新メニュー
「レオン、ここでの生活に慣れてきたので、そろそろいいと思いませんか?」
にこやかに提案したサールの一言で始まった。
レオンはにんまりと笑う。
「私もそろそろ限界だ。厨房へ行くぞ!」
先頭のレオンと肩を並べて、上機嫌で歩くサール。やれやれと肩を竦めるモルフが後ろに続き、その後ろを黙ってついて行くアルデ。
王族寮の執事と使用人のいる暮らしは快適だったが、それでもどうしてもやらなければならない事があった。
レオンは前日のうちに執事に打診しておいたので、厨房には料理人が集まっている。
学校が休みの日。
昼食の支度はまだ始まっていない。レオンが予めそう伝えておいたからだ。
「今日は私達の国のパンを焼いて貰おうと思う。作り方を教えるので協力して欲しい」
「畏まりました」
声を揃えた料理人達に、サールがまずクロワッサンの手順を教える。
ここは隣国だが気候はそれほど変わらず、採れる野菜や生息する動物もほぼ同じだ。レオンが改良する前の王宮の食事メニューと似たような物が提供されている。
ここの食事も美味しいのだが、長期間の滞在になるのだから、やはり食べたいと思う物を作って貰いたい。
そこで今回のこれだ。
生地を成型してオーブンに入れた後は待ち時間になるので、次はメロンパンの作業に取りかかる。
普段からパンを焼いている料理人達は、サールの指示をすぐに呑み込んだ。さすがは王族寮に勤める料理人、みんな優秀だ。
興味津々の執事の前に、焼き上がった二種類のパンが置かれた。
アツアツのそれらを、レオンが美味しそうに頬張る。
サールもモルフもアルデも久しぶりなので、嬉しそうにパクつく。
「うん、大成功。皆も食べてみて」
レオンに促されて、執事と料理人も手を伸ばした。
「これは……っ」
「美味い!」
初めての食感に、みんなの目が丸くなった。クロワッサンに似た食感のパンはあるかもしれないが、メロンパンはないだろう。
「こちらの甘いパンは外側がサクサクしてるのに、内側はふんわりと柔らかくて。その違いが癖になりそうです」
「こんなの初めて」
「うう、美味しい……」
みんなゆっくりと味わいながら吟味している。
「これからはこれもレパートリーに入れて欲しいんだ。それと米も炊いて欲しい」
「米ですか。先日、何かの実験の為に使うからと、サール様が何かしていらした……」
「そう、一般食堂に運んだあれな。あの炊き方も覚えて欲しいんだ。私達が来る時に持ち込んだ量は少なかったから、週一くらいに控えて大事に消費したい。でも追加を頼んでいるから、また届くと思う」
「これが米ですか」
「こちらでは食べないのかな? 私達の国でも食べられるよう加工できたのは最近なんだ。でもきちんと調理すれば美味いんだぞ」
ご飯の炊き方もレクチャーして、サールがおにぎりを握る。とりあえず塩だけで味付けして、みんなで試食する。
先ほどのパンが成功したので、執事や料理人達も見慣れぬ食材ながら躊躇わずに手を伸ばした。
口に入れて咀嚼しながら、うんうんと頷いている。
「これもまた美味いですな」
「噛むほどに旨味が出てきます」
「うん。やっぱり美味しい」
元日本人の米好きは異常だ。
ベッドの住人だったレオンは諦めていたが、サールのお陰でこうして食べられるようになって、とても感謝している。
サールは記憶がないのに、何も分からないところから始めて、何となくで作ってしまった。突然の強い閃きをもたらすほど、魂に深く根付いているものなのだ。
「あぁ~……もうなくなってしまった。次は一週間後か。待ち遠しいな」
「おれほどしつこく頼んでおいたのですから、すぐに届きますよ。それまでは新しいパンメニューをどんどん提供していきましょう」
モルフの言葉に、料理人長が反応する。
「まだあるのですか?」
「はい。次は腸詰めを挟んだパンをお願いします」
「腸詰めを鋏む……?」
「手掴みでかぶりつくと口の中に肉汁がじゅわっと溢れ出てきて、思わず次のパンに手を伸ばしてしまう……私の大好物ですっ!」
