契約
マナミリュ殿下は迅速に動いてくれたらしく、そんなに日を置かずに専門家がやって来る事になった。
マナミリュ殿下が推薦した専門家は貴族で、しかもかなり高位らしい。
王宮の財務機関で長年働いているので忙しく、さすがに今回の件には手が回らないという。だからその人の部下が担当してくれる事になった。
その先触れとして、マナミリュ殿下の乳兄弟がやって来た。何度か話に聞いていたが今回初対面になる。
彼もマナミリュ殿下と同じで高身長で肩幅が広く、武人のような体格をしていた。でも文官で、マナミリュ殿下の侍従兼秘書をしているという。
「初めまして、ユーズ・オリブと申します。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。レオン殿下には男爵令嬢の件では大変お世話になったと、常々伺っておりました。心から感謝致します」
最敬礼で跪いたユーズは、ようやくレオンと対面出来て感無量といった感じだ。
堅苦しい事はナシだとレオンが言うと、すっと立ち上がった。ソファに座るマナミリュ殿下の後ろに立つ。
「私が紹介したのはケンブルドン侯爵閣下だが、多忙との事で、彼の部下が担当してくれる事になった。ケンブルドン侯爵は先代国王の従兄弟で、父王からすると、はとこになる」
「王族の血を引く方なのか」
レオンが少し驚くと、マナミリュ殿下が頷く。
「長年、王宮の財務を担当している方なので、部下も優秀だと思う。安心して任せて貰いたい」
「はい」
そんなやり取りをした後、馬車が到着して執事が出迎えに行った。
寮の応接間にいるのは、王子二人の他にはサールとモルフとユーズ。老人とアルデは部屋の隅の離れた場所の椅子に座り、お茶を飲んでいる。
すぐに戻って来た執事は、豪華な衣装をまとった壮年の男性と、文官の制服を着た中年男性を連れていた。
「お召しにより参上致しました。ニックス・ケンブルドンでございます」
マナミリュ殿下とレオンに向かって挨拶したケンブルドン侯爵は、年相応の貫禄と威厳があるが、物腰も柔らかだった。
まだ若い二人の王子を前に下手に偉ぶらず、かといって必要以上にへりくだらず、そつのない態度だ。こなしてきた場数が違うのだろう。
「こちらは部下のチョムスです。今回、担当させて頂きます」
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく」
二人共、レオンに向かって話しかけるので、レオンが応答する事になる。レオンの隣に座るサールの事は、ちらりと一瞥しただけだ。
部下は早速、持参してきた書類をテーブルに広げて説明を始める。
塗り薬を生産する商人はまだ決まっていないが、目当てがいないのであれば、その選定を任せて貰っても構わないこと。
契約は利益を元にするのではなく、生産量に応じて計算する。そうする利点は、万が一、売れなくて在庫を抱えても契約者の元にはお金が入るから。
などなど。具体的な数字も示されて、他の一般的な商品の数字とも比較されて、専門的な話も聞く。
だがそれは全てレオンに対して行われたもので、サールが契約者だと本当に理解しているのかと疑う態度だった。
マナミリュ殿下とレオンはうんうんと頷きながら話を聞き、契約に関して問題はないと判断したようだ。
「これなら悪くないと思うが、どうかな? サール」
笑顔のマナミリュ殿下に話を振られたが、サールは無表情だった。キッパリと言った。
「お断りします」
「えっ?」
書類を囲みながら話をしていた全員が、呆気に取られた。
サールは固い声で繰り返す。
「お断りします。今回の話はなかった事に。それでは失礼します」
サールは相手の反応を待たずに立ち上がり、部屋を後にした。
扉の前に控えていた執事が、珍しく慌ててドアを開閉している。廊下をずんずん歩くサールに、思わず取り縋った。
