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66 ルーシー様


3階フロアは、大きな窓から陽が差し込んでいたため明るかった。

紙とインクの香りが入り混じった匂いがして、なんとなくオリバーの部屋を思い起こさせた。


「それにしても。やっぱりアンナ様とオリバー様は姉弟ですね。感覚が似てるんでしょうか。オリバー様にも、赤毛は珍しいと褒められましたよ」


(・・・多分オリバーは、褒めているつもりはないと思うけど)


オリバーは、ただ事実を言っただけで、褒める意図は全くなかったと思う。


でも、安易にルーシー様の髪色を『ルーシー様のような髪色になってみたい』なんて言う私よりマシだ。

自分の髪に対する他人の視線を敏感に感じ取っていたルーシー様に、例え本音であろうとも、かけるべき言葉ではなかった。


自分の軽率さに唇を噛むが、ルーシー様は、お目当ての本の場所を探すように店内を見回している。

ルーシー様に釣られて私も店内を見回せば、人の多かった1階と違い、3階は専門書が多いからなのか、お客の数は少なかった。

客層も、3階は年配者ばかりで若い人の姿はなかった。


(あら・・・?そういえば学生って、まだ授業中じゃなかったかしら?)

学院の授業は、夕方まであったはずだ。

まだ日は高い。

こんな時間に、学生が街にいてもいいのだろうかと不安になる。


「ところで今日は、学院はお休みなのですか?」

「ああ、テスト前なので、午後から授業がお休みになっているんですよ。生徒を早く帰して、テスト勉強をさせようとしてるんですよ」


ルーシー様は「本当に嫌ですよね」と言いながら、お目当ての専門書の前に連れてきてくれた。


「ああ、ここですよ。アンナ様は、ここでちょっと待っててくださいね」

「わかりました。ご親切に教えていただき、ありがとうございました」



(・・・どれを買ったらいいか、わからないわね)


オリバーは学院に行ってから、興味の幅が更に広がったらしい。いや、深まったのか。

棚に並んだ本の背表紙に書いてある題名が難しすぎて、私にはどれを選ぶべきかもわからない。


何を買えばいいのかわからず棚の前で迷っていると、ルーシー様が、店の隅にあった脚立を持ってきてくれようとしていた。

華奢なルーシー様に、脚立なんて持たせられないと慌てて脚立を奪い取る。


「あ、あの、案内してくださってありがとうございました。・・・それから、もう場所もわかりましたので、私は大丈夫です。どうぞテスト勉強をしてください」


だがルーシー様は、目をきょとんとさせ、次に笑い出した。

もしかしたら、かなり笑い上戸なのかもしれない。


「うふふ。アンナ様ったら真面目なんですね。いいんですよ、テスト勉強なんてしなくて」


(あら!自信満々なのね!)

ルーシー様は普段から勉強しているから、テスト前に慌てて勉強しなくていいのだろう。

さすが優秀と名高いアスター家の長女だ。


「まあ、優秀でいらっしゃるのね」

「まさか!その反対です。卒業できるかどうかも怪しいです。私、いつも赤点スレスレなんですよ」


(赤点!?今日は必死で勉強しないと大変じゃないの?)

私の疑問を余所に、ルーシー様は脚立に乗って、棚の一番上に置いてある本を選んでいく。

選ぶ本に迷いがないところを見ると、オリバーの好みを熟知しているのだろうか。


「え、じゃあ、今日は勉強をしないと・・・」

「いいんですよ、私、勉強に興味がなくて。成績が悪くても、学院卒業という称号が手に入ればいいんです。まあ、最悪、そんな称号なくてもいいですしね」



(・・・・・・じゃあ、私と代わってくれる?)

