溜め息
第一王子の新メニュー作りにはサールが必要だった。
第一王子に前世の記憶があるといっても、肝心の作り方を覚えていなかったり、材料を知らなかったりしたからだ。
そこでサールの出番。
サールに質問すれば、サールが覚えていない事でも記憶から掘り返されて、どうすればいいのか教えてくれた。それはサールの特性が大きく影響したようだ。
だから第一王子は次々と新しいパンメニューを作った。
クロワッサンの他にはバターロールや塩パンやベーグル、ピザやホットドック、ハンバーガー。柔らかい生地の上にビスケット生地を乗せた甘いメロンパンは好評で、特に王妃には大絶賛された。
そんな風に楽しく過ごして一段落した時、サールは第一王子に申し出た。
「そろそろ冒険者に戻ろうと思います」
「……………………え………」
愕然とした第一王子は、はにかむように笑うサールを黙って見詰め返すしか出来なかった。
「私はただの冒険者です。ご厚意で貴族籍を頂けましたが書類上だけです。王宮に留まる理由もありません」
「理由………」
「リュサのお礼は充分に頂きましたので、これでおいとまします。ありがとうございました」
「サール……」
ここにいる理由がないと言われて、第一王子は何も言えなかった。サールを勝手に友人だと思っていて、ずっと傍にいてくれると錯覚していた。
第一王子はずっしりと落ち込んだ。
引き留める口実もないまま、旅支度を終えたサールがアルデと共に出て行く。
手を振って見送った第一王子は、何とか笑顔を取り繕ったが、泣かないよう歯を食いしばるだけで精一杯だった。
「殿下、お身体の具合が悪いのですか?」
「いいや。何もやる気が起きないだけだ」
「この間まではあんなに生き生きとしてらしたのに」
「そうだな。楽しかった……」
サールが旅立ってから、第一王子はまた部屋に篭もるようになった。あれだけ意欲的に様々な物を作り出してきたのが嘘のようだ。
モルフは内心、とても焦った。
しかしサールをここに縛り付ける訳にもいかない。
サールの言葉通り、サールは第一王子の部下ではないし、好意で留まってくれていただけだ。元々、王宮に縁のない育ちだし、王宮で働こうという気もない。
貴族の子息として普通に育った者なら違っただろう。第一王子と縁づいたのを、ここぞとばかりに利用して居座ったに違いない。
しかしサールはそういう人物ではない。
むしろ金銭的な欲はほとんどなく、権力にも興味がない。彼にとって王宮は住む場所ではないのだ。
モルフも残念に思う。
サールは第一王子と対等に話が出来て、前世の話にも付き合える唯一無二の存在だ。
二人が生きていた異世界がどういう場所か、いくら説明されてもモルフにはピンとこないが、第一王子とサールは阿吽の呼吸で同じ価値観を共有しているように思えた。
その一例が身分制度への向き合い方だ。
第一王子は奴隷という存在に強く嫌悪を示し、根絶しようと無茶をした。その断固とした姿勢は、昔から第一王子を知るモルフでさえも驚くほどだった。
第一王子曰く、前世は人権意識が高い場所だったようで、弱者にも手を差し伸べる政策が当たり前のように存在していたという。
貴族制度のあるこの国で、その感覚が通用するとは思えないが、第一王子は自分の力で出来る事はやるつもりのようだ。国王になるつもりはないようだが、王子として生まれた責務は果たすという意気を感じる。
モルフは一生ついて行くつもりでお仕えしている。なので第一王子の希望を可能な限り叶えて差し上げたい。
しかしサールに関してはやれる事がほとんどない。
何故ならサールにはとても強い特性があるのだ。無理に連れ戻そうとしたら、あの特性が発動して居場所さえ掴めなくなる。遭遇すら無理になるのだ。サールの意志に反して捕らえようとしたら敵認定されてまう。それだけは避けたい。
落ち込む第一王子を心配したのはモルフだけではない。国王の名前で呼び出されてしまった。
国王の執務室へ出向き、頭を下げる。
「モルフ、レオンはどうしたのだ? またどこか具合を悪くしたのか?」
そこには王妃と第二王子も揃っていた。不安げに眉を寄せている。
モルフは「いいえ」と否定した。
「サール殿が旅立って寂しがっておられるだけです」
「あの青年か」
「はい。前世の記憶を共有する彼は、殿下にとって特別な方なので」
「ここに留まるよう要請しなかったのか?」
「殿下のいない場で打診してみたのですが断られました。サール殿は伯爵家から放逐されて自由になった時、とてつもない解放感を得たらしいのです。……どうも学校へ通っている間も貴族の子息達に嫌がらせを受けていたようで。平民だと蔑まれ続けてきた経験のせいか、貴族社会は自分の生きる世界ではないと思っておられるようでした」
「そうか……第一王子の肩書きも通用しなかったか」
「はい。無欲の方なので、どうしようもありませんでした。交渉材料がないのです。しかもとても強い特性持ちの方なので、強制しようとすれば敵認定されてしまいます。それだけは避けたかったのです」
「なるほど。稀有な特性持ちの人物はレオンの傍にいて欲しかったが……それ故に扱いも難しいのだな」
「そうなのです」
「その者に見張りをつけなかったのか?」
「王都を出る前に見失ったそうです。経験豊富な我が家の者を念の為に派遣したのですが……見張りというよりも護衛するつもりで。あの方に何かあっては殿下が悲しまれますので。ですが余計な気を回しただけでした」
「キャラグ侯爵家の護衛が見失うか。敵認定された訳ではないだろうに」
「こちらに悪意はなくとも、つけ回されるのはいい気分ではないでしょう。うちの者が悟られるようなヘマをしたとは思えませんが、何しろ強力な特性なので無意識に発動するのかもしれません。専門家にもよく分からない特性なので……」
「それはどうしようもないな」
「はい」
第一王子を心配する王族に礼をして、モルフは下がった。
部屋に戻ると第一王子は既に就寝していたが、夕食を摂らなかったのが気になった。
翌朝の朝食には、サールから聞いたお粥を作っておくよう厨房に指示を出しておく。
モルフの溜め息も止まらなかった。




