79 夜道
「お付き合いいただき、ありがとうございました」
ダニエル様にお礼を言いながら、席を立って出口へと向かう。
1階へ目を遣れば、感動のあまり席を立つこともできず、まだ涙を零している令嬢の姿も見える。
あちこちで感想が飛び交い、誰もが感動の涙を拭いつつ、劇場を後にしようとしていた。
観客たちの感想を述べる声が、意味を成さない雑音のように耳に届く。
(・・・・・・気分が悪いわ)
不快な気持ちを抱えながら劇場の外へ一歩踏み出すと、客の化粧や香水の匂いが霧のように消え、空気が急に澄んだような気がした。
身体に胸いっぱい息を吸い込ませると、冷たい空気が肺に入ってきて、気分が少しだけマシになる。
深呼吸したことで、ようやく耳に空気が抜け、周囲の音が、きちんとした「音」として自分の身体の中に響いてきた。
草むらの少ない王都にも虫はいるらしく、マツムシとスズムシが賑やかに鳴いていた。
「お気に召しませんでしたか?」
上演中、涙を一粒も零さなかった私を、ダニエル様が気遣わしげに見てくる。
ほとんど全ての観客が感動の涙を流しているというのに、残念ながら私の瞳は、カラッカラに乾いていた。
「いえ、そんなことはないですよ。歌もダンスも完璧だし、衣装も豪華で美しかったですし、舞台装置の細やかさに驚きました。珍しい物を見せていただき、ありがとうございました」
舞台の王子様のように、どこまでも甘いダニエル様の声が妙に癇に障り、つい早口でダニエル様に感想を伝えてしまった。
私の感想が予想外だったのか、ダニエル様が微妙な顔をしている。
他のご婦人方と同じように、泣けばよかったのだろうか。
でも仕方がない。泣けないものは泣けないのだ。
『真実の愛』は、王子様がお忍びで行った先で美しい町娘に会い、婚約者を捨てて、町娘と結婚する話だった。
ただそれだけ。
本当に、それだけ。
これのどこに感動すればいいのか、むしろダニエル様に聞いてみたい。
「・・・皆様、どこに感動したんでしょう?」
「えっと、普通は、王子と町娘が苦難を乗り越えて、結婚するところに感動するのですが」
「ああ、そうなのですね。でも王子様に苦難ってありました?婚約者を、ただ捨てただけですよね?」
王子は、長年一緒に苦楽を共にした婚約者に、婚約を破棄することを言い渡しただけだ。
それのどこが苦難なのか。
王子に浮気された揚げ句、何の落ち度もないのに、勝手に婚約を破棄された婚約者が気の毒だった。
(なによ、この舞台・・・)
ヘンリー様が『真実の愛を見つけたんだ』と言ったから、どんな崇高な愛があるかと思ったら、とんだ茶番でしかなかった。
自分勝手な男が周りの人を傷つけて、自分だけが幸せになる話。
「え、ええ、まあ、そうですね。でも、ほら、王たちの反対もありましたし」
「でも、王子がちょっと説得するだけでしたよね?私には、王子がただ自分の我儘を通して、好きな人と結婚しただけのように思えたんですが」
王子は、特に努力したわけでも、自分を取り巻く環境を変えたわけでもない。
親の思いも、婚約者の気持ちも踏みにじって、自分の好きな人と結婚して幸せになっただけだ。
「ああ、結末が気に入らなかったのですね。昔は、両親に反対された王子が身分を捨てて、駆け落ちして幸せになるという結末だったんですよ」
「・・・・・・・それ、幸せになりますか?」
「どういうことですか?」
「私には、王子たちが幸せになる未来が見えません」
「どうしてですか?」
「だって、王子は最初は平民の生活が、物珍しくて楽しいかもしれませんが、その内嫌になるんじゃありませんか?」
何故だか、アルバート様を思い出してしまった。
アルバート様は、私たちとの生活を楽しんでくれた。
豪華でない食事も、身丈に合わない服も。労働も。
でも、たった数日だったから、楽しめたのかもしれない。
あれが、数か月、数年経ったら、いくら優しいアルバート様だって、嫌気がさしただろう。
「駆け落ちする結末だったら、数年後には、離婚してそうな気がします」
「アンナ様は、面白い考え方をしますね。まあ、でもだからこそ、結末を変えたのかもしれませんね。今の結末の方が、人気みたいですしね」
「・・・・・・・・・どうしてですか?」
「女性は町娘に自分を重ねて、王子との結婚を夢見るものですよ。平民から王妃になるなんて、女性にとっては憧れでしょう?」
「そうでしょうか。平民が王妃になったら、苦労するから大変なのでは?」
「苦労?」
「だって、王宮のしきたりとか、色々学ばないといけないことも多いでしょうし」
花言葉一つとってもそうだ。
きっと王宮で暮らしていくのなら、熟知していないといけない。
それを、何も教育を受けてこなかった町娘が習得できるのか。
「愛だけでは、やっていけないことってありますよね」
つい自分に言い聞かせるように、言ってしまった。
別に、アルバート様と一緒に過ごす未来を望んだわけではないが、この舞台で現実を突きつけられた気がした。
(だって、舞台は『幸せになりました』で終わるけど、現実は、その先の生活があるのよ?)
