第9話 冒険者ギルド
伊吹がエリシア母娘の家に居候することになった翌日。
朝食を食べた後、 今日やることについて話した。
「イブキさんは、まだ何もわからないでしょうけど、今日やっておきたいこととかはあるかしら?」
「そうですね、どこかで働ければありがたいのですが」
「それだったら……その前に口調を直さないかしら。一緒に住むのにかしこまった口調だと肩が凝るわ。ね、ティナ」
「うん、私に敬語とか使わないでよ。おじさん」
そう言われて、伊吹は困った顔になる。
「確かにそうかもしれないのですが、恩人の二人に対して、いきなりフランクに話すっていうのも気が引けて……、徐々に直していくっていうのでいいですか? エリシアさん、ティナさん」
「ええ、急には難しいものね。徐々にでいいわ」
「私もいいよ。でも、ティナさんっていうのはやめてほしいな」
「そうだね。じゃあ、ティナちゃんでいいかな?」
ティナがにっこり笑いながら「うん」と言う。
すると、エリシアがイタズラっぽい笑みになりながら言った。
「あら、イブキさん。私もちゃんって言ってほしいわ」
(ええ、女性に対してちゃん付けで呼ぶって、ずいぶんしていないぞ。エリシアさんみたいな美人にちゃん付けってハードル高い。でも、言った方がいいのか? それがこの世界の普通だったら……)
伊吹は顔を赤くしながら、おずおずと言った。
「エ、エリシアちゃん」
すると、今度はエリシアが赤くなった。
(まあ、ほんとに言われちゃったわ。かなり上の男性とか馴れ馴れしい人にちゃんづけで言われてもなんとも思わないけど、イブキさんに言われるのはなんだか恥ずかしいわ。どうしてかしら)
「や、やっぱり、ちょっと恥ずかしいから、今まで通りにしましょうか」
「え、あ、は、はい。エリシアさんって呼びます」
二人は顔が赤いまま、下を向いてちゃん付けを撤回した。
ティナがそんな二人を見て不思議そうに言う。
「どうしたの? 二人とも」
それにはエリシアが動揺して返事を返す。
「な、なんでもないわ。ちょっと恥ずかしかっただけ。ねえ、イブキさん」
「そ、そうです。恥ずかしかっただけです。そういうことだよ、ティナちゃん」
実際、内心のままのことを話しているのだが、それにしても二人は挙動不審になっている。
「大人でも恥ずかしいの?」
「そ、それは、恥ずかしいこともあるわ。ねえ、イブキさん」
「そ、そうです、そうです。なんだか恥ずかしくなっちゃいました。あっ、そういえば、美羽さんの姿が見えないですが、どうしたんですか?」
話を早く切り上げたかった伊吹は、美羽のことを振ってみた。
それにはティナが答えた。
「昨日、おじさんが寝た後にミウお姉ちゃんは帰ったよ。また会いに来てくれるって」
「そうなんだ。美羽さんにも、もう少しちゃんとお礼を言いたかったし、聞きたいこともあったからまた来てくれるのはありがたいよ」
「そうだね。ミウお姉ちゃんはどこに住んでいるのかな? 色々、不思議だよね。ミウお姉ちゃん」
ティナの興味が移ったことで、エリシアと伊吹はほっとした。
「そうね、今度来てくれたら、色々聞いてみましょう。ところで最初に戻るけど、イブキさんの働き口の話だったわね」
「あ、そう、です。働きたいので、何かないですか?」
「うーん、うちの薬屋で働いてもらってもいいけど、伊吹さんの適性もわからないといけないわね」
エリシアが、悩んだところでティナが口を挟む。
「じゃあ、お母さん。冒険者ギルドに行ってみればいいんじゃない?」
「そうね。それがいいわ」
「冒険者ギルドですか?」
(なんか、ファンタジーっぽいな。でも、魔物と戦うのかな? 護衛とかも? うーん、できそうにないけど)
ファンタジーな言葉に不安に思う伊吹だったが、エリシアが冒険者ギルドに行くメリットを話す。
「イブキさん、あなたの世界のことをミウちゃんに色々聞いたの。魔法がないし、あなたの国では戦争もないから、戦闘訓練を受けている人も稀だってことを。
でも、この世界では魔物がいるから、魔物とも戦うし、戦争もあるから、人とも戦う時もあるわ。それに、科学?っていうのはない代わりに魔法で色々なことをしているから、魔法は生活に根ざしているの。
もちろん、みんながみんな戦えるわけでもなければ、魔法を使えるわけでもないわ。なくても普通に暮らしている人がほとんどだもの。でも、何よりも先に、自分に何ができるかを知る必要があるの。
例えば、土魔法が使えれば、戦わなくても建築関係の仕事で引っ張りだこよ。
私みたいに、魔法でポーションを作れれば薬屋を開けるし。
もちろん、魔法でなくても戦闘に適性があれば、衛兵なんて仕事もできるわ。
そういった適性を冒険者ギルドで調べることができるのよ。しかも、冒険者登録すれば登録料はかかるけど、適性検査は無料になるわよ」
