小説家の妻
真っ暗な世界に、非常灯の明かりだけが灯る病院の廊下。こつこつと響き渡るのは、ただ一つの怨念を抱えた復讐者だった。
そう、あいつのせいだ。あいつのせいで、私たち三人は引き裂かれたのだ。
暗い廊下を慎重に歩き、復讐相手の病室の前に立つ。
ネームプレートを確認する。その名前は、どこにでもあるような、一人の「親友」の名前だった。
ここだ。
ゆっくりと扉を開ける。生ぬるい風が、全身を通り抜けていく。
彼女は既に深い眠りについている。
聞こえるのは、彼女の寝息と、ゆっくりと閉まる扉の音。時々、強い風に揺らされ、窓が振動する。
一歩、また一歩とターゲットに近づく。大丈夫。今は誰もいない。やるなら、今。
右手に持ったナイフを、ゆっくりと振り上げる。
さよなら、親友。
そうして振り下ろそうとした刹那、突然の声が、その手を止めた。
「やっぱり、あなただったのね――」
トントン、とノックの音がしたかと思うと、すぐさま引き戸の扉が開いた。
入ってきたのは、サンドイッチを数切れ乗せたトレーを持った妻だった。
「電気くらいつければいいのに」
妻がそういって電気をつけようとしたが、テーブルでパソコンに文字を打ち込んでいた夫はそれを制止した。
「今はお金が無いんだ。とにかく節約しないと」
「そうは言っても、体を壊したら元も子もないでしょ。はい、夜食作ってきたわよ」
妻はそういうと、テーブルの上にサンドイッチを置いた。
「締め切りが近いんだ。あんまり部屋に入らないでくれ」
「そうは言っても、もう三日も徹夜でしょ? 少しくらい休んだら?」
「今回は本当にギリギリなんだ。間に合わなかったら、本当に契約切られてしまう」
夫は必死に両手を動かす。傍ら、妻の持って来たサンドイッチに手を伸ばしていた。
「本当にサンドイッチが好きなのね」
「好きじゃなくて、こうやって片手間に食べれるからね。食事に時間をかけなくて済む」
そういいながらがぶり、とサンドイッチにかぶりついたかと思うと、夫はもう片方の手ではなにやらノートにいろいろと書き込んでいる。
「……私はもう寝るけど、本当に無理はしないでね」
そう言うと、妻は部屋から出て行った。
もう時間が無いんだ。あと少し。
ここまで寝ずになんとか頑張ったんだ。
あと少し、もう少し。
これさえ終われば、これを編集に渡せば――
太陽の光で目が覚めた妻は、徹夜四日目に突入した夫の様子を見るために再び部屋に入った。
「おはよう、調子はどうかしら?」
窓から入る眩しい光が照らすにもかかわらず、夫はパソコンの前でうつぶせになっている。
よほど疲れていたのか、いびきまでかいている。
パソコンのモニターはつけっぱなしで、書き終わった小説が映し出されていた。
「あらあら、頑張ったのね。もう四日目だもの」
そう言うと、妻はカーテンを閉め、夫に毛布をかぶせた。
「明るいとゆっくり休めないでしょ? それに、エアコンもつけないから風邪引いちゃう。あ、そういえば節約しないとって言ってたわよね」
そういうと、妻はパソコンの電源を切った。
「これでしばらくゆっくり休めるわね」
二人の認識の相違をうまく使った作品というのは、なかなか難しいものです。
ショートショートって、案外設定説明とか伏線とかのスペースを少なくしないといけないので難しいですね。




