはねのける。

「バリアに何か干渉があったなら私が気付かないはずはない。そういうシステムなのだから。門番も君達以外に通ってはいないと言う。犯人は逃げていない。まだどこかに隠れているに違いない」

「エギル、お前ってそんなにノーテンキな男だったっけ? 明日までに見つからなかったらどうする?」

「その時は……お前達の主張を認めるしかないだろう」

「いいから捜査権を渡してくれればいいんだ。私とアルなら何の制約もなく動き回れるから好都合だろう」

「そうは言うがな、メリッサ。分かるだろう? あまり大騒ぎするとアカデミーにとってマイナスだ」

「杖が盗まれたスキャンダルで既にマイナスだろう」

 プレジデントが恐れているのは、アカデミーの名声ネームヴァリューが下がることだ。統一政府によって設立され、技師と魔術師の教育機関であり研究機関、その第一号にしてトップに君臨するこの学院、相応のプライドがあって当然だ。それだけ多くのものを背負っている以上、その名声と評価に傷をつける訳にはいかない。うん、それは分かる。分かるんだけど、そんなこと言ってられる状況シチュエーションなのかな。

「ひとまず、こちらのことはこちらに任せてくれれば良い。今後のことは明日考える。今日はゆっくり休んでくれ。医務室のベッドは好きに使ってくれて構わない」

「いいんですか?」

「ゲストと女子生徒を追い出してスタッフを寝かせるわけにはいかないだろう」

 やった!

「話は以上、いや最後に一つ。どこにバーグラーが隠れているか分からない。単独行動は極力避けてくれ」

 まだ隠れてる可能性を信じてる。まあいいか。それから私達はディアナさんと別れて食堂へと向かった。

「ねえアル、さっきの単独行動は避けろってアドバイスなんだけどさ、ナンセンスだと思うの」

「何でだよ」

「一人になったところをキルするか人質にすることを警戒してるんだろうけど、そんなことしようとした時点で居場所が割れるし、ランクの高い魔術師が多いアカデミーでそんなことしても意味がないわ。第一、そんな手段に出ても犯人にはメリットがない」

「いいや、そうじゃない。逆に脱出不可能と悟って追い詰められた人間なら、そういうこともやりかねない。最後の悪あがきとして誰かを傷つけるかも知れない。いくら腕の立つ魔術師だって俺と同じ人間なんだ、魔法が使えるから大丈夫なんて驕りが一番危険なんだよ。初心忘れるべからずとか、慎重になってもなりすぎることはない、って格言もあるだろ」

「心配してくれてるの?」

「当たり前だろ」

「メルシー。でも大丈夫だよ。犯人はもう外に出た可能性が高いんでしょ?」

「だからって中にいないことにはならないって……なあ、もしかして――いや、何でもない」

「何よ? まあいいけど。それにね、私の場合は身に危険が迫るとカンヴァスが警告してくれるから」

 私のペットである白猫のカンヴァスは先導するかのように私達の数歩先を歩いていた。

「クリム、ペットに自動魔法オートマジックつけてるのか?」

 メリッサさんが背後から聞いてきた。オートマジックは一定条件で自動的に発動する魔法、および永続的コンスタントに効果を出し続ける魔法。いずれも並の魔術師には出来ない芸当だ。

「ええ。この子はちょっと特別なんで。もちろんそこはシークレットですよ」

 ふと外を見ると、空にはもう藍色が侵食し始めていた。もう夜がすぐそこまで来ていた。そこを黒い人影が横切って行く。

 肝心の食料は、予想した通り仕入れが少ないこともあって一人サンドイッチ一個しか用意してくれなかった。この際贅沢は言わない。アルは不満そうにしていたけれど。それを済ませると今度は医務室の様子を見に行くことにした。その道すがら、何人もの先生とすれ違った。どうやら犯人は建物に潜伏していると踏んだらしい。誰もがアカデミーの名誉を守ろうと必死に動いているのに、私達だけ何もしていないのは、少し申し訳無さを感じてしまう。

「私達も動きませんか? ダメとは言われていませんよね」

「彼らに任せておけばいい。捜索にあたっているのは精鋭揃いだ、心配ない」

「俺だってそうしたいけど、この状況で何かが出来るとも思えない。休んでおくのが一番だと思うよ」

 二人してそんなこと言う。想定していたけどさ。

 医務室に鍵はかかっていなかった。けれど明かりは落ちていて無人だった。校医は恐らく取り調べを受けているんだろう。備え付けのベッドは六台。人数的には足りるし、カーテンで仕切られてはいるけれど……

「俺は隣の倉庫で寝るよ」

 自分からそう申し出てくれるとはありがたい。どうしてもベッドがいいって言っても構わなかったんだけど。

「そう。じゃ、これ」

 言いながら私はポケットからハンカチ大の布を取り出し、それを一振り、二振りすると、人を覆えるくらいの大きさになった。私がいつも飛ぶのに使っているカーペットである。

「使って。何もないよりマシでしょ」

 本当なら、こんなもの(と言うには便利なアイテムなのだけど)を毛布ブランケット代わりに使わせるなんて失礼だ。寝袋やテントがあればいいんだけど、残念ながら部外者が入ることを嫌うアカデミーは災害時の避難場所としての備えがない。今回のようなアクシデントを想定していない。だからこれは緊急時の対応、仕方のないこと、そう自分に言い聞かせていたのだけれど、アルは笑顔でカーペットを受け取った。

「サンキュ、助かった。室内だしまだ冷え込まないとはいえ床で寝るのはどうかなって思ってたんた。ありがたく使わせてもらうよ」

「うん」

 潔癖症とは違う気がするけれど、私の大事な宝具を、気心の知れた幼なじみとはいえ他人に、こういう使い方をさせるために貸すことに抵抗がないわけじゃない。かと言ってアルもこの部屋で寝ればいい、と勧めるのは恥ずかしすぎる。なんだろう、今日はナーバスになってるみたいだ。

「エルって優しいな」

「それじゃ私がいつも冷たいみたいじゃない」

「だってこれ、大事なものなんだろ?」

「アルの方がもっと大事だから」

「あ、う……うん、ありがと」

 アルは顔を赤くしてそっぽを向きながら言った。

「お前、なんていうか、表現がストレートだよな」

「本当のこと言ってるだけじゃない」

「よく真顔でそういうこと言えるよな」

「言わなきゃ思いは伝わらないからよ」

「そこの若い二人、一緒に寝たいならそうとはっきり言う!」

「思ってませんから!」

 メリッサさんの茶々に返事をしたのはアルだけだった。突然のことに私は言葉が出なかった。

「そうか? 私にはどこまで進んでいいのか分からないカップルの会話に聞こえたが」

 彼女は既にベッドのカーテンを閉めていた。もう寝る準備をしているらしい。

「どう解釈したらそう聞こえるんですか」

「あるいは倫理の壁と戦う兄妹のようだ」

「なんか生々しい!」

 それには同意する。お互い家族同然に育ってきたし、血を絶やさないためにもマギカはマギカとしか恋愛してはいけないという暗黙の掟もある。そういう意味では、私達は兄妹の関係に近いのかもしれない。

「すっかり打ち解けたみたいね、そんな冗談が言えるなんて」

「俺も驚いてる。もうゴシップは信用しないと決めたよ。結局ただの憶測と妄想だった」

「そうなの?」

「『そうなの?』ってクリム、アルよりも前から私達は知り合いだったろう」

「でも魔術師ランクの試験とかで事務的な会話しただけですから、そんなフランクな人だなんて思いませんよ」

「そうかそれが原因なのか……」

 カーテンの向こう側で何やら呟き始めた。自分の噂のこと、少しは気にしているのかもしれない。

「そうだ、この子も連れてって」

 視線を床に落とすと、そこにはカンヴァスがいた。

「なんで?」とアル。

「念のためってやつ。何かあったらすぐに分かるように。残念ながら本物の猫と違って温かくはないけど」

 魔力で動く人工生命である魔術師のペットは基本的に熱を持たない。生き物の形をしているのは便宜上のものだ。

「ん、分かった。いろいろありがとな。じゃあエル、俺もそろそろ寝るよ」

「うん、今日は疲れたしね。おやすみ」

 アルは踵を返し、医務室を出て行く直前に立ち止まってこう言った。

「言わなきゃ伝わらないっていうのは確かだけど、言わないから伝わるってこともあるんだよ」

 まるで捨て台詞のように、返事をする隙を与えずに扉を閉めた。言わないから伝わる? それって『便りのないのは良い便り』っていう格言のことを言ってるの?

