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序章:クイーンガーネット

 子どもの頃に誰もが一度は耳にするなぞなぞがある。


 人々がそれを持っていない時には、多くの人がそれを欲しがる。

 だから手に入れた時には諸手を挙げて喜ぶ。

 それを持っているのが当たり前になると、手放す人が出てくる。

 だから、それが手元にある喜びを確認しないと失ってしまう。

 誰かが手放したそれを欲しがる人は、どこにもいない。

 何故ならそれは誰もが持っていないと意味がないから。

 何故ならそれは目には見えず、触れないものだから。


 初等教育を受ける前の幼児に答えが分かるはずはない。それどころか、なぞなぞの意味を理解するだけで精一杯だろう。しかも、問いかける大人は絶対に答えを教えない。自分で答えを見つけさせる。それが俺達の習慣だからだ。

 普通に過ごせば四年で終わる初等教育を終えた頃、つまりこの世界の歴史の概要を学んだ後になって、自然とその応えに辿り着くように出来ている。

 ――平和。

 それがなぞなぞの答え。実際、二世紀前に人類は平和を捨てて戦争を始めた。結果、滅亡を覚悟するまでにその人口を減らした……らしい。平和条約を結ぶ時に、二度とこのような災禍を起こしてはならないと喚起するために発明されたのが、先のなぞなぞとその答えを教えない習慣だ。


 国立クァッド=オクト連合研究学院付属学生寮、そこが俺の現在の住居だ。寮という呼び方がダサいからドミトリー、なんて『友の言葉』で呼ぶ仲間も多いが、言葉にナウいもフルいもダサいもトカいもないと思う。都会っぽいから格好良いとか外語だからクールだとか、逆に田舎っぽいからみすぼらしいとか母語だからチープだとか、そんなことどうだって良いだろう? それを使って生活してる人がいるんだから。とにかく俺は寮と呼んでいる。音が短いし、よほどのことがなければ聞き違いもないだろう。

 定刻に起きて、食堂で代わり映えしない朝食を摂り、制服に身を包んで学友と共に通学路を歩くのは、もう二年以上繰り返した日常だった。しかしながら、この朝はいつものそれとは大きく異なっていた。俺達最終学年の最後の課題、半年に及ぶ卒業試験の幕開けだからだ。

「いよいよだな、アル」

 俺の隣を歩く金髪の友人、フィルが言った。その声にはこの学院に初めて足を踏み入れる新入生のような期待と不安が伺えた。こいつが入学式の時にどんな感じだったかは全く知らないが。寮の部屋がすぐ近くだからその日どこかですれ違っていたかも知れないが、その時はまだお互いの名前も知らない状態だったからな。

 俺はそうだな、と生返事をして、目の前にそびえる壁を見上げた。俺達が通う国立クァッド=オクト連合研究学院、通称アカデミーを囲う城壁である。このご時世に一体何から守っているんだ、と疑いたくなるくらい高い。十五メートルはあるという話だ。

「で、アルを担当する魔術師ってどんな人なんだ?」

 アルというのは俺の名前、もといあだ名だ。別の言葉に聞き違えるから出来れば本名で呼んで欲しいのだが、そっちの方は呼びづらいということで却下されている。

「要望とは違ったんだけど……まあ、かなり高位の魔術師らしい。フィルは?」

「俺ぁあんま成績良くねーから貧乏くじだな。聞いたこともねー協会の所属だとよ」

「まあがんばれよ、って言っておく」

「あんがとよ」

 ――魔術師。有史以来存在してきた彼らは、今やこの世界にとって必要不可欠な存在となっている。具体的には、先の大戦以来だ。

 魔術師とは別にもう一つ、科学や機械で発展してきた文明があった。木材や石油などの自然を食い物にしてきたこの文明は、人類の生活を豊かにし、確実に人口を増やしていった。しかしその一方で魔術師には嫌われていて、その戦争もその二者の対立だった。

 二十年ほど続いた戦争が終わった時、機械文明の前提である油や木材は世界を再建するには不十分な量しか残されていなかった。理由はどうやら戦争が終わるきっかけになった大規模な地盤沈下や火山の噴火にあるらしい。

 そこで手を取り合った両陣営は、魔法という人類が存続する限り枯渇しない資源を機械を動かすために使えないか、と考えた。数年の研究の後その試みは実を結び、人類の復興に大きく貢献した。それ故に、魔術師は誰よりも敬われる存在となった。

 その功績は多岐にわたる。例えば、壁の根本にあるアカデミーの入り口に集まっている制服の若者達が手にしている学生証。その中には解析不可能な魔法が組み込まれていて、許可された者しか入れないようになっている。

 壁には人一人が通れる白い扉が五つ、それぞれの横に黒い端末があり、そこに学生証をかざすと扉が開く仕組みだ。しかも本人でないと開かない、つまり盗んだものでは無効だというから魔法の力というのは恐ろしくもある。そしてそういう非常時のために衛兵が常駐しているが、いつ見ても暇そうだ。実際暇なんだろうが。

 石造りの厚い壁をくぐり抜けると、そこはアカデミーの敷地。およそ学園とは思えない花畑が広がっている。校門からは煉瓦の大通りが延び、一世代前の様式で建築された校舎がそびえている。フィルと合流してそこをだらだらと歩いていたのだが、目の前に見覚えのある姿を見つけ、悪い、と一言フィルに声をかけて小走りでその人影に近づいていく。

「エル!」

 後ろ姿だが見間違えるはずはない。透き通るようなセミロングの銀髪、俺達とは違う緑の制服、背中に桃色の羽が生えた白猫を引き連れた生徒と言ったら彼女しかいない。エルは振り返るなり鋭い目でこちらをにらみつけてきた。

「エル? 今日は機嫌悪そうだな」

 一瞬後ずさりして俺がそう言うと、エルは喋る虫でも見つけたかのように目を見開いて俺から目を逸らした。いや俺、ただ声をかけただけなんだが。

「あの、クリムさん?」

 何やら相当お怒りのようなので、敢えて苗字で呼んでみる。

「べ、別に、何でもないから! おはようアル!」

「お、おはよう……語尾に俺の名前つけるとギャグみたいアル」

「ホワット?」

「何でもない。まあ怒ってるんじゃないんだな」

「まあね。ちょっと考え事してた」

「ひょっとして朝からそんな顔してるから今日は一人で登校してんのか」

 エルはその若さにも関わらず真っ白な髪の持ち主であるから、アカデミーの中でも非常に目立つ存在だ。しかも成績上位と来てる。さらにつり上がった大きな目とその存在感を強調する長いまつげ、鮮やかで肉付きが良く引き締まった唇、古典芸術そのままの美しい輪郭などなど、怒った顔も魅力的に見えてしまうほどの美少女と来た。学内外を問わず、常に数人の学友を引き連れているのだから彼女の人気の高さが伺える。家ぐるみのつきあいがある幼なじみという関係を利用しても(物理的に)近づきがたい存在、それがこのエルことアクアレールという女生徒なのだ。

「ああそうか、声をかけるとみんな逃げていったのはそういうこと」

「気付けよその時点で」

「そうね、らしくないミスだわ」

「お前も卒業試験のことで頭がいっぱいなのか?」

「そんなところ。『も』ってことは、アルも?」

「いいや、別に俺はそんなに気にしてない。希望してた軍隊所属の人じゃなかったけど、警察と提携結んでる魔術師だから、まあ満足かなって感じだ」

 魔法によって機械を動かす方法が発明された後、それが新たな文明となって人類に貢献することを予感した人々の手によって、アカデミーは創設された。それ故に、二つの異なる学科が用意されている。魔法科と機械科。俺やフィルは後者で、エルは前者だ。もちろん、学科を越えた交流授業も頻繁に行われている。

 これから始まる卒業試験は、アカデミー最終学年の生徒と、世の中で活躍しているプロフェッショナルとが組んで行われる。機械科の生徒には魔術師が、魔法科の生徒には技師がその相方としてあてがわれることになっている。

「アル、半年行動を共にするんだし、卒業できるかどうかの重要な要素ファクターなんだから、相方パートナーのことはもう少し注意を払ったら?」

「なんかすごい魔術師だってことは資料にあったな。名前は確か、メリ……メリッサ?」

「まさか、メリッサ・レインズ?」

「そう、その人」

 するとエルは最初俺を見た時以上に恐ろしい形相でにらみつけると俺の両肩を強く掴んだ。魔法科の女の子の握力だから大して痛くもないな。

「アル、それ本当なら気をつけなさい。あの人、実力キャパシティは確かだけど、悪い噂が結構あるんだから」

「ず、ずいぶんとお詳しいようで。っていうか離してくれないか」

 引きつった表情を崩さず、肩から手を離して再び歩き始める。

「魔術師の間では知らない人はいないくらいの有名人よ。私も試験の時に何度か顔を見てるから」

「試験っていうと、魔術師の実力を測るっていう国家試験?」

「そう。あのウィッチは裏の仕事をしてるってもっぱらの噂」

 もったいぶらずに言えよ、と俺は催促する。

「要するにキラーよ。アサシンよ。マーダラーよ」

「物騒なシノニムが豊富なこって。で、殺し屋だって? おいおい、正式な魔術協会に所属して、アカデミーの卒業試験もやる人が、人殺しなはずはないだろう」

 あるいはその逆だ。暗殺者が、協会になお所属し、アカデミーへの協力が可能なはずはない。

 魔術協会とは、魔術師の登録、保護、観察、能力試験、人材派遣を行う結社である。結社とは言うが政府の許可がないと作れない。

「それは会ったことがないから、噂を聞いたことがないから、その人が実際にどういう魔術師なのかを知らないから言えるの」

「大げさな。どうせ噂に尾ひれが付いたんじゃねえの」

「あの人の魔法には人の生き血が必要なんだって。血を代償にして魔法を発動できるってことは、その肉体や、魂を分離して魔力への変換コンバートも、おそらくは可能」

「それで殺しを仕事にしてると。バカバカしい。第一そんな噂があるんならその協会とか警察とかに通報すれば良いじゃないか。まあ、既に耳に入ってるとは思うけどさ」

「そう。私もそれは思った。でも警察も協会アソシエも動かないってことは、黙認するだけの理由がある」

「噂はデマでした、ってのは? っていうかそこら辺の情報くらい簡単に手に入りそうなもんだけど」

「魔術師ってのは秘密主義者なの。そう簡単にリークしたりはしないわ。良い例が目の前にいるでしょう?」

「ごもっとも」

 エルの家系は純粋な魔術師の血筋で、俺も歴代続く技師の家の息子だ。戦争が終わって間もない頃から家ぐるみのつきあいがあり、それは今でも、これからも変わらないだろう。この卒業試験が終わったら、俺は彼女専属の技師になることがほぼ確実。一応言っておくが、それは俺もエルも望んだことであって、家づきあいがあるから仕方なく、というのでは決してない。ちなみにこういった家ごとの関係というのは多くはないが珍しくもない。

 そういう、まるでもう一人の家族のような関係であるからこそ、エルの一家に起こった悲劇やその結果生じた彼女の秘密を俺は知っている。下手すれば命を狙われかねないくらいには。うっかり口を滑らせようものなら俺の命も危なくなる。

「ありがとな、エル」

「何が?」

「忠告。書類だけじゃ、そういう魔術師の間で流れる噂なんて分かんないからさ」

 するとこわばっていたエルの顔がふっと緩んだ。

「うん、でも本当に警戒してね。卒業試験ミッション中はアカデミーの監視がいつも以上に厳しくなるからって安心しないこと」

「エルもな。ちゃんと相手に優しくするんだぞ」

「あんたは私の親か」

「家族だ」

「そうだったね。じゃあ、お互い頑張りましょ」

 そうして俺達は二股の道を背中合わせに別れた。半年に及ぶ、つまり『九ヶ月間』のアカデミー卒業試験は、こうして幕を開けたのだった。


 半分に切られたコロッセオみたいな形の巨大なホールには今、ミッションに関わる全ての人間が集まっている。ステージから見て左側に教官となるプロフェッショナル、右側に生徒。遠くからでも、教官が変な人間の集まりであろうことが良く分かる。何しろその奇抜な格好、頭のてっぺんから胸元まで見事にカラフル。見えない腰からつま先もきっと似たようなものだろう。

