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89 続 新旧婚約者


「そうかしら?ヘンリー様は、アンナ様は気が利かないと嘆いていらっしゃいましたけど?」


その言葉に、自分の意思とは関係なしに顔が熱くなる。

ヘンリー様は、私の至らない点をルナ様に言っていたのだろうか。


言うヘンリー様もだが、私を目の前にしながら勝ち誇ったように言うルナ様もルナ様だ。

私の知らない所で、二人で私を馬鹿にしていたに違いない。


あまりの酷さに思わず声を荒げようとした瞬間、ダニエル様がルナ様には気付かれないように、私の手を落ち着けと促すように、そっと叩いてきた。


「私はアンナ様は、細やかな気配りができる方とお見受けしています。それより、この店にお見えになったということは、何かご入用では?」


柔らかな口調でダニエル様がルナ様に問いかけながら、後ろ手で、安心させるように私の手を包むように握ってきた。

その手の温もりに優しさを感じて、言葉にはできない安心感が胸に広がる。



(・・・・・・ダニエル様は、本当に私の味方をしてくれるの?)

アスター商会としては、ホランド伯爵を父に持つヘンリー様の不興を買うことは避けたいだろう。

何の力も持たない私に味方しても、いいことなど一つもないはずだ。


おずおずと見上げたら、ダニエル様はいつもと変わらない笑みをヘンリー様たちに向けている。

ダニエル様の真意はわからないが、思いがけないダニエル様の手の温もりのおかげで落ち着くことができた。

息を吐き、ゆっくりと手の力を抜くと、手のひらと指の隙間が少しずつ広がった。


私の心の変化を感じたかのようにダニエル様の手が離れたが、もう何事にも動じないと心に決めて微笑む。


(ここでルナ様に声を荒げたら、私の負けだわ)

ヘンリー様に何を言われるか、わかったものではない。

ルナ様に何を言われようと、絶対にこの場は微笑んでやり過ごす。

泣くのも、喚くのも、後で一人になった時に思い切りすればいい。


ヘンリー様はダニエル様の言葉に、小さく息を吐いて困ったように頭を掻いている。


「ああ、そうなんだよ。もう明日結婚するし、婚約指輪はいらないと思っていたんだが、ルナが欲しいと言ってな。急だが、婚約指輪を用意してくれないか?」


「悪いが、今からは難しいな。うちは婚約指輪はオーダーメイドでしか承ってないからね」


「そこを何とかしてくれよ、友だちだろ?別にオーダーメイドでなくても構わないよ。ほら、そこのショーケースにあるのでいいからさ」


ヘンリー様は、ダニエル様に無理やり頼みこみながら、指輪が並んだショーケースに手をついて覗き込んだ。

手をべったりとショーケースにつけたせいで、美しいケースには手垢がついてしまったが、ヘンリー様に気にする素振りはない。


「へぇ!こんな小さい石が、随分高いんだな!」


ヘンリー様の素直な感想に、ルナ様の顔が一瞬で赤く染まった。

アスター商会の商品の値段が高いことは私も認めるが、流石に口には出さない。

それに値段の分、アスター商会の物は品質がよくて信用できる。


「ダニエル、友だちのよしみだ、な、安くしてくれよ」


アスター商会の価値がわからず、両手を合わせて拝んでくるヘンリー様に、ダニエル様は苦笑いしている。


露店の商品ならまだしも、格式あるアスター商会の指輪を値切ってくるなんて前代未聞だ。

ましてや、一生ものと言われる婚約指輪だ。

自分の目前で値切り交渉される花嫁も、なかなかいないだろう。


あまりにも恥ずかしいヘンリー様の言動に、ルナ様が私たちに顔を背けてヘンリー様の腕を引っ張り始めた。


「ヘンリー様、私、他のお店も見てみたいです」

「えっ、ルナが、アスター商会で買いたいって言ったんだろう?」


「そうですけど。でも、他のお店も見て見たくなったんです」

「もう面倒だから、ここでいいんじゃないか?」


「いいから、行きましょうよ」

「何でだよ。安くなるんだから、ここでいいだろ」


全然状況がわかっていないヘンリー様に、ルナ様はどうしたらいいのかと迷うように、顔を顰めて立ち尽くした。

ヘンリー様は、茫然としているルナ様を振り返ることなく、ショーケースの指輪を物色しては、「高いなぁ」と、ぶつくさ文句を言っている。


(・・・ヘンリー様に、悪気はないのよね)