 不思議に思いながら、メリッサさんの隣、窓に面したベッドに腰掛ける。

「何だったんですかね、最後の」

「私はほぼ同時に言い返されると思ってちょっかい出したんだ」

 ん? それってさっきの――

 思い切り声を上げそうになるのを、私は必死に堪えた。


 決して先程の大胆『無言』ではない理由で、私はその夜は寝付けなかった。枕が合わないとか、薬品の匂いが鼻につくとか、大事件の渦中にいることとか、思いつく原因コーズならいくらでもあった。その一方で、眠らずに必死に仕事をしている人達がいる。雲がない、少し欠けた月のかかる空を魔術師が飛んでいく。その姿はどこか神秘的だけど、現実ってやつはそれと正反対だ。バーグラーを捕まえるためという、生々しい仕事。私にとっても他人事ではないのに、私はその光景を見ながら魔法には月の光が関係しているって話があったけど実際はどうなんだろうな、とか本筋とは関係のないことを考えていた。

 それにしても――これだけのことをしていても(全容を把握しているわけじゃないけど)発見に至らないというこの状況、あと三日かけても無駄に終わるだけなんじゃないかという予感がしていた。そしてもし見つからなかったら、私達全員どうなってしまうんだろう? そう考えると寒気がした。

「メリッサさん、起きてますか」

「起きてるよ。眠れないのか?」

「ええ、もし犯人が見つからなかったら、責任を取る必要があるのかなって考えていたんです。私は目の前で犯人をみすみす逃してしまったんですから」

「いや、その事自体は責められることはない。それを言うならカテドラルの中にいながら犯人に気付かなかった私が責任を負うべきだろう。ただエギルのことだ、関係者に責任を押し付けて解決、ということはしないはず」

「プレジデントとは親しいんですか?」

 取り調べの後の会話でも、この二人はだいぶ打ち解けた感じだった。どちらも高ランクの魔術師だし、知り合いであることをおかしいとは思わないけど、仲が良さそうなのは意外だった。

「ああ。トロネスランクは数が少ないから、大体は知り合いだ。危険人物認定されたのを除いてね。それにエギルの場合はコリーグだったし」

「同僚って、メリッサさんここの教員だったんですか?」

「とは言ってもほんの三年で辞めたよ。ああやって一人対多数でものを教えるっていうのは実際やってみるとハードなもんさ。私の才能と性分ではここにいるより協会アソシエからの依頼をこなすか工房アトリエでも開いて弟子を育てるかする方が合っている――あいつにはそう言われたよ。そしてその通りだった」

 意外な一面だった。二人にそんな過去があったなんて。

「担当分野は何だったんですか?」

純粋魔法ピュアマジックの構成、自衛セルフディフェンス応急処置ファーストエイド、そんなところか。つまり基礎科目。逆に言えば私の場合魔法の癖が強すぎてそれしか出来なかったということだ」

 純粋魔法というのは昔からある機械を必要としない魔法のこと。機械を使うための魔法・メカニカルに対して新しく作られた区別である。ポテンシャルが高いので終戦直後はこれに頼った復興をしようと考えたらしい。しかしながらエネルギーとして使うには安定性やヒューマニズムの観点から却下されたそうだ。しかしながら飛行術を始めとして現代でもそれが生かせる場面は少なくはない。

「水属性の魔術師には血を使って止血する方法を教えていたのだが、何故か苦情が殺到してな」

「ヒットマンだのネクロマンサーだの言われるようになったのはそれが原因じゃないですか?」

「かも知れないな。マギカにとって血は神聖な液体リキッド、それを使うのは残酷な魔法だと思われるのも無理はない。悪魔との契約の書類に血で拇印を押したというお伽話もあることだし」

 でもその主人公は優秀だったから悪魔に魂をさらわれる前に神様が連れ去るんだよね。

「属性に限らず高位魔法を使う際には血を必要とすることもある。血は最高のマテリアルだというのに、まるで理解されない」

「そういうこと言うからですよ。血だの生贄サクリファイスだのはもうクラシックで残酷クルエルなんです、使う人なんてまずいませんよ」

「それならクリム、君の魔法は呪文を使う最もクラシックなものじゃないか」

「それはそうですけど、それは別の話です」

「残酷だというのならそれは単なる綺麗事に過ぎない。そもそも負傷者を治療するための魔法しか教えていなかったよ」

「その練習をするにしたって、誰かが血を流さなきゃならないんですよね」

「さすがに人間を実験台にするわけにはいかない。食用豚を利用したよ。それでも酷いと言う人は少なからずいたが……その通りですよ、なんて言ってくれるなよ。君だって肉を食べるだろう? 製薬業界では実験にマウスを使うし、その歴史は長年分断されていたマギカにもマキナにも共通している。そうすることで人類は進歩プログレスしてきた証拠でもある。クルエル、の言葉で片付けたい連中は、そういう真実から目を背けたがっているようにしか、私には見えないよ」

「それがメリッサさんの哲学フィロソフィーなんですね」

「そう。魔法のポテンシャルは本来無限大なんだ。それを引き出すためのトレーニングとして血を媒介にする技術が必要になる。今のシステムのままでは、魔法文明は共存が出来ないくらいに失墜する。そうならないためには、魔法が機械よりも優れていることを思い出す必要がある」

「それってまさか」

「いいや、私はああいうレイシスト連中とは違う。その前にまずメカニカルはピュアの一部だが別物として考えようか。一次魔法プライマリーはどっちだ?」

「ピュアでしょう」

「そう。でも実際には逆と考えている人が多い。機械を使うために魔法は熱と電気と圧力に特化するようになって、その技量で魔術師ランクが制定されているからだろう。でもそのメカニカルは本来、二次魔法セカンダリーに分類される。基礎を疎かにして応用を重視し続ければ文明の衰退は避けられない。しかし、ピュアマジックの扱いを強化すれば自然とメカニカルの技術も上達する。ただしその逆はない。クリム、君はそう感じたことはない?」

 なるほどと思った。確かに私はアカデミーに入るずっと前から両親に色々な魔法や宝具の使い方を教えて貰ったし、実技の成績が良い友人に話を聞いてみると透視クレアボヤンスとか瞬間移動テレポートとか錬金術アルケミーとか、現代には必要ないと言われる高度な魔法をかつて練習していた人が多かった。でもこれらの魔法は大人でも扱える人は一握りで、学院の成績にはあまり反映されない。だから魔法科の生徒の多くは、メカニカルの科目に比べればピュアマジックのそれを軽視している、ような気がする。

「それが現状なのか」

「はい」

「ランクが中級で満足ならそれで構わないんだがね。その上に進むためにはメカニカルと飛行、それ以外にも一つ以上実用的なスキルが使えることが必要だから」

 国が定めた魔術師ランクは全部で十段階。その下三つが下級、上位四つが上級と呼ばれている。ただしオフィシャルなランク分けではなく、試験の難易度や待遇の違いから生まれた区別だ。アカデミーの卒業には中級の一番上が必須。つまり上級の取得を想定していないため、生徒には「他に実用的な魔法」を覚えようとする人が少ないのだ。

「そうか、じゃあマギカが国家魔術師というシステムに縛られているという考え方は正しいんですね」

「そう。ただ問題はその事実をどう解釈するかにあるし、私は例の過激派には賛同しない。奴らはそれを大義名分としてマキナを見下し、暴力的に機械からの『解放』を目論み、かつての戦争を繰り返そうとしている。彼らの考え方が少しでも変われば、状況シチュエーションは変わるはず、なんだが」

 カフェで会った時にアルが話していた魔術師もその過激派だろう。実際そうやって人に危害を加えることもあり、何度か新聞に載ったこともあるから私もその存在はよく知っているし、世論はそれに否定的だ。テロリスト扱いされることさえある。

「具体的には?」

「うちのアソシエでは、新入会員には仕事の前に専門分野スペシャリティの強化を義務付けている。そうして魔力のベースアップに成功して、ランクは評価の一つに過ぎないこと、魔法は機械の奴隷ではないこと、どころか優れていることを教えるんだ。そうして初めてアトリエへの派遣が許されるようになる。結果としてストロース協会所属の魔術師でマキナとの衝突事件を起こした回数は未だゼロ。この数字を誇っているのはほんの一部だ」

「それ、アカデミーでもやれないんですか?」

「エギルに言ったさ。でも却下された。それはアカデミーのやることじゃないってね。やれやれ」

専門分野スペシャリティを伸ばすには学校の教育法が合わないからじゃないですか?」

「まさにそういうことだ。それは工房アトリエがやることだとも言われたよ。魔法文明としての有り様のために必要なものと、この社会のために学校が求めるものは食い違っている。そこが難しいんだ。だから私はアカデミー教員を辞職した。才能よりも方針のためにね」

