第31話 勝って
シーーーーン……。
闘技場は伊吹の一撃に水を打ったように静まり返った。
前評判ではノクスが圧倒的な力を見せて、伊吹が無様に地面に沈むと思われていた。
しかし、結果が逆になっている。
誰一人、声を出せなくなっていた。
「……あれ? 当たっちゃった。しかも、倒れてる」
当の本人の伊吹が一番びっくりしていた。
「やったー! おじさんすごい!」
ティナが飛び上がって叫んだ。
そのティナの声に観客が我に帰った。
「すごい、今の突きは何?」
「すごく速かった!」
「おじさんかっこいい!」
会場の生徒たちはたった一撃の伊吹の攻撃に魅了された。
みんなが10級冒険者である伊吹が、次は何をするか目が離せない。
しかし、決闘を仕掛けたリュカはそれどころではなかった。
「なんなんだ!あれは。ノクスの鎧はグランドタートルの鎧なんだぞ。10級冒険者のおっさんが木槍で破壊できるわけがないんだ! 立てよ、ノクス! このままじゃあ、おれが! フェルドン家が赤っ恥じゃねえか!」
リュカ・フェルドンのフェルドン家は成り上がりである。
貴族の立場を金で買った商家だ。
それゆえに爵位以上に社交界では立場が低い。
それが、自分から代理を立てて決闘をして、しかも5級冒険者で10級冒険者を倒そうとして失敗するなど、あってはならない痴態だった。
リュカはノクスが立つことを祈った。
そして、ここにも祈っているものが一人。
(立つな、立つな、立つな)
伊吹は立たないことを両手を合わせて祈っていた。
そんな彼を不審な目で見る二人の人物。
「なあ、ルル。なぜ伊吹殿はとどめも刺さずに何かに祈ってるんだ?」
「うーん、決闘がとどめを刺すところまでってことを知らないのかも」
「ああ、美羽様が言っていたボクシングってやつか。倒れても10秒数えるまでに立ち上がれば、まだ負けてないっていう」
「そうなんだよね。私たちの感覚で言えば、倒れている隙にやっちゃえば勝ちなんだけど……」
「ということは……」
「うん、決闘の仕方を教えるの忘れちゃったね」
リリとルルが二人揃って頬をかく。
「ルル、教えてあげないのか?」
「お姉ちゃんこそ」
「いや、この一撃で終わってしまったら、あまり経験にはなるまい。むしろこの後、ノクスとやらが本気になった方が、伊吹殿の技術向上に役に立つだろう。」
「そうなんだよね。この決闘を受けるのを止めなかったのは、見てて面白いだけではなくて、教えた技術を自分のものにするためだからね」
「ははは、ルルはやはり決闘を楽しんでいたか」
「それはお姉ちゃんもでしょ」
「まあ、何かあっても回復ポーションを使えるからな」
「だね」
伊吹は困っていた。
周りをキョロキョロするが、答えなど見つかるわけもない。
ノクスはうめきながら、転がっている。
(えっと、どうすれば勝ちになるんだろう? あれは戦闘不能ではないのかな?)
ルークを見るが、ノクスを見ているだけで何もしていない。
(せめて、ルークと目が合えば、アイコンタクトで……)
じーっと、ルークを見るが、ルークは全くこちらを見ない。
仕方なく、後ろを振り返る。
リリとルルになら、何か教えてもらえるだろう。
しかし、彼女らはそっぽを向いていた。
(なんで見てないーーーーー! 頼むよ。早くしないと起きてきちゃうよ)
伊吹は決闘を早く終わらせたくて焦るが、その気持ちとは裏腹にノクスが動き出す。
ノクスは体を震わせながら、木剣を杖にして立ち上がってきた。
鬼の形相で青筋が浮いている。
「ゆ、ゆるさねぇ! ゆるさねぇぞ貴様ー」
ノクスが咆哮した。
ビリビリと空気が揺れるようだ。
「あ、あれ、やばくない……?」
伊吹はノロノロと後ろを向いてリリとルルを見る。
リリとルルが同時に右手を伸ばし、親指を立ててきた。顔は満面の笑みだ。
そしてルルが叫んだ。
「やっちゃえーーーーーー!」
「やっちゃえじゃねえよーーーー!」
後ろを向いていると、背筋がゾワっとして、反射的にしゃがむ。
ブオン!
