報告書
「モルフ、面白い報告が来たぞ」
跡取りとして父の仕事を手伝っている一番上の兄が、王子宮にあるモルフの部屋までやって来た。
「兄上」
これまでは用があればモルフが実家に呼び出されていたので、わざわざここに来た兄にモルフは驚く。
まるで自分の部屋のように勝手に寝台に座った兄は、報告書をモルフに差し出すと不敵に笑った。
「例の『末弟』の家族のその後だ」
「………………何かありましたか?」
「読んでみろ」
サールの元家族には監視をつけていた。
逮捕されて鉱山に送られた父親はともかく、義母と義姉、その夫はサールを害する恐れがあった。
彼らが、居場所の分からないサールを捜索するとは思わなかったが、何かの拍子に町でばったり出くわす事も、完全にない訳ではない。
連中は幼いサールに危害を加えてきたのだ。今、元気に暮らすサールと遭遇したら何をするか……。そうならないよう手を打つ必要があった。
「はっ……」
モルフは報告書を読んで、暗い笑みを浮かべた。
まずは義母。
実家から提案された修道院入りを断り、娘夫婦と一緒にいる事を選択したそうだ。財産も全て没収されて何も持っていないというのにだ。
娘婿の実家は引き取りを拒否する代わりに、手切れ金を支払ったらしい。その金で下町の荒れ家を借りて、とりあえず生活を始めたという。
しかし狭い部屋に三人が一緒に住んで揉めない訳がない。
これまで貴族のお屋敷で贅沢に暮らしてきた三人だ。料理どころか買い物すら経験がない。椅子に座っていれば、勝手に食べ物がテーブルに並ぶと本気で思っている。
食事は娘婿が町で買ってきて調達したようだが、金を払う訳でもなく、ただ座って文句ばかり言う母娘と喧嘩になるのは仕方ないだろう。
着る物も平民と同じ粗末な物しか手に入らない。
華やかなドレスを着てメイドや下女を見下してきた母娘は、今や町で見かける女達と同じ物を着ている。あまりにも見窄らしくて耐えられない。自尊心が黙っていない。
まともな服を用意しろと怒鳴り、また娘婿と喧嘩になる。
娘婿が妻に愛想を尽かすのは早かった。
貴族だった頃は弱い立場の者をいたぶるのが楽しくて、その楽しさを共有できる妻と意気投合していたのだが、今は母娘二人がかりで罵声を浴びせてくる。
金を出しているのは自分なのに、どうしてこんな者達を養わないといけないのか。
娘婿は面倒ごとを切り捨てて、さくっと逃げた。
置いていかれた母娘は部屋代が払えないので追い出され、路頭に迷う。食事も摂れず、ただ呆然としていたそうだ。
下町を離れて商業地区に歩き出したのは、水を求めた結果のようだ。噴水のある場所へふらふらと歩いていたらしい。
その母娘の目の前を、貴族の馬車が横切った。
華やかな宝飾店の前で止まった馬車から、子爵令嬢が降りてきた。
使用人に手を預け、ゆったりとした仕草でエスコートされている。小さな宝石の散りばめられたピンク色のドレスは、可憐な令嬢にとても似合っていた。
それを見た瞬間、義姉が獣のような咆哮を上げながら飛びかかったという。
「私の! それは私のドレス!」
錯乱して何を言っているのか分からなかったが、すぐに使用人と店の警備員に取り押さえられた。
子爵令嬢は乱暴に転ばされて足を挫いていた。
町の警備隊が呼ばれて、すぐに逮捕された。
娘を守ろうとして暴れた母親も警備隊員に怪我をさせたので、同じく逮捕。警備隊員も下級貴族出身者が多いので平民より身分が高い。
平民が貴族を襲ったというので罪は重く、母娘揃って鉱山送りになった。
父親が送られた一番過酷な鉱山よりはましな所ではあったが、そこで厳しい日々を送っているという。
