薬師
家を追い出されたサールが向かったのは、知り合いの薬屋だ。
薬草採取の時に何度も遭遇し、次第に言葉を交わすようになり親しくなった薬師の男性。最初はなぜ貴族の坊ちゃんが冒険者をと驚かれたが、いずれ家を追い出されるからと打ち明けたら色々助けてくれるようになった。
「サール、どうしたんだ、こんな遅い時間に」
店主のタイムンが驚きながら招き入れてくれる。家を追い出されたと話すと、一瞬辛そうな表情をした。
「そうか。では前に話していた通り、あの採取小屋に住めばいいよ。薬草採取するには便利な場所にあるから」
「ありがとうございます」
「いや、そのくらいさせておくれ。君には大恩があるのだから」
以前、タイムンの奥さんが寝たきりになった時に、サールは症状を聞いて薬草を調合した。
サールは医者ではないので診断は下せないが、消化器官の機能が低下しているような気がしたので、カラナムという薬草とアマという果実の皮の干した物、お茶の原料として一般的なニーラを細かく砕いて混ぜた。その原料も比率もサールが何となくで作った物だ。
タイムンも薬師なので知識はあるが、自分の知識で作った胃腸薬は効かなかった。
平民に出回る一般的な薬の効能では効かないほど、病状が進んでいたようだ。町医者にも匙を投げられてしまった。
日に日に憔悴していき水しか口に出来なくなった妻を前に、タイムンは為す術なく項垂れていた。このまま儚くなるかもと覚悟を決めた。
そこへサールが「これを飲ませてみて」と粉薬を持って来たのだ。
薬の原料を聞いたタイムンは、初めて聞く変わった調合に首を捻ったが、他に打つ手がないのですぐに飲ませた。
すると驚く事に、妻は見る見るうちに回復していき、今では何の後遺症もなくピンピンしている。
タイムン夫妻がサールに、言葉に尽くせないはど感謝したのは言うまでもない。まだ幼い子供たちも、母親を失う事なく元気になって喜んでいた。
薬師のタイムンでさえ初耳の胃腸薬の配合をどこで知ったのか。珍しい調合をどこで聞いたのか尋ねたが、サールの答えは「何となくで作った」という完全自己流の、薬と呼ぶのも憚られるものだった。
それでも妻が回復したのは間違いない。
タイムンはそれ以来、サールに色々と便宜を図ってきた。摘んできた薬草を買い取る時に色をつけたり、雨続きで採取に行けない時は調合を頼んで対価を払ったりした。
サールには『運』という特性があるので、稀な薬草を手に入れられる事も多かった。だからタイムンにとってもサールと仲良くするのは利のある関係だったと言える。
家を追い出されたサールは、他に行く当てのなかったのでタイムンを頼る事にした。
冒険者として活動を始めてもう何年にもなるので、ある程度お金も貯まっているし、母が遺してくれたお金もあった。長居するつもりはなかったので、しばらく甘えさせてもらう事にした。
王都の郊外にある採取小屋には、以前から薬草採取の時に着る衣類や道具を置かせて貰っていた。
とりあえずその日は、タイムンの奥さんに泊まっていけと勧められたので好意に甘えた。
翌朝には小屋に移動し、冒険者として本格的に活動を始めた。
希少性の高い薬草は高く売れる。サールはあっという間にまとまったお金を稼ぐことが出来た。一人で生きていくには充分な額だ。
現金を持ち歩くのは危険なので、冒険者ギルドに預けてある。冒険者ギルドは全国のどこにでもあるので、王都から出ても別の町の冒険者ギルドで引き出す事が出来る。
今後どうしようか。このまま王都で暮らすのか。家を借りるのか。思い切って旅に出てみるのか。
サールは悩んでいた。
王都の外壁の外で香草を摘んでいる途中、休憩をした。木陰に腰を下ろし、水を飲みながら手軽に抓めるビスケットを囓っていた。
するとその時、強めの風が吹いてきた。少し遠くに馬車が通る広めの道が見えていて、周囲には膝丈の雑草が密生している。
風は乱気流を起こし、煽られた草が右へ左へと傾いている。どこでもよく見る光景なのに、茎の先端に幾つもの細かな実をつけている草を見た時、天啓のように脳裏に画像が降ってきた。
思わず立ち上がって叫んだ。
「《おにぎり》! 食べたい!」
サールは《おにぎり》という物を知らなかった。もちろん食べた事もないし、聞いた事もない。
それなのに脳裏には明確に《おにぎり》の画像が浮かんでいて、それが食べ物だと分かった。
真っ白で三角の形をしていて、小さなつぶつぶを固めた形状をしている。若干水分があるのか、表面は艶々で光っているようにも見える。
それが二つ並べて置いてある画像は消える事なく鮮明なままで、無意識に口内に唾液が溢れ出てきた。無性に食べたくて仕方ない。
なんだこの衝動は。とても抑えられない。
サールは急いで片付けて、その場を後にした。
タイムンの元へ行き「旅に出る」と告げたのだった。




