その後
ハーメルは自分の屋敷の温室で、自ら育てている薬草の手入れをしていた。
伯爵家は息子が継いでいるので、ようやくゆっくり出来る。本来ならもっと早く王宮薬師を引退していたのだが、第一王子の件があってずっと忙しく奔走していた。
でもそれも無事に果たせて大満足、感無量だ。自分の屋敷で好きな植物を愛でながら、日々を過ごす。
しかしずっと忙しく動き回っていた反動か、この生活が物足りなくなってきた。
最初はよかったのだが何日も予定がなく、自分の好きな事だけに集中し、特に何も起こらない毎日をひたすら繰り返す。さすがに飽きてきた。贅沢な悩みだ。
「困ったものだのう」
ひっそりと独り言を呟いていたら、使用人が来て来客を告げに来た。
「はて? 誰だろう」
訝しみながら本館の応接間へ向かえば、そこにいたのは満面に笑みを浮かべる第一王子だった。朗らかに手を振っている。
「ハーメル、久しぶり」
「殿下……」
思いがけない客人に、ハーメルの目は丸くなる。
見れば最小限の従者しか連れておらず、思わず溜め息が漏れた。
「お忍びですかな?」
「ああ。突然すまない。ハーメルにちょっとした提案があってな」
「提案? この老いぼれにですか?」
「うん。サールがな、面白い薬草を見つけたんだ」
サールとは第一王子の命の恩人の、あの少年だ。ハーメルは俄然興味を引かれた。
「面白いとは、未発見の物ですか?」
「いや、国中のどこにでも生えている雑草のようなんだが、研究すれば育毛剤が作れそうだと言い出して」
「育毛剤……」
「サールの『勘』でそう言うんだ。最近、頭頂部が気になる父がそれを聞いて、最優先で研究しろと言い出した。研究費を提供すると申し出てきた貴族も多くてな。一人でも多くの薬師が必要になったんだ。ハーメルは興味ないか?」
「……それはいくらお金を出しても買いたいと言う貴族が山ほどいるでしょう」
幸いハーメルはふさふさだが、古い友人にはつるつるになっている者もいる。頭を気にしている学校長なら目の色を変える情報だろう。
「うん。サールは訳あって直接関われないから時間がかかるだろうけど、気が向いたら元の職場を訪ねてくれ」
「承知しましたが、わざわざそれを伝えに殿下自らいらしたのですか?」
「お礼をね、ちゃんとしてなかったと思って。私がしっかりと回復する頃にはハーメルはもう出仕しなくなっていたし」
「お礼……」
虚を突かれたハーメルを前に、第一王子は居住まいを正した。改めてしっかりと頭を下げる。
「私がこうして生きていられるのは、ハーメルが職務を越えて尽力してくれたお陰だ。私の為に諦めずに薬を調達してくれて、本当にありがとう」
「そんなっ、殿下、面を上げて下さい」
にっこり笑う第一王子に、ハーメルは眉を下げる。
「この為にあえて少人数で……」
「うん。王子である前に、人としてお礼を言いたかったんだ。人目を気にせずにね」
「お心遣い、ありがとうございます」
苦笑したハーメルは改めて思った。
こういう人だから救いたかったのだと。諦めずに奔走してよかったと、過去の自分に最大の賛辞を送った。
◆
再び王宮で過ごすようになってから、サールは第一王子に誘われた。
「私と一緒に隣国に留学しないか?」
あまりに唐突な誘いだったので、サールは面食らう。
第一王子が説明する。
「実は少し前から考えていたのだ。私はこの国の為に何が出来るのだろうと。顔を知られていない利点を活かして密偵のような真似も出来ると思ったが、それは父に禁止されてしまった」
「……でしょうね」
当然だと、サールは半分呆れながら頷く。
「それにこの間の大規模な摘発で、悪巧みする貴族も警戒してしばらくは大人しいだろう。……父や母は私にやりたい事はないのかとお尋ねになる。そこで思った。私はまだまだ学ばなければならない事が多い。高等部を卒業する年齢ではあるが、学校へ通ってみたい」
「学校……ですか」
「教師にここに来て貰って勉強はしているが、それでは対人スキルを学べない。王族が貴族との関わり方を知らない、苦手、無知では困る。顔バレしていないのを利用して影で動くとしても数年間しかないだろうから、いずれ社交もしなくてはならない。……しかしこの国の学校に通うのは避けたい。王太子である弟が通っているので邪魔をしたくない」
「なるほど」