 とは言ってもそれは、魔術師の話。技師は男が多いこともあって非常に地味だ。機械文明側の人間――またの名をマキナ――はもともと、黒っぽい髪に日焼けした肌の持ち主で、しかも技師ともなれば汚れるのが当たり前なので自然と暗い色の服を着るようになる。俺だって例外ではない。制服も紺色だしな。

 一方魔術師の一族――マキナに対応してマギカとも――は肌が白くて目の色も髪の色も様々だ。親の遺伝はもちろんのこと、その人が持つ魔法の性質にも関わりがあるとかないとか。その中でもエルの白髪にエメラルドの瞳はかなり珍しい。実際はもっと珍しい性質の持ち主なんだが、それは隠しようがないので誰もが知っている。

 ところでフィルも金髪に白い肌と一見するとマギカなのだが、母方の祖母が魔術師である影響、つまり隔世遺伝だと言っていた。魔法の才能も遺伝したかと思って修行もしたらしいが、四分の一しか魔術師の血が入っていないんだからと早々に諦めたそうだ。しかも親が技師ではないのに技師を目指すんだから、機械科としては珍しく、結構目立つ存在だったりする。さすがに容姿端麗、実力優秀、所属協会確定と三拍子揃って学校中に名を轟かすエル程ではないがね。

 なんてとりとめもない事を俺は考えながら、演台に立っている偉大な魔術師の一人である学院長の長々とした挨拶を聞き流していた。そもそもこれは俺達生徒に向けられたものではないし、この後に控えている試験中の規則や諸注意だって、口頭や印刷物を通して何度も聞かされたものだ。

 要するに、こういうもの。


・この試験は生徒の能力を測ることを目的とする。よって、生徒は、みだりに教官に頼らないこと。また、教官はみだりに生徒の手助けをしないこと。なお、生徒が助けを要求した場合、もしくは生徒の身に危険が及ぶと判断した場合は可とする。


 相方がプロなんだから頼りたくもなるが、試験なのだからそれは禁止。ただし手伝うよう頼むのは良い。結構曖昧な線引きだと思うがどうなんだろうね? まあ実際、生徒を突き放したように扱う教官も多いそうだ。


・試験内容は教官が自由に指定して良いが、生徒の能力や自主性も考慮すること。また、教官は、普段の仕事の手伝いを課題として四割以上課すこと。


 得意分野は人それぞれ、試験方法も一概には決定できない。だからこそ外部の人間を呼んで個別に実地試験を行う。つまり内容をある程度自由に自分で決定出来る。ただしプロの仕事を体験するのも必須。ちなみに、この卒業試験の一年ほど前から試験に参加する技師と魔術師は決定しており、それに最も相応しい学生を学院側が学生の希望と調整してパートナーをあてがうことになっている。


・試験は原則としてデクス島、シニス島で行うものとする。仕事の都合などで外縁の諸島に遠征しなければならない際にはその都度アカデミーに報告すること。


 デクス島はこの学院がある、今この世界で最も大きな島。シニス島は二番目。この二箇所に限定するのは、緊急時に居場所を把握しやすいから。魔法と機械とを問わず、島中に監視のシステムが行き渡っているためだ。ちなみにこの監視、サボっているペアを摘発するのにも役立っているらしい。そこまでするのはどうかと思うが、ただの噂だしな。


・毎月末、生徒・教官共にアカデミーにレポートを提出すること。期日までにミッション課に届けば、その手段は問わない。


 どんなことをやったのかはちゃんと報告しろ、ということ。監視した内容と照合するとかしないとか。最後の一枚は総仕上げで、全員がアカデミーに帰還してから書くことになる。手段を問わないと書いてあるのは、窓口に赴こうが郵送しようが電子回線で送ろうが鳩を使おうが何でも良い、という意味だ。さすがに鳩はないか。


 教官役の彼らも似たようなものなのか、真剣に聞いているような雰囲気は見えない。まあそうだろう、彼らにとっては初めてではないんだろうし、経験者が色々話していたりもするんだろう。

 やっと演説が終わると、学院長は指をパチンと鳴らした。すると、ホールのそこかしこから緑色の光が上がり、それは弧を描いた。何が光っているのかと俺は鞄を開ける。光の正体は、先日渡されたパートナーに関する書類。その片隅に打たれた文様の中心から細い光線が出ていた。その光が向かう先は、ホール反対側の教官席。光が多すぎてどこを指しているのか分からないが、これを使って相棒と合流しろということなのだろう。

 講義や会議をするためのこの空間で相手を探すなど狭い通路や固定された机のせいで不可能だ。去り際に学院長が言い残したように、俺達は一旦外に出ることにした。出てからもまた大変だろうが……俺が向かうところは、多分あそこだ。


 大ホールは地下に作られている。だから誰もが通路を上に歩いて行く中、俺一人が下へと進んでいた。壁際に設置された扉を開けると、無機質な階段があり、やはりそこを下へ下へと重力に従いながら足を進めていく。やがて辿り着いたのは、壁にずらっと銃器が並んだ細長い部屋――射撃室だ。もともとここに来る人は少ない。そもそも入れる人も限られている。このご時世、銃を使う必要性がまるでないからだ。

 俺は銃の所持と学園内に限るが使用を許されているし、専門はそこだ。相棒となる魔術師の希望には「魔法銃を扱える人」と書いたし、実際来るのは警察関係の教官だ。ともなれば武装することもあるのかも知れない。せっかく光ってくれているので、書類を改めてじっくり読み直すことにする。

 メリッサ・レインズ。女性、二十一歳。十三歳の時にアカデミー魔法科を第一位の成績で卒業、直後にストロース魔術協会に入る。現在の魔術師ランクはトロネス、専門は戦車などの兵器。特に銃器と剣を魔法と絡める戦い方を得意とする。

 改めて見るとすごい人だ。トロネスって確か魔術師のランクでは実質最高位だ。ストロース協会というのも最も権威ある魔術協会の一つ。確かエルも卒業したらそこに入ると言っていたような気がする。それにしても戦車って。戦い方を得意とするって。この人は一体誰と戦おうって言うんだ? まあそんなこと言ったら俺の数少ない才能である射撃の腕も、この世の中じゃ全然役に立たないだろうけど。

 そうこうしているうちに、書類から出る緑の光線の角度が垂直に近づいているのに気が付いた。程なく、背後の重い扉が耳障りな音を立てながら開く。

「ああ、何だってこんなに重くするんだ」

 隙間からそんな声が聞こえてきた。辛そうだったので途中から引っ張ってやった。利用するのが機械科の生徒ばかりだし防音のために厚めに作ってあるとは言え、そんなに苦労するほど非力なのか、魔術師ってのは。まあ力仕事はマキナの仕事って相場が決まってるし、実際そうなんだがね。

 やはり耳障りな音と共に、扉が閉まる。換気ダクトの音だけが妙に耳に付く、そんな沈黙が俺達を包んでいた。というか、俺が言葉を失っていたのだ。何しろ目の前にいる女性は、豊かな黒髪の持ち主だったからだ。人工の頼りない灯りしかないが、その黒はマキナのそれよりもずっと深く見えた。俺達の思う黒い髪は実は偽物だったんじゃないかと思えるほどに。金色の瞳が印象的な切れ長の目は、エルから教えられたことの影響もあってか、既に何人か人を殺している目に見えた。しかもこの人、来る場所を間違えたかのように煌びやかなドレスでここに登場しているじゃないか。薄紫のシルクハットをかぶり、肩は完全に露出し、その豊かな胸を強調するかのように胸元に切れ込みが入っている。所々光っているのは金糸だろうか。

 俺がどこかの門番だったら「マダム、道をお間違えですよ」と言ってどこかの城を指さすだろう。舞踏会が開かれる城なんて本の中でしか見たことがないが。とにかく色々と間違えている人だった。

 するとこの女性はひらひらした袖をハンドバッグに突っ込んで筒状に丸めた紙を取り出した。そこからも俺の持つ書類と同じ光が出ている。その筒の先端で光を放つ不思議な文様を叩くと、光の粒を残して緑の光線は消え去った。

「アルクラッド・シラナミ」

 落ち着いた声で、魔術師は俺のフルネームを読み上げた。

「はい」

「私はメリッサ・レインズ。初めまして、坊や」

 手を差し出してきたので、とりあえず握手はする。

「坊やはやめて下さい」

「そうか、こういうときはどう言うんだったかな? 『君達の言葉』では」

「相当する言葉がないんですよ」

「そうだったな。もう少し年を食っていればサーとかミスターとか言えたものを」

「いやあそれは良いでしょう。それより、俺の名前はアルクラッドです。アルって呼んで下さい。みんなそう呼んでるんで」

 実を言うと自分からこう呼んでくれと言ったのはこれが初めてだ。

「私のこともメリッサでいい。苗字ファミリーネームで呼ばれるのは気分が悪くてね」

 見た目こそアレだが、さばさばしていて噂に聞くほど変な人じゃなさそうな気がする。今のところは。

「半年間、よろしくお願いします」

 俺がそう言うとメリッサさんはそれを待っていたとばかりに微笑んで、

「こちらこそよろしく」

 とちょっと変な発音で返してきた。

「さて、チイの得意分野は射撃の腕ということだったね。まさかそれを専門にする技師の卵がまだいるだなんて思わなかったよ」

「チイって何です?」

「親しい人に使う二人称だよ。学校じゃ『私達の言葉』の授業も必須のはずだけど」

「初めて聞きました」

「ビジネスで使う言葉しか教えないって? それじゃあ何のための語学バイリンガル教育なんだか」


 この世界には機械と魔法、二つの分断された文明があった。つまりその数だけ言語が存在するということでもある。互いに手を取り合って平和への道を歩み出す際に、一番の障害となったのは言語の壁だったと歴史の教科書には書かれている。とはいえ二つの言語をどちらかに統一するのは容易ではないし、それ自体が平和理念の否定になるから両方が存続されてきた。バイリンガルの技師と魔術師が魔法機械の発展に貢献した事実から、アカデミーでは語学にも力を入れている。メリッサさんが言った語学バイリンガル教育とはそのことだ。

 俺は幼い頃からエルやその家族と触れてきたからわざわざ学び直す必要はなく、もちろんエルにとってもそれは同じで、こういうケースだと授業は免除……にはならずに安い給料でその手伝いをやらされる羽目になる。


「俺の家は代々技師で、魔術師の家とも交流があるんですけど、それでも初耳です」

「まあ、世代とか口癖とかいろいろ理由ファクターはあるもんだ。チイはその魔術師専属になるつもりかい? 卒業したら」

「そうです」

「じゃあミッションなんか退屈でしょうがないだろう。アカデミーを卒業したって肩書きは武器にこそなるが、既に仕事ジョブが、パートナーが決まってるなら必要なのは国家資格だけだ。違う?」

「違います」俺ははっきりと答えた。「卒業資格も得られないのに、エルの仕事を支えられるとは思っていませんので」

「良い返事だ。実を言うと私は、卒業試験の教官をやることには今ひとつ乗り気じゃないんだよ。後継者を育てるっていう大義名分は分かる。でもね、技師の卵に魔術師として一体何を教えろって言うのか、それが分からない。ましてや子どもは嫌いだ」

 前言撤回。やっぱり変な人だ。

「魔術師は協会に所属しないと仕事にありつけない。協会に名前が登録されている以上は卒業試験ミッションの役割がローテーションでいつか回ってくる。嫌な制度システムだとは思わないか。私は自分の仕事が出来て若い魔術師の相談に乗って指導してやれればそれでいいのに。『エキスパートを頼れ』とか『餅は餅屋』って格言もある。機械のことは技師が一番良く分かってるんだから、私の出る幕なんか、本来ないはずなんだ」

「ということは、今まで担当した生徒は……?」

「無事卒業してったよ。モチベーションは上がらないにしても、私は協会アソシエの看板も背負ってアカデミーに戻ってきてるんだ、それに傷をつける訳にはいかない」

 何だかんだで根はまじめな人なのか?

