昼休憩
マナミリュ殿下にもミナミ嬢の意図が伝わったのか、場所を変えようとは言わなかった。溜め息を吐きながら続ける。
「トーヤ、お前はついこの間まで率先して男爵令嬢の取り巻きをしていた。どういう風の吹き回しだ」
「本当に愚かでした。どうか、どうか苦しい言い訳になりますが説明させて下さいませ。……自分ではどうしようもなかったのです。あの目を見ると頭がぼうっとしてきて……自分が自分でなくなっていって……とても怖かったです」
「なに?」
「殿下はあの男爵令嬢とまともに話した事はありませんか? あの目を見てあの甘ったるい声を聞いていると、最初はおかしな主張だと思っていても、何故だかそれが正解のような……自分の方が間違っているような気がしてくるのです」
「………続けろ」
「混乱しましたが、そのうちにマギオンやドリーも同意してくれるようになったので、それでいいのだと思うようになりました。……でもどこか違和感があって、自分の意見を口にしている最中でも、頭の中では違うと訴えるモノがいて……自分の中に二人の人格があるような、他者に身体を乗っ取られているような気味の悪い感覚がずっとあって……殿下のお側に行かなければならないと思うのに、男爵令嬢に話しかけられるとすっかり忘れてしまって……それを夜、ベッドに入る時になって思い出すのです。本当に恐ろしい毎日でした」
マナミリュ殿下は険しい表情になり、周囲もしんと静まり返っていた。食堂にいる全員が固唾を吞んで彼の言葉を聞いている。
「そこからどう抜け出したのだ?」
「先日のミナミ嬢の言葉です。隣国トマリーナからの留学生に対しての男爵令嬢の傍若無人な振る舞い、あまりにも無礼な態度。……うちの領地は農業に向かない痩せた土地ですが隣国と国境を接していて、トマリーナ国との貿易で潤ってきた家なのです。あの国との国交が途絶えれば我が家は容易く潰れてしまいます。領民もただでは済みません」
「なるほど」
「ミナミ嬢の強い言葉で大きく揺さぶられました。何とか取り巻きの中から抜け出し、なりふり構わず婚約者であるリュンデ嬢に助けを求めました。自分がまともでいられる時間が限られるので必死でした」
「……………」
「しばらく学校を休んで、寮からも出て実家に帰りました。そこで徹底的に身体を調べて貰いましたが何も出てきません。薬を盛られた形跡はないし、精神干渉を受けた痕跡もない。健康そのものだそうです。両親も不思議がっていました」
「王宮でも調べたが何の異常もないと言われたな」
「はい。結果は変わりませんでした。でも自分には分かります。明らかに何かに操られているような感覚があるのです。原因は分かりませんが」
「操られる……」
「学校に復帰する時は慎重になりました。あの男爵令嬢には近寄らず、リュンデ嬢と一緒にいるよう徹底しました。……それでも何かに引き寄せられるような感覚がずっと抜けなくて、気も抜くとふらふらと向かってしまいそうで、その度にリュンデ嬢に手間をかけさせてしまいました。謝罪が遅くなって申し訳ございません」
「……その感覚は抜けたのか?」
「完全ではない気がしますが、大分ましになりました。マギオンやドリーも避けて行動しております。でも彼等も私と同じかもしれません」
「他の側近候補達も操られていると?」
「可能性は高いです。自分の意志で男爵令嬢と一緒にいる者が何人いるのか。もしかしたら一人もいない可能性もあります。私のように、表面上は分からなくても心の中で戦っている者もいるでしょう」
「ふむ」
マナミリュ殿下は眉間に皺を寄せながら顎を抓んだ。
リュンデ嬢が再び口を開く。
「殿下、私とこの男は生まれる前から婚約話が出ていた間柄。幼い頃から頻繁に顔を合わせてきた幼馴染みなので、その気性は熟知しております。こんな複雑な嘘を吐く男ではないと断言します。嘘を吐く時はバレバレなので」
「そうだな。単純明快で、リュンデ嬢一筋の男だった」
「ええ」
少し口元を緩めたリュンデ嬢は、自分の元に婚約者が戻って来たのが嬉しいのだろう。穏やかな顔付きになった。
「リュンデ嬢、これからもトーヤが男爵令嬢に近寄らないように出来るか?」
「授業の関係もあるのでわたくし一人では厳しいですが、周囲の方々のご協力があれば何とかなるかと」