ヘンリー様は素直に感想を述べているだけだけで悪気はないのだが、この人は無自覚に人を傷つける。

人前で婚約指輪のお金を出し渋られたルナ様の困惑や恥ずかしさは、どれほどのものだろう。

何より、自分が軽く扱われたことにショックを受けているに違いない。


気まずい空気が店内を満たしていくが、ヘンリー様だけは気付かずに、指輪を見ながら感想を呟いている。

ヘンリー様の気遣いのなさに、先ほどまで赤くなっていたルナ様の顔は、色を失いつつあった。



(・・・・・・ルナ様は嫌いだけど、さすがに可哀想ね)

ほんの少し同情を覚えた頃、見かねたダニエル様が、今度はルナ様に助け舟を出した。


「・・・ヘンリー、向かいの通りを抜けたところに、若い女性に人気のお店があるよ。うちはシンプルなものが多いから、ルナ様には、もう少し華やかなデザインの指輪を置いている店の方がいいんじゃないか?」


「そうなのか?俺には、どれも同じに見えるんだけどな」


額に皺を寄せるヘンリー様を安心させるようにダニエル様が笑いかける。


「女性の装いに関しては、絶対の自信があるからね。信用してくれ」

「まあ、それもそうか。お前、商売人だもんな」


ヘンリー様の言葉に、僅かな侮蔑が含まれていたような気がするが、流石はダニエル様だ。

顔色一つ変えず、もう一度薄く目を閉じて、今度はルナ様に向かってにこやかに微笑んだ。


「ルナ様が、今身につけていらっしゃるブローチと同じシリーズを、モイン商会が取り扱っていますよ」 


ダニエル様の言葉を受けて目を遣ると、ルナ様の胸には美しい緑色のブローチが輝いていた。

エメラルドだろうか。

ヘンリー様の瞳の色が、ルナ様の胸元で強い光を放っていた。


「ああ、モイン商会なら、兄貴の嫁さんの実家だ。兄貴のとこの方がいいかもな。そうだな、そうしようか」


ダニエル様が、まだ顔を強張らせているルナ様を気遣うように、そっと声をかけた。


「モイン商会は、今、若い女性に大人気ですからね。きっとルナ様のお気に召すものがありますよ」

「・・・・・・ありがとうございます」


「そんなに人気なのか?」

「ああ。モイン商会には、いつ見ても沢山のご令嬢が店内にいるね」


「へー!」

「まあ、若い女性だけじゃないけどね。老若男女、多くのお客様で賑わっているよ」


「ま、当たり前か。兄貴がやってる店だからな」


正確には次兄ヒューゴ様の奥様の実家で、ヘンリー様のお兄様の店ではない。

だがヘンリー様は、得意満面だ。


「そういえば、モイン商会はいつも綺麗な花が飾ってあるね。やはりそれも、ご令嬢方に人気の秘訣なのかな」

「花ですか?」


「ああ。この前もすごく華やかな花が飾ってあったんだけど、あれは何だったかな?鮮やかなオレンジ色で、花びらが沢山重なっている・・・」


ダニエル様は花の名前を思い出せないようで、眉を寄せて考えている。

鮮やかと聞いて思い浮かべるのは薔薇だが、まだ薔薇の咲く季節ではない。

花びらが沢山重なっているオレンジ色の花なら、ダリアだったのだろうか。


「ダリア、ですか?」

「いや、ダリアではなかった。でも華やかで、すごく綺麗だったんだ。丸く盛り上がったような花の形で・・・」


「ダニエル様が仰ってるのは、ラナンキュラスではないですか?」

「ああ!そうでした!確か、そんな名前だったような気がします。さすがルナ様ですね」


ダニエル様がルナ様を大げさに褒めると、ルナ様は、ここにきて初めてにっこりと嬉しそうに笑った。


(・・・違うと思うけど)