「だから落第したらどうなるのか、アル、その心臓に教え込んでおくと良いよ」

 魂を抜かれて魔法薬の素材にでもされるんだろうか。

 無駄話はここまでにして、せっかく射撃場にいるのだからまずは俺の実力を示すことにしよう。スイッチを押すと、五十メートル向こうの的がゆっくり動き始める。

「ふむ。お手並み拝見と行こうか」

 メリッサさんは帽子を取りながらそう言った。その帽子に何か奇妙な飾りが付いている。何ですかと聞く前に、質問が続く。

「火薬銃と魔法銃、どっちが得意?」

「コストも考えて魔法銃が殆どですね」

消音器サプレッサーも使う? なら耳当ては不要か」

 それだけ言うとメリッサさんは帽子をまたかぶった。火薬式の弾薬なら耳当てが必要だろうと思って外したのか。

 俺は腰に装備した二丁の銃の内一つを取り出し、後ろの棚から弾丸ともう一つ別のカートリッジを取り出して愛用の拳銃にセットする。照準を合わせて慎重に、三発。ぱす、ぱす、ぱす、と湿っぽい音がする。薬莢の排出はない。円形の的に、一つの大きな穴が空いていた。一発しか当たらなかったのではなく、三発とも殆ど同じ位置に着弾したからだ。

「どうですか」

「ブラボー。役に立たない才能だけど」

 使う機会がないのが最善であるのは事実だ。

「では教官として、私の方が腕が上だということをまずは思い知らせておくとしよう」

 メリッサさんはバッグから青い半透明の液体が入った小瓶を取り出した。その中身を右手の親指にかけると、パチンと指を鳴らした。

 その瞬間、空気が変わった。音の響き方が尋常ではなくなっていた。

「私が何をしたかは言わなくても分かるね? さあ、トライアゲイン」

 今この人が施した魔法は、主に侵入者の足を阻むのに使われる空間延長魔法だ。射撃訓練の中でも特に長距離狙撃のそれに使われるから何度か見ている。五十メートル先にあった的が、今や実質その何倍もの距離に位置しているのだ。

「ちなみに延長倍率は二十倍だ。一キロメートル」

 当てろと言う方が無理じゃないか。しかもこんな拳銃で。手元の操作盤で的を新しくセットし、狙いをつけて三発撃つ。双眼鏡で確認してみるが、ほら、かすりもしていない。無茶だろう、という視線を送ったその瞬間、

「ずるをしたと思われないためにも手早く済ませようか」

 メリッサさんの目つきが変わった気がした。ドレスの腰元に右手を突っ込んだかと思うと、その手には紫色に鈍く光る拳銃があった。俺の銃とは違う特徴として、銃身の下に金属製のタンクが取り付けられていた。

 俺がその銃を眺めていると、彼女は再び腰のどこかへ隠してしまった。唖然としていると「見てみろ」なんて言うもんだからレンズを覗き込んでみると、確かに的の中心が打ち抜かれていた。

「いつの間に?」

「これが純粋魔法の力だよ、少年。こればっかりは、機械には出来ないだろう」

 あれだけの遠距離を、片手で十分な装備で、しかも照準をつける時間も最低限に正確に打ち抜いた。一発しか撃たなかったが連射も容易なはずだ。確かにこれは、現在軍隊に配備されているという最新式のライフルでも適わないだろう。でも……

「すごいですけど役に立つんですか?」

「実弾を使うケースはレア。それでも麻酔や催涙弾に応用が利くから、悪者退治には役に立つ……いや、強盗なんて滅多に見ないから、役に立たないというのには同意する。ああそうだ、さっきの私の言葉を撤回しよう。長距離でもほぼ確実に命中ヒットさせられるというメリットがあるが、ある人に対しては榴弾でもない限り無効化ガードされてしまう」

 誰なんです、と俺が尋ねると、

「まさかチイはミッションのルールを忘れたのか? 教官に頼るなって書いてあっただろう。少しは自分で考えてみな。さて、もう用は済んだからかび臭いこの部屋ともフェアウェルしようか」

 俺が扉を開けることになるんですよね。


 さて、と俺は無言で階段を上りながら先程のメリッサさんの問いかけについて考える。銃の利点は遠距離から高速で攻撃できること。弾丸を発射する仕組みは主に二つ。一つは火薬銃。文字通り火薬を使った旧来の兵器で、音やコストの関係で使われなくなりつつある。それに取って代わったのが魔法を使用した魔法銃。先程俺が使ったのもこれだ。どうして魔術師でもない俺がこれを使えたのかというと、魔法機械の研究の過程で、それを普遍化するために魔法を充電池のように蓄積できる「カートリッジ」というシステムが開発され、それを銃と接続して爆発力に変換したからだ。魔術師は、カートリッジなど使わず自前の魔力で弾を撃ち出すエネルギーを発生させる。しかも弾丸に何かしらの魔法が込められていたり、発砲と同時に魔法を使ったりすれば、曲線の弾道で撃ったり目標の動きを追従したり出来る。発砲時の音を完全に消す他、風や重力の影響を遮断することも可能だという。

 どの方法を使おうが、狙われる側にしてみれば、発砲音が聞こえてからでは狙撃に気付けても防御や回避はまず不可能だし、音が消されていたらなおのこと。だとしたら、照準を定めている段階で狙撃に勘づけるということ……ああ、そういうことか。

「分かりました、答えは魔術師ですね。確実に当てるためには魔法を使うしかなく、弾道や目標を設定する魔法を使うと撃つ前に相手に気付かれてしまう」

「正解だ。もっとも、魔術師は国に手厚く保護して貰えているから、わざわざ犯罪に手を染めようなんてバカはいないよ」

 この世界の復興に貢献したのは技師と魔術師だが、後者は少数派マイノリティだったし彼らがいないとこの文明が成り立たないという事情があった。そのため、魔術師は一定以上の魔力を有し魔法で仕事をする限り政府から住居や給与を受け取れる、という制度が確立されている。仕事の報酬に加えて政府からの給付金を手にする魔術師という職業は少なくとも貧困とは無縁であり、強力な魔術師であるほどその傾向は強い。

 だからこそ、犯罪を起こすのはいつもマキナだ。残念ながら、と言うべきなのかどうか悩むな。いや、考えるだけ無駄か。マキナが全員犯罪者だなんて偏見を持つ人間なんて存在するはずがない。

「地上に戻ったら今後の方針について話し合わねばならないな。直接アカデミーの外に出るが、準備は出来ているね?」

「もちろんです」

 正門に出る最短のルートを歩いていたのだが、不意にメリッサさんがこっちだと言い出して方向を変える。そういえばこっちにあるのは……

「駐車場ってことは、カーですか?」

「いいや、モトだ」

 と言うことは、まさかの女性と二人乗り?

「いや、カーで合ってるよ。チイが乗るのはサイド『カー』だからね。ミッションのためにわざわざ座席付きのものにして貰ったよ」

 否定したものをもう一度否定しないで欲しい。ところでこの言い方から察するに、普段からサイドカーを使ってるみたいだ。

「『して貰った』って……バイクの整備は自分でやらないんですか?」

「チイは物覚えが悪いな。ついさっき私が言った言葉を思い出せば、答えは自ずと出る」

 ええと、何言ったっけ?

「……魔術師は機械のことはさっぱり分からないからミッションをやっても教えられる事なんて限りある。機械のことは技師が一番良く分かってる」

「はい、正解」

「愛車でも他人任せですか?」

「愛車だからこそなんだよ。そうだアル、二番目の課題だ。私をはじめストロース協会の魔術師は全員機械が扱えない。そこで問題。世の中には、技師を兼業する魔術師が存在するのだろうか。また、私の同僚は機械の研究をしないが、それは何故なのか。タイムリミットは目的地のカフェに着くまで」

 アカデミーを出たら仕事場じゃなくてまずお茶にするって? 気にしないけどさ。ぶっきらぼうなんだかフランクなんだか良く分からない人だ。高位魔術師ってこんな人ばっかりなのか? エルから変な噂を聞かされてはいたが、やっぱり尾ひれが付いていたに違いない。殺人を仕事にするような人が、こんなにルールに従順でおしゃべりだとは決して思えない。

 せっかく地上に近づいたのにもう一度階段を下りて、地下駐車場に到着。全面無機質な灰色、規則正しく並んだ柱。殺風景である。かなり、と言うほどではないがミッションの参加者がちらほら見られ、時折通る車に道を空けてやらなくてはならなかった。

 これだ、と示されたのは黒いサイドカー。柱の陰になっていて細かい部分はよく見えないが、一目で分かる、これはかなり質が良いものを使ってる、と。メリッサさんはハンドルの間にある操作盤を何度かタッチしてから愛車を駐車スペースから通路へ引き出した。うん、やっぱり高級な代物だ。それでまず気になるのは、彼女の服だ。

「その服でバイクに乗るんですか?」

 すると帽子をシート後ろの箱に入れてから、

「そんな訳ないだろう」

 と俺を冷たく一瞥して、金糸で彩られたパーティードレスの太腿を叩いた。すると布の質感はそのままに形だけが変わっていって、みるみるうちにパンツルックへと着替え(?)を完了させていた。開いた胸元も露出した肩も、今はタートルネックのように首まで覆われている。最初からこれで登場してくれても良かったのに、とは思う。それだったら魔術師には見えないだろうけどさ。

 サイドカーに乗っていた二つのヘルメットの内一つを差し出されたのでかぶろうとしたところで、水色のポリタンクも置かれていることに気付いた。

「何です、これ」

「海水」

「え?」

「海水だよ。知らないはずはないだろう?」

「分かりますけど、何故?」

「必要だからに決まってる」

 よく見るとタンクからはバイク本体に繋がるチューブが伸びている。機械にとって海水は大敵なんだけどな。

 ヘルメットをかぶり、タンクを抱えるようにしてサイドカーに乗り込むと、ライダーは手早く発進させ、ゲートをてきぱきとくぐり、生徒用の門とは反対側に位置する通用門から、俺達は町中に出た。さて、これから一体どうなるのかね、俺は。入学式の時にもこんなことを思っていたなそういえば。

 期待に満ちた卒業試験だったのに、あんなことになるだなんて、この時の俺は想像だにしていなかった――なんて煽り文句は安っぽいな。だから言わない。もう言ってるとかいうツッコミはよしてくれよ。


 俺がこの街に引っ越してきたのはアカデミーへの入学が決まってからで、留年はしていないから二年と数ヶ月を過ごしたことになる。寮生活ではあるが門限はそこまで厳しくもないこともあり、放課後や休日は中心部に出ることも多い。あれが欲しければこっちに、こういう気分の時はそっちに、役所に用があるならここを通ってこう……と、道案内くらいならできる自信がある。観光するほどのものがないのが残念だが(そういうのは大体戦争の結果として破壊・焼失・沈没している)。何が言いたいかというと、愛着を持つほどに親しんで勝手知ったる我が故郷の一つとも言えそうなこの街を、今まで見たことのない視点で目にすると半分知らない地区に見えてくる、ということだ。道路から、しかもサイドカーというかなり低い場所からだ。かなり貴重な体験なんじゃないか?

 体感時間で三十分ほど揺られ、目抜き通りの一端にある広場の地下駐車場にバイクを駐め、地上のカフェ、そのテラス席に俺達は座った。二人がけの小さなテーブルである。って、メリッサさん、いつの間に肩が露出したドレスに着替えたんです?