明るく笑いながら話すルーシー様に、学院に行きたくても行けなかった私の心から、もやもやとした、どす黒い沈殿物が沸き上がってくるのを感じた。


私がルーシー様の立場だったら、喜んで勉強しただろう。

知りたいこと、学びたいことが沢山あった。


学院で教えたこともあるスタンリー先生の話から、学院では、どんなに面白いことを学べるのかと胸を膨らませていた。

当たり前のように、学院で学ぶ自分の姿を想像していた。


(・・・それに、領主の仕事をやっていると、いかに「学院卒業」の称号が大事だということが身に染みたわ)

貴族令嬢なのに「学院」に行っていないというだけで、馬鹿にされることもある。


(お金があれば。お金さえあれば、私の人生は、また違っていたかもしれないのにね)

オリバーには口が裂けても言えないが、悔しい思いをした時には、つい思ってしまう。


お金さえあれば、好きなことを学ぶために学院に行けた。

同じ年頃の友人ができて、机を並べて語り合えたかもしれない。

学院で人脈を作って、仕事に活かすこともできただろう。

何より、こんなに他人から見下されることもなかっただろう。


ルーシー様は、自分がいかに恵まれた環境にいるのかを分かっていない。

わかっていないからこそ、こうも簡単に自分の幸運を捨ててしまう。

ルーシー様が簡単に捨ててしまう『学院卒業』は、私が喉から手が出るほど欲しいものだった。



「あんまり成績が悪いから、お母様に家庭教師をつけられたんですよ。それも何人も。でも、それが本当に嫌だったから、家庭教師の先生方と大喧嘩して逃げ出したんです。それからは、両親も私に何も言いませんよ」


(・・・まさしく「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」状態ね)


気付かれないよう、そっとため息をつく。

やる気のない人間には、どんなにお膳立てをしてやっても無駄だ。

私からすれば羨ましい環境だが、ルーシー様にとっては、両親の気遣いなど有難迷惑なだけなのだろう。


「お父様も、もう私のことは諦めてますしね。だから気にしなくていいんですよ」

「そうですか」


だがご両親は、決して諦めてはいないと思う。

ただ、言っても聞く耳を持たないルーシー様をどうしたらいいかわからないだけだ。


つい素っ気ない返事になってしまったが、ルーシー様は、私を気にすることなくしゃべり続ける。


「でも、卒業だけはしてくれと泣きつかれてるので、多少はやらないといけないんですけど。だけど勉強が苦手だから、教科書を開いても、さっぱりわからなくて」


ルーシー様は困り顔で、脚立の上から、お勧めと言う本を何冊も私の手に載せてくれる。

本の表紙を見れば、サイレニア語で書かれていた。


「だから、いつもオリバー様に教えていただいてるんです」

「えっ!?」


驚きのあまり、思わず手に持っていた本を取り落としそうになった。


「え、あの、オリバーが、ルーシー様に教えているんですか?」


オリバーは、基本無駄な行動を控えるよう心掛けているから、人に進んで教えるような真似はしないはずだ。

もしかして、ルーシー様はオリバーの特別な人かもしれないと思うと、胸がドキドキしてきた。


「ええ、でも私だけじゃないですよ。クラスの出来が悪い子たちは、みんなオリバー様に教えてもらってますよ」

「まあ・・・!」


自分の興味・関心があることしかしないオリバーが、クラスメイトに親切に教えるとは意外だ。

学院に入って、オリバーは随分と人として成長したらしい。


「ちょっと変人ですけど、頭、いいですもんね。オリバー様って」

「そ、そうですか」


(変人って・・・)

姉としては、頭がいいと褒められたことより、ルーシー様から変人と言われたことが気になって仕方がない。


(あの子ったら、ちゃんと学院でやっていけてるのかしら?)


考えてみれば、あと半年で卒業だというのに、友人の名前も聞いたことがない。


男の子は年頃になるとあまりしゃべらなくなると聞いていたし、元々小さい頃から、そんなにしゃべる方じゃなかったから、オリバーが学院の生活について何も言わなくても、特に気に留めていなかった。


だがルーシー様の話を聞いて、オリバーの学院での生活が急に心配になってくる。


「テスト前になると、オリバー様のノートが飛ぶように売れるんですよ」

「そうですかっ・・・て、売ってるんですか?あの子?」


そんなことをしていいのだろうか。

もしや送ってきたドレスは、ノートを売って稼いだのだろうか。

焦る私の反応がおかしかったのか、ルーシー様がぷっと吹き出した。


「ごめんなさい、比喩です。売らずに、誰にでも無料で見せてくれますよ。勿論オリバー様が、お礼を強要したこともないです。でも親切に教えてくれるし、ノートも誰にでも見せてくれるものだから、みんな感謝してるんですよ。だからオリバー様にお世話になった子たちは、オリバー様に貢物を持って行くんですよ」


