93 前門の虎、後門の狼?
「何をしてるのです?」
声のする方に目を遣れば、怪訝な表情を浮かべたまま私たちを見比べているルーシー様だった。
ルーシー様は学院から急いで帰ってきたのか、顔から汗を流している。
そのせいで目尻の黒のアイラインが滲んで太くなっていた。
「あ、ルーシー様。お、おかえりなさい」
「アンナ様をお待たせしてしまいましたよね。ごめんなさい」
「いえ、そんなことはないですよ」
(このまま二人きりだと気まずかったから、よかった・・・!)
天の助けだと感じて、ダニエル様から逃げるようにルーシー様の元に走り寄る。
ルーシー様は一瞬だけ目を細めてダニエル様に視線を留めたが、すぐに私の全身をチェックし始めた。
私から少し離れて、ドレスのシルエットを確認するように何度も角度を変えて私を見つめてくる。
裾の広がりが気になったのか、そっとスカートを揺らして調整する仕草は、まさに職人のそれだった。
刺繍や縫い目の一つひとつに厳しい視線を走らせた後、ルーシー様はようやく満足したように頷いた。
「流石はアンナ様ですね!綺麗にドレスを着こなしていらっしゃる!アンナ様、とても美しいです!!」
「え、ええ、この美しいドレスのおかげです。本当にありがとうございました」
「いえいえ、やはり着ている方が美しいから・・・」
(ルーシー様が帰ってきてくれて本当によかったわ)
ルーシー様が帰ってきてくれたことで、さっきの求婚話も、もうこれで終わるだろう。
ただ、こんな私に求婚してくれたダニエル様のことを思うと、申し訳なさすぎて胸が締め付けられる。
今後、ダニエル様にどんな顔をして会えばいいのだろうか。
(どうすればいいのかしら・・・?)
前と同じように振る舞うのも変だし、だからといって急によそよそしくなるのも違う気がして、どうしていいかわからなくなる。
まずは落ち着こうと深呼吸をしようとしたが、首筋にちりちりとした視線を感じて呼吸が止まる。
その狙いすましたような視線に、まるで獲物として狙われたような気がして一気に肌が粟立った
恐る恐る振り返ると、ダニエル様がゆっくりとこちらに歩み寄ってきていた。
目尻を下げて微笑みを浮かべているが、笑顔の端に、かすかな緊張が張りつめているのが見て取れる。
ダニエル様の動きや視線には、胸をざわつかせるような不穏な気配が漂っていた。
こんなダニエル様は初めてだ。
(な、なんだか怖い・・・!)
正体のわからないものほど人を恐怖に陥れるものはないと言うが、まさしく今がその状況だ。
怯える私に気が付いたらしく、ルーシー様がダニエル様に目を遣ると同時に不思議そうに小首を傾げた。
「お兄様、そんな顔をしてどうしたのですか?」
「ああ、実は今、アンナ様にプロポーズしていたんだ」
「ええ!?」
ルーシー様が驚きの表情で私の顔を見るが、驚いているのは私も一緒だ。
心臓はバクバク音を立てているし、急いで帰ってきたルーシー様に負けないくらい額に汗を滲ませていると思う。
「いえ、あの、でも・・・・」
私はもうお断りしたはずだ。
この話はおしまいでいいだろう。
どうしていいかわからずルーシー様に助けを求めるように見れば、ルーシー様は「信じられない」とでも言いたげに、軽蔑の色を浮かべながらダニエル様を睨んだ。
「・・・・・・お兄様ったら、絶対アンナ様の、このスタイルの良さに惹かれたんでしょう?」
「まあ、それもある」
(えぇぇぇぇ、どういうこと!?)
言われてみれば、普段着ているお母様の服とは違い。このドレスは身体のラインがよくわかる。
急に恥ずかしくなって、ダニエル様の視線を避けるため、ルーシー様の背に身を隠した。
ルーシー様はその答えに苛立ったのか、腰に手を当ててダニエル様を非難している。
「確かにうちは子どもを沢山持つことを推奨してますが、そんな理由で結婚を決めるのはどうかと思いますよ。第一、アンナ様に失礼です」
(そういえば、アスター家は多産で有名だった!)