思わず胸から重いため息が出そうになり、唇を噛みしめる。
私は、恋愛に向いていない人間かもしれない。
ついつい、恋愛の先にあることを考えてしまう。
そして、その恋愛の先にあるものが怖い。
婚約して、安泰だと思っていても、人の心は簡単に変わる。
舞台の王子様のように。ヘンリー様のように。
自分が愛する人から疎まれていく婚約者は、以前の私の姿を思い起こさせた。
愛する人に自分が嫌われていくのを見るぐらいなら、最初から愛など知らない方が幸せな気がする。
王子に疎まれ、婚約を破棄された令嬢は、この後、どんな思いを抱えて人生を歩むのだろう。
自分でも、どうしていいかわからない寂寥感に襲われていると、昼間の熱がなくなった、ひんやりとした空気が頬を撫でてきた。
季節のせいなのか。それとも、王都は昼夜の寒暖差が激しいのか。
冷たい夜風に、思わず身体を震わすと、ダニエル様が自分の上着を私にかけてくれた。
「あ・・・、ごめんなさい」
「いいですよ、お気になさらず」
「でも、ダニエル様は、先ほど咳をされてたし・・・」
「気にしないでください。私は大丈夫ですから」
ダニエル様に上着を返そうとしたが、私の体調を心配したのか、ダニエル様は微笑みながらも、半ば強引にもう一度上着をかけてきた。
「・・・・・・お借りします。ありがとうございます」
いつもの優しいダニエル様の笑顔に、申し訳なさでいっぱいになる。
舞台を観たら、無性に物悲しくなって、ついダニエル様にきつく当たってしまった。
(・・・私って、本当にだめね)
折角ダニエル様が連れてきてくれたのだから、「素敵でしたわ!」と感動した振りをすれば良かった。
いつもなら、空気を読んで行動することができたのに。
大人のダニエル様なら、私の辛い気持ちを受け止めてくれそうな気がして、つい甘えてしまった。
(・・・・・・完全に私の八つ当たりよね。ダニエル様は、親切に連れてきてくれただけなのに。申し訳ないことをしたわ)
お父様が亡くなって、人に頼らないと決めて頑張っていた時は、こんなことはなかった。
甘えることができる人がいると思うと、自分の弱さや我儘が出てしまうのかもしれない。
アルバート様に、泣き喚いて自分の気持ちを晒したのは、アルバート様なら受け止めてくれると無意識に思っていたからだろう。
(・・・でも、ダニエル様は、単なる取引先だわ。私が甘えていい相手じゃないわよね)
ダニエル様に謝ろうと向き合えば、あの怖い笑顔を湛えたダニエル様がいて、思わず後ずさりそうになった。
「アンナ様」
「え、は、はい?」
私が逃げようとしたのがわかったのか、ダニエル様が私の手を指先でそっと包み込んだ。
冷たいはずのダニエル様の手が、心なしか温かいような気がした。
握手をした時にも思ったのだが、どうしてダニエル様は、私を高価な宝石のように大事に扱うのだろう。
何だか、自分がとても価値のある人間に思えてくる。
理由が知りたくてダニエル様の目を見れば、街の明かりのせいなのか、瞳が揺らいでいた。
「これから、私と一緒に夕食をどうですか?」
「えっと・・・・・・」
(・・・・・・夕食、ね)
本音を言えば、一人で夕食を食べたかった。
誰にも気を遣わず、好きなものを沢山食べれば、このもやもやとした気持ちをどうにかできるような気がしていた。
でも、ダニエル様の瞳は、今までになく優しい光を帯びている。
あの嘘臭い笑顔にも関わらず、側にいたい気分にさせられた。
(ううん、ダニエル様は今、心から微笑んでいるんじゃないかしら?)
もう一度ダニエル様を見れば、目元には温かさが宿っているような気がするし、柔らかな微笑みは、ダニエル様の優しさをそのまま表しているように見えた。
このダニエル様なら、側にいても、安心できるような気がした。
(・・・・・・私、どうしたのかしら?)