「貢物って・・・」


まるでオリバーを、古代の王様みたいに言うのは止めて欲しい。

学院の生徒から、敬われ、跪かれるオリバーの姿が目に浮かび、慌てて首を振る。


「ああ、本とか外国の文献とか。あとは珍しい植物ですかね。みんなオリバー様の好きそうな物を考えて持ってきてますね。まあ、物々交換みたいなものですよ」


「物々交換?」

「知識に対する対価、みたいな感じですかね」


勉強を教え、物をもらう。

教える資格を持たないオリバーが、同級生に教えてお金を貰うことは、ルール違反だろう。

だが、貰うものがお金じゃなくて物だから、ギリギリセーフなのだろうか。


私としては気になるが、ルーシー様は、オリバーに教えてもらったお礼に物を渡すことをあまり気にしていないようだ。


「も、もしかして、私に口紅やドレスをくださったのって・・・」

「あ、私です。気に入っていただけました?」


「ええ!とても!本当にありがとうございました」

「良かったです!口紅は既製品なんですが、ドレスは私の手作りなんですよ」


ルーシー様が嬉しそうに微笑みながら、脚立から降りてきた。


「・・・手作り、ですか?」


あんな美しく手の込んだドレスを一人で作ったというのだろうか。


「ええ。半年ほど前かしら。オリバー様に、ぜひお礼がしたいと伝えたら、姉のドレスを作って欲しいと言われて」

「そんな大変なこと、あの子が頼んだんですか?」


もう頭がくらくらする。

お礼は強要しなかったのではないのか。

しっかり自分の希望を伝えているオリバーの、ちゃっかり具合に頭が痛い。


「ええ。『君は作るのが好きだろう』って」

「そんな、好きとかそういう次元で作るものでは・・・」


ドレスを作るのに、どれだけの工程があると思っているのか。

ルーシー様は、ドレス作りの大変さを思い出したかのように眉を顰める。


「大変だったんですよ。ずっと一人で、朝も夜もちくちくちくちく針を動かして。もう、目も肩も、ばききばきに凝ってしまって」


「そうですよね。あんなに美しいドレスに繊細な刺繍。私、見たことありませんもの。作るのがどれだけ大変だったことかと思います。弟が無理なお願いをして、本当に申し訳ありません」


平謝りだ。

オリバーに、一度自分で作ってみろと言いたい。

おそらく雑巾一枚縫えないだろう。


「いえいえ。それに本当は、冠婚葬祭、どこにでも着ていけるシンプルなドレスを頼まれたんです」

「冠婚葬祭・・・」


だけどオリバーが送ってきたのは、どう見ても豪華なドレスだ。

紺色とはいえ、銀糸で華やかに刺繍がしてあるから、葬儀にはとても無理だ。

どこをどうしたら、あんな豪華なドレスになったのか。


「でも作ってる内に、そんなつまらないドレスより、華やかな方がアンナ様は喜ぶと思って、私が勝手に変えたんです」


ルーシー様は同意を求めるように、にっこり笑って私を見たが、個人的にはオリバーと同じ考えだ。

冠婚葬祭全てに使えるドレスの方が、経済的だからいいに決まっている。

むしろ、冠婚葬祭全てに使えるドレスが欲しかった。


それに、ヘンリー様の披露宴が終われば、私にはルーシー様の作ってくれた豪華なドレスを着ていく場所もない。


だか、そんなことはルーシー様は考えたこともないだろう。

善意で手間暇かけて刺繍をして、華やかなドレスに作り替えたのだ。

ここはお礼を言う一択しかないだろうと笑顔を作る。


「あ、ありがとうございます。あんなに美しくて、華やかなドレスは初めてでした」


(それにしてもオリバーったら!なんて大変なことをルーシー様に頼んだのよ!!)

