暴挙
ピンク頭の男爵令嬢から逃れた一行は、とりあえず王族しか使えない部屋に逃げ込んだ。
身分制度がある世界の学校の施設は、身分によって明確に分けられている。
高位貴族だけが利用できる食堂、サロン、休憩室、ガゼボもある。侍従を連れて来るのを許可されている生徒は、管理棟に個室を与えられている。休憩時間や休講になった時、そこでお茶を飲むのだ。
管理棟の最上階は王族専用のプライベート区画で、その境目には常時警備員が立っている。
以前は側近候補達の通行を許可していたが、今は無効になっている。いま通れるのはマナミリュ殿下と、婚約者のミナミ嬢だけだ。
その最上階の部屋に落ち着くと、マナミリュ殿下は申し訳ないと謝罪した。
「いえ。あの者の無礼に関して、マナミリュ殿下やこの国の方を責めるのは酷でしょう。ご安心下さい。責任を問うような事はしませんので」
「……寛大なお心遣い、ありがとうございます」
「それよりも気になった事があります」
「あの者に関してですか?」
「はい。イケメン……と聞こえた気がします。こちらではそういう言い回しをするのでしょうか?」
「いいえ。あの者だけです。あれはたまに意味不明な言葉を使うそうです。一人になった時にブツブツと……。よく聞き取れない時もあるそうで、報告書にそう書いてありました」
「そうですか……」
レオンは何か言いたげにサールの顔を見詰めたが、サールはきょとんとしている。
レオンはしばらく考え込んだ。
マナミリュ殿下はソファに座り、頭を抱えた。
「まさかレオン殿下を遠目に見ただけで、あのような暴挙に出るとは思いませんでした」
「でも入学初日に殿下にぶつかろうとしたんですよね? 常習ですか?」
「一体、何を考えているのでしょう。男爵家が丸ごと消滅するほどの暴挙なのに……」
「馬鹿なんですね」
思わずといった感じでモルフが呟く。
普段、マナミリュ殿下とレオンの会話に口を挟むような真似はしないが、憤りを抑え切れなかったようだ。モルフは無礼な令嬢に怒っていた。
「猪のようだったな!」
レオンが笑い飛ばすと、モルフの険しい表情がふっと緩む。苦笑して軽く頭を振った。
「本当に。獣の方がマシですね。獣は食べられますから」
「ピンク色の猪は食べたくないな。毒がありそうだ」
皆の頭の中に、ピンク色の猪が物凄い形相で突進してくる絵が浮かぶ。ぷっと噴き出したのはサールとモルフだ。
やれやれと肩を竦めたマナミリュ殿下も、レオンの冗談に目元を緩めた。それまで悲愴モードだったのが、力が抜けて弱々しい笑みを浮かべた。
「……もういっその事、大目に見るなどと甘い事を言わずに、処罰した方がいいような気がしてきました」
「学校の風紀を取り締まるのは教師でしょう。女生徒達から多くの訴えがありそうですが、それでも動かないのですね?」
「はい。教師の意見も割れていると思われます。妙な具合にあれの味方をする者が現れるので。しかも下っ端ではなく上役ほど流されてしまう」
「う~ん、だから面倒な事になっているのですね」
マナミリュ殿下がほんの僅かな時間で窶れて見える。こういう日々の積み重ねで疲労が蓄積していったのだなと、レオンは思う。
「マナミリュ殿下、見張りの者が提出した報告書を読ませて頂けますか?」
「報告書ですか? はい。構いませんが」
「あれが一人になった時に呟いている言葉……意味が分からなくても、詳細をそのまま報告して貰いたい。可能でしょうか」
「……何かお分かりに?」
「確証はありませんが、もしかしたら何か分かるかもしれません」
「本当ですか?」
驚愕したマナミリュ殿下に、レオンは約束は出来ませんが……と前置きする。
「それと一つ実験をしてみたいのです。協力して頂けますか?」
「もちろんですっ!」
力強く頷いたマナミリュ殿下に、レオンは鷹揚に笑って見せた。
校内の探索を再開する。
途中でサールがレオンの腕を掴み、道を変えようと言った。
険しい表情のサールを見て、レオンは承諾する。
「マナミリュ殿下、こちらはどこに繋がっていますか?」
「その先は中庭です。噴水がある憩いの場ですよ」
「噴水! 是非見てみたい」
「では行きましょうか」
一行が踵を返した数分後、ガシャーンという音が響き渡った。
振り返ると大きな花瓶が割れている。上階の窓から中年の掃除婦が顔を出し、慌てていた。
「危ないなぁ」
マナミリュ殿下は大して気に留めずに、すぐに歩き出した。
レオンとモルフは視線でサールに感謝を伝える。
サールはそれに目で答えながら、やっぱり変な感じがすると心の中で呟いた。
一通り回り終えて寮に戻って来た。出迎えた執事と挨拶を交わし、部屋に入る。
マナミリュ殿下と別れて仲間だけになった途端、レオンが切り出した。
「あのピンク、もしかしたら私とサールと同じ前世持ちかもしれない」
「え? そうなのですか?」
モルフが驚き、サールとアルデも目を剥いた。
「イケメンという言葉。あの身分をものともしない無礼な振る舞い。そうだとしてもあまりにも常識外れだが、何かありそうだ」
「同じ世界で生きていた、と?」
「それは実験すればはっきりするだろう。サール、本人とニアミスしたが何か分かったか?」
サールはう~んと低く唸る。
「はっきりな事は何も。ただ若干おかしな感じはしましたね。上手く言葉に出来ませんが……」
「そうか。明日からあれを完璧に避ける事は出来そうか? 場合によっては授業に遅れても仕方ない。接触しないのを最優先とする。あれがどんな能力を使っているのか不明だから距離を置くのが一番だ」
「そうですね。やってみます」
「サールの能力頼みになって申し訳ないが、マナミリュ殿下のお力になりたいんだ」
「ええ。とても気の毒でしたね。この半年間、徐々に友人が消えていって、さぞかし寂しい想いをなさったでしょう」
「うん。彼はいい国王になると思うよ。あの公爵令嬢もかなり有能だ。あの様子では女子生徒達はミナミ嬢を中心に団結していそうだ」
「そうですね。彼女にも威厳がありましたから」
「生まれ持った血筋と気品、加えて本人の努力もあると見た。おそらく側近候補となった者達も、あのピンクが引っ掻き回すまでは優秀だったのだろう。だからあんなにマナミリュ殿下が参ってしまっている」
「しかし解せませんね」
とモルフが続ける。
「精神に作用する特性として有名なのは『魅了』と『洗脳』ですが、我が国でそれが確認された時は王宮にすぐに報告が上がります。五歳から監視下に置かれて、必要と見做されれば魔道具を装着されます。徹底して管理されるのです」
「精神干渉は恐ろしいからな。人が別人になってしまう」
「『鑑定』では見抜けない特性なのだとしたら恐ろしいですね。我が国でも同じ事が起こったら……」
「なんにせよ、情報を集めよう。具体的な対処方法を検討するのはそれからだ」
「はい」
それから全員で授業の準備と、実験の仕込みをしたのだった。