 黒い髪に黒いドレス。二の腕から手首まで伸びる袖だって、やっぱり金糸の刺繍が施されてはいるが真っ黒だ。肌が見えていなければ、髪と服の境目がどこなのか分からなくなりそうだ。

「ここはいつ来ても騒々しいな」

 メリッサさんが気怠げに言った。

「賑やかの間違いでは?」

「やかましいな」

「俺まだ十文字しか喋ってませんよ」

「広場が、だ」

 そりゃそうだ。今さら俺の言葉にやかましいなんて文句をつける人じゃない。分かってたことだろうに。

 と、そこへ白と黒の服を着たウエイターがやってくる。

「ウェルカムトゥようこそカフェアリーゼへ」

 ギャグみたいだがマキナとマギカが半々で生活する地域での接客業はこんなもんだ。

「ああ、今日から卒業試験ミッションでしたか。道理で若い魔術師を見かける訳です」

「アル、払うのはアソシエだから好きなだけオーダーすると良い。ビール一つ」

「真っ昼間からアルコールって何考えてるんですか? それよりアソシエが払うってどういうことなんです」

「ノープロブレム、これが私のやり方なんだ。ミッションが終わった後に経費を報告すれば、一定の割合で払い戻してくれる。成績スコア次第では全額」

「ブレイクタイムでも?」

「やれやれ、と言うのだったかなこういう場合。マキナは本当に仕事熱心だ。悪いとは言わないが、休むことも覚えた方が良い。仕事も大事だが、休暇も同じくらい大事だろう。パートナーと時間をシェアしているのだし金額だって僅かなものだ。心配ない、申請は通るよ」

「そりゃあ魔術師ウィザードは良いですよ、基本的に仕事に困りませんからね。でも技師エンジニアは違うんです。怪我のリスク、失職のリスクと常に隣り合わせなんです。仕事が出来る時にしておかないといざというとき大変だって考えが根付いてるんですよ」

「魔術師だって食い扶持に困るのはたまにいるが……決まった?」

「ソーダポップで」

「かしこまりました、サー」

 茶髪に黄色のメッシュを入れた店員を見送ってから、メリッサさんが呟いた。

「サーだって」

「母語がマキナ語だからでしょうね」

 たった今ミッションの話をしたところだというのに、俺が魔術師に見えたとでもいうのかあのウエイターは。まあ、最初から俺も含めマギカ語で話していたから引きずられたのかも知れない。

「疑いなく。ではミスターシラナミ、さっきの宿題の答えを聞こう」

「はい、マダムレインズ」

「私が悪かった。その名前はやめてくれ」

「だったら変な呼び方しないで下さいよ。それで宿題ですが……」

 実を言うと、シンキングタイムは十分あったはずなのに、俺は全く考えを巡らせていなかった。というかその必要がなかった。

「技師の資格を持つ魔術師は基本的にいません。ただ、技術的には可能なはずですし、暇を持て余した酔狂ならば手を出すかも知れませんね」

「これは問題にするまでもなかったかも知れないな。私のネットワークにはそんな酔狂はいないけど」

「そして機械を知ろうとする魔術師がいないのは、さっき言ったように、魔術師は、魔法を扱うことに専念してさえいれば収入には困らないからです。少なくとも仕事のために研究する人はいませんし、数が多い技師の仕事を奪うことにもなりかねません」

「パーフェクト。心の中が見えているんじゃないかと思うくらいに」

「エル……うちと懇意にしている魔術師から聞いたんです」

「なるほど。聞くだけ無駄だったか」

 腕を組み直す仕草までいちいち絵になる人だ。その時、さっきのウエイターがコースターとドリンクを持ってきた。

「早速なんだが悪い知らせがある」

「……何ですか?」

 急に真剣な表情になって言うもんだから、思わず緊張が走る。やはり心のどこかで、エルに脅されたことが尾を引いている。

「ミッションの課題の約半分はプロの仕事を手伝うことだが……私には仕事がそれ程多くはないし……多くないというのは言い過ぎだが、ましてや、チイに手伝えるような仕事は、率直に言ってない」

「ないんですか」

「ないんだよ」

 しれっと言うとジョッキ入りのビールを豪快に飲み始める。首筋きれいだな。ところで酒飲んだらバイクに乗れませんよね? 置いていくつもりなのか。

「過去にミッションをやった時はどうしてたんですか」

「他のミッション組を手伝ったり、技師のアトリエに入会して仕事したりしてたな」

 アトリエ――マキナの言葉で工房――とは個人で設立する、研究を目的とした組織のこと。協会ほど規則は厳しくなく、違う協会に所属する者同士が一堂に集まることも珍しくない、交流の場所でもある。技師が部長を務める工房でも魔術師は入れる、というか歓迎されることが殆どだ。

「良いんですか、それ」

「アカデミーだって私の事情は理解しているんだよ」

「それで」

 怖くはあるが、聞くならこのタイミングしかないだろう。

「メリッサさんの普段の仕事って、何なんですか」

「ああそういえば言っていなかったか。何だ、その潰れた虫でも見るような顔は。ああ、どこかから変なゴシップを聞きつけて来たな。高位の魔術師にはよくあるんだ。素性が知れないからあることないこと想像で話をする」

「やっぱり嘘だったんですか」

「何を聞いた?」

暗殺アサシンを仕事にしていて、魔法を使うのに生き血や死肉や魂を利用するって」

「本当だよ」

「ですよね……えっ? ええっ!」

 あっさり本当だと認めたよこの人。

「いやいやまさかそそそんな人がアカデミーにきょきょきょ協力するだなんて」

「落ち着け」

「そうだそうらこれは俺をからからかってるんですよね」

「舌が回ってない」

「かかかがえてもみろ、泥棒が泥棒だなんて言うははずが」

「いいから落ち着け」

「ひゃあっ!」

 らしくもなく素っ頓狂な声を上げたのは、文字通り背筋を凍り付かせられたからだった。体が動かない。見ると、メリッサさんのものすごく冷たい指先が俺の額に当てられている。舌先すら動かせない。数秒間、俺は息も出来ずに硬直していた。

 指が離されると、心臓が激しく動き出し、横隔膜が新鮮な空気を求めて上下する。

「殺す気ですか」

「落ち着いたか?」

「少し」

「噂の内容は部分的に正しい。フォースではないのだからトゥルーだ。だけどね、少年。それが私の全てだと誤解してはいけない。私はゴシップの内容について言っただけで、ルーチンワークがそれだと言ったつもりはない。分かるね」

 サイダーをゆっくり飲んで頭を落ち着かせる。この人はものの言い方が極端だ。

「もっと具体的に言うとだね――」

 その瞬間、俺のポケットの中に入れた端末が震えた。アカデミーから何か通知が来たのだろう。メリッサさんも同じことをしているところから察するに間違いない。

「魔術師ってこういう純粋機械が絡んでいるものに抵抗がある人もいるって聞きましたけど」

「バカなことを。そんな古い考えのマギカなど化石フォッシル同然だよ」

 魔法を必要としない旧来の機械を、魔法機械に対して純粋機械と呼ぶ。電波塔など通信に使う機械は安定して常に動いていなければならないので、魔術師にやらせるには限界がある。少ない資源を消費してでも動かさなければならないものの一つだ。

 送信者はやっぱりアカデミーで、例に漏れず両方の言語で書いてあった。

 

 

 指令

 学院の宝物庫よりクイーンガーネットが奪われた。

 犯人を特定し、杖を無傷のまま聖堂まで護送せよ。

 いかなる理由があっても窃盗犯を傷つけることを許可しない。

 クイーンガーネットに関しても同様である。

 制限時間は明日の正午とする。


 達成ポイント  五五〇



「そうだ、たまにこうやってアカデミーからワークが出されるんだよ。仕事がない時にはこれやって稼いでた」

 卒業試験ってポイント制だったのか。俺もこれに付き合わされるのかな。まあ、退屈はしないかも。

「クイーンガーネットって何ですか? どこかで聞いたんですけど思い出せません」

「アカデミーの大聖堂カテドラルに安置されている魔石杖の一つだ。魔術師の世界では、失ってはならないほどの秘宝なんだよ」

「そんな大事なものが盗まれた?」

「そういうことになるな。文面をどう読んでもそれ以上のことは読み取れないし、ほら、あそこにいる制服と魔術師のペアもメールを見ているから、訂正の一報が入らない限り本当の指令だろう」

「……でしょうね」

「乗る?」

「何にです」

「このワークにに決まってる」

「断ったら今日一日することがなくなるのなら行きます」

「……ないな。よし行こう」

 ないのかよ。

「アル、一応これはミッションの一部だからチイに判断を仰ぐよ」

 それはあまり内容と関係ないような。パートナー同士で協力させるのが目的なんじゃないのかなあ、こういう学院の魔法でも機械でも関係なさそうな指令って。

「これだけじゃ情報が足りないので、まずはアカデミーに戻りましょう……歩きで」

「乗ってきたバイクがある」

「今メリッサさんが飲んでるそれは何なんです」

 飲んだら乗るな、乗るなら飲むな、と古い格言がマキナにはあるんだよ。

「平気だよ。私はいくら飲んでも飲酒運転にはならないんだ」

 何だそれ。不安ではあるが、歩くよりはマシだと思って諦めることにし、俺はソーダポップを一気に飲み干した。


 結果から言えばメリッサさんの運転はしらふ同然だった。というかそのものだった。まあジョッキ一杯だけだったし大したことはないのかも知れない。ポリスにも出会わなかった。俺達が今いるのは学院の正面、生徒用の通用門。地下の駐車場を経由するよりこっちの方が聖堂に近いからだ。バイクは近くに置いてきた。

 本日二度目のゲートをくぐり、見えるのは校舎。まっすぐ伸びた道の正面にあるのが大聖堂だ。その右側に機械科の、左に魔法科の建物が位置している。他に生徒の姿は見えない。様子を見に学院に戻ってきたのは俺達だけなのか?

「この距離を歩くのは疲れそうだな」

「そんな距離じゃないですよ」

 地下の射撃場から駐車場までのほうがこの直線距離より長いんですけど?

「挨拶代わりだ、私の空の飛び方を見せてあげよう」

 言うとメリッサさんは帽子を脱いで胸の高さに持った。薄紫色のシルクハットには緑色の羽根の塊がくっついていて、その玉をひょいとつまみ上げる。その瞬間緑の玉が少し解け、ブーンと音を立てて宙を漂い始めた。精密機械よりも機械らしく、上下前後左右に急発進急停止を繰り返して飛び回る。

「何ですかこれ」

「私のペット。ハミングバードのシエル」

 そのシエルとやらは、威嚇するように俺の目の前で止まった。なるほど、緑の細長い体に目があり、くちばしがあり……鳥なのか、これ?