「あの、サール様、何が問題だったのでしょうか?」
「ケンブルドン侯爵」
「え?」
「あの貴族が関わるなら契約しない」
短く返答したサールは、そのまま自分の部屋に戻ったのだった。
残された面々は呆然となり、沈黙が流れた。
最初に我に返ったのはレオンだ。
「マナミリュ殿下、ケンブルドン侯爵閣下、すまないっ。私も失礼する」
わたわたと取り乱しながら立ち上がったレオンは、急いでサールの後を追いかける。
部屋の隅で見学していたアルデも顔色を変えてレオンに続く。
レオンが蒼白なのは、あんなサールを見た事がないからだ。
明らかに怒っていた。突然、怒りを露わにしたサールに、レオンは混乱する。
アルデと共に廊下を進みながら、レオンが言う。
「サールが怒ったのを初めて見た」
「私もです」
「なにっ? アルデも?」
「はい。あんなサール様は初めてです。私もとても驚いております」
サールの部屋の前に到着したレオンは、コンコンとノックする。
はいという返事があったのでドアを開けた。サールは部屋の隅にある机に座り、窓の外を見ていた。
「サール、どうしたんだ? 何があった?」
「あの侯爵とは関わりたくないだけです」
「ケンブルドン侯爵が嫌なのか? ……あ、確かに契約者はサールなのに、私にばかり話しかけてきたな」
「それは問題ではありません」
「え? 違うのか?」
「違います」
「では何が……」
戸惑うレオンに、サールは無言だ。どう説明しようか思案しているようで、じっと空間を見詰めている。
やがて馬車が遠ざかる音がして、客が帰ったのを知った。
しばらくしてマナミリュ殿下とユーズがやって来た。
「サール、すまない。何が気に入らなかったのだろうか」
低姿勢で慎重に尋ねるマナミリュ殿下に、サールは端的に答えた。
「ケンブルドン侯爵です」
「え? あの方の何が……」
先ほどの先方の態度か、契約内容が気に入らなかったと思っていたらしいマナミリュ殿下は、目が点になった。予想外だったようだ。
背後に控えるユーズは無言で控えているが、興味深そうにサールに注目している。
サールはふうと一息吐くと、意を決したように振り返り、マナミリュ殿下と真正面から対峙した。
「ケンブルドン侯爵の王都屋敷の二階の主寝室。本棚の右端の中段、そこに隠し棚があります。鍵は侯爵の執務室の一番下段の引き出しの奥。そこを国王陛下と一緒に調べて下さい」
「え? え?」
「私から言えるのはそれだけです。後の事は……」
そこで一旦言葉を切ったサールは、口調を変えて頭を下げた。
「これまでお世話になりました。ここでの生活はとても快適で、執事や使用人、料理人の方にも感謝しかありません。どうもありがとうございました」
「え? さ、サール?」
おろおろするマナミリュ殿下の横で、レオンはじっと考え込んでいたが、何か悟ったように口を開く。
「マナミリュ殿下、私からの助言だ」
「え?」
「サールの言う通り、国王陛下と一緒にケンブルドン侯爵の王都屋敷を訪ねて、先ほどの場所を調べた方がいい」
「レオン……」
「それをしないとサールの言動は理解出来ないだろう」
レオンはマナミリュ殿下の肩に腕を回し、退出を促した。
マナミリュ殿下とユーズは素直に応じ、レオンと共にサールの部屋を後にする。
そのまま玄関まで歩き、寮から二人を送り出す。馬車に乗る前にレオンは釘を刺しておいた。
「マナミリュ殿下、私はこの国の国政に口を出すつもりなどないし、干渉するつもりも全くない。自国ですら関わっていない半人前なのだからね。……でも出来るなら、もう少しこの留学生活を楽しみたいと思っているんだ」
「ああ……」
「私から言えるのはそれだけだ。ではな」
レオンに見送られて、馬車は発進した。
その背後には無言で執事が佇んでいる。
「さあて。どうなるかな? 私の留学生活……」
小さく呟いたレオンの独り言の意味は、執事には分からなかった。




