遭遇
マナミリュ殿下が帰った夕食後。
給仕の人にも下がって貰い、四人だけで話をする。
レオンは首を捻った。
「ずいぶんおかしな話だったな」
「ええ。明らかに『洗脳』や『魅了』のような反応が出ているのに、何もないとは」
「国の鑑定人がそう判断したのだから間違いないだろう。サールはどう思う? 何か分かるか?」
急に話を振られて、サールは首を横に振る。
「学校へ行ってみないと何とも。本人を見たら何か感じるかもしれませんが」
「そうそう。サールの能力については国家機密扱いだから、絶対にバレないように」
「国家機密……」
「大袈裟じゃないからな。欲しがる権力者は山ほどいる」
「そ、そうですか」
「でもサールの例もある。『鑑定』を欺く『隠蔽』を持っているのかもしれん」
「その可能性は私も考えました」
モルフが同意すると、レオンは深く頷いた。
「でもそれは可能性が低いだろう。仮に男爵令嬢が『魅了』『千里眼』『隠蔽』を持っていたとして、側近候補達が操られているとする。鑑定すれば『状態異常』と出る。鑑定は特性を見極めるだけのものではないからな」
「そうですね」
「状態異常がバレないように側近候補達がみんな『隠蔽』を持っているとは考えにくいし。その男爵令嬢は鑑定済みかな? 特に言及がなかったところを見ると『魅了』などの精神に影響を及ぼす特性は持っていないようだ」
「むしろ持っていた方が話は早いですよね。鑑定して『魅了』があれば、それを高位貴族の子息に使った罪で捕縛できます」
「そうなんだよな。でもそうじゃないから打つ手がないんだろう」
「難しいですね。謎のままなのが気持ち悪い」
「まあ、我々は隣国の伯爵子息。中途半端な時期からの受講なので二年生という事になっている。……マナミリュ殿下と側近候補達は最上級生。同じ専門課程の授業を選択しても、学年が違えば参加する授業も違う。おそらく直接関係する事はないだろう」
「男爵令嬢も今年の新入生なら学年が違いますよね? それなのにそこまでの影響が?」
「おそらく手当たり次第、別の校舎に押しかけているのだろう。非常識の塊のような令嬢だから」
「うわぁ」
モルフがどん引いた顔をすれば、レオンは楽しげに笑った。
「ともかく、私達はその男爵令嬢に極力近付かないことだ。こっそり様子を窺うだけにしておこう。何が起こるか分からないからな」
「ええ。そんな気色悪いものは徹底的に排除です」
断固としたモルフの宣言は、初日から覆される事になった。
年度の途中からの留学生という事で、授業が始まる前にマナミリュ殿下が校内を案内してくれる事になった。
隣国トマリーナはこの国アッグレからすれば大切な取引相手である。様々な物資を輸入し、輸出している。
この国は隣国に恵まれず、好戦的な敵対国に囲まれている。今はどことも争っていないが、いつ何が起こって戦争に発展してもおかしくない状況だ。
友好な関係を維持しなければならない国からの留学生は、丁重に扱わなければならない。そういう情報は他の生徒も知っている。
王太子が伯爵家の子息を丁重にもてなす事はまずないが、トマリーナ国となると話は別だ。
それだけその伯爵家は力を持っているのだろう、この国との取引に密接に関わっている貴族なのだろうと、勝手に邪推してくれる。
とりあえずレオン一行はマナミリュ殿下と同行して、校内の雰囲気を感じてみる事になった。
授業は週明けから始まる。
マナミリュ殿下はほとんどの単位を取得済みなので自由が利くらしい。卒業まであと半年なので、相当優秀なのだろう。
「おはようございます、レオン殿下。よく眠れましたか?」
「はい。寝心地は最高です。……でも殿下と敬語はやめて下さい。私は伯爵子息なので。レオンとお呼び下さい」
「そうですね、失礼しました。気をつけます」
王族寮まで迎えに来たマナミリュ殿下と共に、歩いて広い校内を移動する。庭が物凄く広いので、移動だけで時間を取られる。
生徒達はみんな自分の教室へ足早に向かっているが、見慣れない学生四人が王太子と一緒に歩いているのを見て、何人か足を止めている。しかも王太子が丁寧な扱いをしているのが見て取れる。
注目を集めるのは仕方ないだろう。
そこへ一人の女子生徒が静かに歩み寄って来た。少し前で立ち止まり、軽く頭を下げた。
「ああミナミ嬢、ちょうどよかった。……レオン紹介します。彼女が私の婚約者、ミナミ・ベルメンテ公爵令嬢です。……そしてミナミ嬢、こちらが隣国トマリーナからの留学生、レオン殿とサール殿だ」
