第7話 口移し
桜色の少女は、座っていたベンチから立ち上がり、歩きはじめた伊吹が、時空の歪みにたまたまハマってしまったことを話した。
「その時空の歪みだけど、12年前に行われた異世界召喚でできたのよ。当時は高校生六人と4歳児一人が召喚されたの。
その時に時空の歪みができて、たまに開くみたいね。そこにたまたま入り込んでしまったのが伊吹よ。あ、言いたいことがあるかもしれないけど、私の話が全部終わってからにしてね」
桜色の少女は、話を終わらせるために疑問が色々ありそうな三人に釘をさす。
そして、話を続けた。
伊吹の世界の大雑把なことから、盗賊に襲われて撃退したが手傷を負ったこと。
そして、それが原因で感染症にかかって発熱したこと。朦朧としながら、この街までたどり着いたこと。
言葉も話せない、文字も読めない中、医者を探しながら意識を朦朧として歩いていたところ、ティナが襲われている状況に遭遇し、助けた。というところまで桜色の少女は説明した。
(あの時は朦朧としていて、ティナさんを杏果に重ねてしまったんだよな)
「それから、伊吹はその場で倒れてしまったの」
そこから、伊吹が知らない状況を桜色の少女が話した……。
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「お母さん、どうしよう。この人、目を覚さない」
少女が涙目になって、女性に訴えかける。
「すごい熱ね。この方は体調が悪いのに助けようとしてくれたのよ。うちに運び込むわ」
「うん!」
そこへ、先ほどまで見ていた男が声をかける。
「ちょっと待てよ、エリシア。そんな訳のわからない男をうちに入れるっていうのかい」
「そうだよ。そんなの危ないよ」
「やめときなよ、エリシアちゃん」
後に二人の男性が続けて現れ、三人でエリシアに考えを改めるように迫る。
それを聞いたエリシアは、やや冷たい目をして、
「この方は、ティナが連れ去られそうな時に助けてくれたのよ。
自分がやられることを厭わないでね。そんな人を助けておかしいのかしら?」
男たち三人は一部始終をずっと見ていた。それでも何もしなかったのだ。
これ以上は何も言えなくなった。
「ティナ、この方の荷物を運んでもらえるかしら? 私は、この方を担いでベッドに連れて行くわ」
「お母さん、大丈夫?」
担ぐことができるか心配する少女、ティナに対してエリシアは笑顔で答える。
「まかせなさい。お母さんは結構力持ちなのよ」
そう言って、エリシアは包帯を巻いている伊吹の腕を気遣いながら担いだ。
ティナは嬉しそうな顔をして、伊吹の荷物を持ち、すぐ近くの自宅の扉を開け、エリシアが通りやすくした。
エリシアは、自分の寝室に運んでいき、ベッドに伊吹を寝かせて、伊吹のジャケットを脱がす。
見慣れない生地のジャケットに驚いたが、今はそれどころではない。
伊吹の腕をそっと触ってみると、かなりの熱を持っている。全身熱いが、腕は一際熱い。
そこで、エリシアは包帯を解いてみると、ガーゼに包まれた腕はすでに赤黒かった。
(傷口にこの布がくっついているかしら?)