「そうだったんですね……あれ?」

「どうした?」

「カンヴァスがいない」

「さっきアルにくっついて行ったんじゃないのか?」

「ええ、でも隣の部屋に反応がないんです」

「ウォータークローゼットじゃないのか」

「だといいんですけどね」

 大きな物音はしなかったし、アルが軽率な行動を取るとは思えない。カンヴァスも認知できない範囲にいるだけで消滅した訳ではないし、単に考え過ぎと思うことにした。

「ところでアルから聞いたんだが、アルとは家ぐるみの長い付き合いなんだって?」

「ウィ。終戦の頃からだって聞いています」

「彼もそんなこと言っていたな。エル専属のエンジニアになるとか」

「ええ、そのつもりです。彼以外に任せるつもりはありません」

「そんなに入れ込むのは、家のしきたりだからか?」

「それもありますが、信頼できる相手なので。その方が好都合でしょう?」

「ならマリッジも考えてるのか?」

「あり得ません」

 私は即答した。

「確かにパートナーとしても一人の男としても尊敬できる人です。でも彼はマキナですよ、結婚なんてあり得ません。魔法の才能を持たない子供が生まれてきたら困りますから」

「なら、アルが魔術師だったら考えてたと?」

「技師でなかったら家づきあいもなかったと思いますよ」

「それもそうか。民族の壁というのは大きいな。ところで、上級ランクにいるマギカはほぼ全員純血の魔術師の家系、ペディグリー付きだってのは知ってるか?」

「直接聞いたことはありませんけどね。それより血統書って、動物じゃないんですから」

「皮肉にもそれが現実だし、国が自ら掲げている方針でもある。でもそのおかげでランクの高い魔術師が生まれやすくなっているのも事実だし、コントロールや調査が入る点を除けば戦前と何ら変わらない。それを嫌だと言うなら、魔法を捨てるか、日陰ライフしかない」

「結局、ウィザードって政府のペットなんですよね。血統の維持と社会への貢献を条件に、何世代にもわたって生活が保証される」

「そう、魔法を使い続ける限りは。何か不満でも?」

「そういうんじゃないんです。ただ、役所が結婚相手について口を出すのは変ですよ」

「血統書で管理されるとは言っても人権まで無視される訳じゃない。国が言っているのはあくまで推奨、大多数のマギカは自由意志で選び取ってるよ。当局オーソリティにそこまでの強制力はない」

 魔術師の家に生まれた者は九割以上が魔術師と結婚するらしい。でも、それが好きになった相手がたまたまマギカだったからなのか、あるいはマギカしか愛してはいけないという社会的な心理によるものなのか、区別が出来ない。メリッサさんに聞いてみようかとも思ったけど思い留まった。

「それで、メリッサさんの場合はどうなんですか? 人生の先輩として参考にしたいです」

「あまり参考にすることなんかないぞ。アソシエで出会った普通の、いやそれなりに名のある男だよ。残念ながら映画になりそうなロマンスなんか何もない」

「ナッシングってことはないでしょう?」

「他人の恋愛話より、自分の男の心配をすべきじゃないのか」

「アルには恋人はいませんよ」

「私は君の恋愛の心配をしろって言ったんだが。やっぱり恋愛対象として見ているんだな」

「わあっ!」

「うるさい」

 やられた! いやそれより!

「アルがまだ戻ってませんね。何かトラブルに巻き込まれたのかも! 探してきます!」

 私はベッドから飛び出し、カーテンレールに吊るしたハンガーから制服のジャケットを剥ぎ取ると、逃げ出すようにして医務室を後にした。去り際に気をつけて、という言葉が聞こえたような気がしたけど私はそれに返事をしなかった。

 廊下は明かりが落とされて真っ暗だった。非常用のオレンジのランプが遠くに見えるきりだ。

「カンヴァス、クオ・ヴァディス」

 使い魔用の探知魔法を唱えると、カンヴァスが階段を登っていったことが分かった。この建物は機械科と魔法科の共用で、一般教養科目用の通常教室と特別教室、学院長室などがある。でもピアノやらパレットやらソーイングマシーンやらに用があるとは思えないし、一人でプレジデントに会いに行くはずがない。となると、屋上だろうな。歩き出す前にアルが寝ていた倉庫を覗いてみる。男性の教員が何人か寝ているのが見えた。でもあのカーペットは見つからなかったので、少なくとも無理矢理連れ去られたのではないらしい。

 無人の廊下をコツコツと音を響かせながら歩いていく。こんなに音が反響するなんて知らなかった。その分余計に不気味だった。幽霊なんているわけないし、いや、降霊術って魔法があるくらいだからいるのかな? 何にしても私にはそんなものは見えない。から気にしない。カンヴァスの気配が近づくのを感じながら、私は階段を一歩一歩上がっていった。

 夜間だというのに、屋上の入り口は封鎖されていなかった。それを気にしている場合ではないからだろう。その鉄の扉を開けると、白猫がこちらを見上げていた。カンヴァスは背を向けると人影の方へ歩き出した。フェンスのそばに、カーペットを体に巻いたアルが座っていた。

「どしたの、こんなところで」

 アルは不思議そうな顔をして振り向いた。

「カンヴァスがいなくなってたから探しに来たのよ」

「ごめん、心配させた? なんかああいう場所だと落ち着かなくてさ、眠れなかったんだ」

「だったらアルも医務室に来れば? まだ空きのベッドはあるわよ、窓際の」

「嬉しいけど遠慮しとく」

「そう。それで、眠れなかったからってわざわざこんなところに?」

「考え事してた」

「杖のこと?」

「そう」

「これ、ちょっと貸して」

 アルがくるまっていたカーペットを剥ぎ取り、倍の大きさにする。私はアルの隣に座って、二人で毛布代わりに肩から羽織った。

「これ、保温性あるの?」

「人に貸してから聞くなよ。まあ、そこそこ」

「ふーん」

 肩と肩が触れる距離まで接近した。もうすぐ夏になるとはいえ、夜は冷え込む。ましてや屋外だ。

「何か分かったことは?」

 カンヴァスは私達の眼の前におとなしく座っていた。

「魔法が絡んだ犯罪となると、やっぱり俺の知識じゃ限界がある。もっと情報が必要だな」

「具体的には?」

「ほぼ全部。まずは犯人の侵入経路と、情報の入手先。犯人が学院の関係者だったら簡単だ。学院長の魔法でも探し出せないことにも説明がつく。俺達や教職員が引っかかる魔法なら意味が無いからな。その性質を逆に利用して杖を隠しているのかもしれない。方法は分からないけど。犯人は学院長が諦めるまで隠し続けるつもりなんだろう。でも学院長は世界最高の魔術師なんだろ? そんな相手に挑んだって、見つかるのは時間の問題でしかないって分かるはず。そうすると脱出したと考えるのが自然だな。学院を覆うように張られているっていうバリアをすり抜ける手段があるに違いない。杖だけが外に出たのか、犯人ごとなのかは分からないけど」

「それはないわ。それを破った人なんて聞いたことない。それに、破れるだけの力がある魔術師なら杖を盗もうなんて思わないわ」

「でも今のところはそうじゃないとこの状況を説明できないし、犯人を絞り込めない。外部犯だとしたら特定はかなり簡単だろうけど、その可能性は低い」

「どうして?」

「部外者はミッションの開始日以外の情報を知らないから。クイーンガーネットが持ち出されることを知っていたのは教職員だけのはず。その情報が何らかの形で漏洩したとしたら、そこから探れる」

「ねえアル、どうしてそんなに一人で全部解決しようとするの? 今学院総出で事件解決のために動いてくれてるし、杖がなくたってアルは困らないでしょ?」

「確かにマキナにとってあれはただの鉄パイプと同じ価値しかないよ。けど、盗まれたのは犯人を目前にして狙撃できなかった俺にも責任がある。何より、気になるんだよ、この事件。魔術師が主犯である点を含めて奇妙な点が多い。裏に何かあるんじゃないかって気がするんだ」

「ただの好奇心ならやめた方がいいよ」

「むしろ責任感だよ。まあ、最初に『犯人』まで辿り着いて調子に乗ってるのは否定しない」

「責任感って、そんなに重く受け止めなくたっていいじゃない。聞いた限り、アルは悪くないわ」

「いいや、俺メリッサさんのせいだ。ディアナさんを追い詰めるのに夢中で窃盗犯に気付かなかった俺達が解決しなきゃいけないんだ」

「私が手伝っちゃダメ?」

「あれば心強いけど、自分の試験もあるだろ? そっちはどうするんだよ」

「そうだよね。さすがにそれは無理か。アルにはメリッサさんがいるもんね」

「気持ちは本当に嬉しいんだけど」

「いいの気にしないで」

 ああ私って悪い子だ。これじゃ私メリッサさんに嫉妬してますって宣言してるようなものじゃない。居心地が悪くなって私はそっぽを向いた。

「エレット」

 アルはそう言って私の手を軽く握った。

「俺のパートナーはお前一人だけだ、心配すんな」

「うん……」

「一体何をそんなに心配してるんだよ? さすがにあれだけ年上の人は恋愛対象として見れない」

「パートナーとしては?」

「及第点。今のところは」

「私よりそっちがいいなんて言い出したら許さないからね」

「俺をそんな薄情な男だと思ってたのか。そもそもメリッサさんはマキナと仕事をするのが好きじゃないって言ってた。ミッションが終われば二度と仕事をすることはないだろうな。それにさ……こんなこと言うのこっ恥ずかしいんだけど、俺もエル以外と組むつもりはないからな」

