第5話 出会い
「うーん、まずいな。これは」
明け方になって、左腕の怪我の痛みが増してきて、それとともに熱が出てきたのだ。
「剣が汚れていたのか、毒でもついていたのか。どっちにしても動けなくなるのは困る」
現在、食料と言えるのは昨日の弁当の残りと杏果と食べようとしていた、チーズにスナック、チョコレートだけだ。
ここにいて食料を節約しても、数日しか持たないだろう。
そして、この高熱が感染症から来るとすれば、早いところ薬を手に入れなければ取り返しのつかないことになりそうだ。
「この感覚は多分38度台は熱が出ていると思う。それに腕が酷く痛む。でも、盗賊の仲間がどこにいるかわからない。
歩かないといけないな。体力がまだあるうちに」
伊吹は昨日の道標の看板での距離が徒歩2日かかるというのは知らない。
看板があったからすぐに着くのではないかと思っているのだ。
しかし、看板から数時間歩いたとはいえ、まだ1日半は行程が残っている。
しかも、発熱をしている状態では、通常の人間がとても歩き切れるようなものではない。
だが、伊吹は歩くことを選んでしまった。
腐らせるわけにもいかないので、弁当の残りを無理にでも食べた伊吹は、痛み止めを飲み荷物をまとめて歩き出す。
歩き始めは良かったが、数時間のうちにフワフワした感覚になり、腕の傷は一歩歩くごとに痛む。
また、胸に密着させて固定しているので、熱がこもり、腫れた患部にはどうしようもない苦痛に変わる。
「うー、痛み止めがあるから、まだ歩けるけど、なければもうダメだったな」
今の伊吹は痛み止めで誤魔化して歩いている状態だったが、痛み止めで患部の傷は治せない。
こうしている間にも傷の状況は悪化していった。
朦朧としながら、歩いていると、いつの間にか辺りは暗くなっていた。
森の中だから、ただでさえ暗いのだが、空を見上げたら星がよく見えている状態だった。
これ以上の行動は良くないだろう。
伊吹は昨日同様、大きな木の裏に隠れるように幌を敷いて、その上に横たわった。
食事は、昼間からチーズを少しとスナック、チョコレートを大切に食べている。
「はぁ、明日は水を汲まないといけないな。食べられるものも少ししかない。
看板があったから、すぐに人のいるところにつけると思ったんだけど、あとどれくらいあるんだろう。
痛み止めはまだあるけど、腕の傷も悪化しているみたいだ。」
幸いなことに、痛み止めのおかげですぐに眠ることができたために、少しでも回復することができた。
伊吹がこの地に来て3日目、早朝。
軽食の食事をして、再び歩き出す。
この日は幸い早い時間に小川を道が横切っていたので、そこで水を補給できた。
腫れで熱くなった左腕をよくないとは知りつつも小川にひたす。
冷たくて気持ちいい。
「もう、まずいかもな。腕の感染症は悪化して敗血症になるかもしれない。
そうしたら、助からないだろうな。
でも、諦めない。ここで歩くのをやめてしまったら、本当にそれで終わりだ。
なんとしてでも日本に帰って、杏果に会うんだ」
朦朧としてはいたが、決意をしなおして再び歩き出す。
程なくして、森を抜けることことができた。
「着いたのか?」
人のいるところについたかと期待したが、見渡す限りの草原だった。
どこにも人里らしきところは見つからなかった。
伊吹は高熱と腕の痛みと先が見えない草原に絶望して座り込んだ。
そんな自分の心境に気づいた伊吹は否定する。
「いや、座り込んだのはただの休憩だ。休まなければ歩けないからな。
水も飲まないといけないし、カロリーも取らないといけない。必要な休憩だ」
絶望したことを認めない。自分の絶望したことを認めることは、生きるのを諦めることだ。
だから、自分が座り込んだことの正当性を言葉にする。
しばらく休憩したあと、再び歩き出した。
しかし、その後の行程は地獄だった。
森の中は木に遮られて、日に当たることはなかった。
しかし、今は直射日光にさらされて歩いている。
高熱でだるい体が歩みを遅くするし、包帯越しとはいえ傷口に直射日光が当たるのはきつい。
そして、これまでの体力の消耗もあって、意識は朦朧としている。
数時間も歩いていると、自分が前に進んでいるのか、止まっているのか、立っているのかさえもわからなくなってくる。
「でも、まだ倒れていないはずだ。倒れたら、もう2度と起き上がれなくなる。それは杏果にも会えないってことだ。頑張れ、俺」
歩みが止まりそうになるたびに、自らを奮い立たせて歩いた。
「※※!」
そして、何度自分を励ましたかわからない頃、声をかけられた。
夢の中の中にでもいるかの状態だった伊吹は現実に戻された。
(盗賊!?)