エリシアが傷口を悪化させないようにそうっとガーゼを持ち上げると、張り付いていることなどなく外れたことに驚いた。
普通、傷口の当て布は血液が固まり剥がれなくなる。それがないことが不思議だった。
しかし、肝心の傷口を見た瞬間、そんなことは気にならなくなった。
患部が化膿していて、紫色になっているのだ。
「お母さん、どう?」
「剣で切られたようだけど、そこが化膿している上に敗血症になっているわ。この分だとすでに全身に毒が回っていると思う」
「そんな……。大丈夫なの?」
「かなり危険ね。治癒師でもここまで悪化した傷を治すのは高位の相当腕のある人でなくてはならないし、全身に広がった毒を消すのだって、難しいわ。それに、今この街の治癒師は低位の治癒師しかいないし」
元々治癒師の数は少ない。その上に王都に呼ばれているものが多くて、実質治癒できるものはいない。
「薬でどうにかできないの?」
「ええ、薬で対処するわ。まずは氷魔法と水魔法で体を冷やしながら、患部には傷用ポーションで、あとは解毒ポーションを飲ませて、全身に回った毒を消して見ましょう。
ティナは、包帯と綺麗な布とタライを用意して。その後この方の体を冷やすのを手伝ってもらえるかしら」
「うん! わかった」
ティナが勢いよく部屋から出ていくと、エリシアは伊吹のシャツを脱がしベルトを外し、ズボンを脱がせた。
そして、氷魔法で作った氷を布で包み、首筋、脇の下、鼠蹊部につけた。
「お母さん、持ってきたよ」
「ありがとう。それじゃあタライに氷と水を入れておくから、おでこに絞った布で冷やしてあげて。お腹もたまに触って熱いようだったら、そこも冷やしてね」
「うん、分かった」
エリシアはタライに氷と水を生成した後、薬棚に軟膏と、傷用ポーション、解毒のポーションを取りに行った。
まずエリシアは軟膏に傷用ポーションを混ぜる。
「お母さん、何してるの?」
「この傷だと水状のポーションだとすぐに流れて、十分に効かないの。だから軟膏に混ぜて流れないように傷口で止めるためよ」
そう言って、エリシアが腕の傷口にポーションを塗った。
「ただ、この傷に効くかといえば、微妙ね」
「でも、できる限りのことはしないとね、お母さん」
ティナの健気な言葉にエリシアがにっこり笑う。
「ええ、そうね。その通りよ。さあ、次は解毒ポーションを飲ませましょう」
そして、エリシアが伊吹の頭を抱えて、解毒ポーションを口に含ませる。
しかし、伊吹の口の横からポーションが流れ落ちてくる。
「頑張って飲んでください。解毒のお薬です」
そう言ってから、もう一度飲ませようとするが、やはり飲めない。
苦しそうに荒い息をするだけだ。
それにはエリシアも焦る。
「まあ、どうしましょう」
「解毒ポーション、飲めないとこの人助からないよね」
「うん、もっとひどくなっていくから、ダメかもしれないわ」
ティナが下を向く。
「ティナ?」
顔を上げたティナの目には涙がたくさん溜まっていた。
「お母さん、この人が助けてくれた時、すごく嬉しかったの。この人、こんなに死にそうなのに私のことを守ってくれたんだよ。助けたいの。できないの……?」
ティナの言葉を聞いたエリシアはティナの銀髪の頭にそっと手をのせて撫でる。
「そうだよね。自分を顧みないでティナを助けてくれたことには私も感謝しているわ。
私も助けたい。一緒に助けようね」
「お母さん」
そして、エリシアは解毒ポーションを口に含んだ。
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桜色の少女が続ける。
「それで、エリシアは伊吹の顎を持ち上げて、自らの唇を伊吹の唇に重ね合わせて、自分の舌で伊吹の口をこじ開けるようにして、滑り込ませて、解毒ポーションを口移しで伊吹に飲ませたのよ」
エリシアはボンっと音がするほど真っ赤になって叫び出す。
「いやーーーーーーー、やめてーーーーーーーー、ダメーーーーーーー」
エリシアが両頬に手を当てて、恥ずかしがっている。
「お母さん、かわいい」