「なんや! じろじろと! ウェブにかかったフロッグでも見るようなその目は!」

「喋った!?」

 甲高い耳障りな声だった。明らかにこの鳥みたいな生き物からだった。っていうか蜘蛛の巣に蛙はかからねえよ。逆に蜘蛛が餌食だろ。

「喋るなって普段から言っているのに……チイは動物図鑑とか見ないのか?」

「猫は好きですけど」

「これはハミングバード、マキナ語ではハチドリっていってね、戦争の際に絶滅した動物の一つなんだよ。本で目にして、その性質を知っていくうちにこれはペットに使える鳥だって思って、錬成した」

 魔術師の言うペットは、愛玩動物とはちょっと違う。動物の形をした、魔力で動く人工生命のことだ。エルが連れて歩いていた白猫もそれ。どういう役割があるのか以前エルが説明してくれたことがあるが俺には何がなんだかさっぱりだった。これがあると魔法を使うときに役立つらしいことは確かだ。

「こういう飛び方をするからですか?」

「そう。ホバリングが出来る数少ない生き物だ。これは役に立つ」

 確かに空を飛ぶ生き物は多いけど、前に進むところしかイメージが湧かない。

「オウムみたいに喋る鳥なんですか、そのハミングバードって」

「無理だよ。本来はどんなペットでもね。錬成した時にどこかのファントムでも巻き込んでしまったのかも知れない」

 幽霊って。魔術師は何でもありか。

「そう思って最初は色々質問してみたが名前さえ覚えていなかったし、方言じみた言葉遣いをする以外何も分からなかった。会話が出来るペットだなんてスキャンダルの種だから普段は帽子の飾りとして封印して、解いた時も無言でいるように調教したんだが」

「そいつぁあーまりですぜマイシスター」

「黙れと言ったのが聞こえなかったのか?」

 そしてメリッサさんが指をぱちんと鳴らすと、鳥が人間と同じくらいの大きさになって着地した。驚く暇もなくメリッサさんに鳥の背中に乗せられ、思わぬ形で空中浮遊を楽しむ羽目になった。

 飼い主は鳥の首の後ろにまたがり、俺は彼女の腹部に手を回してしがみついていた。

「あんまり暴れるなよ。羽の動かし方が激しいから、触れると大怪我だ」

 そもそもこれはどう見たって乗用の動物じゃないだろうに! というかペットに乗る魔術師なんて初めて見たよ! 今度梟や鷹を連れている魔術師を見かけたら聞いてみよう。

「行くよ」

 それだけ言って、例のカクカクした飛び方で大聖堂に近づいていく。しがみつく場所が殆ど無い中で前も見えない飛行。これが怖くないはずがない。これなら無視して一人で歩きたかったと思ってももう遅い。目的地に着くと鳥は元のサイズに戻って帽子の飾りと化した。俺は地面にへばりついていた。

「寝ている時間はない。行くぞ」

 誰のせいだと思ってるんですか。なんとか立ち上がると、メリッサさんは目の前にある石碑を見ていた。学園の創設者である二人の魔術師が残した言葉が刻まれている。俺と視線がぶつかると、ついたてのように鎮座する石碑の裏手へと回り込んだ。

 石造りの大きな聖堂。マギカが信仰しているナントカって宗教のための建物。現存する宗教施設の中では新しい部類に入る。年季が入り始めた木製の扉を押して中に入ると、ステンドグラス越しの光と奥の祭壇まで伸びる立派な絨毯が目に付く。そのそばに、クリーム色の礼装に身を包んだ婦人が一人佇んでいる。広い建物なのに、俺達を除くと彼女しかいなかった。俺はここに初めて入ったので、彼女が何者なのか、そこかしこに施された彫刻が何なのか、何一つ分からなかった。祭壇の近くまで歩くと、メリッサさんが言った。

「久しぶりだね、ディアナ。ここの管理を任されるとは偉くなったものだ」

 ディアナと呼ばれたその人は、金髪にオレンジの瞳が印象的な典型的マギカだった。しかも結構若く見える。

「メリッサも相変わらずそんな真っ黒い格好が好きなのね。黒猫みたい。そっちはミッションのパートナー? 初めましてかな? ディアナといいます」

「アルクラッドです」

 遠くからでも見えてずっと気になっていたのが、この人が巨大な本を持っていることだった。緑色の装丁に白い茨模様が施された、百科事典より分厚く、盾よりも大きい表紙。何かから守るように自身の胴体と伸びきった両腕で本を挟み込み、両手で落ちないように支えている。一方はもう脇に触れそうなくらいだ。ところで本というのは大抵横に長い。ディアナさんの腕の長さ分ある辺は短い方の辺だ。つまり、体の横にかなりの質量がはみ出している。これではまともに身動きが取れない。そもそも女性が平然として持っていられる重さじゃない。魔法を使ってるんだろうな。

 黒猫さんもその本が気になるようで、何やらジロジロ見つめた後に尋ねた。

「その本は?」

「プレジデントからの預かり物。海底から引き上げられたもので、置き場所がないから一時的に置かせてくれって」

 まさか政府のトップが? と思ったが、そうだアカデミー内部ではプレジデントには学院長の意味もあるのだった。

「だったらわざわざ手に持つ必要はないじゃないか」

「大事なものだから」

「ふーん」

「それよりミッションの最中でしょ? どうかしたの?」

「それでここに来たんだよ。知ってるはずだろ、事件のこと」

「ええ、もちろん」

「宝物庫を見せてほしい」

「そんなおいそれと開けていい場所じゃないわ」

「クイーンガーネットが盗まれたのなら、ストロース協会の一員としてエースサファイアの無事を確認する義務がある。大丈夫、もう不審者は来ないだろう。門番の対応が厳しくなっていたからな」

 ディアナさんは少しためらった後、分かったと答え、本を壁に立てかけた。

「こっちよ」

「アルはここで待機していてくれ」

「分かりました」

 そうして二人は祭壇の裏手にある扉から宝物庫とやらに消えていって――

 暇になった。

 さっき言っていたクイーンガーネットとやらについて調べてみるか。学院に関する情報はこの端末に全て入っている。


 学院の大聖堂――創設者クァッドランの指示で平和歴一六年より建設が始まった。その高さは――


 歴史や数字はどうでもいい。宝物庫の項目を探そう。


 宝物庫――主に魔術師個人から無償で提供された、全ての魔術師にとって価値の高い宝具が収められている。中でも三本の魔石杖、メルクリウスより賜ったキングトパーズ、ガルシアより贈られたクイーンガーネット、ストロースより譲り受けたエースサファイアは、学院を象徴する誇りである。他にも――


 協会の文字がないところを見ると、このストロースは魔術師の名前だ。その人が設立したのがストロース協会。なるほどそれでメリッサさんは宝物庫を見せろと。もう少し調べてみると、魔法によって作られた、もしくは魔法の威力を増幅する能力を持つ貴重な品がここにはあるらしい。魔石杖とやらもその一種か。そんな大事なものを保管しているのに、セキュリティはどうなって……と見上げてみると監視カメラが設置されている。あれに犯人が映っているだろうから後で聞いてみよう。

 まだ二人は戻る気配を見せない。仕方がないので茨模様の本でも眺めてみる。魔術師が持つ本には大抵マキナには意味の分からない模様や装飾が施されている。これもそうだ。表紙は布地に白い糸で刺繍が……と思ったら凹凸がない。真横から見るとまるで印刷のようにのっぺりしている。海底から引き上げられたと言っていたけど、それはつまり戦争の際に海に流されたもので、百年以上前から眠っていたことになる。でもこれはそういう感じがしないどころか真新しい。表紙の損傷が激しいから付け替えたのか? 触れてみると確かに新品同然だが、金属で出来ているんじゃないかと思うくらい硬くて冷たい。それに、あの細腕で平然と持っていられたのも気になり、悪いとも思ったけど持ち上げてみることにした。しかしそうしようとしたところで足音が聞こえ、慎重に戻す。

「無事でしたか?」

「クイーンガーネット以外はな。何もなかったか、ここは」

「何も。それより、あそこにカメラが有りますよね。ダミーでないと良いのですが」

「本物ですよ。見てみましょうか」とディアナさん。いつの間にかその手には透明の筒のようなものが握られていた。

「コードオン、ダウンロード、ドゥオ」

 ディアナさんはそんなことを呟いた。どうやら呪文を唱えて魔法を使う人らしい。

「キー三六七二、ナンバー六六五八」

 暗証番号なんだろうか、と思っていると筒がほどけて板に変わり、映像を映し始めた。俺達が見やすいように持ち方を変える。

「……やけに暗いな」

「光のせいでしょ」

 メリッサさんの言う通り、そこのカメラから撮影されたことが辛うじて分かるくらいに映像が暗くて不鮮明だった。画面奥の方に見えるのがカーペットのある通路だろう。監視カメラとしてこの性能はどうなんだ? 泥棒なんか入らないから古いものをずっと使い続けて劣化したのかも知れない。実際あのカメラは古い機種だしな。

 見ていると、画面下の方から赤い光が揺れながら現れた。

「これがそのクイーン何とかですか?」

「そう。魔術師が持っているから強く反応して光ってるのね」

 杖を手に小走りで画面を駆けていくのは、真っ黒なフードをかぶった人影。走り方がなんとなく女性っぽい。体格も至って平均的に見える。やがて犯人は正面の扉の方向へと消えていった。

「ありがとうディアナ。他に手がかりは?」

「アカデミーに入れる人は限られてるし、泥棒に入ろうなんて人はまずいないから、監視カメラもトラップ魔法も殆ど設置されてないの。ここは市街地とは違うから」

「犯行時刻にはディアナさんはこの聖堂にいなかったんですか」

 当然のことではあるが、念のため聞いてみる。

「そうね。夜間は封鎖してるんだけど、朝いつものように鍵を開けてチェックしてる時には無事だったわ。その後プレジデントからその本を取りに来るように言われて、戻ってきたら宝物庫の扉が開けられていて。おかしいと思って調べたらクイーンガーネットが盗まれていて、上に報告したというわけ」

「学院長はミッションの開始セレモニーに出席していましたよね。その前ですか、後ですか?」

「後だったわ」

「ということは盗まれたのはついさっき?」

「ええ。だからミッションの生徒さんに探して貰うことにしたの」

「ずいぶんと動きが素早いな。指示が出てからここに来たのは私達が最初か?」

 俺が言い出そうとしていたことを先に言われてしまった。まあ構わないけど。

「そうよ。誰か戻ってくるなんて思わなかったけど」

「また被害に遭うことは考えてないのか」

「ゲートの警備を厳しくしたし、まだアカデミーの敷地内にいるならすぐに発見できるでしょうって、プレジデントは言ってたわ。自分なりの方法で犯人を捜すからって、私一人がここに残されたの」

「そうか……アル、他に何か質問するなら今のうちだ」

「いいえ、十分です。ありがとうございました。今後はセキュリティを万全にするべきだとは思いますよ」

「相談してみます。お二人とも、ご武運を」


 聖堂を背に、今度は普通に歩きながら、どうやって探したものか悩んでいた。

「結構大きいんですね、あの杖」

「まあ、大きさが能力に比例するのが宝具だからな。例外もあるが」

「隠して運ぶなら車が必要ですよね」

「確かに。次はそっちを調べるとしよう」

 その後、生徒用通用門の門番に事情聴取し、自動車用の裏門でも同じ事をやって監視カメラの映像をチェックした結果、四十台の四輪車がそこを通過していた。いずれもミッションの関係者で、技師の車が十三台、魔術師の車が二十七台(サイドカー含め二輪車もいたが、杖を隠せる空間がないので除外してある)。それぞれのナンバーも入手したので、探そうとしたら探せるが……

「一つずつ当たっていくべきですかね」

 ゲート近くの道路脇で、俺は車のナンバーのリストを見ながら、バイクに跨がるメリッサさんに尋ねた。

「効率が悪いな。犯人がミッションに参加しているなら、この通知を受け取っている。ならば真っ先にこの島から脱出することを考えるのではないか?」

 確かに。メリッサさんだんだんやる気出て来たのかな。もう俺に判断を任せなくなった。

「魔術師なら空を飛んで逃げられちゃいますよね」

「小さい島の間でなら可能だが、シニス島とデクス島では無理だよ。空路を使うには許可が必要だ。監視の網と警察の攻撃をかいくぐるのは私くらいの上級魔術師であっても難しい」

「じゃあ船ですかね。貨物船か、客船か、個人のモーターボートか……」

「あのくらいの大きさなら手荷物として持ち込めるし誰にも怪しまれない。モーターボートねえ……杖を使えばスピード出せるから、その可能性はある」

「じゃあ港に聞き込みに行きますか」

「港より、監視センターに行った方が早い。空の監視と同時に海面の監視もやっている」

「海中は?」

 潜水艦なんてもう存在していないから、やるとしたら魔法だろうね。

「……あり得るな。そうなると打つ手がないぞ」

 セキュリティが中途半端だな。犯人がそこまで計算している可能性もある。誰かが港で見張りをしてでもいない限り、逃げられてしまうだろう。もう手遅れかも知れない。

 で、ここから港まで行くなら陸路より飛んだ方が早いというので、サイドカーをここに置き去りにしてハチドリに乗ることになったのでした……


 飛び上がってみると、何やら空が騒がしいことに気付く。空を飛んでいる魔術師の数が多いのだった。

「高いところから捜すつもりなんですかね」

「浅知恵だな」

 そう鼻で笑っていると、ただ飛び回っているだけではなく、時々何かが光っているのが見えた。ホバリングしてその光景を眺めていると、炎の弾がこちらへと飛んできた。素早い動きでさっと回避。

「外したか!」

 鳥の羽音に混じって、そんな声が聞こえた。若い男の声だった。

「これならどうだ!」

 その姿をはっきりと捉えられた。夕焼けのようなオレンジの短髪にスカイブルーのマントを羽織り、長い箒に跨った俺と同い年くらいの少年。その後ろでは髭を生やした男が半泣きでしがみついていた。その魔術師見習いが持った短い杖の先に炎が生まれ、こぶし大になったところで撃ち出す。

「無駄だよ」

 メリッサさんがそう言ったのが聞こえ、やっぱり機敏な動きで躱す。

「シエル、羽音が邪魔だ」

 直後、ずっと側で鳴っていたブーンという音がぴたりと止んだ。羽ばたきが止まった訳ではない。

「いくら撃っても無駄だ、この*****! 一体何が目的だ!」

 するとオレンジ少年はポケットから何かを取り出して口に放り込んだ。ボリボリと噛み砕く音が聞こえるが、あれは飴玉か?