ラナンキュラスが咲くのは春だ。

だか、ここでルナ様の言葉を否定して、いらぬ反感を買いたくない。


「いいえ、そうでもないですよ。ただ、お花が大好きだから、たまたま覚えていたんです」

「そうなんですか?でも、これだけの情報ですぐにわかるとは素晴らしいですね」


ルナ様が微笑んだのを受けて、ダニエル様が合図をするかのように私の手に触れてきた。


(・・・・・・褒めろってこと!?)

正直褒めたくはなかった。

ルナ様の言っていることは間違っているし、私を侮辱してきた人に阿るような真似はしたくない。


だが黙っていると、ダニエル様が今度は少し強めに手を握ってきた。


(・・・・・・・・・仕方がないわよね。これもセオドアのためだわ)


「・・・・・・まあ、ルナ様は博識なんですね。素晴らしいです」

「ふふっ。そう言っていただけると嬉しいです」


「ルナは、学院を出ている才女だからな」

「もうっ、ヘンリー様まで。これぐらいのことで、褒めすぎですよ」


ヘンリー様はルナ様を褒められて鼻高々だし、ルナ様も私たちに褒められて自尊心が回復したらしい。

さっきまでの居心地の悪い空気はどこかへ流れ、和気藹々とした雰囲気になっている。

やり方はどうあれ、ダニエル様の客あしらいの見事さには舌を巻く。


ダニエル様は、ご機嫌なヘンリー様にしばらく待つように伝えた後、店の奥から置き時計を取り出してきた。


植物や小鳥の装飾がある美しい置き時計だった。

文字盤に埋め込まれたエメラルドが、柔らかな光を閉じ込めた森のように光っている。


「結婚のお祝いに、この時計を贈らせてくれ。新しい生活をスタートする二人が、共に幸せな時間を刻めるよう祈っているよ」


「おおっ、そうか。ありがとう」

「まあ、ありがとうございます」


宝石が埋め込まれた置き時計は高価なものだろうに、ヘンリー様は相変わらず気軽に受け取っている。

私だったらこんな高価な物をいただいたら恐縮し、どうお返しをしようかと悩むところだが、そんな様子は全くない。


(・・・ヘンリー様に、お返しをするという発想はないのよね)

きっとヘンリー様は、私の時と同じように、ダニエル様にも何もお返しはしないだろう。

ヘンリー様にとって、人から何かしてもらうのは当たり前のことなのだ。

悪気があるわけではないが、小さな子どもならまだしも、大人だとさすがに恥ずかしい。


(ルナ様は、ヘンリー様の、こんな子どもみたいなところを知っているのかしら?)

だが高価な贈り物を貰ったというのに、ルナ様も恐縮することなく喜んでいる。

もしかしたら、似た者同士なのかもしれない。


(別に、私にはもう関係ないしね・・・)

ヘンリー様が礼を失した行いで恥をかこうが、私が気にすることではない。

満面の笑みを浮かべたヘンリー様が、時計の価値を確認しているのが聞こえたが、もう耳には言葉としての音は入ってこなかった。


ダニエル様が何か言ったのか、二人は嬉しそうに笑い合っている。

そんな二人をぼんやりと眺めていたら、ダニエル様が私に目配せをしてきた。

多分、私に会話に加われと言っているのだろう。


(・・・・・・明日の披露宴で気まずい思いをしないために、無理してでも親しくしないといけないわよね)