「なるほど、この世界で何ができるかを知るためにも冒険者ギルドには行った方がいいんですね」
「そうね。後、読み書き計算ができれば、商業ギルドに登録すれば、仕事を斡旋してもらえると思うけど、イブキさん読むことはできるけど、書くことはできないものね」
「そうですね。美羽さんの翻訳魔法は字を読むことはできるけど、書くことはできません。
それに、3ヶ月経ったら切れてしまうそうですから、先に会話と読み書きを覚えないといけません」
エリシアが少し考えてから言った。
「イブキさん、言葉を覚えるまでうちで勉強していてもいいのよ。気が引けるようだったら、家のことをやってもらえればいいし。」
エリシアはそう言ってくれるが、伊吹としてはそこまで甘えられない。
「そういうわけにはいきませんよ。もちろん家のことはやらせてもらうけど、外できちんと稼いでこないといけないと思うので、冒険者ギルドに行ってみます」
「そう? まあ、とりあえず冒険者ギルドに行ってみたらいいと思うわ」
「はい、とりあえず適正ですね」
「じゃあ、おじさん冒険者ギルドに行くんだね。私、冒険者ギルドを案内する」
「ティナ、あなたは学校でしょ」
「うん、今日から朝はおじさんに学校に送ってもらう。いい? おじさん」
この街は比較的治安はいいが、悪人がいないわけでもない。
だから、学校の送りは親がやるのが普通で、帰りは近くに住む子供同士で集団で帰ってくる。
「ティナ、それじゃあイブキさんに悪いわ」
「いえ、むしろ任せてください。まずは、小さなことから役に立っていきたいし」
「やった! じゃあ、おじさん、よろしくね」
「ああ、よろしく。ティナちゃん」
その後、この世界の最低限必要な基本的なことをエリシアとティナに教わり、ティナを連れて家を出た。
ティナは銀髪のポニーテールを揺らしながら、機嫌良さそうに伊吹に話しかける。
「おじさん」
「何? ティナちゃん」
「手、繋いでいい?」
「いいよ」
「やった」
ティナは嬉しそうに手を出してきた。
(かわいいな)
伊吹はティナの手を握る。
すると、ティナが不満そうに言った。
「それじゃあ、嫌」
「え? 違ったか?」
「うん、こうだよ」
そして、手を一度解いてから、指を絡めるように手を繋いできた。
(これは、恋人繋ぎだなぁ。ティナくらいだと、憧れるのかな)
「おじさん、この繋ぎ方は嫌?」
少し、不安そうに伊吹を見るティナ。
「ううん、嫌じゃないよ。ティナちゃんと仲良くなれたみたいで嬉しいよ」
「えへへ」
(おじさんと手を繋ぐと安心するな。まだ会ったばっかりだけどね)
ティナは嬉しそうに笑った。
「おじさん」
「何? ティナちゃん」
「いつでもティナって呼び捨てで呼んでね。その方が嬉しいから」
「分かった。できるだけ早く呼べるようにするよ」
「えへへ、ありがと」
ティナの学校は、家と冒険者ギルドの途中にある。一度学校を通り過ぎて、冒険者ギルドまで案内された。
そして、元来た道を学校に、向かって戻る。
すると、登校する生徒たちで学校の前は賑わっていた。
「「ティナちゃーん」」
ティナが呼ばれて振り向くと、二組の母子がいた。
「あ、アリサちゃん、クーちゃん。おじさん、行ってくるね」
「ああ、いってらっしゃい。ティナちゃん」
「?」
ティナが不思議そうな顔をする。
日本語の「いってらっしゃい」に対応する言葉がなかったために、ティナにはそのまま日本語で「いってらっしゃい」と聞こえたのだ。
それに気がついた伊吹は補足を入れる。
「ああ、ごめんね。これは送り出す側が言う言葉なんだよ。気をつけてねとか無事を祈ったり楽しんだりしてねっていう意味を込めているんだ」
ティナが感心した顔をする。
「へえ、いいね。私はなんて言えばいいの?」
「いってきます。だよ」
「わかった。おじさん、もう一度言って」
「いってらっしゃい」
「いってきます!」
ティナが満面の笑みで言って、走って友人のところにかけて行った。
離れたところで、ティナとアリサと呼ばれた子とクーと呼ばれた子が声を掛け合っている。
「だれだれ?」
「アリサちゃん、イブキおじさんだよ。うちに住んでるの。今日から、送ってくれることになったんだ」
「へー。手を繋いでたでしょ」
「うん、クーちゃん。仲良しになったからね。恋人繋ぎしちゃった」
「「きゃー」」
そんなふうに話しながら、3人は学校に入って行った。
最後にティナが伊吹に振り返って、笑顔で大きく手を振った。
手を振りかえした伊吹は、アリサとクーの保護者らしき女性に会釈してから立ち去った。
その伊吹を睨みつけている少年がいた。
冒険者ギルドの前に来て、改めて正面から見ると、重厚感のある扉に趣のある看板が目を引いた。
(なんだか、いよいよ異世界って感じになってきたな。俺の生き方が決まるんだな)
「よし! 行くぞ!」
伊吹は冒険者ギルドの扉を開けて、一歩踏み出した。




