聞こえない
「お見事ですが、魔力はまだ大丈夫ですかな?」
「全然、余裕です! まだいけます」
「では壁の向こう側を見たいので、この辺りに階段を作ってみましょうか。壁に沿うように横向きで」
「はい! こんな感じですか?」
「そうです。完璧ですな」
老人とレオンがそのまま大人一人分の幅の階段を上がろうとしたので、ノエラは慌てて駆けつけた。
「レ、レオン様、一体何を……!」
石造りの階段に足をかけていたレオンが振り返ってくる。
「ん? 魔法の授業だよ。安心して。終わったら元に戻すから」
「元に戻す……?」
愕然とノエラが呟く。あまりにも想定外の事態に思考が追いつかない。
そこへユーズもやって来る。
「し、しかしレオン様、あなたの立場でこれは……その……」
「内政干渉? 何それ? 私はただの旅人だよ?」
内政干渉という言葉がすぐに出てくるあたり故意だ。分かっていて堂々と惚けるレオンに、二人は言葉を失う。
「安心して。終わったらきちんと後片付けをするから」
「し、しかしあなたのような立場の方が、我が国とヒレンツ国との戦争に関与してしまっては……」
「あーっ! あーっ! 聞こえないーっ! 私は聞いてないぞー、私はただの旅人ーっ! ただ魔法の授業をしてるだけーっ!」
「レオン様……」
「知らないぞー! ではそういう事で!」
レオンはノエラとユーズを無視すると、防御壁の上に上がった。後について行った老人が、向こう側に布陣している敵を見て眉を顰めた。
「あれは……何でしょう。見たことない魔獣に騎乗していますな」
「サイとカバを足して割ったような姿をしています。二倍くらいの大きさですが」
レオンが知らない魔獣で例えたので、老人は困惑している。
「サイとカバ……それもわしは知りませんが、ここより南の地方には見知らぬ魔獣が生息していてもおかしくありません。しかし魔獣は魔獣。大人しく人間に使役されるとは思えません。あれを見て下さい。額から突き出ている角に首飾りのような魔法道具が装着されております」
「本当だ」
自分達も橋の対岸を見ようと、ノエラとユーズは踵を返して元からあった防御壁に上がった。
既に階段は兵士達でぎゅうぎゅう詰めだったが、その隙間を縫うように無理矢理押し通ると、辺境伯と側近達の姿があった。彼等も今回、初めて目にする魔獣を観察していた。
ノエラとユーズもその隣に無言で並んだ。
風向きの関係で、少し離れているレオンと老人の会話が聞こえてくる。
「先生、魔獣はあの魔法道具で無理矢理使役されているのですか?」
「おそらくな。それが可能になったから侵攻を決断したのだろう。あの魔獣は足場の悪い湿地帯をものともせず進む事が出来るようだ」
湿地帯にはびっしりと隙間なく水草が生えていて底が見えない。人間が不用意に踏み込んだら、頭までズブズブと沈む箇所までありそうだ。
「先生、それでは防御壁の外側の土を抉り取って深くしておきましょうか! これだけ水が張っているなら天然のお掘りになる筈です。いくらあの魔獣の大きさでも難儀するでしょう」
「おお! それはいい考えだ! ここから出来ますかな?」
「はいっ! 土魔法ですね! やってみます!」
レオンが嬉々として土魔法を使うと、面白いように防御壁に沿って地面がへこんでいった。生えていた水草は風魔法で刈り取り、泥と一緒に向こう側へ放り投げる。土を抜かれた地面には水が周囲から流れ込んできて、見る見るうちに貯まっていった。
ノエラとユーズと辺境伯は、ただただあんぐりと口を開けて見ているしかない。
人間の手でこの規模の土木工事をしたら、相当の年月がかかる。しかも湿地帯で足場が悪いので、何年かけても不可能だったかもしれない。
この国にも魔法使いはいるが、ここまでの凄腕は見た事ない。王宮勤務のノエラとユーズですら初めてだ。
こんなに魔法を乱発しているのに、よく魔力切れで倒れないと感心する。
「あ……」
そこに至ってようやくノエラもユーズは自分達の勘違いに気付いた。