「お話は伺っております。どうぞよろしく」
「こちらこそご丁寧にありがとうございます。お世話になります」
レオンが簡易的な礼を返すと、ミナミ嬢も同じように簡易的な礼を返してくる。
彼女は微笑んでいて、その所作が優雅だった。何となくだが頭がよさそうな聡明な印象を受けた。
彼女が次期王妃なら安泰だなと感心していると、突然、周囲が騒がしくなった。
振り返れば、男子生徒の集団を引き連れたピンク頭の女子生徒がどたどたと騒々しい音を立てながら駆け足で近寄って来る。
マナミリュ殿下とミナミ嬢がさっと顔色を変えて、レオン達を先へと促した。
足早に建物の中に入ると、後ろから叫ぶ声が聞こえる。
「ちょっと! そこの金髪の人!」
「うわっ」
「なにっ?!」
「ソフィル・メイア男爵令嬢、お静かになさい!」
廊下の真ん中でミナミ嬢が振り返り、男爵令嬢ご一行を止めた。狭い廊下で仁王立ちしたミナミ嬢は実際よりも大きく見える。気迫が違うのだ。
側近候補達も公爵令嬢を力づくで押し退ける訳にもいかないので、自然と足を止めた。男爵令嬢は地団駄を踏んでいる。
「ちょっと! 邪魔しないでよ!」
「おだまりなさい!」
ミナミ嬢が足止めしてくれたその隙に、マナミリュ殿下がレオン達を逃がす。
公爵令嬢など視界にも入れていない男爵令嬢は、王太子に先導されながら遠ざかるレオン一行を背伸びしながら凝視していた。
「あんな奇麗な金髪の人、この学校にいた? 遠目だったけど凄いイケメンだったような気がする!」
「ミナミ嬢、さっきの生徒は誰なんだ? 殿下がわざわざ案内をなさっているのか?」
側近候補の一人が尋ねると、ミナミ嬢は事実だけを端的に答えた。
「隣国トマリーナからの留学生です。彼等の事は陛下直々に頼まれております。決して失礼のないように固くお願いします。外交問題になりますよ」
「……っ!」
「陛下直々に……?」
「特にソフィル男爵令嬢! あなたは決して彼等に近づかないで頂きたい」
「ええ~っ、差別だわ! イジメだわ~! ワタシが可愛いからって、そうやっていつも皆で意地悪するんだから~!」
「ミナミ嬢、あからさまな差別発言は問題だと思うが」
「では真面目に考えて下さいな。あなたはトマリーナ国の客人を怒らせた場合、最悪戦争になると思わないのかしら?」
「戦争などと大袈裟な……」
「大袈裟ですか? 学生とはいえ客人に向かって『そこの金髪の人!』と大声を張り上げるのですよ? 無礼にならないと、本気でそう思うのですか?」
「う……っ……」
「他の方々もよくよくお考えになって、正しい振る舞いを心掛けて下さいませ。我が国の貴族だけならまだしも、隣国の、特にトマリーナ国の留学生なのです。さすがに慎重になる理由は分かりますよね?」
「うっ……!」
「トマリーナ国か……」
先ほどの男爵令嬢の発言を思い出して、何人かが青ざめる。
客人扱いの留学生を『そこの金髪』呼ばわりした上に、不躾にも大声を張り上げて呼び止めたのだ。不敬にもほどがある。
「マナミリュ殿下のお傍を離れ、その令嬢に張り付くのを選んだ貴方たち。自分が何をしているのか本当に分かっているのですか? 自らを顧みる事をしないのでしょうか」
「ミナミ嬢、それはあなた方が身分の低い令嬢を虐げるからでしょう」
「そうです。か弱い女性を束になって虐めるなど、いくら親の身分が高くても見苦しい振る舞いです」
「まあ、わたくし達はわざわざ無礼な令嬢を構いに、新入生の校舎に行ったりしないのですがねぇ? 何度もこのやりとりをしましたが、そうですか。変わりませんか。ではどうぞご自由に。もう何も申しません。……ですがその男爵令嬢に張り付くのなら、留学生に近付かないよう見張っておいて下さいな。そのくらいは役に立って貰わないと困りますわ」
「……っ!」
「ミナミ嬢……」
「決して大袈裟ではありません。そこのところをよく弁えて下さいね」
公爵令嬢が踵を返すと、男爵令嬢はそれを追い越して廊下の端までドタドタと走り抜けた。キョロキョロと辺りを見回し、完全に見失ったと知ると歯噛みした。
「ワタシが可愛いからって酷いわ……」
わざとらしくしくしく泣く素振りを見せる男爵令嬢を、側近候補達が我先にと慰め出す。
ミナミ嬢はそれを冷めた目で一瞥すると、さっさと立ち去った。