材料費に手間賃を考えると、オリバーがルーシー様に多少勉強を教えたぐらいでは割に合わない。


「そう言っていただけると本当に嬉しいです。でも作るのは大変だったけど、楽しかったから、本当に気になさらないでくださいね。私、勉強は1分たりともするのは嫌だけど、ドレス作りなら何時間でも何日でも続けることができるんですよ。もう作ってる間が楽しくて楽しくて。だから、また作る予定なんですよ」


「そうは言っても、あんなに美しいドレス、無料でいただくわけにはいきません。失礼でなかったら、ぜひドレス代をお支払いさせてください」


オリバーに、どうしてルーシー様にドレスを縫ってくれなんて頼んだのだのか、問い詰めたくなってくる。


「いえいえ、本当に結構です」

「いえ、せめて材料費の分だけでも、どうかお願いします」


「いいえ、いいんですよ。私、ドレスを作るのがずっと夢だったので。オリバー様に頼まれたことは、単なるきっかけです」

「そうは言ってもさすがに・・・」


ドレスは、既製品で買っても値段が高い。

ましてやオートクチュールではないか。

値段なんて、つけれないぐらい高い。


私の困った様子にルーシー様は首を傾けて思案していたが、何か思いついたのか、嬉しそうに提案してきた。


「あ、じゃあ、明日、兄と会うんでしょう?その時に、私の作ったドレスを着てもらえませんか?」


「え、ええ!?」

「ダメですか?」


だめではないが、披露宴に着ていくような豪華なドレスだ。

普段で着るには、勿体なさすぎる。


「折角だから、実際に着ているところが見たいんです。ね、お願いします!ぜひ見せてください!!」


「そ、そうですか?」

「ええ。なのでぜひ!明日からテストだから、授業が終わるのが早いんです。昼頃には帰ってきますから」


「・・・わ、わかりました」


そのくらいでルーシー様が喜ぶようなら安い物だろう。

あんなに手の込んだ美しいドレスなのだ。

作った本人としても、実際に着ている様子を見てみたいだろう。


(馬車の手配をしなくちゃいけないわね・・・)

明日は徒歩でアスター商会に行く予定だったが、ドレスを着るなら、汚れないように馬車を頼まないといけないだろう。

でも、そのくらいでルーシー様が喜ぶようなら安い物だ。


「良かった!明日を楽しみにしてますね」


うきうきとした様子でルーシー様が脚立に手をかけようとしたので、慌てて脚立を奪い返して元の場所に置く。


「アンナ様ったら、そんなに気を遣わなくていいんですよ?私、こう見えても力持ちなんです」

「いえいえ、私の方が力があるので、お気になさらず」


ルーシー様はそう言いながら、ありもしない力こぶを作ってみせるが、小柄なルーシー様に重い脚立を持たせるのは気が引けた。

ただ、私の想像していた王都の貴族令嬢とは違い、ルーシー様は逞しい人のように思えた。


「そうだ、アンナ様、この本を買ったらお茶でもしませんか?王都には、なかなかお見えにならないんでしょう?美味しいアップルパイを出すカフェを紹介しますよ」


ルーシー様が笑いながら、魅力的な提案をしてくる。

正直先ほどのカツレツが胃にたっぷりと残っていたが、美味しいアップルパイと聞き、胃の内容物が下がって、アップルパイのために空間を作ったのが自分でもわかった。


今年は、まだ一回も大好物のアップルパイを食べていない。

ましてや王都のアップルパイ。

どんなものか食べてみたい気がする。


(・・・だけど、テスト勉強は、本当にいいのかしら?)


相手がオリバーなら、遊んでいないでテスト勉強をしなさいと言うのだが、他人のルーシー様には言えない。

ルーシー様は、すっかりカフェに行く気なのか、ご機嫌な様子で鼻歌まで口ずさんでいた。


(・・・カフェでお茶するなら、一時間ぐらいかしら)

それくらいなら、ルーシー様の勉強の邪魔にはならないかもしれない。

何より、美味しいアップルパイに心惹かれてしまった。


とりあえず、本の会計を済ませて、ルーシー様についていくことを決めた。



お読みいただき、ありがとうございます。

ブクマ、評価、誤字報告、本当にありがとうございます。


作中「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」は、イギリスのことわざです。馬文化の歴史が深いイギリスは、馬に関することわざや慣用句がとても多いようです。


明日も朝7時に更新予定です。

よかったら、お付き合いいただけたら嬉しいです。

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