「クイーンガーネットを探してるんだよ! あれを盗めるのは魔術師だけだ! だから片っ端から潰してボディチェックすれば、いつかは正解に辿り着く!」

「頭の中に花でも咲いてるのか、こいつ……」

「同感です。そういえば故意に戦ったり傷つけたりしたら減点でしたよね」

「ここで叩くと私も減点になると思うか、アル」

「少なくとも俺と、彼の後ろにいる技師が危ないです」

「ああ、振り落としかねないな」

「どうやって助けます?」

「私の仕事だ、黙っていろ」

 背中しか見えないが、筋肉の動きでメリッサさんが何か腕を動かしていることは分かる。そうしている内にも、目の前の敵はまた当たらない射撃をしようとしていた。

「さあ、持っているなら大人しく出すんだ!」

「持っていないし、持っていてもお前みたいな雑魚には渡さない」

 じゃきり、と金属のパーツがはまる音がした。拳銃に弾をセットしたようだ。敵が作った炎は、気付けば術者の顔を覆い隠すほど大きくなっていた。

「ショット!」

 若い魔術師の叫ぶ声が聞こえ、火球がこちらへと迫る。急な動きに備えて強くしがみつき直したが、何故かハチドリは動かなかった。まずい、と思ったその瞬間、ぶつかる直前で炎が弾け、俺達は煙に包まれる。が、俺のところまでは来ないので息苦しくはない。爆発音が消えたと思った直後、一発の銃声。と同時に黒い煙が吹き飛ばされた。

 少年は勝ち誇ったような高慢な笑みを向けていたが、俺達が無傷なのに気付くと途端に顔が青ざめ、箒と背中の技師ごと重力に吸い込まれていった。

「何故だ!」

 落下しながら、そんな悲鳴を上げていた。俺が叫ぶ前に既にハチドリは急降下し、メリッサさんはもう一発、弾丸を撃った。


 落下した場所は道幅の狭い商店街だった。真上で炎が飛んでいたこともあり、幸い通行人は避難していてほぼ無人だった。ちなみに車一台がやっと通れる程度のその道は石畳である。

 青マントは尻餅をついてうなだれ、パートナーである黒髪の技師は仰向けになって気絶しかけていた。息はあるので大丈夫そうだ。服屋のおばさんが助けを呼んでくれたし、もう心配はない。

「一体何をした」

 少年がメリッサさんを上目遣いに睨む。

「お前の属性が炎、私のは水。それだけだ。箒の穂の部分を守ることも忘れるとは、お前はアカデミーで何を学んできたんだ。学生証を出せ」

 無傷の敗北者は渋々と胸ポケットからカードを出した。

「……カンディ・ロッソ。ちゃんと報告しておくからな」

 カンディにカードを返すと、このペアには別れの言葉もなく背を向けて商店街を歩き始めた。まあ、ショッピングをするつもりではないのだろうが。

「全部計算だったんですか?」

「もちろん。ああいうのは一旦落としてやらないと学ばない。落ちる場所に衝撃緩和の魔法を用意するところも含めてな」

 さっき空中で準備していたのはそれか。銃弾に魔法を込めて着弾した場所で発動させる、機械と魔法の融合術。この人の得意分野だと、確かレポートには書いてあった。そして、俺が一番やりたいことでもある。

 予め魔法が封じられた弾頭が用意されていれば、魔法の使えない俺でも擬似的に魔法を使うことはできる。発砲に使うエネルギーも含め、こういう「魔力が充填されたアイテムを使って魔法を再現する」技術を、魔力によって機械を動かす魔法機械に対して機械魔法と呼ぶ。最近研究が盛んなのはむしろこちらだ。

 さっきメリッサさんが撃ったケースはかなり特殊で、火薬の爆発力を魔力で代替(加えて消音を付加)、リボルバーという機械を使って射出、着弾点で魔法を起こす、という機械魔法と魔法機械の両方の性質を持った攻撃だった。しかも恐ろしいことに、一発目と二発目に違う弾丸を装填していた。それを手際良くセットして使う判断力も見事と言う他はない。

「さっき撃った二発の弾丸って、予め魔法を込めてあったんですか?」

「その場で用意したものだよ。選択肢が少ないならともかく、それだとリュックサック一杯の弾薬を用意しなきゃならない。敵を前にして武器を準備する手間が必要だが、その分臨機応変に使い分けられるし、そもそもが遠距離攻撃なんだからタイムラグは大したことではないだろう」

 二発分の魔法を使うにしても、かなり短い時間でやってのけた。相手がすぐに攻撃できる状況でもなければ特に困らなさそうだ。まったく、俺には不釣り合いなくらいに優秀な魔術師だと思うよ。

「接近戦なら銃より直接魔法を撃つのがベターだからなおさらだな。まあ、私はこっちを使った魔法のほうが得意なんだが」

「あれ? それならどうしてさっきは銃を?」

「私の魔法は至近距離でしか発動しないんだ。その弱点を補うために銃器を使っているに過ぎないし、さっきの場合、技師へのダメージを最小限に抑える必要があった。だからああした」

 なるほど。さっきから感心してばかりだ。

「それで、さっきからどこを目指して歩いてるんです?」

「飛ぶのは危険だから歩いているだけだ」

「えー……」

 確かにさっきから物騒な音が響いている。主に空から。

「でもメリッサさんほどの魔術師なら平気でしょう?」

「私は普段一人で行動してるんだ。二人で飛ぶだけなら良いが、飛び回りながら戦うのはチイが危ないし、しがみつかれては私も戦いづらい。さっきの技師を見ただろう。たまたま相手が進級ラインギリギリのバカだったから助かっただけだ」

「調査は諦めるんですか?」

「情報がないからな。時間的に言ってもう脱出された可能性が高い」

「それでも港に行きましょうよ。諦めたら宝具が戻らなくなるかも知れないんですよ」

「それももっともだが……そもそも犯人は何のためにクイーンガーネットを盗み出したんだろうな、しかもこのタイミングで」

「タイミングというなら、学院にいる人数が少ないからでは? 今日は最終学年と教職員しか……いや、それはないか。来客がいるし、少なさという点だったら休日がある」

「無計画な犯行ではあり得ない。何しろ秘宝中の秘宝だ。使い道は……いくらでもあるが、魔石杖が必要なら相当大きな魔法だろう。だが並の魔術師には扱えないはず。もしかしたら他のトロネスランクの魔術師がバックに付いてるのかも知れないな」

「どんどん話が大きくなってますね」

「盗まれたのがそういう代物だから当然だ」

 どうしたものか、と溜息を吐く。気付けば道は終わり、カフェやレストランが立ち並ぶ広場に出ていた。ゆっくり休憩出来る状況ではないが、体と心が休息を要求していた。ここから港まで歩くのと、バイクを回収しに学院まで戻るのとではどっちが楽だろうか……そんな事を考えていると、突然上から俺を呼ぶ声がした。その声の主は屋根の上から空飛ぶカーペットに乗って颯爽と現れた。ゆっくりと減速して、わずかに浮いたまま俺の目の前で止まる。とん、と軽い音を立てて彼女は降り立った。緑の制服はアカデミーの魔法科生徒の証。ピンク色の長髪で、彼女の柔らかい雰囲気とよくマッチしている。

「アル、クイーンガーネットの件なんだけど」

 少女は焦りの色を見せながら聞いてきた。

「ああ。こっちも色々調べてはみたんだけど、情報が足りなくて詰まってる」

「じゃあ情報交換しよ」

 空飛ぶ絨毯の上にはもう一人乗っていた。明るい茶色の髪をした、メリッサさんより少し年上に見える男だった。シャツの上にはポケットだらけの作業用ジャケット、下も丈夫な生地のズボンという典型的な技師の出で立ち。間違えようもなく、卒業試験のパートナーだ。

「紹介するね、この人は私のパートナーのヴィントさん」

「アルクラッドです。よろしく」

「こちらこそ」

 そしてヴィントさんは俺の横に目をやると、何も言わずに目を見開いて後ずさった。つまずいて転んだが、浮いたままのカーペットが上手いことクッションになって大事には至らなかった。

「メリッサさん、知り合いなんですか?」

「昔一緒に仕事をしたことがあるだけだよ。そこまで驚かれるとは意外だな……もしかして私の変な噂を広めてるのはあんたか?」

「そんな事するか! こっちは忘れたくてしょうがなかったってのに!」

 男性は起き上がってからそう叫んだ。いったい何があったんだろう。

「ええと、こちらメリッサさん……って、紹介するまでもないか」

「うん。三ヶ月ぶりですね、メリッサ・レインズさん」

「つくづく縁があるみたいだな、アクアレール・クリム」

 このピンク髪の少女は、俺のよく知るエルその人だった。っていうか二人とも既に顔見知りなのかよ。

「アカデミーで話した、家ぐるみの付き合いがある魔術師ってのが彼女です」

「ほう。これも何かの運命かな」

「偶然、では?」

 エルはそれだけ言うと、少し離れて俺を手招きした。カーペットを持って盾のようにしながらひそひそ話を始める。

「何か変なことされてない?」

「何も」

「本当に?」

「噂で聞いたよりは普通の人だよ」

「そう。でも油断しないで。まだ初日だから」

「聞こえてるよ、ミス・クリム」

 メリッサさんがそんな風に声をかけてきたが、果たして本当に聞こえていたのだろうか。まあどっちでも同じか。エルがカーペットを叩くと、極彩色の敷物は丸まってハンカチサイズまであっという間に縮んだ。そしてポケットにしまい込まれる。

「……じゃあ、どこか適当なカフェにでも入ろうか」

 俺がそれを言うしかない雰囲気だった。


 テラス席に着いた時にはエルの髪は見慣れた白に戻っていた。彼女の容姿が最も注目を浴びる理由がこれだ。普段は銀髪だが、魔法を使う時だけ『本来の』ストロベリーブロンドに変化し、何もせずに三分経つと元に戻るという性質。魔力に反応して変色するだけなので、桃色魔女でいる間はパワーアップ、なんてことはない。また、稀にだが他の魔術師の魔法に反応することもあるらしい。

 全員が飲み物を頼んでから、俺が切り出す。

「エルはどこに行ってたの?」

「飛んでる時にあの指令が届いたの。犯人を捕まえるなら港だって思って監視局に直行して事情を話したら、不審な飛行物体や船舶を発見次第アカデミーに通達してくれるそうよ。本当はそのインフォを独占したかったんだけど、こんなケースだしね」

 俺達がさっき思いついたことを真っ先にやったのか。まあ誰かしらが行動するとは思っていたが、エルがやっていたとはね。

「現時点でなおそういうメッセはなし。自ら水際で食い止めようっていう仲間もいるわ。それから……」

 エルはヴィントさんの手から赤くて平たい鞄を奪うと、その中から二枚の書類を出して俺達に見せた。

「定期便含め、今日と明日、オフィシャルに港を出入りする船のリストよ。犯人が脱出するなら、この中に紛れ込むだろうとは思ったんだけど」

 二枚の紙の両面にびっしりと数字や略号が並んでいる。読めなくはないが読みたくはない資料だった。

「随分と多いな」

「でしょ? 私もまさかこんなにあるとは思わなかった。マジョリティは隣島行きなんだけど、それにしたって多過ぎる」

「それにはちゃんとした理由があるのさ」

 と口を挟んできたのはヴィントさんだった。

「魔法機械じゃ出力不足で大型貨物船は動かせない。化石燃料なら馬力があるがコストが高い。だから中型か小型の船で何度も往復するしかなく、便数が増えるって訳さ。実際に見てみると、今朝出発したこのLS454っていう中型船は今日の昼過ぎに戻ってきてまた夜に出発、翌朝にも寄港するって申請が出ている。企業だけじゃなく個人のものも含めると膨大な数だ。その中にある一本の杖を発見するのは容易じゃない。まさに木を隠すなら森の中、という諺さ」