「そっか……そっか」

 私はしばらく涙を堪えるのに必死だった。


「カフェでヴィントさんが言ったこと覚えてる?」

 気分が落ち着いてから、私はそう切り出した。

「えっと、眼の色のことでメリッサさんに何やらいじくり回されたって話?」

「うん。私も似たようなことをされたの。もちろんこの髪の色のことでね」

 マギカにとって髪や眼の色はその人の属性や適性を映し出す鏡だと言われている。赤い髪だと火属性、オレンジの瞳は治療系に長ける、などなど。中でも左右で色が異なるオッドアイは珍しく、ましてやマキナだともっと少なく、メリッサさんでなくても魔術師には興味深く映る。また白やピンクの髪自体は少数派ではあるがマギカにとってはごく自然なものだ。でも私の場合魔法を使うと変化するという類を見ない性質のために、彼女の格好のターゲットになった。珍しがる人は何人もいたけど、実際に調査をしようと言い出したのは彼女だけだった。

「普通の医療検査ではやらないことまでされたわ。お陰で色々面白いことが知れたけど」

「例えば?」

「髪の毛以外は反応しないみたい」

「……確かに睫毛が変色してるのは見たことないな」

「ねえ今何を想像イマジンした? いい、言わなくて。聞きたくないから」

 他には、抜け毛でも身長と同じくらいの距離なら反応すること、変色してから元に戻るまでの時間は条件に関係なく三分で一定であること、私以外の魔術師でもわずかに変色させられる者がいること(もちろん一番効果があったのは、私と同じ髪を持つ母だ)。

「でも得られたのはただのトリヴィア。情報以上の価値ヴァリューがないわ」

「抜け毛でも反応するっていうのは初耳だな。残念だけど俺にも正体が見えない」

「さすがのメリッサさんもお手上げだったみたい。何か分かれば、失踪した父さんの行方がつかめると思ったんだけど」

 私達は生まれつきこんな変な髪を持っていたわけではなく、元々ストロベリーブロンドだったのがある日突然銀髪に変化したのだ。父と、父がマスターを務めるアトリエの弟子たちが一斉に失踪し、そのアトリエも消失したのがその日だった。そして何より不思議だったのは、私の家族以外、そんな人がいたこともそんなアトリエがあったことも覚えていないことだった。自分(と母)の体に起きた変化に混乱し、幼い私はしばらく学校にも行かずふさぎ込んでいた。

「父さんは一体どんな魔法使ったんだろうね。教えてよ、カンヴァス」

 呼ぶと白猫は首だけで振り向いた。このペットは、本当は私のものではない。元々父が錬成し引き連れていたものだ。父が失踪した日の夜、何故かカンヴァスだけが家に戻ってきた。ペットは高位魔術師にしか扱えないし母に全部任せようとしたけれど、母は私が主人になった方がいいと言って、それ以来私のペットとして役立ってくれている。

「カンヴァスが健在ってことは、親父さんがまだ生きているって証拠なんだっけ?」

「そう。存在を保つために私が魔力供給しているけど、それはあくまで代理だしね。ペットは基本的に錬成した本人の言うことしか聞かないし、術者が死ぬと消滅するもの」

「エルに懐いてるのは主人の子供だから例外ってこと?」

「どうだろうね。こういうケースは聞いたことないし、他人のペットでも魔力を送って魔法を使わせられるって初めて知ったくらいだから」

「分からないことだらけだな、ヴィントさんのオッドアイも含めて」

「そうね。彼の目は突然変異か何かだと思うけど。生まれつきだって言ってたし。そのうちアルも何かされたりしてね」

「いや俺の体には魔術師的に気になるようなところは何もないだろ」

「私もアルも気付いてないことがあるのかも。だってアルの名付け親は父さんなんだよ」

「何それ初めて聞いた。まあ俺達の名前からしてそんな予感はしてたけどさ。でもな、うちは混じりっけなしのマキナの家系だ、変なことは断じてない」

「それは言い過ぎよ。ヴィントさんもそうだもの」

「マジか」

「何もないとは思うけどね。それより、そろそろ戻らない?」

「だな、さすがに寒くなってきたし。考え事するために外に出たはずなのにかえって謎が増えただけだ」

犯人バーグラーがマギカなんだもの、無理もないわ。あとはプレジデントと警察ポリスに任せましょうよ。それとも、アルが一人で解決しなきゃならない理由があるの?」

「いいや。それより、警察にもマギカはいるのかな」

 もちろん。というよりマギカが最も必要とされる仕事の一つでもある。空を飛べるぶんバイクよりもずっと機動性が高いし、魔術師の犯罪は魔術師にしか解決できないからだ。

「だったらメリッサさんも動くかも。警察と協力することがあるって書類に書いてあったし」

「でもプレジデントは警察に知らせるのを嫌がってたわ」

「表沙汰にはせずに捜査するなんて、そんなに難しいことじゃない。それに、俺達が警察の代わりに動けば、マスコミに嗅ぎつけられる可能性はずっと低い。国家権力じゃないと出来ないことはさすがに頼るとして……実際にやってみるとメリッサさんばかり活躍しそうだけどな」

「負けないように頑張りなさいな。卒業試験が泥棒探しなんてマヌケに聞こえるけど」

「さすがにこの展開は予想外だったよ。それよりエル、なんでそんな寂しそうな顔してるんだ?」

「そんなことないわよ」

 顔を覗きこんでくるな恥ずかしい。

「さ、戻るわよ」

 気を紛らすために立ち上がりながら毛布代わりのカーペットを引き剥がし、もとのハンカチサイズに戻す。畳みながらアルの方を見ると、少し寒そうに体をさすっていた。ジャケットの下から拳銃のホルスターが見えた。

「それにしても、弾丸バレットにアンチマジックを込めて撃つなんてよく思いついたね」

「いや、煙幕とか熱吸収とか爆発とかの魔法を組み込むのはよくやってるし。反魔法なんてものがあるってのはメリッサさんから聞いて初めて知ったけど」

「そりゃあ高度な魔法だもの、知らなくて当然よ。反対の性質の魔法で打ち消すんじゃなくて属性関係なく魔法の術式を破壊ブレイクするんだから。しかも直接攻撃ダイレクトアタックでないと意味がないの」

「え、俺そんなすごい魔法使ってたの?」

「そうよ。メリッサさんもこんな使い方したの初めてだと思うわ」

「でも俺がいる間しか使えないんだよな。だってほら、カートリッジに入れた魔法で起爆しても動かないから火薬銃でしか使えない。メリッサさんは魔法銃の撃ち方しか知らない。俺は両方使えるから分かるけど、反動の大きさが違うから火薬銃に慣れるのも大変だと思う」

 なるほど、つまりこのペアでないとなせなかったスキルってことか。アンチマジックは術者本人の発動座標指定さえも無効化するから杖の先端より遠くの魔法には干渉できないのが最大の特徴にして欠点。だから魔術師に――今回のディアナさんの場合だと永続している魔法そのものに――直接触るしかない。それが飛び道具として使えるのであれば、活用範囲が広がるはず。でも火薬銃とか弓矢とか魔法を必要としない方法でしか投擲キャスト出来ない以上、自ずと使い方は限られてくる。弾道も魔法でなく物理法則で計算するしかない。

 カーペットをポケットに押し込んで、ふと私は空を見上げた。月が出ているぶん、明るい星しか見えていない。それでも私の心を癒すには十分な美しさだった。

「いつ見ても夜空って綺麗よね」

「田舎の空ほどじゃないけどな」

「そりゃね」

 私達の実家は、ここからずっと離れた小さな島にある。人口も少なくて観光名所らしい場所もなくただ静かな農村が広がる、そんな島だ。そんなところにいたから、星の少ないここでの暮らしはなんだか息苦しくもある。とは言っても、アカデミーに通うために一人暮らしする以前にも都会生活を経験しているのだけど。

「星はいつ見ても変わらないね」

「卒業試験終わったら一度家に顔出そうか。こっち来てから一回しか帰ってないし。あの星空も懐かしいし」

「うん、そうしようか」

 そんな長話をして、私達はようやく屋上を後にした。


「魔術師が国から支援を受けているのは犯罪抑止の理由もあるって聞いたけど」

「そうよ、経済エコノミー的に困らなければそんな気を起こさないっていう考えからよね。でもそれは裏を返せば、犯罪に走らないよう買収していることにもなる。でも当然、貧乏以外にも犯罪の動機モチーフはあるから、今回みたいなケースもあるわよね」

 私達は階段を下りていた。廊下よりもずっと足音と声が反響する。踊り場には窓がないので、頼りになるのは非常灯のオレンジの明かりだけだ。

「今回みたいな金じゃ買えないものが欲しかった、っていう動機は分かりやすいな。なあエル、こういうのって今後増えていくと思う?」

「さあね」

 私は学者じゃないからそういうのは分からない。

「それでも、この事件が明るみに出れば犯罪者はだいたいマキナだっていう偏見は変わるかもね」

「裏を返せばマギカのイメージダウンじゃねえか」

「それで地位が揺らぐようなら今の世界はないわ」

「そりゃそうだ。って言っても、盗んだのは相当力のある魔術師だろ? それに俺の見立てが正しければ学院に主犯ないし共犯がいる。ただごとじゃ済まない」

 だからこそプレジデントはこの問題を内部だけで早急に解決したがっている。最悪の場合、盗まれた事実をもみ消すことも出来る。どうするのがベストか、彼は今悩んでいるに違いない。