ダニエル様が場を和ませるために作ってくれた折角の機会だ。

ヘンリー様たちと話したくはなかったが、無理やり笑顔を作って輪に加わる。


「・・・本当に、美しい時計ですね」

「そうですよね。さすがアスター商会ですね。綺麗だから、新居の一番いいところに飾ろうかしら」


「・・・いいお考えですね。きっと皆さま、この時計の素晴らしさに驚きますよね」

「そう言っていただけるなんて、アスター商会としても嬉しいです」


「そうだな。親父たちにも自慢できるな」


先ほどまでと違い、ルナ様の雰囲気が柔らかなものに変わったため、私もルナ様とぎこちなくはあったが会話ができた。

これで明日の披露宴で顔を合わせても、何とかなるだろう。


私たちを取り巻く空気がほぐれたところで、ダニエル様がさりげなく腕時計を見て、二人を店外に追い出しにかかった。


「そうそう。今日は、午後から雨が降ると聞いてるよ。モイン商会に行くなら、早めに行った方がいいかもしれないね」

「ああ、そうなのか。そう言われると、空が暗いような気もしてくるな」

「季節の変わり目ですものね」


「じゃあ、雨が降る前に兄貴のとこに行きたいし、俺たちは、これで失礼するか」

「濡れるのは嫌だし、もう行きましょうか。私もダニエル様たちとお話しできてよかったです。本日はありがとうございました」


丁寧にお辞儀をするルナ様に、私も笑顔を作って礼を返す。

ヘンリー様は置き時計を大事に抱えながら、ルナ様を見つめて幸せそうに微笑んでいた。



(・・・・・・・・・頭ではわかっていても、心がどうしても追いつかないわね)


結局私はヘンリー様たちに、文句も恨み言も言えなかったし、言わなかった。

浮気をしたこともだが、うちで勝手な振る舞いをしたせいで、私たちに迷惑をかけたことを詰りたかった。

でも何を言っても、ヘンリー様は反省をしないし、謝りもしないだろう。


言わなかったからこそ、ヘンリー様たちと仲が拗れることはなかった。

サウスビー家のためには、それで良かったのだ。いや、そうでなければいけなかったのだ。

これで良かったのだと、自分に言い聞かせた。


(・・・・・・私一人では、ルナ様と言い合いになっていたわね)

冷静にこの場を収めてくれたダニエル様がいてくれて、本当に良かった。

感謝の念を込めてダニエル様を見上げれば、ダニエル様はまぶたを半分閉じて、うっすらと微笑みながら二人を見送っている。


(・・・・ダニエル様、何でそんな風に笑っているの?)

腑に落ちずに困惑していると、店の扉に手をかけたままヘンリー様が振り向いて大きな声で叫んできた。


「そうだ!忘れるとこだったよ。明日の披露宴には、必ず来てくれよ!!親父が話があるってさ!!!」


思わず顔が固まってしまう。

出席するつもりではいたが、ルナ様は私が出席することを知っているのだろうか。


元婚約者のいる披露宴なんて、嫌に決まっている。

披露宴ではルナ様に見つからないよう、隅で大人しくしているつもりだった。


(なんでヘンリー様は、今、この場で言うの?)

ダニエル様も、まさか私が披露宴に招かれていたとは思ってもいなかったのだろう。

一瞬身体がビクッと震え、固まったような目線を私に向けてきた。


だがルナ様は表情こそ硬かったものの、大人の対応をしてくれた。


「ええ。お義父様からも、アンナ様がお見えになることは聞いています。ぜひお越しください」

「・・・ありがとうございます。では明日、足を運ばせていただきます」


ルナ様の実家は、男爵家。

たとえ元婚約者の私が披露宴に来るのが嫌だろうと、ホランド伯爵の意向には逆らえないのだろう。



(・・・・・・ルナ様も、大変ね)


婚約を破棄された時は、人生の終焉を迎えた気がして辛かった。

でも、これからも続く長い人生のことを考えると、ヘンリー様と結婚しなくてよかったのかもしれない。



昨日「注目度ー連載中」で10位にランキング入りしました。

お読みいただいた皆様と応援していただいた皆様のおかげです。本当にありがとうございます。


クレオパトラが愛し、好んで身に着けたとして知られるエメラルドの石言葉は、「幸福」「愛」「知性」「希望」など、多岐にわたります。「愛の石」とも呼ばれ、夫婦愛の象徴だそうです。


明日は朝7時に「ヘンリーの気持ち」を投稿する予定ですので、よかったら引き続きお楽しみください。

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