チェンマイでの出会い
「あんた本当に人間なの?」
僕は人間なんだろうか?
人間って何だ?
僕は人間が理解出来ない。
人間の心が理解出来ない。
昔から「人間味がない」ってよく言われる。
「人の心が解ってない」ってよく言われる。
特にここ最近はそうだ。
だから僕は、人と深く関わるのが怖い。
人と深く関わると、バレてしまうんじゃないかと思って、ドキドキしてしまうんだ。
僕が、人間のフリをしてるだけなんだってことが。
だから僕は、ここ数年、あまり人と深く関わらないようにして来た。
心が傷つかないように、心の周りに厚い氷を張って、傷つきやすい僕の心を守って来た。
でも最近、その厚い氷が溶け始めている。
僕はその氷が溶けてしまうのが怖い。
自分の内側をさらけ出すのが、怖いんだ。
でも、その氷の中から、声が聞こえて来る。
「助けて。
ここから出して。
外に出たいんだ、ここから出して。」
僕も本当は人間になりたいんだ。
でも、それが怖くて仕方ないんだ。
彼女に出会ったのはチェンマイの、とあるゲストハウスだった。
初めて彼女を見たのは、僕がその宿に泊まって4日目のことだった。
僕が、1階の受付で、宿の兄ちゃんと喋っていた時、彼女はやって来た。
一目見た時に、
『かわいい子だな。』
と思った。
日本人?中国人?韓国人?
ちょっと見た目では微妙に分からなかった。
『日本人ですか?』
僕はそう話しかけようとしたが、微妙に間が悪くて、結局話しかけられなかった。
チェンマイ5日目。
この日が、チェンマイ滞在の最終日だった。
僕は、宿の兄ちゃんに頼んで、バンコク行きの寝台バスのチケットを購入した。
その日の午後6時、宿の前にバンが迎えに来てくれて、そのままバスターミナルまで連れて行ってくれることになった。
12時に宿をチェックアウトし、荷物を宿の兄ちゃんに預け、僕は街でブラブラと時間をつぶした。
午後3時頃、僕は宿に戻った。
そして、1階の受付で宿の兄ちゃんと喋ったり、YouTubeを見たりして過ごした。
午後4時過ぎ、彼女が1階の受付にやって来た。
シャワーからお湯が出なくなったということで、受付の兄ちゃんと英語で会話していた。
僕はその話し方を聞いて、彼女が中国人だと気づいた。
僕は台湾に住んでいたことがあるので、簡単な日常会話であれば、中国語も分かる。
僕は彼女に中国語で、
「中国人ですか?」
と話しかけた。
すると彼女は、少し驚いた表情で、
「あなたも中国人?」
と聞いて来た。
僕は、
「台湾人です。」
と嘘をついてみた。
すると彼女は、
「あなた本当に台湾人?」
と聞いて来た。
やはり発音で分かってしまうようだ。
僕が、
「本当は日本人だよ。」
と言うと、
「どっちが本当なの?」
と笑いながら聞いて来た。
僕は、というか大体の男がそうだと思うが、美人は好きだ。
が、僕はあまり美人が得意ではない。
強いひがみと偏見があるのかもしれないが、美人は僕なんかあまり相手にしてくれないと思うからだ。
『この世に美人で、いい人なんて一人もいない。』
そう思うに足るだけのデータを、僕はこの人生経験でかき集めて来た。
が、彼女は、すごく親しみやすい美人さんだった。
昨日初めて見たときは、ちょっとツンとした印象で話しかけられなかったが、話してみると、凄く話しやすい感じだった。
16時半頃、彼女は、宿から歩いて10分くらいで行けるナイトマーケットに行く、と言って出掛けて行った。
僕はそのまま、宿の兄ちゃんと受付の所で喋った。
17時になった。
迎えが来るまであと1時間。
僕は少しお腹がすいて来たので、迎えが来るまでの間に、少し小腹を満たそうと思い、ナイトマーケットに行くことにした。
もちろん、それだけが理由ではない。
『あわよくば、あの子にもう一度会えたらいいな。』
そういう気持ちは、当然あった。
僕は、足早にナイトマーケットの方へ歩いて行った。
10分ほど歩くと、ナイトマーケットの入り口に彼女はいた。
彼女の他に、中国人女性がもう2人いた。
僕が声をかけると、彼女は、
「また会ったね。」
という感じで、笑顔になった。
「この2人は友達?」
と僕が尋ねると、
「いや、ここでさっき出会ってちょっと話してただけ。」
と言って、その2人にバイバイ、と手を振った。
「あなた、もうすぐバスの時間って言ってなかった?」
彼女は僕にそう聞いて来た。
「宿に18時に戻ればいいから、あと30分くらいはブラブラ出来るよ。」
僕はそう答えた。
「だったら一緒にまわろうよ。」
彼女はそう言いながら、食べていた串焼きを僕にくれた。
彼女は僕に、色々話しかけて来てくれた。
僕がつたない中国語で話すと、彼女は一生懸命理解しようと、じっと僕の話を聞いてくれた。
他愛のない会話だった。
どこにでもあるような当たり前の会話。
でも、僕にとって、他愛のない会話というのは、当たり前のことではなかったんだ。
僕は、あまり口数が多い方ではない。
よく無口な方だと言われる。
なんで口数が多くならないんだろう?