「そういえばエル、教会から出た犯人は鐘楼に向かったって言ってたよな」

「言ったわ」

「もし犯人に学院のバリアを破って外に出る能力があったとして、どうしてまっすぐ脱出しなかったんだ? あの鐘楼に何か秘密があるのならともかく」

「あれは単に時間を知らせるためだけのもので、魔法的なものはないわ。宗教的なものはあるけど」

「そっか、そこに秘密の抜け穴がってことはないか」

 私の証言通り、そこは真っ先に入念に調べられたはず。それでも事態が動いた様子を見せないということは、そこには残念ながら何もなかった、ということなのだろう。

「あるわけないでしょ。バリアは瞬間移動魔法テレポートさえも弾き飛ばすのよ」

「ならやっぱり犯人はこの敷地内のどこかにいるのか。だとしたらあれか? どっかの小説の大泥棒みたいに誰かに化けてるとか」

「それこそサーチ魔法に真っ先に引っかかるわ。見た目を変えるだけだから」

「なら主犯も共犯もそれに関係ない学院のスタッフなのか?」

「その場合、杖をどこに隠したかが問題よね」

 気付けば私達は医務室に戻ってきていた。カーペットをアルに渡してカンヴァスを護衛につけ、再び別れの挨拶をした。

 ベッドに戻るとメリッサさんがアルは無事だったか、と尋ねてきた。

「はい。考え事がしたかったそうです。結局解答アンサーは出なかったみたいです」

「さすがにあのアルにも無理だったか。やはり情報インフォメーションが少なすぎるのか」

「ですね。分からないことが多すぎるって言ってました」

 全てがエギルの自作自演ならひと通りの説明がつくんだがな、とメリッサさんは呟いた。言うまでもなくその可能性はない。ミッションのゲームならディアナさんが犯人だと見抜いただけで十分、ここまで引き伸ばす必要はないからだ。それに彼のあの焦りよう、深夜まで魔法科機械科問わず教師を動かしていること、自作自演にしてはやり過ぎだ。

「明日の朝になればエギルも何かしらの情報を掴んで判断を下すだろうさ。明日からは通常授業だし、いつまでも非常事態モードにしておく訳にもいかない。まあ、どういう結果になろうと私達は独自の方法でクイーンガーネットの行方を追うつもりだがね」

「アルもそんなこと言ってましたよ、メリッサさんと捜査することになれば、警察と違って表沙汰になりにくいって」

「なんだ、アルも乗り気だったのか。どうやら今年のミッションは面白いことになりそうだ」

「本当にやるんですか?」

「仕事は不定期だし、魔術師ランクを維持するためのレポートさえ忘れなければ働かずにいられるだけのマネーはある。アソシエに話を通せば、時間なんていくらでもあるもんさ。警察とも顔なじみだし」

 今さらっとすごいこと言わなかったこの人? さすがに最高ランクの魔術師ともなると格が違うんだなあ。

「でもミッションの内容としてそれは良いんですか?」

「エギルを説得するだけだ」

「オゥ……」

「さて、そろそろ寝ようか、クリム」

「私のことはエルでいいです」

「おやすみ、エル」

「おやすみなさい、メリッサさん」

 こうして、後にクイーンガーネット盗難事件、杖の名前からQG事件と呼ばれることになるイベントの初日に幕が降ろされたのだった。


 翌早朝に叩き起こされ、朝食も取れないままに私達は学院長室に再び集められた。結論から言うと、出勤した全てのスタッフを調べ、夜通し捜索したものの、杖は学院の敷地内からは発見できず、怪しい者もいなかったそうだ。

「こういう事態になるとは私も予想外だったよ。そして何より、うかつにポリスの協力を仰げないというシビアなこの状況! 世間に知られたらスキャンダルどころじゃ済まない!」

 一睡もしていないからなのか、学院長の様子がどこかおかしかった。話し方も身振りも何か芝居がかっている。

「だからこそ、この犯罪は秘密裏に処理しなければならない」

「隠すのはいいが、エギル、犯人が杖を使って何かしらの行動アクションを起こせば、盗まれたことはいずれバレてしまうだろう」とメリッサさんが言った。

「そうだ、だからこれはタイムリミットとの勝負でもある! 初戦は負けたが第二ラウンドでは巻き返す!」

「いやしかし、それだと学院の運営はどうする」

「そこでだ、君達に捜査の代行をして貰いたい。犯人を突き止め、クイーンガーネットを無事回収できたら、主席卒業という名誉を与えよう」

 それって職権乱用じゃないの?

「気前がいいな。条件はそれだけか?」

「杖を無傷で取り返すこと、犯人を生きたまま連行すること、盗難の情報を外に漏らさないこと――これが条件だ」

 ずいぶんとハードな注文だと思う。でも無理もない。杖が使い物にならなかったら戻ってきても無意味だし、犯人が死んでいたら真相が闇の中だし、報道されようものなら杖が無傷でも強盗が存命でもネームヴァリューの暴落は止められないからだ。一番シビアなのは最後だろう。

 ちらりと横を伺うと、アルとメリッサさんがアイコンタクトをしていた。最後の確認をしているんだろうなと思った直後、アルが引き受けます、と切り出した。

「魔術師を追い詰めるなんて面白そうじゃないですか。俺とメリッサさんの二人ならきっと成し遂げられます。主席卒業の名誉、貰いに行きますよ」

「ああ、アルの推理力は驚異的マーベラスだ、私も出来ることは全てやろう」

「引き受けてくれるか、ありがたい」

 すると突然、学院長の顔が真剣味を帯びた。何か真面目な話をしようという雰囲気だ。

「ところで、杖が盗まれたことに対する責任は、誰が負うべきなのだろうな」

 え? 今どうしてそんな話を? 混乱しているとまたメリッサさんが答えた。

「何故今その話をする必要がある。悪いのは犯人だろう。今から捕まえようという話をしているのに、責任を取るなんてナンセンスじゃないか」

 そうだと思う。誰も盗まれることを想定していなかった以上、私達の誰かに責任を求めるのはやっぱりおかしい。

「最悪の場合を考慮しない訳にはいかないだろう? 私の庭で盗みをして、しかも逃げ隠れている。迷宮入りもありうる話だ。マギカの宝である魔石杖の一つが失われたとあっては、その損害に誰かが責任を取らなければならない。もちろん、杖を宝物庫から出させた私にもその責任はある」

 誰も言い返せず、重たい沈黙が流れた。

「そして、犯行現場を目撃しながら犯人を取り逃したメリッサ・レインズとアルクラッド・シラナミ、杖の管理を怠ったディアナ・スプリング、この三名にも同様に何らかの責任を取ってもらう」

 思わず私はいいんですか、と声に出してしまった。

「君に過失はないだろう? 黒服の魔術師が窃盗犯だとは知らなかったのだから」

「でも最後に犯人を目撃して見失ったんですよ」

「それはただの目撃証言だ」

 これ以上は言い返せなかった。いいや、私も悪かったと言って欲しかった訳じゃない。アルが最悪社会的に抹殺されるかも知れないというピンチなのに、私は外側から見ているしかない。それが悔しいのだ。

「つまり、ハイリスクハイリターンってことですね。ギャンブルはあまり好きじゃないんですけど……でも、いざという時に犯人を狙撃できなかった俺が悪いのは事実ですよね。それで、責任って具体的には?」

「それはその時に決めよう」

「成功した時の報酬、ディアナさんにはないんですか?」

「それもその時に決めよう」

 いや、そこはもう少し具体的なプラン考えようよ。

「いえ、いいんです、報酬なんて。ミスが取り消しになるなら、私はそれで」

 ディアナさんが涙声で言った。考えてみれば、一番ショックを受けているのは恐らく彼女だ。管理を任されて、それだけが仕事のような人なのに、その務めが果たせずこうなったとあれば、そのプライドは相当傷ついたに違いない。

「アル、不安か?」

「いいえ、全く」

 自信たっぷりに言うなあ。ほんと、いつの間にこんなに信頼関係を築いたんだろう。

「では学院長、捜査を引き受けるにあたってお願いしたいことがあります」

「言ってみなさい」

「学院に関する情報は、こちらが求める限り何一つ隠さず提供して下さい」

「そのくらい簡単だ」

「セキュリティの中枢に関する情報であっても?」

「それが事件解決に必要なら、アクセスの権限くらい安いものだ」

 学院長は少し待ってくれと言って、机の上に魔法陣を展開し、引き出しの中からカードを一枚取り出した。

「これは緊急時に私に代わってアカデミーのシステムを動かすための特別なカードキーだ。これを見せれば誰でも協力してくれるし、どんなデータにもアクセス出来る。それがアカデミーの人間である限りね。パスコードは三三二三の一二四二、くれぐれも盗まれないように注意して欲しい」