「へえそれで。とにかく、こう多くちゃ大変だし、荷物を一つずつチェックするのは仕事の邪魔になるし効率エフィシェンシーも悪いだろうって思って、ひとまずアカデミーまで戻ろうとしたの。そしたら何? 魔術師が街の上空で戦ってるじゃないの」

「お前は無事だったのか?」

透明化インヴィジブルの魔法使ったからね。普通の学友キャマラド達には見破れないわ。それで、あれが何なのか知ってる?」

「知ってるも何も俺達襲われたんだよ。何でも、誰か学院の関係者が杖を持っているのは確実だから、怪しい人を倒していけばそのうち見つかると思ってるらしい」

「バカね。指令には窃盗犯もクイーンガーネットも傷つけてはならないって書いてあったのに。落第したいのかしら」

「したいんだと思うよ」とメリッサさん。

「より正確には、するべきなんだと思うよ。そういう性格キャラクターの問題点を解決する意味でも、ミッションは九ヶ月間なんて長い期間タームで行われるんだ。教育係である技師の言うことも聞かないじゃじゃ馬魔術師は、来月には呼び戻されるだろうね。頭数が減るとワークがこなしやすくなって助かる。今年は何人がリタイアするかな」

 よくあることなんですか、と聞いてみる。

「一割くらいが問題を起こして落第する。私のアソシエには巻き込まれた魔術師はいないよ。むしろエンジニアの方に集中するんじゃないのかな、そういう話は」

 その視線はヴィントさんに向けられている。

「そうですよ。うちの協会でも何人か被害者がいます。どうしてこんなことに」

純血ピュアブラッドを重視する魔術師ほど、マギカはマイノリティでエリートだ、マキナより優れた種族レイスなんだっていう意識が強いことがある。アル、チイも交流授業の時にそういう雰囲気を感じたことがあったはずだ」

「そうですね、お互い協力するっていう作業なのに、ふんぞり返ってるだけの人がいましたよ。語りぐさになってます」

「そういうレイシストがああいった問題を起こすんだよ。困ったことに、この問題はそう簡単には解消できない。なぜだか分かるかい?」

「魔法文明を存続させるためには、今仰ったように魔術師の純血を保存しなければならないからですか?」

「理由の一つではあるが、コアを突く正解ではないね」

 悩んでいるところに、金髪のスタイルの良いウエイトレスが飲み物を運んできた。メリッサさん、今度はシードルですか。この人はザルなのか? 俺もレモネードを口にして喉の渇きを癒しながら、パートナーの言う「コア」が何なのか考えていた。

「アルじゃ一年かけても答えには辿り着けないわ」

 紅茶に砂糖を溶かしているエルが口を開いた。

「マキナとマギカが協力し合って戦争から立ち直った、だからお互いに対等な立場にある――という考えは、詭弁に過ぎないからよ」

「どういう意味だ?」

「魔術師は生きるために『仕方なく協力した』、という見方ヴィジョンも可能って意味。自らが機械の燃料になるんだから、望んでそうしたとは思えない。これが彼らの解釈。あるいは、魔術師なしには絶対に成立しないことがそのプライドを生み出したとも言える」

「魔術師ってそんな事考えてる奴もいるのか。今まで全然気付かなかった」

「表立って発言したりニュースになったりしないだけで、マギカの世界コミュニティでは常識同然の事よ。あるいはこう考える人もいる。魔法というのは本来枠に囚われず、それぞれのやり方で発達させられるもの。しかし魔術師をランク付けする国家魔術師というシステムは、魔法機械を扱うことを前提に、魔法を熱や電気を中心とした技能スキルに縛ってしまう。それは機械への協力コラボレーションではなく隷属スレイヴリーだ!」

「……マジ?」

「嘘言ってどうするの。社会学者ソシオローグの中にはそれは新たな世界大戦の火種だって言ってる人もいるんだから」

「そうなのか……全く知らなかった」

「そして一番の問題点はね」

「まだあるのかよ」

「うん、この考え方を、誰も否定できないこと」

「……誰も?」

「部分否定じゃなくて全否定。私だってそう。マキナに恨みなんてダストの欠片ほどもないけど、そう考える人たちに対しては、シンパシーを感じずにはいられない。実際、魔術師としては優秀なのに熱も電気も使えないからってだけで資格を取れなくて手当が貰えない人、いるんだよ」

「クリムの言う通りだよ。しかもこれを知っているマキナはそう多くはない」

 理由は言われなくても分かる。というか、さっきエルの口から出た言葉そのものだ。

「仕事をする上では、知っておいた方が良いかもしれないな……この優秀なお嬢さんが生涯のパートナーになるのなら、心配は無用か」

「ええ、私は絶対にマキナを裏切るようなことはしません。それが戦争を繰り返さないために、魔術師としてのあるべき姿ですから」

「みんなが君のように利口であって欲しいものだよ」

「それは難しいと思います。これは結局理想論でしかありません。いくら理性的にそれを説いたところで、アンチマキナは感情でしかものを考えられない人なので」

「それをどうにか出来ないようではまだ半人前だ。まずは噂話ゴシップを疑うところから始めたらどうだい? 噂話は貴族ノーブルの娯楽だったらしいが、つまらない趣味ホビーがあったもんだ」

「煙のない炎はないんですよ。少なくとも、噂が百パーセント嘘だとは思いません」

「具体的には何を?」

「あなたがキラーだという話」

見方ヴィジョンを変えればそれは本当だ。私は警察に雇われて、責任者の判断で犯人を射殺することがある。お互いそれを覚悟の上だ。言い換えれば、私が警察にキラーとして依頼されたとも見える。それだけの話」

「壺を買った直後にそれを割ったという話が、売り物の壺を壊して賠償金を払ったという話にすり替わったようなものですね」

「なかなかベターな例えをするじゃないか、アル。つまりはそういうことなんだよ。他にもいろいろ聞いているとは思うが、全部それに関連する飾り立てに過ぎないはず」

 言われてみるとそんな気がする。死者の魂を分解して魔力に変換するだなんて、俺にでも不可能だって分かる。

「さて、かなり脱線したが話を戻そうか」

 ふと空を見ると、まだ戦いは続いているようだった。エルも飛んでいる魔術師を目で追っている。

「戦うのは愚鈍スチューピッドとしか言いようがありませんが、犯人がアカデミーの関係者だというのは正しい推理だと思います。そうでもない人に犯人役をさせて杖を預けるのはリスクが大きすぎます。隠し場所の問題も含めて」

「役? 預ける?」

 何を言っているんだこいつは?

「まさか本当にこそ泥が入ったと思った訳じゃないでしょう? 厳重に保管されているクイーンガーネットが盗難に遭うはずがないもの。これはアカデミーが出した犯人捜しのゲームなんじゃないか、というのが私の解釈。タイムリミットがあるのが何よりの証拠」

 なるほど、そこを見落としていた。指令には確かに「制限時間は明日の正午とする」と書いてあった。何故そういう設定があったのか? エルの言う通り、指令がこの島のどこかにいる犯人を捜す一種のゲームであるとしたら、制限時間の意味も理解できる。しかし、俺達にはそれを否定しうる情報がある。

「俺達、実は指令が来てすぐ学院に戻ったんだよ。で、メリッサさんが宝物庫に入って……」

 俺は直接見た訳ではないので、本人が言うべきだろうと視線を送る。

「確かにクイーンガーネットは宝物庫から消えていた。他の二つの魔石杖は無事だったよ。全部盗まなかったのは、時間と技術、両方の理由だろう」

「しかも、監視カメラには何者かが杖を盗み出すところが録画されていた。これがただの遊びなら、この状況証拠はどう説明するんだ?」

「そうかも知れないけど、じゃあ制限時間は何なのよ?」

「長く続けるとミッションに響くとか、町の人に迷惑をかけるとか、警察が本格的に動き始めるからとかが思いつく。実際、迷惑を被ってる人がいるしな。身内だけで解決して、事を大きくしたくないから俺達に依頼が来たとも考えられる」

 紅茶に口をつけてから、エルが呟くように言った。

「タ・レゾン」

 ――あんたの言う通りだ。

「でも自分の考えを放棄するつもりもない。ゲームと犯罪クライムの両面から当たるべきね。他に掴んだ情報はある?」

「犯行時刻は開会式の後という話だから、犯人が学院の関係者だというのは俺も同意見。徒歩で学院から出た中に怪しい人はいない。一方車で外に出た人は……これだけいる」

 俺は車のナンバーのリストを見せた。

「これは怪しいわね……コピーしてもいい?」

「もちろん」

 エルは鞄からノートを取り出して二枚の紙を切り取り、二枚のリストそれぞれに重ねる。

「カンヴァス」

 彼女の足下でうずくまっていた白猫がテーブルに飛び乗った。そのペットがにゃあぉと鳴くと、四つ足のそれぞれから黒いインクがにじみ、文字に変わっていく。あっという間の出来事だった。終わると猫は飛び降り、エルは原本を俺に返却した。

「何も印が付いてないけど、少しは調べた?」

「いいや、誰も」

「そう。他にはある?」

「俺達の成果はこれだけだ」

「私もさっき言ったので全部。ありがとね」

「こっちこそ」

 それぞれが飲み物を飲み干して立ち上がり、別れの挨拶をしたのだが、また会おうとメリッサさんに言われたヴィントさんは血相を変えた。

「二度と会いたくありませんね!」

「何があったんですか?」

 好奇心から聞いてみる。何かあったのは確実だが、本人がいる前で話せる内容ではなかったからどうしようと言った直後に後悔した。

「俺の体に呪いがかけられてるとか言っていろいろいじられたんだよ!」

「呪い?」

「チイも気付いただろう、この男の両目。左が赤銅色、右が銀色。何か魔術師が細工を施したに違いない。私はそれが何なのか知りたかった」

 ずっとエルと話していたから気付きませんでしたよ。改めて先輩技師を見ると、確かに両目の色が違う、いわゆるオッドアイだった。

「結論から言えば、何かがあることまでは分かったがそれが何なのか分からなかった。慰謝料は払ったのに、まだ何か不満が?」

「俺にトラウマを植え付けたことがだよ!」

 もう具体的なことは聞かない方が良さそうだ。あと、試験中にエルと会うことも。二人には先に出て貰い、メリッサさんが協会の名前で領収証を切ってから、俺達も広場に繰り出した。


「ゲームという可能性は盲点だったな」

 通りの喧噪を少しでも避けるために、俺達はシエルに乗って屋根の上に移動した。空を飛び交う魔術師こそいるが、もはや戦っている者はいなくなっていた。全滅したか、誰かが平定したのかは分からない。

「そうですね。でもそのお陰で犯人が分かりました」

「誰なんだ?」

 俺はメリッサさんに耳打ちする。

「ヴィントさんが『木を隠すなら森の中』と言ったのを聞いてピンと来ました。ただ、犯人は杖を隠しています。それも、相当巧妙な方法で。それを発見できない限り、捕まえることは出来ません」

「それじゃまだ分かっていないも同然じゃないか」

「問題はそこなんです。『犯人はお前だ!』と格好良く決めても、証拠がなければただの妄言です。迂闊に犯人に近づくと警戒されてしまいますし、行き当たりばったりでどうにかなるような相手だとも思えません」

