ロゼレム
「父上! どうなさったのですか!」
辺境伯が部下を引き連れて屋敷に戻ると、甲冑姿の騎士が駆け寄って来た。
辺境伯の屋敷の前庭には召集された兵士がひしめき合っていて、どう見ても荒事に無縁そうな市民まで混ざっていた。慣れない武装をし、武器を手に不安そうに佇んでいる。
そこへ辺境伯が大声で告げた。
「戦はなくなった! 敵国の奴等はもういない! 尻尾巻いて逃げて行ったぞ!」
「ええっ?!」
「市民達よ! そういう訳で解散する! ご苦労だった! 広場で酒をふるまうから受け取ってくれ!」
喜ばしい知らせの筈なのに、あまりに突然の展開についていけないのか、みんなポカンとしている。
辺境伯は重ねて大声を張り上げた。
「疑うのなら砦を見に行ってみろ! もう簡単に奴等が攻め込めなくなっているからな! みんな驚き過ぎて腰を抜かすなよ!」
ワッハッハと豪快に笑う辺境伯に、市民達は本当かと顔を見合わせる。
一人の男が防具を脱ぎ捨て、武器を放り出して敷地内から出て行くと、つられたように何人も続いた。
やがて我先にと走り出し、市民達は全員いなくなった。残されたのは散らばった大量の装備だ。
「やれやれ。リオ、お前も砦を見てくるといい。驚くほど立派になったからな!」
「何を仰っているのですか?」
「本当だ。砦から戻った者は装備は回収しておいてくれ。武器も忘れずにな」
「はいっ」
「父上?」
「ともかく見て来い! さあ、行った行った!」
辺境伯に急き立てられた子息は、不可解そうな顔付きで出て行った。子息の部下らしき騎士達もそれに続く。
「さあ、客人をもてなすぞ! 宴だ、宴!」
上機嫌の辺境伯に戸惑いながらも、屋敷の使用人達は動き出す。
レオン一行は執事に案内されて、応接間へ招かれた。お茶を飲んで一息ついたところで、老人がレオンに尋ねる。
「さすがに疲れましたかな?」
レオンは力なく笑った。
「やっている最中は集中してたから気にならなかったようですけど、終わったら一気に疲労感がきました。魔力切れではなくて精神的な疲れです。ああいう場に立ち合った事がないので経験不足なのでしょう。独特な緊迫感がありましたから」
「ふむ。それはそうですな。ではよい経験をなさったという事です」
「うん。貴重な経験だった」
レオンと老人がしみじみと語り合うのを、ノエラとユーズは黙って聞いていた。
しばらくして戦装束を脱ぎ着衣を改めた辺境伯が戻って来ると、改めてレオンに頭を下げた。
「この度は尽力して下さり、本当にありがとうございました。改めてお礼申し上げます」
「いいえ」
「旅の目的はロゼレム・ケアとの面会だとか。今、遣いを出しているのでもうじきここへやって来るでしょう。しばらくお待ち下さい」
「ありがとうございます」
「夕食を用意致しますので、今夜はお泊まり下さい。何日か滞在して頂けるなら、この街をご案内しますが」
辺境伯の申し出にレオンは首を横に振った。
「いえ、予定があるので用事が済んだら帰ります」
「そうですか。お帰りは王都ですか?」
「はい。とりあえずは」
「実は私も今回の件を報告しに王都へ行かなければなりません。馬車を出しますのでご一緒にどうですか?」
レオンと老人は顔を見合わせた。
「そうですね。急ぐ旅ではありましたが、帰りはそんなに急がなくてもいいような……」
「ええ。国に帰りますが、向こうでの滞在期間を減らせばよいですな」
こそこそと悪巧みを始める二人に、モルフが呆れたような目を向けた。変なところで意気投合しやがって……とぼそぼそ聞こえてくる。
ノエラとユーズは聞こえない振りをした。
夕食が終わった頃に、ぼさぼさ頭のくたびれた中年男性がやって来た。
執事に招かれて入室した彼は困惑しているようで、無意識に友人である子息を探すように部屋の中を見回した。
しかし子息は後片付けがあるのか、あれから帰っていない。
「ロゼレム、お前に王都から客が来ている」
辺境伯が手を上げてロゼレムを席につかせる。