 アルはその金縁の赤いカードを受け取り、しげしげと眺めてから学生証に挟み込んだ。

「ありがとうございます。では早速、と行きたいんですが、まずは朝食にしませんか」

 昨晩からろくに食べてないからその案には私も賛成だった。プレジデントもほぼ寝ずに捜索にあたっていたため、食後すぐではなくもう少し経ってからにして欲しいと申し出た。

 日課の宝物庫チェックと掃除があるからとディアナさんとは別れ、私達三人はアカデミーから半日ぶりに脱出した。門の閉鎖は解かれているとはいえ、まだ登校する生徒もいない時間に「出てくる」私達を門番は不思議そうな目で見ていた。

 そしてアカデミーの外壁にほど近いカフェのテラス席に入ると、メリッサさんは相談もせずにコーヒーやらティーやらクロックムッシュやらを注文した。奢って貰う立場上文句は言えないけどせめて意見を聞いて欲しい。

「ホットチョコの方が良かった?」

「ティーで結構です」

 だからウエイターがいなくなる前に言って。

 それぞれにドリンクが運ばれてくると、ようやく本題が始まる。

「それで、犯人を見つけ出す自信はどれほど?」

 と私はメリッサさんに尋ねた。

「パーセンテージで言うと九十九。もっともこれは泥棒を見つけることだけの場合で、杖を無傷ノーダメージで回収できるかは別問題」

「無傷で取り戻す確率は?」

「相手の性格と盗んだ目的による。収集コレクションのため、あるいは杖の利用価値ヴァリューを知っててその仕組みを解析アナライズするためなら犯人も破損は嫌がるだろうし大丈夫だが、魔法を使うためか杖の破壊が目的だった場合、手の打ちようがない」

「破壊する目的……?」

「わざわざ盗んでまでそうするとは考えにくいが、ゼロじゃない。それよりも問題なのは、杖で魔法をブーストしながら抵抗されたら回収がハードになることだろう。出来るだけ戦闘は避けるべきだな」

「なら、目的を果たしたら証拠隠滅のために破壊するってこともありませんか?」とアル。

「それもあるかも知れない」

「それと、どうしてクイーンガーネットを破壊する理由があるんですか? 宝具としての価値は昨日聞きましたけど、それならなおのこと守ろうとは思わないんですか?」

 メリッサさんが私の方に目配せしてきた。分かっているなら説明してやれと言われている気がした。

「魔法ブースターとしての宝具は、使い方次第でいくらでもパワーを上げられるし高いランクの魔法も使えるようになるの。でもそれを軍事利用したらどれほどの脅威になるか分かる? ましてやクイーンガーネットは術者の属性や相性を選ばない。そんなものの作り方が分かったらまた戦争が起きかねない。実際、戦争の時にはブースターが多く使われたらしいわ。だから平和のために宝具は不要だ、壊すべきだ、って唱える人もいるのよ。確認される限りでオンリーワンの性質を持つ杖を破壊することに一定の意味があるのは確かね」

「爆薬とか包丁とかと同じなんだな」

「そうね。規模が違うけど」

 答えて、私はストレートティーを口に含んだ。砂糖を入れていない分、紅茶本来の渋みと香りが口の中に広がっていく。飲み込むとまた別のフレーバーを感じた。きっと何かハーブを入れているんだろう。

「まあ、俺にとってはただのお飾りだけど」

「にゃんこにオオバンってやつか」とメリッサさんが分かっているようないないようなツッコミを入れた。

「なんで表現が可愛らしくしかも大規模になってるんですか、というか水鳥じゃないですか」

「昨日も感じたけどいつの間にそんなに打ち解けたの?」

「いつの間にか」

「いつの間にかそうなってた」

 ほぼ同時に同じ答えを返すとは。知り合ってからまだ丸一日と経ってないのに。

 そしてアルが、他の二本の杖も狙われるんじゃないかと切り出した。

「それはある。ただし破壊が目的ではないはずだ。もしそうならディアナを脅迫して宝物庫ごと爆破するのが一番だからな。残るキングトパーズとエースサファイア以外にも高級宝具が無数にある訳だし。今回盗んだクイーンガーネットを使って残りをあらかた奪う、というのも考えられる」

「ということは組織的な犯行か……学院の外に仲間がいて、犯人の脱出をサポートしたんでしょうか」

「それはあり得ない。アカデミーを覆うバリアも外壁も、あらゆる魔法をシャットアウトするように出来ている。仲間が何人いようと無理だ。盗んでからゲートが閉鎖される僅かな時間で脱出したならともかく、まだ犯人も杖も中にいなければおかしい。エギルの対応から察するに、その数秒に門を通った人間はいなかったようだが」

 その時ウエイターがやってきて、注文した品を全て置いていった。アルは目の前のチーズとハムを挟んだ焼きサンドイッチを珍しそうに眺めていた。それマギカの伝統的な食べ物でクロックムッシュって言うんだよって、以前教えてあげなかったっけ?

 それはそうと、この二人と話していると今後なすべきことがどんどん見えてくる。さすが、あの短時間で杖のありかを見つけ出したペアだ。これなら、犯人に辿り着くのは時間の問題かも知れない。

「敷地内には見つからない。かといって門をくぐった形跡もない。どっちかが間違ってるのよね、きっと」

 ハニートーストを齧りながら私はアルに言った。

「正規のルートを通らずに脱出した可能性が残ってる。あのバリアや壁に物理攻撃も魔法も通用しないからといって、破って抜けられない保証はない。アンチマジックを使えば可能じゃないかって思ってる」

「そんな甘っちょろい手が通じる相手じゃない。それに犯人は裸の杖を持ち出したんだ、金色に光るあの大きさの杖を持っていたら目立つだろう。目撃されたらアウト。あの壁の高さじゃ人払いも無駄。魔法を使って小さくしたなら話は別……!」

 あっ、と全員の声が重なった。

「出来るだけ小さくして封印の小箱に入れれば、目をごまかせる?」

 と私が言うとアルは小さく「えっ」と言いながらこっちを見てきた。何か違う想像をしていたらしい。

「最高ランクの魔術師でさえ数人しか使えない魔法だから、もしそうなら犯人を絞れるな」

「行けそうですね。後でプレジデントに伝えましょう」

「ちょっと待って」とアルが遮った。「そんな世界で数人しか使えない魔法を使ったら犯人は自分だって言ってるようなものですよ。それを使うとはどうしても思えません。それに、それほどの実力があるなら手段は他にもあったんじゃないですか? わざわざこのタイミングを狙わなくても」

「それも一理ある」

「タイミングといえば、何故犯人はディアナさんが杖を宝物庫に戻そうとした瞬間に盗んだんでしょうか。俺が銃弾で本を破壊した後ならいつでも良かったはずです」

 随分と鋭いところを突いてくる。

「もしかしたら犯人は、杖のありかを暴いた推理を聞く必要があったのかも知れません。そして、もうトラップがないこと、あの杖が本物であることを確かめる必要があった。その場合、犯人は最初から指令の全容を知っている訳ではなかったということ……?」

「そうなら、学内にいる共犯者は立場の弱い者か。犯人役がディアナであることを知っている程度の」

「そうですね。俺達のように始まってから内容を知ったにしては、用意周到過ぎるので。偶然推理が終わった直後に教会に現れたとは考えにくいですし、実行犯は少なくとも、俺達が再び教会に入るより前に潜伏していたんでしょう。ディアナさんが言っていましたよね、突然扉が開いたけど誰も入ってこなかったって。恐らくそれです。そして、杖を奪うチャンスをずっと待っていた」

「なるほど、それなら筋は通っている。やはりデュオの犯行か」

「ミニマムでデュオです。杖のことをリークした学院関係者と、盗んで逃げる実行犯。これ以上もあり得ます」

 昨日学院にいたスタッフの中に怪しい人はいなかったと学院長が言っていたから、杖を持って逃げた犯人と学院関係者は同一人物ではない、だからソロはあり得ないということらしい。

「食べ終わったら戻りましょうか。せっかく貰った権利、有効活用したいので。手伝ってくれますよね」

「何を調べるつもりなんだ?」

「バリアの仕組みと強度を」

 会計を済ませると、アルは門へは向かわずアカデミーの外壁を眺めていた。

「どうかしたの?」

「どこかに穴を開けておいて通ったら塞ぐ、なんて出来ないかと思ったけど、やっぱり無理そうだ」

「当たり前よ。中で魔法の暴走事故が起こっても被害が広がらないようにするためのものなんだから」

「それでこんなに高いのか。よし行こうか」

 そう言ったアル本人が不意に立ち止まって足元を見ていた。

「石畳が壊れてる」

「そんなのよくあることでしょ」

「車の往来は多くないし、最近割れたものみたいだ。何落としたんだ?」

「行くよ!」

「うん……」

 この様子だと道端の石ころも何か手がかりになるかも知れないと言い出しそうだ。気付けば、もう登校し始める生徒も見られる時間になっていた。


 プレジデントに面会すると、暫定でいいから推理を聞かせて欲しいと言われた。そこで私達は口々に杖の破壊説、ミニマム化説、バリア破壊説の三つを話したが、いずれも納得させられはしなかった。ただ、バリアを破ったという説は気になったらしい。