ダニエル様は8人兄弟だし、アスター子爵も兄弟の数が多いことで知られている。
ダニエル様に対して怒りを含ませつつも、ルーシー様が私の胸元にちらりと視線を走らせたため、恥ずかしさで顔が熱くなった。
自分はラバを増産しようと目論んでいたくせに、いざ自分が同じ視線を向けられると、逃げ出したくてたまらない。
「だが、私はアンナ様の中身が好きなのだ」
「まあ!お兄様がそんなことを言うのは珍しいですね」
「だが、断られた」
「・・・・・・あら。それは残念でしたね。でも、アンナ様の気持ちもありますからね。そこは仕方ありませんよ」
「しかし、まだ話は終わっていない」
「あ、あ、あ、あの・・・」
「もう!お兄様のせいでアンナ様が怯えてるじゃないですか。アンナ様、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ」
「あ、いえ、その・・・」
「兄のことは気にしなくていいですよ。私はアンナ様の味方ですからね。兄の求婚を断れば、契約を切られるとお考えなのでしょう?でもアンナ様が兄の求婚を断っても、兄は取引を止めるような器の小さい男じゃありませんからね。その点はご安心ください」
そう言うなり、ルーシー様は私を抱きしめてよしよしと背中を撫でた。
ルーシー様が背中を撫でるたび、ふんわりと甘い香水の香りが私の鼻腔をくすぐる。
偶然なのだろうが、ルーシー様の香水は、母がつけていた香水と同じキンモクセイの香りがした。
「え、ええ。あの、なので、このお話は、なかったことに・・・」
懐かしい香りに勇気を貰えた気がして、なんとか断りの言葉を絞り出したが、ダニエル様は無言で近づくなり、私の顔をゆっくりと覗き込んだ。
(ひぃぃぃぃぃぃ!)
ダニエル様が、あの半分まぶたを閉じた嘘臭い笑顔で微笑んでいた。
その瞳は、まるで獲物を定めた猛禽類のように鋭く光っている。
あまりの怖さに逃げ出したくなるが、ルーシー様に抱きしめられているため身動きが取れず、どこにも逃げようがない。
「まだお話は終わっていませんよ、アンナ様?」
「え、ええ?そうですか?も、もう終わりましたが・・・」
ダニエル様に話はあっても、残念ながら私にはない。
早く、早く家に帰りたい。
脱兎のごとく、この場から一目散に逃げ出したかった。
「いえいえ。ご確認したいことがありまして」
「確認・・・?」
「ええ。アンナ様は、私の本質に気がついていらっしゃいますよね?」
「・・・・・・本質って?」
「ええ、本質です。私の内面、みたいなものでしょうか」
「え、いや、わかりませんが・・・」
「いえいえ。わかっていらっしゃる。普通はですね、私の笑顔を見ると、大抵のご婦人は私に好意を抱くのですよ」
(そうなの?この嘘臭い笑顔に?)
誰も指摘しないだけで、絶対にみんな気が付いているはずだ。
「でも、貴女だけは違う。アンナ様は、私のこの笑顔を見て好意を抱くどころか、怯えますよね。だからどうもアンナ様は、私のことをよくわかっているような気がするんですよね」
(違う違う違う!断じて違うと思うわ!!)
それはダニエル様の勘違いだとはっきり言いたかったが、ダニエル様の笑顔が怖くて、声が震えてしまった。
「そ、そんなことはないです」
「じゃあどうして、そんなに怯えるように逃げるのです?」
「え、だ、だって、ダニエル様、今、笑ってない、です、よ・・・ね?」
「・・・・・・ええ、そうですね」
ふふっと、いかにも可笑しそうにダニエル様が笑う。
どうしてだろう。
ダニエル様が笑えば笑うほど、全身から鳥肌が立ってくる。
ダニエル様の笑いを受けて、ルーシー様が、今更気付いたとでもいうように、両手をパチンと合わせた。
「ああ、そういえばカフェでお茶をした時も、アンナ様は微妙な顔をしていましたものね」
「え、だって、ダニエル様がアップルパイが嫌いなのに、美味しいって無理に食べるから・・・」
私の言葉を聞いたダニエル様の目が、怪しく光った。
ダニエル様が同意を求める視線をルーシー様に送ると、ルーシー様の瞳にも、言葉では言い表せない不思議な光が宿ったように見えた。
嫌な予感がして、そうっと、気付かれないように二人から離れる。
目の端で扉までの距離を目算するが、残念ながら思ったより遠い。
「な?アンナ様は、俺のことをわかってるだろ?」
(『俺』!?いま、『俺』って言いました?一人称から違うじゃないですか!?)
今まで見てきたダニエル様の、どこからが本当のダニエル様なのだろう。
「ダ、ダニエル様って、どれが本当のダニエル様なんですか?」
「本当、とは?」
「紳士的で優しいのか、その、今みたいにちょっと怖い感じなのか・・・」
「ああ。それはどちらも私ですよ」
ダニエル様が私を見つめながら、何でもないことのように告げる。
「アンナ様だって、そうでしょう?他人に自分の全てをさらけ出していますか?」
「え、あの、でも、それにしたって変わり過ぎでは・・・?」
「そうですか?まあ、商売のためですしね。多少は黒い部分は隠しますよね」
どうやらダニエル様の頭の中は、商売のことしかないらしい。
それに、黒い部分が多少でないような気がしたのは私の気のせいだろうか。
「それにしても、アンナ様は本当に兄のことがわかってますのね」
「そうだろう?俺もこんな方は初めてだ」
(・・・・・・何だか、旗色が悪すぎるわよね)
味方だと思っていたルーシー様が、完全にダニエル様に寝返ったような気がする。
迫ってきそうになる兄妹を撃退するために、私が特別ではないことを教えようとオリバーの名前を出す。
「いえ、そんなことはないです。オリバーもダニエル様のことをよくわかっています」
「ほう!ご姉弟で!さすがですね」
「あら、そうなんですか。そんなに慧眼なら私、オリバー様を狙ってみようかしら」
頬に手を当てながら考えるルーシー様の目が、獲物を見つけたモズのように光っている。
(私、絶対余計なことを言ったわよね!?ごめん、オリバー!!)