まずはマナミリュ殿下の側近であるユーズが口火を切った。
「初めまして。私はユーズ・オリブと申します。マナミリュ殿下の侍従をしております」
「はあ……」
いきなり王太子の名前が出たので、ロゼレムはきょとんとなった。
「実は先日、ケンブルドン侯爵を筆頭に大掛かりな横領が発覚しました。国の財務官僚の大勢が捕らわれ、彼等に冤罪を着せられた者の存在も判明したのです。あなたのような」
「あぁ……」
どこか反応の薄いロゼレムとは別に、辺境伯は仰天した。
「なんと、ケンブルドン侯爵が捕らわれたと? 陛下の采配で?」
「そうです。王都は混乱しておりまして、優秀な財務官僚を必要としております。過去にケンブルドン侯爵に冤罪を着せられた者達を捜索して再雇用したいと仰せなのです。もちろん過去の補償もして下さいます」
「者達という事は、ロゼレムだけではないのだな」
「はい」
「ロゼレム、よかったな。冤罪が晴れたそうだぞ」
「そうですか……」
喜ぶ辺境伯とは裏腹に、ロゼレムの声には張りがない。どうでもいいような感じだ。
ユーズはマナミリュ殿下から提示された金銭面での補償についても言及したが、どこか他人事のような態度は変わらなかった。
冤罪から月日が経ち過ぎているのかもしれない。もしかしたら今は財務とは無関係の仕事に就いているのかもしれない。
ユーズの隣でノエラも眉を顰めた。
優秀な財務官僚を再雇用するのは緊急の要件だ。もしロゼレムに断られたら、国王とマナミリュ殿下を落胆させてしまうだろう。
「あのう、すみません。少しよろしいですか?」
そんな気乗りしなさそうなロゼレムに声をかけたのは、意外にもサールだった。いつもレオンの後ろに静かに控えているような印象だったので、ノエラは驚いた。
サールはロゼレムを真っ直ぐ見据えて、唐突に思える話題を振った。
「ロゼレムさん、トマリーナ国ではモンベルデという薬草が採れます。それは気管支喘息の薬の原料なのですが、この国の気管支喘息の薬は別の薬草が使われています。モンベルデはトマリーナ国でしか採れないのです」
ロゼレムの上体がびくりと動いた。先ほどの財務官僚の話では反応しなかったロゼレムが、大きく動揺している。
サールは落ち着いた口調で続けた。
「トマリーナ国の薬草はここには流通していませんが、王都なら流通しています。それを使って調合すれば……」
「効くのかっ?!」
思わず立ち上がって叫んだロゼレムに、サールはにっこりと微笑んだ。
「効きます。劇的に回復するでしょう」
「劇的に……?」
「はい。保証します……と言いたいところですが、実際に服用しないと効果は分かりません」
「王都に行けば治るのかっ?」
「治ります。トマリーナ国から継続的に薬草を取り寄せなければなりませんが、財務官僚に再雇用されれば高給となり、金銭面で苦労する事もなくなります。以前の給料の三倍を吹っ掛けてもいいでしょう。それで通る筈です」
「三倍……?」
「はい。家族全員で移住しても余裕で生活出来ます」
「………………」
ロゼレムは固まった。
そんな彼にサールが優しく続ける。
「夜中に起き出して、咳き込む娘さんの背中をさする事はなくなります。今にも息が止まりそうな苦しそうな娘さんを見る事もなくなります。元気に遊ぶ娘さんを見ながら、毎日穏やかに過ごせます。もう何の憂いもありません」
「本当に……本当にそのような生活が……?」
「はい。あなたがうんと頷くだけでいいのです」
「……………………」
ロゼレムは力なくソファに腰を落とした。そして堪えきれなかったのか、ほろりと涙を零す。
「はい…………お受けします。ありがとうございます……」
辺境伯は困惑した目でサールを見たが、震えるロゼレムの背中を宥めるように撫でた。
「あなたは一体……」
「よかったですね。マナミリュ殿下も喜ばれるでしょう」
にこにこするサールを、辺境伯とユーズ、ノエラも驚愕の目で見詰めたのだった。




