お出掛け1
いつまでも落ち込んでいられない。
分かっているけれど……。
部屋に閉じ篭もっては周りを心配させてしまうので、第一王子は何とか日課をこなしていた。
午前中はシーラと体力づくり。
午後は日替わりで教師を派遣して貰う。
病を患っていた時も調子のいい時は教師に様々な事を教わっていたが、学校へ通っていた訳ではないので遅れている。
今は礼儀作法の復習と、貴族名鑑の再学習をしているところだ。削除された家名がたくさんあるので覚え直しをしている。機会があれば顔と名前を一致させたい。
モルフと一緒になって貴族の家名と血統の繋がりを確認していると、急ぎの使者がやって来た。
入口まで行って用件を聞いたモルフは、顔色を変えて戻って来た。
「殿下! 出掛けますよ!」
「え?」
「馬車を出します! 護衛は兄に……」
そこでモルフは振り返ると、使者に向けて言った。
「うちの者ならシーラ兄上の職場も分かるな? よしっ! いなかったらその辺にいる騎士を捕まえて来てくれ! 出来るだけ早く頼む!」
「畏まりました」
「モルフ?」
「さあ、急ぎますよ!」
何だかわからないまま急かされて、第一王子は王子宮の玄関まで来た。
何事かとやって来た執事に、モルフが何やら耳打ちしている。執事は心得たように頷くと、使用人に指示を出して馬車を用意させた。
「今回は家紋のないお忍び用の物がいいでしょう」
「急がせてすみません」
「いえ。殿下の御為ですから」
「モルフ? そろそろ事情を……」
その時、伝言を受けたモルフの兄シーラが、数名の同僚騎士を伴って駆けつけた。
「意外に早かったな!」
「ええ! さあ、乗って下さい! 早く!」
「ええ~?」
第一王子は困惑したまま、馬車に乗り込んだ。護衛騎士は馬で同行するようで、中に一緒に乗り込んだのはモルフだけだ。
王宮内でも宮から宮への移動は馬車を使うので馬車に乗るのは初めてではないが、長く走った経験がないので揺れが気持ち悪い。急いでいるせいで揺れが激しくなっている。
それでも王子用の物なので性能は最上級の物だ。前世の乗り物の快適さを知っているせいで、第一王子にとって
は辛くなっている。
話を聞きたいのに吐き気が込み上げてくる。壁に掴まり口を押さえていると、モルフが背中をさすってくれた。
「うちの屋敷までなので、すぐですよ。少しの辛抱です」
モルフの家? キャラグ侯爵家?
言葉通り、馬車に揺られたのは短時間だった。気付くと馬車は停まっていて、モルフが降りろと促してくる。
言われるまま外に出た第一王子が見たのは、屋敷の玄関ホールで大きな桶を前にしゃがんでいるサールの姿だった。
「あれ~? 殿下? 本物?」
「サール……?」
愕然とした第一王子は棒立ちになる。
「さっき到着したばかりなのに、キャラグ家の方は仕事が早いですね」
笑顔のサールを前に、第一王子の顔がくしゃりと歪む。鼻の奥がじんとして、泣きそうになるのを何とか堪えた。
「サール、どうしてここに……」
「あ、殿下! これを見て下さい! 立派な蛸ですよ! 港町では捨てられているって! 見た目が気持ち悪いからって! でもこれは美味いと直感したんです! 殿下の顔が浮かびました! だから殿下に見せようと思って生きたまま運んで来たんです!」
巨大な蛸を両手で掲げながら、サールは満面に笑みを浮かべている。第一王子に嬉しそうに見せてきた。
「蛸………」
涙がすうっと引っ込んだ。
「「うげっ」」
うねうねと蠢く八本の足に、モルフとシーラ、護衛やこの屋敷の執事などは奇妙な呻き声を上げて後退ったが、第一王子は目を輝かせた。
「大きな蛸! 美味そうだな!」
「でしょう?」
「まだ生きてるのは凄い。運ぶのは大変だっただろう」
「少し無茶を言いました」
よく見ればアルデもその場にいた。顔色が悪いのは、長期間、蛸の気味悪さに耐えていたからだろう。
周囲の空気など全く意に介さない第一王子は大喜びだ。
「蛸はやっぱりたこ焼きだな! でも今は無理だ。鉄板もないし、材料も全て揃うかどうか……。とりあえずこの蛸を食べてみよう! モルフ、厨房はどこだ?」
モルフは口を押さえながら距離を置いている。
「本当にそれを食べるつもりですか……?」
「何を言っている! 美味いんだぞ!」
「………こちらへどうぞ」
この屋敷の執事が案内をしてくれたので、第一王子と一行はついて行った。
桶に戻した蛸は移動で弱っていて、だいぶ動きが悪くなっていた。
だからサールでも手掴み出来たのだが、この大きさで本来の力で暴れられたら逃げられてしまったかもしれない。ちょうどよかったとサールは小さく呟く。
網で蓋をした桶をサールとアルデで持ちながら、第一王子の後について厨房へ向かう。
他の面々も顔を青くしながらついて行った。
厨房には料理人達が何人か休憩していたが、執事の顔を見てシャキッと立ち上がって整列した。そして続いて現れた明らかに身分の高い青年に、顔を強張らせた。
第一王子は朗らかに言う。
「休憩を邪魔してすまないな。礼は不要だ。ところで料理人達は蛸を扱った経験はあるか?」
「たこ……ですか?」
「それですか?」
料理人達も眉を顰めているのを見ると、どうやら初見らしい。
「ないようだな。ではどうしようか……塩で揉むと聞いた事があるんだが……」
「これをですか……? 素手で?」
「うえっ、気色悪い……」
「そうか。難しいようだから茹でるか! これが入る大きさの鍋で湯を沸かしてくれ」
「……畏まりました」
戸惑いながらも動き出した料理人達を見守りながら、第一王子とサールだけがわくわくしている。
他の面々は一定の距離を置いて近付いて来ない。
そんなに蛸が不気味なんだろうか?
第一王子が首を捻っている間に湯が沸騰したので、蛸をそのままそこにぶち込んだ。
「そんなに時間は要らないと思う」
料理人には加減が分からない。
「もうよさそうです」
というサールの言葉で、料理人が蛸を引き上げる。
八本の足がくるんと丸まり、先ほどまで暗い赤紫のような色をしていたのが全体的に明るい赤に変わっていた。
茹でたてほかほかの蛸を見て、第一王子とサールだけ大はしゃぎだ。
「うわ~、どうやって食べます?」
「どうしようか。薄くスライスしてマリネ……酢? 酸っぱい調味料はあるかな?」
「あ、はい」
「じゃあ半分はマリネにしよう。出来るだけ薄くスライスして、酸っぱい調味料に浸けてくれ。スライスした野菜と一緒にしてもいいぞ。……残りは唐揚げにしよう」
「唐揚げ!」
サールには唐揚げがどういう物か分かったらしく、手を叩いて喜んだ。
「一口大に切って塩コショウ……コショウはないかな? スパイス、ピリッとする調味料はないか? あればそれと塩を軽く振りかけて、小麦粉をまぶして油で揚げてくれ。もう茹でてあるから、外側の衣がこんがり色づいたら出来上がりの合図だ」
指示が的確だったからか、料理人達は手早く作業した。生きている蛸は触るのを嫌がったが、茹でた蛸は動かないので大丈夫らしい。
人数も揃っているので、すぐに両方の料理が出来上がった。