幼い頃、毎日のようにサールを傷つけていた義姉は、今や鉱山で鞭打たれている。反抗的という事で、最初に目をつけられたそうだ。
母親はあまりにも辛い毎日に、壊れてしまったそうだ。まともな会話が成立せず、無言で仕事に従事している。
犯罪者が送られる鉱山なので、環境は厳しい。女性は特に酷い扱いを受けるので、大概心を壊してすぐに死んでしまう。
犯罪奴隷に人権はない。嫌なら犯罪を犯さなければいい。
鉱山に送られるのは、冤罪の可能性がない確定した者だけ。それと情状酌量の余地のない者。孤児が生きていく為に盗みを働いた、などというものは外される。
だから鉱山は厳しくて当たり前なのだ。
第一王子が大規模な奴隷解放を行ったが、例外がある。犯罪奴隷と借金奴隷だ。
どちらも自業自得だが、借金奴隷にはまだ救いがある。
借金を返せなくなった者が自分の身を売って返すのだが、借金奴隷の働く現場は鉱山とは限らない。
反抗出来ないよう魔道具を首につけられて、得意分野の仕事に従事するのがほとんどだ。手に職のない者が鉱山へ行く。
鉱山は一番給金がいいので、希望して真面目に働けば早く自由の身になれる。金額にもよるが、早い者は二、三年で出て行く。
借金奴隷は解放される条件が明確なのだ。それで自由の身になる者も多い。
ちなみに自分の借金のカタに妻や娘を売ろうとしたら、即捕まる。借金奴隷ではなく犯罪奴隷になる。買った方も同罪だ。
これまではそれが横行していたが、改革後は厳罰になった。
だから今はそれが通用しない。自分の作った借金は自分で返さなくてはならない。
最初に別の者名義で無理矢理借金をさせようとしても、審査が厳しくなった。そこも改革後、厳罰化された。
後で「脅されて借金させられたんです」というのが露見したら、借金そのものがなくなる。
怪しい契約はとことん審査される。だから貸す方が慎重になったのだ。
そして娘婿は借金奴隷に身を落としていた。
母娘を置き去りにして逃げたはいいが、資金が充分にある訳ではない。
とりあえず働こうと冒険者ギルドを訪れたが、下手に腕に覚えがあるものだから依頼を選り好みした。
自分は侯爵家の三男。騎士の家系だ。特性『腕力』もある。自分に相応しい仕事、報酬でなければ納得できない。
そんな気持ちでいるから冒険者ギルドの受付にも横柄になるし、当たり前に見下す。
今は平民なのに、その態度がおかしいと本人だけ気付かない。受付の者は相手をするのを嫌がり、まともに取り合わない。
冒険者初心者がギルドの受付を敵に回して、まともな仕事を受けられる筈がない。
それも分からずただ闇雲に、よさそうな依頼書を掲示板から剥がして、受付へ持って行った。
報酬がいいのは危険だからという基本知識がないまま、詳しい説明のないまま、一応止めた受付の声も聞かず、娘婿はその依頼の為に森の奥深くへ足を踏み入れた。
案の定、凶暴な魔物に襲われて怪我をした。
幸い命は無事だったが、完全回復は無理で一生足を引き摺る身体になった。
そうなると自慢の剣を生かせる仕事は無理で、少ない報酬の依頼しか受けられない。
その頃には金額の少ない依頼にも手を出していたが、金は見る見るうちに減っていった。
次期当主というので領地経営の勉強をしていた筈なのに、元々得意分野でなかったせいか金の管理もザルだった。
あっという間に困窮した。
そして借金をするようになり、返せなくて奴隷に落ちた。足が悪いので得意分野はないと判断されて、真っ直ぐ鉱山に送られた。
そこは犯罪奴隷の鉱山とは違い、働く者の環境が整えられている。真面目に働けば、いずれ外に出られるだろう。腐らずに真面目に働けば、だが。
その一言で報告書は終わっていた。