「じゃあどうする?」

「どうしましょうね。インヴィジブル状態にあるものをヴィジブルにする方法……」

 現時点での問題は時間だ。港で粘っている連中は別として、情報が飛び交い始めると犯人を突き止める人が他に現れてもおかしくはない。そしてそいつが軽率にも犯人に特攻をかけたらまずいし、奇抜な方法で証拠を用意したらもっとまずい。対象に気付かれない程度の距離を取っての作戦会議を、メリッサさんと屋根の上で続けていた。

「さっきカンディとかいう魔術師を箒から落としたのってどういう魔法だったんですか?」

「あいつのエッセンシャルタイプが炎だと判断したから、水の魔法をぶつけてやっただけだ」

「ええと、得意な属性のことでしたっけ」

「オフェンスだけでなくディフェンスもな。弱点を突けば打ち消せる。あの場合は敵が防御を忘れていたし、水でなくても良かったんだが」

「メリッサさんのエッセンシャルタイプが水だからでしょう、分かりますよ」

「そうだな。言っておくが、犯人は分かってもその弱点ウィークポイントが分かった訳じゃない。こちらがその場で対策するだけの隙を相手が見せるとも思えない。一番警戒するのがそれだからな」

「それとは思わせずに犯人に接触し、警戒される前に杖の在処を発見する……難易度高すぎませんか」

「しかもクイーンガーネットなんていう秘宝を持ってるんだ、レベルも相当だぞ」

「うわぁ」

 メリッサさんは実在する最高位の魔術師だし、それで出来ないことはない、ということを想定したって限界がある。犯人と杖を傷つけてはいけないし、彼女の魔法は銃を使わないと手の届く範囲でしか使えず、魔法弾だと複雑で高度な魔法は使えない。それ以前に相手が魔術師だから、魔法を使おうとすると銃でなくてもその予備動作を見破られてしまう。

「どうしたら良いんだ!」

「叫ぶ体力があったら深呼吸して落ち着け」

「ですね」

 他に何か手はないかな、とポケットに入れたメモ帳に手を伸ばす。その瞬間、何かが閃いた。

「メリッサさん、これならどうでしょう」

「それは分かる。どう使う?」


 勝負は一瞬で着ける。そして、それは俺の右手に委ねられることになった。

 服装をパーティードレスに戻したメリッサさんの後ろに貼り付くような距離で俺は歩く。踏んでしまうこと確実なのでドレス裾は短く切り詰めてある。肩越し、あるいは腕越しに、標的の姿をチラチラと確認する。これなら大丈夫だ。

「クイーンガーネットと思しきアイテムの反応が港で確認されたって噂を聞いた。このぶんだと、夜までには見つかりそうだ。私には横取りする趣味はないんでね」

 もちろん嘘。これも作戦のうち。それに対する反応も予想通り、安心した、というもの。足音も静かに俺達は近づいていく。もういいだろうというところで足を止め、銃口をドレスの背中に触れさせる。これが合図。

 その瞬間、メリッサさんが横に素早く飛んだ。俺の目、銃口、犯人が一直線上に並んでいる。迷わず、俺は引き金を引いた。

 パァン――

 乾いた音を建てた直後、薄いガラスが砕けるような音がして、犯人が持っていた『緑色の巨大な本』が砕け散った。その中から現れた、赤い大きな宝石を備えた金色の杖を、本の持ち主は掴み取る。

「犯人役はあなただったんですね、ディアナさん」

「まさか、こんな方法で攻めてくるとは、予想もしなかった……推理の過程を聞いてもいい? 探偵さん」

「そもそも学院から出されるポイント付きのワークが何のために行われるのか、という話からしましょうか」

「課題に対する動向を観察するのと、協力して解決に当たれるかどうかと、評点の足らない生徒への救済措置の三つ。アカデミーの教師陣はもちろん、魔術師と技師の皆さんにもお伝えしてあることね」

「そういういわばボーナスゲームのようなものに、アカデミーが誇る秘宝を関わらせ、あまつさえ外に持ち出すリスクを冒す価値が果たしてあるのでしょうか」

 最初から疑問だった訳ではないが、もっと早く気付いても良さそうな点だ。エルにこれはゲームではないかと言われるまで思いつきもしなかった。

「それに、そんな大きな杖、持っていたら気付かれますよね。指令にもあったように杖が傷つくようなことがあってはならない。だから実は盗まれてはいない、これは泥棒に入られたことを想定して犯人役を探し当てるゲームだ……と思う人が殆どでした。実際、具体的なタイムリミットがありましたしね」

 実際にそうだったかどうかは知らない。間違ってないとは思う。

「ところが、クイーンガーネットは本当に宝物庫から消えており、監視カメラに犯人の姿が映っていました。調査のために宝物庫まで訪れる人がいることを想定して用意したんですよね。でもあれはあまりにもおかしい。セレモニーの後に盗まれたのなら、どうして監視カメラに録画されていたのが夜の光景だったんでしょう。天気は晴れ、ステンドグラスからの光も十分。いくらカメラが古くても、あそこまで暗くなることはあり得ません。敢えて不明瞭にした映像を別に用意して、データを差し替えたんですよね。確かめさせて下さい、そのカメラに、俺がここに初めて足を踏み入れた瞬間の映像がどんな風に映っているのか。あるいはつい一分前のでも構いません。それが犯行時の映像みたいに真っ暗だったら、間違いを認めます」

 もし見せてくれたとしても、俺の推理が間違っていたと認めることは絶対にない。

「それとディアナさん、あなたはこの聖堂と宝物庫の番人なんですよね。実際に宝物庫からクイーンガーネットを抜き取り、メリッサさんさえ欺くほどの魔法で隠し、カメラの映像も偽装工作したのに、あなたが平然としているのでは意味がありません」

 だからこそ、エルの話を聞いて犯人の候補として真っ先に浮上したのが彼女だった。

「それは迂闊だった」

「それだけではありません」

 最大の証拠は、ディアナさんが持っていた本だ。学院長に一時的に預かるよう言われた、というのは論理的におかしい。この聖堂は学院長室からは遠い。そんな場所にいる、大事な仕事を抱える彼女にわざわざそんなことをさせる意味がない。

 何より俺はその本に触れている。海底から引き上げられたというその本は新品のように傷一つなく、表紙は少なくとも紙ではなかったし、印刷物のようにつるつるだった。何より、その質量がある本をディアナさんが持てるはずがなく、俺が持ち上げようとした一瞬、中が空っぽかと思えるくらいに軽かったことを覚えている。

「実は盗まれていない杖、見た目の割に軽い本らしくない本。ここまで分かればあなたが犯人役だと結論を出すのは簡単でした」

「ブラボー。ちょっと簡単過ぎたかな」

「そうでもありません。あなたが魔石杖を持っていると分かっても、あなたが犯人だと認めざるをえない状況に持ち込む必要がありました。学院長から預かったというその本を簡単に調べさせるはずがないのでね」

 そしてその本は、魔法による探知を遮断する物理的な「殻」を作り出す隠匿の魔法、外見を偽装する幻術の魔法の二つで構成されている。普通の技師では分析も破壊も出来ない。魔術師なら直接触れることで可能になるが、ディアナさんがそれを許しはしないだろうし、また別の魔法で対策をしている可能性もあった。何しろ核に魔法を増幅させる秘宝が使われているのだ、あらゆる魔法への防御は完璧だったろう。

「そこでこの銃の出番です。魔法銃ではなく火薬銃です。弾丸に魔法を打ち消す魔法を込めて、物理的な攻撃を想定していない本に撃ち込みました。弾丸に入れた魔法は着弾後に発動します。そのため一番上にかかっている術式はすり抜け、実際に質量を与えている隠匿の魔法に衝突、そこで初めて反魔法が発動、中にある杖が姿を現した――こういうことです」

 火薬銃を用いたのは、弾頭の反魔法の力が強くて魔法銃だと撃てなくなってしまうから。滅多に使わないけれど、こういう形で役に立つとは想像だにしなかった。

「窃盗犯と杖を傷つけてはならない。そのルールに反する可能性は考えなかったの?」

「この腕に自信がありましたし、本の中に杖を隠すなら斜めに収納しますよね。そうすると、あなたには当たらない点が二つあります。体から横にはみ出した部分、その中心」

 推理を披露しながら、俺とメリッサさんは犯人役に近づいていた。

「これが俺達の推理であり、作戦の全貌です」

「マーベラス!」

 ディアナさんが叫んだ。

「最初からこの本を壊しに来るとはね! そこまでしなくても、最初に私まで辿り着いたら評点、くらいにはプレジデントも考えていたのに……スピード、技術、発想、そのどれをとってもパーフェクトだわ」

「ありがとうございます」

「でも推理に一ヶ所だけ間違いがあったわ。杖を隠す魔法を仕掛けたのは、私ではなくプレジデントよ」

「学院長から本を預かったのは本当だったんですね」

「ところでアル、どうして『木を隠すなら森の中』だったんだ?」

「意味は違うんですが、それを聞いて『灯台もと暗し』っていう諺を思い出したんです。隠し場所としてはここが最適ですよね」

「なるほど」

「お二人さん、予定通りポイントをあげるわ。杖をしまってくるから少し待ってて」

 万事解決、これにて今日の仕事は終了――そう思った時だった。ディアナさんの手からクイーンガーネットが急に浮上した。杖が勝手に動くはずはない。目の前にいる二人の魔術師がそんなことをするはずもない。つまり、

「お前か!」

 人の手では届かない高さに浮いた杖が動き出した瞬間、メリッサさんが叫んでいた。振り返ると、開け放たれた聖堂の扉を背に、ローブを着た何者かが立っていた。

「本物の泥棒!?」

 杖が回転しながら謎の魔術師へと飛んでいくのを見ながら、俺は走り出していた。さすがに走りながらだと照準が合わせづらい。でも撃つしかなかった。それと重なるように背後からも銃声が聞こえた。合計四発の魔法銃の弾丸は、白い魔法の壁に阻まれた。

「やっぱりか」

 アンチマジック弾は予備のためにもう二発用意してあった。今撃った銃を捨て、火薬銃を取り出す。十分接近して、もう射程距離に――と思った時にはもう遅かった。敵が杖を引き寄せる速さが尋常ではなく、既に手にした杖を盾にするかのようにこちらに向けていた。いや、それ自体は大した問題じゃない。手が震えて、思うように照準が定められない、そっちの方がまずい。足を狙えばいいかとも思うが、ローブにすっかり覆われていてどこを狙うべきなのか分からない。太腿や腰付近では杖に当たりかねない。それでも!

 右の脛辺りを狙って発砲。しかし黒服は素早く飛んで躱し、その勢いで杖を服の中に隠し正面の扉から飛び出していった。しかも扉を閉めるというおまけ付き。何とか駆けつけて開けようとするも、扉は何故かびくともしなかった。

「撃て!」

 メリッサさんの声だった。そうか、魔法を使ったのか。ちょっと離れて扉を撃ち、開けた扉から外に出るが、黒服の姿はどこにもなかった。バカな、隠れる場所なんてないはずなのに。

「そんなに慌ててどうしたのよ、アル」

 カーペットに乗ったエルがいた。ヴィントさんの姿はない。

「黒い服を着た魔術師を見なかったか?」

「鐘楼の方に飛んでったけど? それよりどうしたの?」

「そいつがクイーンガーネットを盗み出したんだ!」

「そう、今のが犯人役なの」

「違う! あいつは学院の関係者じゃなくて本物の強盗だ! 今すぐ捕まえろ!」

「乗って!」

 エルの後ろに飛び乗って、教会の頂上に位置する鐘の周囲を飛び回るが、それらしき人影は見つからなかった。風もなく、ただ静かなアカデミーの姿があるだけだ。

「どういうことなの、説明してよ、アル」

「空中からは出入りできないようにアカデミーにはバリアが張られてるんだったな?」

「うん」

「ひとまずメリッサさんと合流しよう」

「分かった」

 それからパートナーと合流してエルに事情を説明した。ディアナさんは犯人が飛び出した直後に警備に連絡し学院の出入り口をすぐに封鎖させたのだが、この日、本物の窃盗犯もクイーンガーネットのありかも見つけ出すことは、とうとう出来なかった。


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