第3話 タクティカルペン
伊吹が歩き始めて10分ほどで先ほどの道に出た。
慎重に道をのぞいてみると、すでにそこに盗賊はいなく、馬のいない幌馬車と無惨な3つの死体だけだった。
恐る恐る幌馬車に近づくと、中の荷物は全て運び出されているようだった。
死体を見ると、幾つもの傷跡がパックリと開いていて、伊吹の顔を青くさせる。
現代日本の一般人が惨殺死体など見慣れているわけがない。
そうは言っても、一応確認しておいた方がいい。自分が生きるためのこの世界の手がかりがあるかもしれないのだ。
(この世界って言っても、俺はまだ認めない。ここは地球のはず)
死体の首には3体とも金属のプレートが首から下がっている。
2体のプレートが同じで、1体のプレートは違う色をしている。
職業か何かが違うのだろう。
死体は血まみれなのにも関わらず、腰のあたりには血がかかっていない部分もある。
「きっと、ベルトに小物入れとかバッグがついていて、それを剥ぎ取って持ち去られたんだろうな。だからここだけ血がついていないんだ。
そこまでとったなら、何も残ってないだろうな。せめて地図でもあれば良かったんだけど……」
ないものは仕方ない。せめて何か役に立つ道具はないだろうかと周りを見回す。
すると、小さな皮袋が落ちていた。
中には火打石らしきものと、岩塩が入っていた。
「盗賊が落としていったか、いらないと捨てたか、どっちにしても助かる……あと、お金でもあればな」
伊吹はダメもとで死体のブーツを脱がせてみた。
(こういうところに隠すのは定番だよな)
すると靴底が外れ、そこに金貨が入っていた。
左右に一枚ずつ二枚手に入れた。
これに味を占めた伊吹は、他の2体の死体も調べてみるとズボンの裏側に隠しポケットがあったり、血まみれの服の内側に皮袋に入った金貨があったりで、合計十枚もの金貨を発見した。
「多分、この金貨らしきものはこの世界?でも価値が、ある程度あるのだろうな。助かる。お礼に首から下げているプレートを持っていこう。襲われたってことは伝わるだろうから」
空を見れば、日の位置がだいぶ傾いているように見える。
「多分、今日は野宿になるだろうな。寝具みたいなものはないけど、せめてあの幌を切って持っていこうか」
馬車に登り、アーミーナイフで幌を切っていく。かなり嵩張りそうだから、シングル布団一枚分くらいの最低限にした。
それを畳んで幌馬車についていたロープでリュックにくくりつける。
そして、三体の死体に向かって手を合わせる。
「金貨十枚と火打石、岩塩とあと幌をいただいていきます。皆さんのプレートは人がいるところのどこか役所のようなところまで持っていきます。
ありがとうございます」
そう言って、伊吹は馬車が向いていた方に歩き出す。
なんとなくその方がいい気がしたのだ。
10分ほど歩くと道標の看板が出てきた。
「書いてあることがわからない……でも、間違いなくこっちに街か村があるんだな。とにかく行けるところまで行こう。あの盗賊に会ったら困るし。そうだ、写真を撮っておこう」
看板の写真を撮って、スマホをしまおうとしたところ……。
「※※!」
後ろから怒鳴り声がした。
慌てて振り向くと、そこに先ほどの盗賊の一人が立っていた。
背は180センチある伊吹よりも頭一つ分くらい高い。
そして、下卑た笑いをしている。
伊吹は、全身から汗が吹き出すのを感じる。
瞬間的に逃げようと考えるが、逃げられるかどうかも怪しい。
精一杯の笑顔を作って応じてみる。
「どうしましたか?」
男は伊吹の言葉に一瞬面食らったような顔をするが、口を開く。
「※※!」
(何言っているのかわからないのがいちばんの問題だ)
「すみません、遠い国から来たので、言葉がわかりません」
男は、伊吹が言葉を喋れないと見て、剣を抜き伊吹に突きつける。
「※※!」
明らかな好戦的な態度だ。
伊吹は左手を挙げて戦意のないことをアピールする。
(ありえない。戦えるわけがない。剣がこんなに怖いものだなんて、思っても見なかった)
剣を突きつけられた時のプレッシャーは、平和な日本に生きてきた伊吹には、とてつもない大きなものに感じていた。
盗賊が笑みを深め一歩前に進んでくる。
(ダメだ。もうここで死ぬんだ)
伊吹はすでに絶望していた。
思わず視線を下げた時に、無意識に右手に持ったスマホの電源をオンにした。
待ち受け画像の娘の笑顔が目に映る。
今自分が、こんなどこかもわからないところで死んでしまっては、杏果の笑顔を無くしてしまうことになる。
杏果を泣かせるようなことなどしたくない。
伊吹の目からポロポロと涙が溢れた。
「※※!」
盗賊がそんな伊吹を見ておかしそうに笑う。
しかし、そんなことを気にせずスマホの画面を見続ける。
「杏果……、死ねない」
死ぬという選択肢など選んではいけない。
必ず帰って杏果をこの手で抱きしめる。
(俺は、杏果のために必ず生き残る。こいつを殺してでも)
伊吹の目に火が灯る。
しかし、剣を相手に素手で勝てるわけがない。
そもそも、自分に格闘技で相手を制圧する能力などない。
子供の頃からやっていた空手は、中学生の県大会でベスト8程度。
高校で入門した剣道は道場内でまあまあ強い程度にしかなっていない。
そもそも剣がないのだから剣道もできないし、自分の空手では剣に対抗できない。
(どうするか。俺は絢音のいう通り微能だ。剣道や空手で真剣に勝てるわけがない。何か突破できるものは……あ、突き)
伊吹は思い出した。
空手でもそこそこできる程度だったが、突きだけは強かった。当時はオールラウンドにできる方がいいと思って、蹴りを頑張ろうとして、結果、勝てなかった。が、突きだけに集中した時は必ず勝てた。
剣道でも、斬撃に光るものがなかったが、突きだけは正確につくことができた。
突きを使えば、大概勝てた。もっとも頻繁に使っていたら、師範に危険だから使用を禁止され、それ以降は微妙な強さしか発揮できず、面白くなくなりやめてしまったが……。
(突きなら行けるかも。ポケットにタクティカルペンがある)
伊吹は涙に濡れた顔で、盗賊を見ながらゆっくりリュックを下ろす。その際に体の右側を捻り盗賊から少し見えにくくする。
リュックの上にスマホを落とし、盗賊に見えない位置でポケットのタクティカルペンを手に握る。
その動作に盗賊は伊吹が諦めたと思ったのだろう。剣を頭上にあげた。
「※※!」
そして、盗賊が叫びながら剣を振り下ろしてきた。
伊吹は前に思い切り踏み出し、左手で空手でいう上げ受けをする。
剣の根本を受けたため、斬られた感覚はあったものの、腕が切断されずに受けることができた。
そして、伊吹はさらに踏み出しながら、順手に握ったタクティカルペンを盗賊の喉に向かって思い切り突いた。
肉を破る嫌な感触がして喉に深く刺さった。
鮮血が飛び散る。
「ガッ、ガッ……」
盗賊は声にならない声を出しながら、後ろに倒れた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
伊吹はタクティカルペンを喉に突き立てたまま倒れている盗賊を見て、荒く息をしながら呆然としている。
盗賊はすでに息絶えているようだ。
「は、はは……勝った」
伊吹は安堵と共に、生死を分けた戦いを制したことに高揚した。
「あははははは。生き残ったぞ。杏果。パパ、生きてるぞ!」
伊吹は空を仰ぎながら、とめどなく涙を流した。