力説するモルフに、アルデがうんうんと頷いている。アルデも好物らしい。
腸詰めを細長いパンに鋏むだけなら簡単なのだが、肝心の赤いソースがないので一から作らなければならない。
サールはそこにある調味料や材料を全て出して貰い、トマトに似た赤い野菜を見つけて茹でた。柔らかく煮崩れたそれを裏ごしして、『勘』を駆使しながら調味料をどんどん足していく。ぺろりと舐めて確認した。
「うん。ケチャップに近いものが出来ました」
「サール、ここにかけてくれ」
「私のもお願いします」
「あ、私のも」
「はいはい」
レオン達が大口開けて頬張っては「美味し~い」と悶えるのを見て、執事や料理人達も口に放り込む。
「む、これは美味い!」
「この赤いソースの酸味が何とも。腸詰めとよく合いますね。あぁ、美味しい!」
結局、その日の午後は丸々メニューの伝授と試食に費やす事になった。
夕食が要らないほど食べに食べて、レオン達は大満足である。
王族寮の料理人から王宮の料理人へ新しいパンレシピが伝わるのはすぐで、数日後にはマナミリュ殿下の耳に入っていた。
放課後、一緒に王族寮へ帰り、夕食を共にする。
「これがトマリーナ国のパンか?」
「そうです。今日はメロンパンです。甘いですけど大丈夫ですか?」
「甘いパン……」
不思議そうにしながらパンを手にしたマナミリュ殿下は、半分に割って断面を確認している。外側の生地がぼろっと崩れて、慌てて口に入れた。
その目が真ん丸くなる。
「初めての食感だが、美味い」
もぐもぐと咀嚼したマナミリュ殿下は、次のパンに手を伸ばした。
「私の母のお気に入りなんですよ」
「確かに女性が喜びそうな味だ。これは私の母も気に入りそうだ」
マナミリュ殿下はそれから頻繁に王族寮に立ち寄るようになり、夕食を食べて帰る機会が増えた。
「もうここで暮らせばいいのでは?」
というレオンの一言で、マナミリュ殿下も寮生活に戻る事になった。
そもそもマナミリュ殿下が寮を引き払ったのは、側近候補達が押しかけて来たから。
今はトマリーナ国の客人が滞在しているので、殿下が戻っても失礼な真似はしないだろう。大丈夫だと判断した。
執事は殿下の世話が出来ると、とても喜んでいた。
マナミリュ殿下も週に一度に出されるおにぎりを気に入った。
レオンやサールはもうおにぎりにせず、普通にご飯として食べている。肉、魚、どんなおかずにも合うので飽きない。週に一度なのが辛い。
「トマリーナ国は美味い物が多いのだな」
同じようにご飯を食べながらマナミリュ殿下が感心したように漏らしたが、モルフは「違います、二人の周りが特殊なんです」と心の中で呟いた。
レオンとサールは「胃袋を掴む作戦は成功だな!」と大喜びだ。
でも二人を微笑ましく見ていたマナミリュ殿下が、ふと眉を顰めた。
「しかし商人ギルドに商品登録をしておかないと、何の関係もない者が登録して利用料をせしめるかもしれない」
レオンも渋面になる。
「それは嫌だな」
「トマリーナ国と取引のある商人から伝わるかもしれないが……」
「あぁ、それならマナミリュ殿下の名前で商品登録しておいて欲しい。利用料はタダで。誰でも自由に使えるのがいいんだ」
「いいのかい? きちんと商売をすれば一財産作れそうだが」
「お金には困ってないよ」
「それは承知の上だが……」
あのね殿下、とレオンは続ける。
「美味しい物を食べる時、人はみんな笑顔になるんだ。他国だろうとそれは変わらない。私はそういう顔を見たい。貴族も平民も、みんな笑う。そういうのが好きなんだよ」
「……レオン」
「私は弟と違ってまだ何の仕事もしていないから趣味だと思ってくれ」
「……ありがとう」
どういたしまして、とレオンはニカッと笑う。
その悪戯っぽい表情に、初めて会った時の事を思い出す。あの頃と変わらない笑顔を、マナミリュ殿下は少し眩しそうに見詰めた。
「これからもこの調子でどんどん広めていくぞ~!」
「お~!」
拳を上に突き上げて盛り上がるレオンとサール。
アルデはにこにこと見守り、モルフはやれやれと肩を竦めていた。




