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水底の宝石

作者: 雨桐ころも
掲載日:2026/01/15

 冷たいフローリングに背中を預ける。風に膨らんだカーテンが月の光を透かしたとき、ふと、小学生の頃にプールの底から見上げた水面を思い出した。


 限界まで息を吐いて、プールの底へ寝そべる。ゆらゆらと揺らめく光を掴もうと何度も手を伸ばすが、結局、そんなものが掴めるわけもなく苦しくなって浮上するしかなかった。


 今も、あの頃と何も変わらない。



「あなたの絵には個性がないの。あなたが描きたいものは、なんなの」



 必死になって描いた絵に放たれた言葉に、頭が真っ白になった。頭から足先までが熱を失っていく。


 教授の全てを見透かしたような視線に、頭が痛んだ。


 私は、光を掴んだ気でいただけだったのだと思い知らされた。



 朝から向き合い続けた白いキャンバスが、靡くカーテンの隙間からじっとこちらを睨んでいる。荒れた唇の皮を歯で剥くと、鉄の味がした。じわじわと熱を持っていく目頭を乱暴に拭って立ち上がる。



 キャンバスに背を向け、部屋着のまま外へ出た。


 昼間の暑さが嘘のように消えている。コンビニで油っぽいチキンを食べてから、行くあてもなく歩いた。


 サンダルの踵がアスファルトに重く擦れる音だけが、眠った街に響く。


 その静けさが背中にのしかかった途端、また涙が溢れそうになって、急いで上を向く。


 広い夜空に、満月がぽつりと空に浮かんでいた。足を止めてしまえば、夜に押し潰されてしまいそうで、ただただ足を動かす。


 気がつけば、かつて通っていた小学校に着いていた。


 懐かしい校庭を、フェンスの外から眺める。休み時間に取り合いになったブランコに、立ちながら滑って先生に怒られた滑り台。


 そして、大好きだった夏のプール。プールの裏側に回ると、フェンスの金網が大きく破れている。


 ひんやりと冷たい夜風がふわりと頬を撫で、水の中の感触がたまらなく恋しくなった。いけないことだとは分かりつつも、しゃがんで金網を潜った。


 プールに入る扉は施錠されていたが、高さはそれほどなく、ドアノブに足をかけると容易に乗り越えられた。


 風が吹くたびにさざめく水面が、私を手招く。サンダルを脱いで、足先を水につけた。水はとても綺麗で、昼間の熱を孕んで少し温かい。


 服を脱ぐことも忘れ、そのまま水の中へ飛び込んだ。


 限界まで息を吐き出して、プールの底から水面を眺める。静かな月の光が、柔く水底を照らしている。


 霞んだようにぼやける視界の中で、光が幾重にも重なって揺れていた。その光の幕に、伸ばせるだけ手を伸ばす。


 どうしたって手からすり抜ける光に、肺の中に僅かに残っていた空気を吐き出した。


(このまま、水底で眠ってしまえればいいのに)


 目を閉じて、伸ばしていた手を下ろす。すると、指先に硬い何かが触れた。微かに温く、指の腹に凹凸を感じる。


 そっと掴んで、浮上する。手のひらでころりと転がったのは、ダイヤモンドの形をした碧色のゴムボールだった。


「きれい」


 暗い水の底から引き上げたそれは、月光を含んで、ぼんやりと光っている。


「……あーあ」


 光ばかりを追い、見上げることしかしてこなかった。底にあるもの、光を浴びたら輝くものに気がつかないまま。


 震えはじめた身体を抱きながら、プールサイドへ上がる。水を吸って、鉛のように重たくなった服が全身にまとわりついた。


 全身に力を入れて、ゆっくりと立ち上がる。手にした宝石をポケットに入れようとして、もう一度それを見つめる。


 乱反射した碧い光が、手のひらに小さな水面をつくっていた。


 強く握った宝石を、水面の上でゆっくりと手放す。ぽちゃん、と小さな音を立てて沈んでいく。すぐに暗い水底へと溶けて見えなくなった。


 でももう、見えなくたって気がつける。


「……帰ろう」



 扉を乗り越え、フェンスを潜り抜ける。


 青に白。そして、ひと雫の緑を足す。そうすればきっと、あの色になる。


 水底の宝石を胸に描きながら、濡れたシャツの裾をぎゅっと絞った。

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