「うふふ、そうね、エリシアかわいいね。ちょっと、伊吹! エリシアはこうまでしてポーションを飲ませてくれたんだよ。感謝しなきゃいけないよ」
そう言われて、呆気に取られていた伊吹は、我にかえる。
「あ、エリシアさん、俺なんかのためにありがとうございます」
伊吹にそう言われて、ますます真っ赤になったエリシアが、おずおずと上目遣いで伊吹に言う。
「あの、伊吹さん、私なんかが、く、口移しをしてしまって、ごめんなさい。いや……でしたか?」
銀髪とエメラルドグリーンの目が美しいエリシアがそういう表情をすると破壊力がある。
その口調と表情に伊吹まで真っ赤になってしまう。そして、意識がどうしてもエリシアの唇に行ってしまった。
ぷっくりとしたみずみずしい色をした唇は……美味しそうだった。
(この唇が俺の唇に……)
「あ、あの、伊吹さん?」
エリシアが何も答えない伊吹に、不安そうな顔をして声をかける。
伊吹は慌てて答えた。
「あああ、いや、嫌じゃないです。むしろ、光栄でして、嬉しいと言うか、あ、いえ、決してやましい気持ちでないというか、医療行為であったのであって……」
そこで、エリシアとまともに見つめ合う。
そこでまた、二人は真っ赤になりあわあわとしてしまう。
(年甲斐もなくー! お、俺は童貞の中高生か! ……でも、これはきちんとお礼を言わないとな)
伊吹は深呼吸を数度して心を落ち着ける。
「あの、エリシアさんのおかげで助かりました。私のようなどこの馬の骨ともしれない人間に対して、していただいたこと、
普通の人にはとてもできないことです。あなたのやっていただいたことに感謝と敬意を込めてお礼を言わせていただきたい。
ありがとうございました」
伊吹がエリシアをまっすぐに見てそういうと、エリシアは花が咲いたような笑顔になった。
「そう言っていただいて、嬉しいです。口移しを頑張った甲斐があったわ」
エリシアが「口移し」のところで悪戯っぽく微笑んだ。
伊吹はそんなエリシアの表情から目を逸らすことができなくなってしまう。
そんな伊吹の視線を受けて、エリシアも赤くなり顔を逸らす。それに気がついた伊吹も顔を逸らす。
「はいはい、続きを話すよ。いいかな、二人とも」
「え、ええ、大丈夫よ」
「だ、大丈夫」
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エリシアは解毒ポーションを飲ませた後、伊吹の様子を見ていたが、全くよくなる様子が見えなかった。
「お母さん、この人熱が下がらないよ」
「ええ、そうね。でも、今は体が熱くなりすぎなように体を冷やして、薬を飲ませていくしかないわ。
そうすれば、きっとよくなっていくから」
エリシアは、ティナを安心させるために楽観的に話すが、内心では焦っていた。
もう何回か解毒ポーションを口移しで飲ませているが、よくなる傾向が見えないのだ。
ティナもそうだが、エリシアも伊吹にかなりの感情移入をしていた。
エリシアは薬師として、普段は患者に必要以上には感情移入しないため、こういった状況ではかなりドライだ。
だが、なぜか今回は焦りを感じる。
話したこともない、数時間前に会っただけの相手なのに。
それが、エリシア自身も不思議だった。
どうしても助けたいが、自分では助けることができないと感じ始めた頃、
コンコン
扉のドアノッカーが鳴る音が家に響いた。
エリシアがティナを連れて扉を開けると、そこには桜色の髪、桜色の瞳、整った顔の10代半ばくらいのこの世のものとは思えないような、美少女が立っていた。
10人中10人が振り返りそうな美女のエリシアが、言葉を失ってしまうほどの現実離れした美しさだった。
ティナもぽけっとして、桜色の少女を見つめている。
彼女が話し始める。
「こんばんは。こんな時間にごめんなさい」
そう言われて、夜もとっぷり更けていることにエリシアも初めて気がついた。
伊吹に集中していて長い時間が経っていたことに気づかなかったのだ。
「え、ええ。お嬢さんはこんな時間にどうしたのかしら?」
桜色の美少女は、華やかな笑顔になりながら告げた。
「私の名前は小桜美羽。女神レスフィーナの御使いだよ」