きっとこの舞台を観たせいで、ヘンリー様やアルバート様のことを思い出したからだろう。
隠していたはずの、自分の心の弱く、柔らかい部分が外に出てきてしまい、誰かに縋りたくて仕方がなかった。
私の心を感じたかのように、マツムシたちが、切ない音色を大きく響かせ始めた。
虫だって、相手を求めて必死に鳴くのだ。人間が求めて、悪いことがあるだろうか。
ダニエル様と夕食を共にしたら、この寂しさも埋まるかもしれない。
ダニエル様なら、きっと私の虚しい、どうしようもない思いをわかってくれるかもしれない。
ダニエル様だったら、私の欲しい言葉を察して、言ってくれるかもしれない。
いや、ダニエル様じゃなくてもいい。
誰かに、自分の存在を肯定してもらいたかった。
「え、ええ・・・」
思わずダニエル様の手を握り返そうとしたが、不意にマツムシの高い声のリズムが速くなり、慌てて踏みとどまる。
(だめよ!自分で立っていないと!)
急に自分の頭が冷えた。
綺麗な音色を聞かせてくれるマツムシだが、エサが少なくなると、弱った仲間を共食いすることがある。
オリバーが飼っていた時に、まさかそんなことがあるのかとびっくりしたのを覚えている。
父を亡くし、自分の心が不安定になってヘンリー様を頼ろうとして、周囲が見えなくなった。
多分、今の私は心が弱っている。
もう二度と、同じ轍は踏まない。これ以上、誰にも迷惑をかけたくない。
秋を告げる冷たい夜風が、人恋しくさせたのかもしれない。
心が弱ってる時に、誰かに縋っていいことなど一つもない。
首を振りながら、ダニエル様の手をそっと押し戻す。
「誘っていただいてありがとうございます。でも、朝早く家を出てきたので、今日はもう疲れてしまって。申し訳ないのですが、今日はこのまま宿で休みたいと思います」
「・・・夕食も取らずに?」
「ええ、先ほど食べたアップルパイで、もうお腹いっぱいですので」
「・・・・・・そうですか。ではもう暗いですし、宿までお送りしましょう」
さすがにそこまでは断れず、二人で夜道を歩けば、ダニエル様がさりげなく私を歩道側にしてくれた。
(・・・ダニエル様は、一見冷たいけど、優しいわよね)
どうしても最初に嫌な顔をされた印象が強いが、私の拙い養蜂場事業の話を聞いてくれたのは、ダニエル様だけだった。
今考えてみれば、当たり前だ。
こんな小娘の事業に手を貸すメリットなんて、どこにもない。
取引のある金融業者にお金を借りようと頭を下げて回ったが、誰も話さえ聞こうとしなかった。
そんな私に親身になって、辛抱強く商売のコツを教えてくれたのはダニエル様だ。
(それに、仕事だけじゃないわよね・・・)
年齢は私とそこまで変わらないが、やっぱりダニエル様は大人だ。
私の態度に思うところもあるだろうに、自分の感情は出さずに、いつも私の様子を気遣ってくれる。
(私はいつになったら、ダニエル様みたいな大人になれるのかしら・・・)
いつか、私も経営者としてダニエル様と肩を並べる日がくるのだろうか。
受けた恩を返せるぐらい、成長することができるのだろうか。
自分の未熟さを実感しながら大通りに出れば、眩しいくらいの光と音が溢れていた。
街灯と店の明かりで、全く夜を感じさせない。
もう遅いというのに、沢山の人が道を歩いているし、酒場からは、明るく楽しい笑い声が響いている。
賑やかなはずなのに、それが余計に孤独と寂しさを感じさせるのは、どうしてだろう。
(・・・王都に着いたばかりなのに、もう家が恋しいわ)
今日のクララは、夕食に何を作ったのだろう。
この時間なら、タイラーは銀食器を磨いているだろうし、セオドアは鍛錬中だろうか。
何だか、無性に家に帰りたくなった。
いつも笑顔で迎えてくれるクララの顔を思い浮かべながら歩く私に、もうダニエル様は話しかけてこなかった。
お読みいただきありがとうございます。
ブクマ・評価をいただき、ありがとうございました。
虫の鳴き声を愛でるのは、日本人とポリネシア人だけに見られる特徴だそうです。
スズムシはゆっくり落ち着いた音色ですが、マツムシは少し高めで速いです。
明日は、朝7時に「目潰し」を更新予定です。
引き続きお楽しみいただけたら嬉しいです。