頭があったところを木剣が通り過ぎる。
「ひえ」
直撃していたら、頭が潰れそうな勢いだ。
伊吹はほとんど四つん這いになって逃げる。
容赦無くノクスの木剣が降り注ぐ。
なんとか立ち上がり、完全に後ろを向いて逃げる。
「卑怯者! 逃げるな!」
ノクスは喚くが、伊吹は情けなく逃げ惑う。
(怖い怖い怖い怖い)
観客席は伊吹の逃げるさまに明らかに失望した空気になっている。
一度は伊吹の勇姿で喜んだのだから、尚更だ。
「なんだよ。かっこいいと思ったのに」
「拍子抜けだな」
「逃げんなよ。つまんねえなー」
観衆たちの呆れた声がティナの耳にも届いてくる。
「おじさん……」
彼女は心配そうに見て、ぎゅっと手を握り込む。
リリとルルは苦笑を浮かべる。
「あらら〜、臆病風に吹かれちゃったみたいだね」
「うむ、短期間で急激に実力を伸ばしているが、所詮は戦いのない国の一般人だ。一皮剥けば恐怖心も出てくるだろう」
「そうならないように、何度も殺す寸前まで追い詰めてたんだけどね」
「我々以外の相手で、あからさまな殺意がある相手は鍛錬を始めてからは初めてだからな。まあ、無理もないだろう」
「でも、どうしようかね。このままじゃ、やられちゃうかも」
「まあ、見守るしかあるまい。これくらい乗り越えられなければ、ギルバート相手ではもっと勝ち目がない」
「そうだね〜」
伊吹は必死にノクスの攻撃から逃げている。
ノクスは暴風のように大剣を振り回して追いかけてくる。
逃げながら伊吹の心には次々と恐怖が湧き上がる。
(ダメだ。おれは全然ダメだ。あんなのに勝てるわけない)
そして、ついに壁際に追い詰められてしまう。
すでにノクスの間合いに入っていた。
(に、逃げられない)
ノクスは凶悪に笑う。
「もう、逃さねえぜ。覚悟しな。致命傷は与えないようになぶり殺してやるからよ。おれに屈辱を与えたんだ。当然だろ」
ノクスの剛剣を一撃でも喰らったら、おしまいだろう。
観衆の野次が大きくなっているが、伊吹の耳にはまるで入ってこない。
ノクスは舌なめずりをして、油断なくどこから攻撃していくか見極めようとしている。
「ふふふ、まずは肩を砕いてやろう」
ノクスは木剣を振り上げた。
(もう、終わりだ)
伊吹は完全に諦めてしまった。
(おれに決闘なんて無理だったんだ。だっておれはただの底辺のおじさんだよ)
伊吹は静かに目を閉じた。その時だった……。
「おじさーーーーーん!」
伊吹はハッとして目をひらく。
すると、ノクスの肩越しに観客席のティナが見えた。ティナは続ける。
「勝ってーーーーーー!」
伊吹は震えた。自分が諦めているのに、諦めていない少女の存在に。
(そうだ! おれ自身のことを諦めても、あの子のことを諦めたらいけない)
「くらえ!」
ノクスの剛剣が伊吹の頭上から左肩を目掛けて降ってきた。
誰もが、これで終わりだと思った。
この先はノクスの蹂躙劇が始まるのだろうと予測した。
あるものは興奮して目を見開き、あるものは恐怖で目を瞑った。
ガコーーン!
伊吹に当たったと思われた、ノクスの木の大剣は壁を殴っていた。
彼はいつの間にか右に50センチのところに立っている。
『居つかぬ足』
伊吹はそう呟いた。