私の問題をオリバーにまで飛び火させてしまい焦っていると、ダニエル様とルーシー様が、瞳を一瞬も揺らすことなく私との距離を慎重に詰めてきた。
二人の目が猛禽類のそれのように鋭く光り、背筋が冷たくなるほどの危険を感じる。
「あ、あの・・・」
(に、逃げなければ・・・)
この場合どう考えても、最良の手は『三十六計逃げるに如かず』だろう。
最悪なことにこの兄妹、狙った獲物は逃がさないタイプに見える。
逃走経路を確保しようと扉に目を遣れば、そうはさせじとルーシー様が私の両手をしっかりと握りしめてきた。
指先は細くて華奢なのに、裁縫をしているせいか妙に力強い。
「アンナ様、ぜひ兄と結婚してくださいませ」
「え、いえ、あ、あの・・・」
「私、アンナ様がお義姉様になってくださったら、嬉しいです!」
「い、いえ、私もルーシー様と親しくなりたいのですが、その、男性は苦手というか・・・」
「大丈夫です!兄は女性の扱いに長けております!過去兄と付き合った女性たちは、誰もが兄の女性の扱いの巧みさに心を奪われていました!お付き合いすれば、アンナ様も、その良さがわかると思います!!兄と付き合って損はないです!!!」
「い、いえ、私は、その、ぶ、ぶ、不器用な方の方が・・・」
「まあ、そうですの?変わっておりますわね」
表面的に優しくされるより、例え女性の扱いが不器用で下手でも、誠実なアルバート様の方がいい。
「でも兄は顔もいいですし、仕事もできます!多少腹黒くて執念深いかと思いますが、お金もあります!!こんないい物件、なかなかないと思いますよ!!!」
(今、性格に難があるって言ったわよね!?性格が一番重要な要素ではないの!?)
ルーシー様のお勧めポイントが、よくわからない。
人の好みはそれぞれだと思うのだが、ルーシー様は性格が悪くても気にしないのだろうか。
「それに、こうも兄の本質がわかるなんて、お二人の間には、きっと『愛』があると思うんですよね」
「あ、愛と言われても・・・」
「ルーシーもそう思うか?私も愛だと思うんだよ」
ダニエル様が退路を塞ぐように後ろに回り込んできた。
前にルーシー様、後ろにダニエル様。まさしく『前門の虎、後門の狼』状態だ。
いや、これこそ『絶体絶命』か。
「それにアンナ様は、襲ってくる暴漢から身を挺して私を助けてくれた」
「まあ!やはり『愛』ですわね!!」
「い、いえ、危なかったら、普通、誰でも助けますよ・・・」
もうこの二人が押し売りに見えてきた。
いや、囲い込み商法か。
ダニエル様と結婚すると言わない限り、家に帰してくれないような気がする。
「それができないのが、アスター家です」
「ええ、そうです!」
ルーシー様も力強く肯定しているが、ダニエル様だって、見ず知らずの人のためにひったくり犯を捕まえるのに協力していた。
騎士団で嫌がらせをされていたフレディ様も助けたと聞いている。
あれが全て打算的な行動とは、到底思えない。
「アンナ様は、必ずやアスター家の力になるでしょう。どうか私と結婚してください」
ダニエル様が、きらきらした笑顔を保ちながら、膝をついて私を見上げてくる。
昨日の舞台でほとんどの観客が感動した、王子様が美しい町娘に求婚する場面と同じだ。
同じシチュエーションというのに、心が全然弾まない。
むしろ、怖い。
だが、ここで頷いてしまったら、絶対に後から撤回なんて出来るわけがない。
(ええい!『嘘も方便』よ。とりあえずこの場を切り抜けないと!!!)
何とかして、この二人の猛攻から逃れたい。
このままだと言いくるめられそうな気がして、思い切り叫んだ。
「も、も、申し訳ありません。さ、先ほどは言えなかったのですが、わ、わ、私、実は、心に決めた方がいます!!」
「・・・・・・・・・・・・そうなのか」
どこからか、呆然と呟く声がかすかに聞こえた気がした。
お読みいただき、ありがとうございます。
ブクマ、評価をしていただきありがとうございました。
作中アンナがルーシーを「モズ」と感じたのは、モズは秋になると羽の色が赤褐色になるからかもしれませんね。
ちなみにアブラコウモリは、コウモリにしては珍しく一度に複数の仔を産めます。
明日も朝7時に投稿予定ですので、引き続きお楽しみいただけると嬉しいです。