「そんなことは不可能だ。バリアに攻撃があった場合、いつどのあたりにあったか私には分かるんだ」

 と自信満々に言った。ならばそれを確かめたいというアルの申し出を受け、私達はまず学院の中枢、バリアを生み出す宝具の間に通された。そこは学院長室の上にある、窓のないドーム型の部屋だった。天井には方角と、おおまかな景色が描かれている。

 その中央に、黒い地球儀のような物体が置かれている。球体の中心には白い光が透けて見え、表面にはピンクの線が時々走っていて、周りには輪になった針金のようなものが三本浮いていた。そしてこれらは、頼りない小ささの銅製の杯によって支えられていた。

「これが代々伝わるバリアの宝具、『グローブ』と呼んでいるものだ。魔力を注ぎ続ける限り、半永久的にバリアを張り続ける」

「こういうのも宝具って言うんですね」

「同じ魔法を効率良く使うためのものだ。箒と同じ『永続型』に分類される。そしてその下の銅杯は『テレコマンド』、私の指輪を通して常に魔力供給をし続けるための宝具。この二つでアカデミーのバリアは機能しているという訳だ」

「つまり、その指輪と杯のおかげで学院長が寝ていても気絶していてもバリアは消えないってことですね」

「その通り」

「ではバリアとはどのようなものですか?」

「音と光、それ以外のものは全て弾き飛ばす。もちろん魔法もだ。バリアに何か接触したら要求魔力が増えるから分かるようになっているし、宝具にその時間と場所も記録できる。昨日から何一つ接触はなかった」

「では出入口や換気はどうなっているんです?」

「さすがよく気がつく。この学院は石の壁に覆われているだろう? あれには魔法を弾き飛ばす性質があって、そこに穴を開けて門を作っている。そうすれば通れるが、逆に言えば大きな門を作れないことにもなる。換気は、『グローブ』の周りの針金の宝具、『エアポイント』が学院の中と外にワープポイントを作って空気の入れ替えをしている。『グローブ』と接触させることで例外的にバリアの外でも魔法が起こせるという仕組みだ。もちろん通すのは空気だけで、これは侵入経路にはならない」

 三つも同時に永続型宝具を使ってるの!? 世界最高の魔術師はやっぱり桁が違う。

「これらはいつもここに?」

創設ファウンデーションの時からずっとだ」

「結構大事なものなら、地下に置いてはいけないんですか? 離れてても使えるんですよね」

「そこがこの宝具の弱点で、バリアを噴水のようなイメージで展開するという性質があって、それを生かすには出来るだけ高い場所にセットする必要がある。敷地全体を覆うにはこの高さが必要で、壁も円形にしかならないという訳だよ」

 土地利用的に効率の悪い形をしていたのはバリアの利用を前提とした設計だったからなのか。

「ではバリアの強度を試したいのですが」

「それは必要なことなのか」

「はい。破られたのでないという可能性を潰すためには」

 学院長はしばし悩んだ後承諾した。そのためにこの後に控える屋外の授業を中止しなければならないので少し待って欲しいと言い、私達は下の学院長室に戻った。

「そうだ、昨日出したメールの課題に決着を付けなければいけないな」

 プレジデントが続けて言った。そういえばあの後ごたごたがあってすっかり忘れてた。腕時計を見ると、期限の時間もそろそろだった。

「アルクラッド・シラナミ、メリッサ・レインズペアにポイントを付与、後でまたメールを送ろう。もちろん事件のことは内密に頼むよ」

「エギル、本当に警察には言わないつもりなのか」

「しばらくはそのつもりだ。それに今は優秀な探偵ディテクティブがいる」

「期待されてるね、アル」

「笑いごとか。失敗したらただじゃ済まないんだぞ。では学院長、調査が終わりましたら報告に参ります」


「で、手伝うって具体的に何をするの?」

 私達は今度は教会の鐘楼に来ていた。この位置なら学院の敷地がほぼ全て見渡せる。

「石を投げた時とアンチマジック弾を撃った時の反応が見たい。出来ればバリアに直接アンチマジックをかけたらどうなるのかも」

 無茶させるなあ。まずは小手調べ。私とアルはカーペットに乗ってバリアの内側、メリッサさんは外側から、それぞれ観測することにした。出来るだけ近づいてから、石を投げる。すると小石は、真正面からぶつかったのに右下方向へと加速して飛んでいった。

「曲面だから反射方向が不規則なのか?」

 アルがそんな事を言った一方で、私とメリッサさんはそれとは別のことに驚いていた。

「アル、これとことん効率を重視してるよ。実際にはダブルで魔法が展開されてる」

「ダブル?」

「弾く力のある魔法は本当に薄くしか展開されてない。でも表面に接近アプローチを検知する魔法があって、引っかかるとそこにバリアが集中するように作られてる。だから光や音は素通りなんだよ」

「……魔法ってすげえ」

 今度は銃弾で調査する。これは貫通する見込みが高いので、メリッサさんが鉄板を持つことで対処する。これは地下の射撃場から持ち出してきたものだ。カーペットの上は安定するし(少なくともメリッサさんの鳥よりは)、近距離なので外したりはしないだろう。耳を塞いで、一発。

 パァン――

 結果は貫通。二種類の魔法がどちらも反応しなかった。石を投げて銃を撃って、を数カ所で試した結果、噴水のイメージ通り、頂点に近いほどバリアの質が良く、壁際になると比較的弱いことが分かった。それでも問題になるほどの差ではなかったけど。

「では最後の実験です」

 メリッサさんには中に戻ってきて貰った。作戦は、私が壁すれすれのバリアに突撃し、その隙に反対側からメリッサさんがアンチマジックを展開しつつ突っ込んで脱出できるかどうかというもの。一番薄くなったところになら人が通れるくらいの穴が開けられるだろうという判断だ。

 鐘楼にいるアルが音だけのピストルを撃ったのを合図に、同時に仕掛ける。勝負がつくのは一瞬。私はカーペットの上で合図を待って、乾いた発砲音が聞こえるとバリアに突撃した。弾き飛ばされないようにこらえたけど、三秒が限界だった。失敗ならもう一発、成功なら二連発来ることになっているが、次に聞こえた数は二発だった。

 鐘楼のアルを回収し、入り口のところで落ち合った。無事成功したけどメリッサさんが言うには、薄いところを狙い、私の突撃で魔法を分散させたから成功しただけらしい。つまり、物体の接近を検知する魔法そのものが消されても、打ち消されたことが合図となり穴にバリアが集中するらしい。銃弾のようにバリアが来る前に素早く通り抜けるか、同時攻撃してバリアの反応を遅らせるかしないと不可能だったそうだ。

「じゃあ、クイーンガーネットを使って速度と威力を底上げしたら出来ますかね」

「メイビー」

 さすがにそれは実験出来ないもんね。それでも、理論上はバリアを突破出来ると証明できた。プレジデントに報告する内容としては十分だろう。

 そして学院長室に戻った私達は、この実験の結果を告げた。さすがにすぐには理解してはくれなかった。そして再び『グローブ』のある部屋へ案内される。バリアに何かが接触した場合は魔力を供給している本人に伝わるし、この宝具が記録してくれているという。その記録を確かめてみようというのだった。

「私が感じたのは、小さいものが五回、大きいのが一回だった。最後のがその突き抜けたチャレンジだと?」

 アルははい、と答えた。学院長は宝具『グローブ』に触れて、再生装置を起動する。

「実験を始めたのはこのあたりからだろう」

 球体の中央にある光は恐らく学院だ。だから見るのは上半分だけでいい。その真ん中あたりで赤い点が光った。どうやらこの黒い地球儀、黒く『見える』けれど実際には透明に近いようだ。光った場所が私の立ち位置のほぼ反対側だったのに赤い光が見えたというのは、多分そういう仕組みなんだろう。続いて天頂付近や壁際など全部で五箇所、そして最後に赤い大きな点が二つ、一瞬ながら時間差で現れた。

「同時攻撃で分散させて、アンチマジックで穴を開けて突破、か……思いもよらなかった。バット、この方法では不可能だ。バリアを相殺したって、これだけ大きく記録されている。いくら杖の力で強化したからって、これをすり抜けられるはずはない」

「確かにそうかも知れません」

 アルが静かに反論した。

「最初の小さな赤い点は、バリアの性質を確かめるために小石を投げた時のものです。そして、俺はその直後にアンチマジック弾を撃っているんです。でも今それらしき反応は見られませんでした。何故ですか?」

 プレジデントはそんなバカな、と呟いてもう一度、速度を下げて再生した。私も凝視するが、やはり、同じ場所で連続で光ることはなかった。

「もちろんこれだけで決めつけることは出来ません。しかし気付かれずにバリアを破り脱出した可能性は、これで否定できなくなりました。どうでしょう、学院長」

「撃ったのは、本当なのか」

「疑うならもう一度やるだけです」

「いやいい。それで、このことから何が分かったんだ?」

「体を小さくする魔法を使い反魔法を展開させながら高速で衝突、という方法なら気付かれずに破れると思います。しかし、犯人はそれだけの魔法の同時使用を数秒のうちにやってのけている。それ、可能だと思いますか」

