治癒
いよいよか……。
最後の時が迫っているのを感じる。最近では目覚めていられる時間が減り、ほとんど意識を手放した状態だ。
たまに侍従に起こされて、水と薬を飲まされる。効かないと分かっていても、王宮薬師は何かしないといけないのだろう。第一王子は素直に従った。
その日も寝ている時に耳元で名を呼ばれ、肩を叩かれ、上体を起こされた。
強制的に目を覚まさせられ、口にコップを宛がわれる。いつもより苦いそれを嚥下しようとして咳き込む。
「苦いですが、ゆっくりと。そう。ゆっくりで大丈夫ですよ、殿下」
ハーメルの声に促されて、間に水を挟みながら、何とか全て飲めたようだ。するとすぐに劇的な変化があった。
まず意識がクリアになった。
喉から胃腸にかけて楽になる感覚は一度だけ経験がある。今回は更に頭の先から足の爪先、手の指先、全ての内臓までじわじわと何かが染み渡っていく不思議な感覚があり、同時に全身が熱くなっていった。
「これは……?」
「殿下……っ……!」
見るからに顔色もよくなったのだろう。
目の前のハーメルの顔がくしゃりと歪み、見る見るうちに涙が込み上げてくる。グッと唇を引き締めて、袖で隠すように顔を覆った。
啜り泣きの声が部屋に響いている。
見れば侍従達が揃って床に崩れ落ちて号泣していた。笑いながら涙を流す者もいる。
ハーメルの隣で、乳兄弟のモルフが床に膝をついてむせび泣いていた。嗚咽を漏らして肩を揺らしている。
モルフがここにいる。それを理解するのに数秒かかった。
そして気付く。部屋の一番遠くに、見慣れない若者が二人立っている。服装は王宮で働く下働きが着るような簡素な物だが、どこか着慣れていない風だ。
一人は無表情で控えているが、もう一人はにこにこしてこちらを見ていた。
「あぁ、もしかして……君は……」
第一王子はベッドを下りようとしたが、足に力が入らなくてハーメルにしがみついた。思っていたより足の筋力が落ちているらしい。
「殿下、無理はいけません」
ハーメルと侍従の手によってベッドに戻される。
「彼はもしかして……」
「そうです。サール殿です。焔ドラゴンの住処からリュサを採ってくれました。命の恩人です」
「君、サールくん! 君は日本人か?」
第一王子が声を張ると、モルフに促されて二人組は近寄って来た。
サールは首を傾げている。
「にほんじん? 何ですか、それ」
「違うのか? でも《おにぎり》を知っているんだろう?」
「《おにぎり》……は、はい。美味しいですよね」
「日本人じゃないのか? ならば何故知っている?」
「さあ。突然頭に浮かんだ物なので」
「………っ?」
「殿下、落ち着いて下さい。とりあえず食事を摂りましょう。ゆっくりと体力をつけていかなければなりません。話を聞くのは後でも構わないでしょう。この者達は殿下の客人として丁重にもてなしておきますので」
「ああ……そうだな。命の恩人だ。失礼のないよう、不自由のないよう、心して頼む」
「畏まりました」
第一王子は身体を清める為に浴場へ連れて行かれた。
しかし頭の中には先ほどの彼がずっといて、気になってしょうがない。複数の侍従の手によって頭から足まで磨き上げられながら、第一王子はぐるぐる思考する。
日本人ではないのか。でも《おにぎり》を知っている。そういえばモルフは《おにぎり》を食べたと言ってなかったか? 羨ましい……自分も食べたい……。
またベッドに戻された第一王子は、モルフに頼んで枕元にサールを呼んで貰おうとした。
しかし第一王子の快癒を知った国王と王妃、第二王子が駆けつけてきたので、それは叶わなかった。
父も母も弟も、みんな喜んでくれて第一王子も笑顔になる。
そして話さなければならない事に思い至った。
「父上、母上、私の病が完治しても、王太子はブラウのままでお願いします」
「え?」
国王の顔が一瞬曇る。何か言いかけたのを止めるように、不敬を承知で第一王子はあえて遮った。
「次期国王になる身として、ブラウはこれまで研鑽を積んできました。王太子妃候補のカーリー嬢もそうです。二人はとても真面目で、高位貴族の評判もいい。どうかこのままでお願いします」
「レオン、快癒したばかりだ。今、その話は……」
「私は後継を作れないでしょう」
「え?」
「身体が大人になってから高熱を出すと、子種が消えると聞いた事があります。私はそれに該当します。おそらく私は不適格なのです」
「そんな……」
母が絶句し、父も弟も驚愕する。
「それは誰に聞いたのだ? わしも初めて聞く知識だが、誰がお前の耳に入れた?」
「誰も。私にはこの世界に生まれる前……違う世界で生きていた記憶があるのです」
「なにっ?!」
「これまで黙っていたのは信じて貰えないと思っていたからです。それに王子として生まれながら余命僅かだった。わざわざ言う必要はないと思い、秘密にしていました」
「レオン……」
「前の世界は文明が進んでいたので、様々な優れた知識があります。この世界で役立てたいと思っても、これまでは軟弱な身体がいうことを聞きませんでした。しかしこれからは違います。私はその知識で、この国に貢献したい。王子として生かされてきた恩を返したい。弟の御世の手助けをしたい。どうかその望みを叶えさせて下さい」
「レオン……」
王族にしては凡庸な容姿で努力型の第二王子と、病弱ながら整った容姿で聡明な第一王子。
昔から比べられてきたが、健康でさえあれば自分が推されていただろう。貴族だけでなく両親からもだ。
しかし第一王子には次期国王になる気はなかった。
「王太子はブラウのままでお願いします。私はこの身体が回復したら、かねてからやりたかった事に着手しようと思います。ずっと諦めてきましたが、どうかそれだけはお許し頂きたい」
第一王子の強い眼力に、国王も黙り込んだ。
「それは何かと尋ねると、長くなりそうだな」
「そうですね」
「では場を改めましょう。急ぐ案件ではないのでしょう?」
「はい。母上」
「ではまずは身体の回復を最優先に。病は消えたとはいえ、まだ普通に歩けないのですから」
「はい。頑張ります」
両親と弟が部屋を出て行き、侍従がつき従う。モルフだけ隣に残った。
「……そのような秘密があるとは、私でさえ知りませんでした」
「言ってないからな」
「にほんじん……というのは、そういう意味だったのですか。サール殿は同じ世界で生きていた人だと」
「《おにぎり》はあちらの世界にあった物だ。本人は覚えていないようだが間違いない。彼も元日本人だろう」
「だから話をしたいと熱望されるのですね」
「そうだ」
「もう一つ。かねてからやりたかった事とは何ですか?」
モルフの問いに、第一王子は不敵ににやりと笑った。
「悪者退治だ」