だからこの場で話をしたのか、とレオンは納得する。
この場にいるのは全員高位貴族。王族に頼まれれば拒否できない。むしろ男爵令嬢を忌々しく思っている女子生徒なら進んで協力するだろう。
それに未だに男爵令嬢の取り巻きをしている男達にも婚約者はいる。彼女達の為にも取り巻きから逃れる先例を作っておきたいところだ。
「マージュ嬢、アリス嬢、キスリーン嬢、君たちは今の話を信じられるか?」
マナミリュ殿下に名指しされた令嬢達が一歩前に出て来た。
ミナミ嬢から事前に話が通っていたのか、彼女達に驚いた様子は見られない。全員固い表情だが、代表して一人の令嬢が口を開いた。
「おそれながら、わたくしの場合は婚約者の暴言を許せる段階になく、既に婚約破棄の手続きに入っております。しかしリュンデ嬢に協力するのは別の話。喜んであの男爵令嬢の妨害を致しましょう」
「「わたくし達も同意します」」
「そうか。婚約破棄については陛下のご意向もあるので私には何も出来ないが、協力してくれるならありがたい。君たちに感謝する」
「「お任せ下さいませ」」
力強い彼女達の言葉に、その場の空気が変わったのを感じた。
ミナミ嬢とリュンデ嬢を中心に、女子生徒が集まる。
トーヤという男もマナミリュ殿下に一礼してから、そこへ合流した。男爵令嬢について詳しい情報を持っているので情報共有しなくてはならないのだろう。
「レオン、今のような不思議な話を貴国で聞いた事はあるかな?」
マナミリュ殿下が声を潜めて問うと、レオンは首を横に振った。
「いや。過去に『魅了』と『洗脳』を悪用した貴族はいたが、いずれもすぐに露見して逮捕された。人の人格が変わるという現象は、どうしても目立つので」
「そうだよな……」
マナミリュ殿下は意を決したように口を開く。
「実は先ほどの話、私も体感したのだ」
「えっ」
「初対面の男爵令嬢に間近に迫られて目を見詰められた瞬間、頭の中がぐにゃりと歪んだ感覚がした。不味いと本能的に身体が動いて、すぐに離れた。精神攻撃を受けたと直感した」
レオンはぎょっとした。
「まさか殿下にまで……?」
「ああ。だから先ほどの話、恐怖する気持ち、とてもよく分かるんだ。それがあったから私はあの男爵令嬢を避けて来た。特に目を合わせてはいけない。……ミナミ嬢にもそれを打ち明けて注意を促したが、どうやら女子生徒には効果がないようだ」
「そうだったのか」
「だから側近候補達が王宮の専門家に何の干渉も受けてないと判断された時、自分を襲った違和感は勘違いだったのかと思った。……しかし先ほどのトーヤの話、やはりあの時の感覚は間違っていなかったようだ」
「そうだな。どうやって誤魔化しているのか分からないが、何らかの方法で精神に干渉しているのは間違いないだろう」
レオンはサールの耳元に顔を寄せて囁いた。
「精神干渉を和らげる薬草を調合出来ないかな?」
「ええと……ちょっと待って下さい」
サールは目を閉じて集中してみた。こういう時はどうやればいいのか『勘』が教えてくれる。
しかしサールは「駄目です」と眉を下げた。
「薬が原因でおかしくなっているなら、それを打ち消す薬を調合できますが……今回は違うようです」
「そうか。無理か……」
「もっと大きな何かが動いているような……地道に男爵令嬢を避け続ける……というのが一番効果的……のような『気がします』」
「そうか。分かった」
レオンはマナミリュ殿下に向き直る。
「殿下、接触を持たないのが最善の策のようだ。これからもその手でいこう」
「はい。そういえばあの男爵令嬢は、ミナミ嬢と一緒にいる時は近寄って来ないのだ。いつも私が一人になるのを見計らって突撃してきたように思える。女子生徒に精神干渉が効かないのと関係あるのだろうか」
「あるかもしれないね」
ともかく対策はこれまで通り。
マナミリュ殿下の友人が一人、こちら側に戻って来た。これは大きな変化だ。
側近候補達は強い洗脳状態で手後れに見えたが、実はそうでもないかもしれない。まだ間に合う。
レオンはマナミリュ殿下から渡された報告書を寮に持ち帰り、じっくりと目を通した。
実験するまでもなく、想像していた事が当たっていると思われて溜め息を吐いた。