確かに今になってから第一王子が通うとなると、生徒達が騒然となるだろう。
親に唆されて、悪さをする貴族子息も出てきそうだ。兄弟仲をわざと悪化させるのように仕向けるのも、集団でかかれば不可能ではないかもしれない。
言ってない事を言ったと嘘をついたり、やってない事をやったと言ったり。サールはそれで散々な目に遭ってきた被害者だ。同調圧力というものの面倒さは身に染みて知っている。
「隣国アッグレの王太子は私の一つ下で、一度だけ会った事がある。本当に幼い時、親睦目的の使節団に同行されたのだ。その時に一緒に遊んだ。私はよその子供と遊んだ事が一度しかないから、よく覚えているんだ」
「そうなのですか」
「この間、手紙を貰った。私の病気が完治したと聞いたらしい。また会いたいと書いてあって……そこで閃いたのだ。隣国に留学しようかと」
「なるほど」
「父の許可は条件つきで頂けた。その条件がサールと一緒なら、というものなんだ」
サールの目が大きくなった。
「僕と一緒なら?」
「うん。サールの特性は危機回避能力が高い。傍にいれば私も守られる。危機が来る前に避けられる。剣の腕がなくても物凄く優秀な護衛なんだよ。隣にいるだけでね」
「それは……可能ですね」
サールの嫌な予感は確実に当たる。それを活かせば第一王子を守れる。
「私の身分は明かさず、貴族子息として留学するつもりだ。隣国の王太子にもそう取り計らって貰えるよう頼む。……サールは学校に興味はないかな? 愚かな教師に不当に落第を言い渡されて、不本意ながら退学したのだろう?」
「あ、薬学を学びたい気持ちはあります」
「では了承して貰えるだろうか」
「はいっ」
サールは何となくで薬を作れてしまうが、基礎知識はあった方がいい。作れる物の幅が広がる。
了承を得た第一王子はほっとした。
「サールにもモルフにもアルデにも仮の身分を作ろうと思う。伯爵子息が妥当かな。二組の兄弟か従兄弟にしようか。その方が一緒に行動しても怪しまれないだろう」
既に話が通っているのか、モルフは涼しい顔で控えている。
アルデは少し驚いていたが、口を挟む事はなかった。
「あちらでは友人として気安く接して貰いたい。特にモルフ、お前が一番危ない」
「…………………心得ております。向こうに行く頃にはタメ口を会得してみせますよ。ええ、お任せ下さい」
不承不承という風にモルフが答えると、第一王子は「頼んだぞ」と笑った。
「友人として……」
サールは少し戸惑ったように目を泳がせた。
「どうした?」
「殿下と友人として親しくだなんて、恐れ多いですけど」
「う~ん、身分はこの際、忘れて欲しい。サールとは本物の友人でありたいんだ」
「……え?」
「王子にも友人が一人くらいいてもいいだろう? モルフはもうブラウより近くて兄弟みたいだし、私はもうサールを友達だと思っている。嫌かな?」
「そんな、とんでもない」
ぶるぶると首を振ったサールは、はにかむように微笑んだ。
「とても光栄です。僕なんか……。でもなんか嬉しいような、気恥ずかしいような……くすぐったいような……」
サールは学校に通っていたが孤独だった。まさか自分に心を許せる友が現れると思っていなかったが、いま目の前にいる。そして彼の方もサールを友人と言ってくれた。
国王を始め、ここの人達はみんなサールに優しい。第一王子の命の恩人という事もあるだろうが、皆の好意で王子の傍にいる事を許されて、また共に過ごせるようになって嬉しい。
そういうサールの胸の内を聞いた第一王子も照れ臭そうに笑った。
うふふ、あははと笑う二人を、モルフとアルデも微笑ましく見守った。
心を許せる友人に出会えるのは幸運だと、サールは思う。
母からこの血筋は呪われていて短命だと聞かされた。思いがけずに特性を授かって、呪いはもう効力を失ったと感じている。特性の『運』が呪いを凌駕したと、そう信じたい。
許される限り、第一王子の隣にいる。それが今のサールの望みだ。
いつか、もう不要だと追い払われるかもしれないが、それまではこの幸運な日々を楽しみたいと思うサールだった。
第一部はこれで完結です。
第二部留学編は不定期更新です。ストックもなくなったのでゆったりと更新していきます。
ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。