そこには、
『必要のないことは、あまり言ってはいけないのではないか』
という僕の思い込みがある。
他愛のない会話なんて、ほとんど無駄な話だ。
でも、その無駄な話が、人間らしい付き合いを生む。
それは分かっているのだが、僕にはどうしてもそれが出来ないんだ。
他愛のない会話というのは、僕にとっては難しすぎるんだ。
でも、彼女とだったらなぜか、他愛のない会話が自然と出来た。
親しく話しやすい空気が、彼女には漂っている。
僕はその空気に、すごく居心地のよさを感じた。
それは僕が久々に感じた、人間らしい心だったのかもしれない。
「人間味がない。」
「人の心が解ってない。」
そう言われるようになったのは、20歳を過ぎてからだったと思う。
僕も、10代の頃までは、それなりに人と同じような感情を持っていた。
みんなと同じように、誰かを好きになったりした。
それが変わったのは、20歳の頃くらいだ。
あの頃、なんか急激に、人間らしい心が薄れていったんだ。
僕は20歳の頃、1人の女性を好きになった。
僕が、今までの人生の中で1番好きになった女性だ。
その子のことは、1年間近く想い続けたが、結局何も出来なかった。
あの頃は、今よりももっと、女性が苦手だったんだ。
結局、ちょっとメールでやり取りして、1度会って話をしただけで終った。
最後に会って話をした時、実はもう気持ちがだいぶ冷めかけてしまっていた。
あれ以来、あんなに人を好きになったことはない。
それから3人の女性と付き合いはしたが、いずれも長くは続かなかった。
「人間味がない。」
「人の心が解ってない。」
こういった言葉は、その子達から言われた言葉だ。
僕にはもう、人を好きになるということが、よく分からなくなっていたんだ。
幼い頃、『フォレストガンプ』という映画を観た。
主人公のフォレストガンプは、走るのは得意だが、生まれつき少し頭が弱い。
もっとストレートに言うと、ちょっとバカなのだ。
そんなフォレストガンプが、幼なじみの女の子を好きになる。
大人になった幼なじみの女の子に、フォレストガンプが言った言葉が凄く印象的で、今でも記憶に残っている。
「僕はバカだけど、愛が何かは知っている。」
僕はフォレストガンプのようにバカじゃない。
でも、愛が何かは解らないんだ。
そんな僕の心が、久々に動いた。
言っておくが僕は、滅多に人を好きにならない。
今まで付き合った彼女だって、何ヶ月も一緒にいて、明らかな好意を示し続けてくれて、やっと好きになったくらいだ。
そのくらい、じっくりと時間を掛けて暖めていかないと、僕の心には火が着かない。
そんな僕が、1度会って、ほんの30分くらい話しただけで人を好きになるなんて、あり得ないことだった。
いや、正確に言うと、好きというよりは、期待という方が大きかった。
何に期待したのか?
『彼女が僕に、人間の心を取り戻してくれるんじゃないだろうか、、?』
そう期待したんだ。
僕は、比較的寂しがり屋ではない方だ。
孤独な状態でも、割と平気だ。
一人でレストランや焼き肉屋に行くことだって、別に寂しいこととは思わない。
恋人がいない状態だって、別に大して孤独感は感じない。
でも、そんな僕でも、たまにものすごい孤独感に苦しめられる時がある。
ものすごい不安にかられる時がある。
今はまだ、一人で生きていけるから問題ない。
でももし、、もしもこのままの状態で歳を重ねていき、誰かに頼らないと、生きていけないような年齢になったとしたら、、?
そう考えると、胸がギューッと締め付けられるような苦しみを感じるんだ。
それを考えると、いつか、どこかの段階で、自分を変えないといけないと思う。
周りの皆が言うように、普通に誰かを好きになって、普通の家族を作り、普通の幸せを手にする。
そんな、普通の人生に憧れたりもする。
「変人。」
「変わってるね。」
そういう言葉もたくさん聞いて来た。
別に、嫌だとか、不快に感じたことはあまりない。
むしろ、普通の人と言われる方が、がっかりするくらいだった。
でも、、そんな僕でもたまに、やっぱり普通でありたいと思うことがあるんだ。
でも、それが難し過ぎて、僕には出来ないんだ。
普通に誰かを好きになって、普通に人付き合いをして、他愛のない話で盛り上がる。
僕にはそれが、難しすぎるんだ。
人間の心を置き去りにしてしまった僕は、普通の人間に出来ることが、出来なくなってしまったんだ。
人とあまり深く関わってしまうと、自分の人間味のなさがバレてしまう。
それが怖くて僕は、心に厚い氷を張った。
意図的に人を遠ざけて来た。
でも、厚い氷の中から、小さな声で叫び声が聞こえる。
「助けて。
ここから出して。
外に出たい。」
もしかしたら、、
もしかしたら、彼女だったら、僕の心を救い出してくれるかもしれない。
もしかしたら、僕もまた、人間らしい心を取り戻すことが出来るかもしれない。
もしかしたら、、、
僕は、彼女に対して、そういう期待感を抱いたんだ。
時計を見ると、もう5時50分になっていた。
そこから宿までは、急げばなんとか10分で着ける。
僕は、急いで宿に帰ることにした。
別れ際に彼女は、メールアドレスを教えてくれた。
僕は、彼女のメールアドレスを受け取り、宿へ急いだ。
が、道が混んでいたので、思うように速く歩けなかった。
『いっそこのままバスに乗り遅れて、今日はバンコクに戻れなくなってしまえばいいのに。』
僕の頭の中には、そんな考えがよぎっていた。
18時をちょっと過ぎて、僕は宿にたどり着いた。
宿の前には、迎えの車が待っていた。
僕は、
「送れて申し訳ない。」
と一言詫び、車に乗り込んだ。
その後、バンコク行きのバスに乗り換え、僕は一人バンコクへ戻った。
その日、僕の心の中では、観測史上最大の熱風が吹き荒れ、心に張った厚い氷を溶かしていた。