「私でも不可能だろう。ただしあの杖があったならあるいは可能かも知れないが」

「なるほど。杖で魔力を増幅させたなら不可能ではないという点には同意してくれるんですね。しかしこの場合、魔法とは別の要素が絡んでくるんです。メリッサさん、もう一度確認しておきたいんですが、銃弾が『グローブ』に反応しなかったのは、反魔法と、小ささと速さが理由で良いんですよね?」

「もちろん」

「それなら犯人はかなりの速度で激突したはずです。その急激な加速と減速で生じるGに耐える肉体が必要です。いくら魔法といえど、慣性の法則を無視は出来なかったはず」

「確かにその物理法則は曲げられない。なら犯人は男ということか」

「焦らないで下さい。もしそうなら男女関係なくかなり体を鍛えているはずですが、実行犯はそんな屈強な人物ではありませんでした。なので可能性は二つです。急加速と急制動に耐える魔法を犯人が用意していたか、杖だけを投げて共犯者に回収させたか。後者の場合、学院長の魔法に引っかからなかった、学院の関係者が犯人です。どちらにしても壁を越える以上誰かに目撃されるという危険はありますが、手段としてはこのどちらかで間違いないでしょう。前者の場合でも、杖のありかを知るために学院の関係者が共犯として存在します」

 学院長だけじゃない、私もメリッサさんもその推理に圧倒されていた。ただ脱出の可能性を調べていただけかと思っていたら、こんな結論を導けたなんて。

「そうか、ではやはり、アカデミーに裏切り者がいたということか……」

 学院長は頭を抑えながら力なく言った。

「その方向で調査しようと思っています」

「信じたくはないが、その推理に間違いがあるとは思えない。どれだけ調べても犯人も杖も見つからなかったことに説明がつく。よし、アルクラッド君、その調子で犯人を追い詰めてくれ」

「はい。では失礼します」


 廊下を歩きながら私とメリッサさんはアルをただただ賞賛していた。何も分かっていなかった状態からあっという間にほぼ正解に辿り着けたのだから。

「クイーンガーネットでパワーアップしても、これだけのことをやれる魔術師というのも限られている。トロネスランクの魔術師をリストにしてこようか?」

「はい、お願いします。出来るだけ詳しいのを」

「ああ、分かった」

「それでアル、今日はこれからどうするの?」

「ここからはマキナの出番だ。学院長から貰ったアクセス権限を使ってデータから追い詰める」

「何か手伝おうか?」

「もう十分やってくれたって。今日はもう休んだ方が良い。昨日まともに寝てないだろ」

「それはアルも同じじゃん」

「良いんだよ俺は男だから。それにこれは一人でやれるし、一人でやらなきゃいけないことなんだ」

「どういうことよ?」

 何かを企んでいる顔だった。長い間一緒にいた私には分かる。

「その時になったら説明する」

「そう……じゃあお言葉に甘えるわ」

 本当ならその時っていつよ、なんて言いたいところだけど、アルにそんなこと言っても無駄だし、そんな喧嘩を今ここでする方がよっぽど無駄だ。後で話すと言っている以上、話すつもりはあるみたいだし。

「メリッサさんも、今日は終わりにしませんか」

協会アソシエに出向いて登録をするつもりだったが……まあいいか。明日のことはまた連絡する」

 と言って彼女は名刺を差し出した。

「ここにメールすれば良いんですね」

 その瞬間、教会の鐘が鳴った。その直後にポケットの中から着信音が聞こえた。指令の結果リザルトを告げるメールだった。クリアしたのはアルクラッド・メリッサペアのみ、コングラチュレーションズ!

 何がおめでとうなんだ。実際には喜べない状況なのに。メッセージの下にはディアナさんが犯人役だったことなど、事の全容が書かれていた(もちろんオフィシャルに言える内容で)。

 そうして私は正門へ、メリッサさんはパーキングへ、アルは教会へとそれぞれ分かれたのだった。


 独自の調べ物をすると言ったアルは何故か教会へと行った。あそこに、アルに発見できる証拠が残っているとは思えない。いや、監視カメラを見るつもりなのか。だとして、私を同行させなかった理由は?

 考えたって分からないので、私はまずヴィントさんに電話をすることにした。

「ヴィントさん、エルです。今やっと解放されました」

『お疲れ。それで今どこ?』

「正門に向かってます」

『分かった、今から迎えに行く。それより犯人はどうなった?』

「プレジデントが探したけれど見つからず。アルが犯人の手口をだいたい掴んだそうです」

『彼が?』

「指令をあっという間に解いた頭脳を買われて、捜査に当たっているんです。犯人を逃がした責任を取る立場にもありますからね、彼は」

『責任?』

「退学とかじゃないですかね」

『それは大変なことになった。エルちゃんには?』

「私は何も。それより早く迎えに来て下さい。例のもの、大丈夫ですよね」

『もちろん』


 QG事件――クイーンガーネット盗難事件――の二日目にあった出来事はこんなところだ。パートナーと合流した私はヴィントさんの協会に行ってミッションの認証をし、その他の手続きを済ませるとドミトリーに戻った。その後すぐ夕食の時間だったので夕飯を食べた後、珍しく夕方に自室のシャワーを浴びて、バスローブに身を包んだ私はパートナーから先程引き取った例のもの――銀色のアタッシェケースをベッドの下へとすべりこませた。ケースの表面には複雑な文様が刻まれている。魔法による察知を反射し、簡単に解錠できなくするためのものだ。こういう大事なものは私よりヴィントさんが持っていた方がいいんだろうけど……彼は私が持っているべきだと言って譲らなかった。どっちが持っていても同じだけど君が持っていた方がいい、そんなことを言って。

 誰にも相談できない、悩みの種だった。いつもならこういうときアルに真っ先に打ち明けるんだけど、今の彼は盗難事件の犯人捜しで忙しいし、あまり煩わせたくない。秘密を共有する相手が父親くらい年の離れた人でなかったら、ラブストーリーにでもなりそうなんだけど。

 そんなことを考えていると、電話が鳴った。アルからだった。

「もしもしアル? どうしたの」

『今時間あるか?』

「うん、今シャワー浴びてたとこ。変な想像しないでよね変態」

『自分で言っておいてそれはないだろうそれは。したって言ってもしてないって答えても怒るくせに』

「つまんないの。昔はもっとからかいがいがあったのにさ」

『学院のアイドルが電話口だとそんなひねくれた性格してるって知ったらみんなどう思うだろうな』

「ファム・ファタールってこと?」

『お前そんなに男いたっけ? 一体何人破滅させたよ』

「してないわよそんなこと」

『そうですかい生娘さん。それより本題に入りたいんだけど』

「きむすめって何?」

『クイーンガーネットとか今後の件で、二人きりで話がしたい。出来るだけ早く』

 何か気付いたのかも知れない。

「うん、じゃあ明日の朝六時に女子寮の前でもいい?」

『早いな。まあいいよ』

「今日はもう寝るつもりだから」

『なあ、まさか俺が女子寮に入るっていうんじゃないだろうな』

「見つからなければ平気よ」

『そういう問題か』

「魔法が使えるから問題ないわ」

『じゃあよろしく。おやすみエル』

「うん、おやすみ。あ、ちょっと待って」

『何?』

「今アルのこと考えてる時に電話かかってきたんだ。なんか運命感じない?」

『感じないし、感じたとしても適わない相手じゃないか』

「そりゃあそうだけどさ」

『で、何考えてたんだ?』

「うるさい言わせるなスケベ」

『おいおい』

「それとさ、昨日メリッサさんと話したんだけど、やっぱり噂と違っていい人だったね。アルと相性も良さそうだなって、この一日で感じたよ。アルって年上に興奮するタイプだったっけ?」

『結局下ネタか』

「あ、やっぱりそういう目で見てる?」

『あの人は尊敬リスペクトこそすれ、恋愛対象としては圏外。もっといえば既婚者だろ、指輪もしてたし』

「確かにね。メリッサさんの旦那ハズバンド……気になるね」

『やめとけ』

「会ったら教えてね」

『会わせてくれるとは思えないけど』

「ディアナさんなら何か知ってるかもね」

『そういやあの二人、昔からの知り合いみたいだよ。メリッサさんのこと黒猫なんて呼んでたし』

「ディアナさんと言えばさ……ううん、やっぱいい。今度こそおやすみ。ビズ」

『おやすみ。ビズ』

 ビズ、というのは手紙の終わりに添える表現で、今では古びている言葉。何それって笑われることもあるけど、私は結構好きだ。親密な相手としか使わないからだと思う。

 電話を切ってパジャマに着替えると、アラームをセットしてベッドに入った。まだ八時前だったけど灯りを消すと、自然と眠気が襲ってきた。この二日間に色々ありすぎて疲れてたみたいだ。

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