最悪の遭遇を警戒して、慌てて顔を上げると、そこには全身鎧姿で槍を持った人間が立っていた。
それを見て、伊吹は顔を上げる。
そこには壁があり、門があった。
どうやら、いつの間にか人がいるところについたようだった。
鎧の男は門番なのだろう。
「※※?」
何か言っているがわからない。
伊吹も本当は何も喋りたくないが口を開く。
「ちょっと、盗賊に襲われて怪我をしているんです。入れてくれませんか?」
「※※」
もちろん門番には通じない。
伊吹が困って周りを見ると、入門するのに、お金を払っているのが見えた。
そこで、伊吹は盗賊の財布を出して、口を開いて門番に向ける。
門番は、一瞬不審そうな顔をするが、財布の中から小さな銀色のお金を一枚とった。
そして、気遣わしそうな顔で伊吹に一言いう。
「※※」
伊吹はもちろんわからないので、無理に力のない笑顔を作って返す。
門番は、一つ頷いて伊吹を通した。
門の中は割と大きな街だった。
何でかわからないが舗装された道に土か石か判別できない5階ほどの建物。広場には噴水があり、屋台なども整然と並んでいて賑わっている。
なかなかに興味を惹かれる綺麗な街並みなのだが、今の伊吹にそれらを見ている余裕などない。
「病院を探さないと……すみません、病院はありませんか?」
「※※」
しかし、伊吹が声をかけても、何語かもわからない伊吹の言葉に皆逃げてしまう。
「ああ……こま……った。看板……で、わか……るかな」
伊吹はすでに倒れる寸前だが、なんとか足を進める。
「※※!」
「※※!」
そんな伊吹に人が争っている声が聞こえる。
少女と三人の柄の悪そうな男だった。
「※※!」
柄の悪そうな男が一人、少女を連れ去ろうと腕を引っ張る。
「キャー」
これは伊吹にも分かった。連れ去られそうなのだ。少女は抵抗しようとするが、力で及ばない。
「杏果」
朦朧としている伊吹は少女が杏果に見えた。
咄嗟に近づいていき少女を掴んでいる男の右手に、タクティカルペンを思い切り振り下ろした。
「ぎゃ」
堅牢なタクティカルペンの先が男の親指と人差し指が交差するあたりの窪み、合谷に見事に突き立った。
男は少女を放し、左手で押さえながら悶絶する。
「「※※!」」
それを見た、他の二人の男たちが伊吹を殴り飛ばした。
元から荒事が向いていない上に、高熱と感染症で朦朧としている伊吹は、簡単に倒れる。
そこを男たちが三人でサッカーボールのように蹴る。
伊吹はすぐにぴくりとも動かなくなった。
それに気づいた男が他の二人の男を止める。
そして、何事か話した後、足早にそこを去っていった。
少女は男たちが去った後、伊吹に近寄ってきて声をかけながら揺するが、目を覚まさなかった。
少女の母親と思われる女性が駆けつけた。
※ 伊吹が気を失った後の女性と少女を含めた周囲の人の話
「お母さん、どうしよう。この人目を覚さない」
少女が目を涙目にして、女性に訴えかける。
「すごい熱ね。この方は体調が悪いのに助けようとしてくれたのよ。うちに運び込むわ」
「うん!」
そこへ、先ほどまで見ていた男が声をかける。
「ちょっと待てよ、エリシア。そんな訳のわからない男をうちに入れるっていうのかい」
「そうだよ。そんなの危ないよ」
「やめときなよ、エリシアちゃん」
後に二人の男性が続けて、三人で女性、エリシアに考えを改めるように迫る。
それを聞いたエリシアはやや冷たい目をして、
「この方は、ティナが連れ去られようとした時に助けてくれたのですよ。
自分がやられることを厭わないでね。そんな人を助けておかしいのかしら?」
男たち三人は一部始終をずっと見ていた。それでも何もしなかったのだ。
これ以上は何も言えなくなった。
「ティナ、この方の荷物を運んでもらえるかしら? 私は、この方を担いでベッドに連れて行くわね」
「お母さん、大丈夫?」
担ぐことができるか心配する少女、ティナに対してエリシアは笑顔で答える。
「まかせなさい。お母さんは結構力持ちなのよ」
そう言って、エリシアは包帯を巻いている伊吹の腕を気遣いながら担いだ。
ティナは嬉しそうな顔をして、伊吹の荷物を持ち、自宅の扉を開け、エリシアが通りやすくした。
伊吹は人にかまってられない状態なのに人助けをすることによって、逆に救われることになった。




