36 アンナの本音
「すまないな、抱えて帰れなくて」
「いいえ、十分です」
帰ろうにも、もう身体が思うように動けず、古いリヤカーに乗せてもらっている。
アルバート様は、片手でリヤカーを引いている。
片腕しか使えないアルバート様は勿論、小柄なセオドアだって私を抱きかかえたまま屋敷に戻るのは無理だろう。
「アルバート様、本当にすみません」
「いや、いいよ」
古い上に片手で引くから重いのか、リヤカーはゆっくりと進む。
アルバート様に悪いと思いつつも、座っているのもきつくて横になる。
馬小屋の掃除をしたせいで、髪も洋服もおが屑がついているし、なんなら馬小屋の臭いまでする。
さっきもこのリヤカーに横になったから、今更汚れを気にしても仕方がない。
きっと髪も服もドロドロだし、何だったら顔も涙の跡で酷いことになっているだろう。
本当に、さっきまで泣いたり喚いたりして、ヒステリーもいいとこだ。
これ以上みっともないことなど、ありはしないような気がしてきた。
「・・・さっきのこと、言い訳に聞こえるかもしれませんが、アルバート様を邪魔だと思ったことは一度もありません」
「ああ」
「勿論ベスのことも。食事の支度も刺繍も。そして一緒に遊ぶことも。ベスのためじゃありません。私がしたくてやってたんです」
「大丈夫だ。わかっている」
アルバート様は、ただひたすら相槌を打ちながらリヤカーを引いている。
私に背を向けてリヤカーを引っ張るアルバート様に、当然私の顔は見えない。
なんとなく、だからこそ本音が話せるような気がした。
アルバート様に、誰にも言えない胸の内を聞いて欲しかった。
「でも、ヘンリー様の時は違いました。ヘンリー様の心が私にないことがわかっていたから、ヘンリー様に気に入ってもらおうと、打算で行動してたんです」
アルバート様は無言で足を進めている。
「ヘンリー様の言うこと全てに頷いてました。常にヘンリー様の気に入るように行動するよう心掛けました。だって、ヘンリー様との幸せな結婚生活がみえなくて。少しでも振り向いてもらおうと焦っていたんです」
アルバート様から私の顔は見えないとわかっていても、恥ずかしくて顔を手で覆う。
「政略結婚が平気だなんて嘘です。私に関心のないヘンリー様と結婚すると思うと怖くて、少しでも心を通わせたかったんです」
目の端に涙が滲んでくるのがわかり、慌てて拭う。
婚約当初は、お互い歩み寄れば暖かい家庭を築けると信じていた。
だが婚約していた3年間、距離は縮まるどころか溝が深まるばかりだった。
「毎月ヘンリー様に荷物を送っていたって言ったでしょう?あれ、ヘンリー様に無言の圧力をかけていたんです。私は貴方のためにこんなにしてあげてるのよって」
「いや、それは」
「申し訳ないけど、黙って聞いてください。今は正論もアドバイスも、ましてやお説教も聞きたくありません」
アルバート様の声を遮る。
理不尽であることはわかっている。
言うだけだったら、アルバート様でなくてもいいだろう。
穴でも掘って話せばいいだけだ。
でも、何故だかアルバート様に聞いて欲しかった。
「・・・ああ、わかった」
「そんな自分勝手な思いをぶつけられても、ヘンリー様だって困りますよね」
何であんなことをしたんだろう。
それでもあの時は、ヘンリー様に振り向いてもらおうと必死だったのだ。
「荷物の中身も、役に立つだろうと自分が考えたものばかり。ヘンリー様の好みなんて、一つも考えませんでした」
ヘンリー様は、王都で流行っていた見た目の綺麗な華やかなお菓子を入れて欲しかったかもしれない。
でも、栄養があるからと頑なに蜂蜜飴を送り続けた。
お洒落なヘンリー様が気に入るわけないと思いながら、手編みのべストや手袋を送りつけた。
「だからこそヘンリー様は、ルナ様に心を移したんだと思います」
「アンナ嬢、それは、」
「お願いだから黙って聞いてくださいよ。これ以上アルバート様に何か言われたら、涙が止まらなくなります」
もう、完全に脅しだ。
アルバート様が口をつぐむ。
「私、前にヘンリー様に未練なんて全然ないって言いましたよね?」
ごくりと唾を飲み込む。
言いたくないことを言う時、どうして人は唾を飲み込むのだろう。
「あれ、嘘です」
アルバート様の足が止まった。
「本当は未練たらたらです。あんなに尽くしたのにどうしてって。ヘンリー様自身じゃなくて、自分が大事にされなかったことが悔しくて、悲しくて。あんなにまでしたのに、婚約破棄された自分が恥ずかしくて」
またリヤカーが動き出した。
「私、見栄っ張りで自分勝手なんです」
自分の気持ちを殺してまで、ヘンリー様に気に入られようとした3年間。
あんなに尽くしても大事にされず、結局捨てられた。
もう私の自尊心はボロボロだ。
「そんな自分が嫌で嫌でたまりません」
「・・・・・・君は頑張ったよ」
「頑張った結果が婚約破棄です。私、情けなくて。せめて領主の仕事だけでも頑張ろうと思ったのに、自分の体調管理もできてなくてこのザマです」
「そんなことないさ。君は立派にやっている」
アルバート様の慰めの言葉に、小さく首を振る。
「アルバート様に教えていただいたおかげで借金は減りますが、それでもまた、補強工事で借金です。
私に返せるのかと思うと、怖くて怖くて正直眠れないんです」
「大丈夫だ。補助金だって出る。心配しなくていい。それに君は、あのアスター商会との取引もまとめてきた。すごいじゃないか。利益が出ればその分領内も潤う」
「・・・それだって本当は怖いんです。アスター商会に騙されてるんじゃないかと思って、寝る前に、仮契約書を目を皿のようにして読み返さないと眠れないんです」
ダニエル様から声がかかった時、喜び勇んでアスター商会に行ったが、自分の経営能力の甘さを痛感させられた。あの時のダニエル様の瞳は、完全に私を見下していた。
「大丈夫だ。アスター商会は信用のおける商会だ。君を騙すことなんてないよ」
「そうでしょうか。でも、商売が上手くいかなかったら、また借金が残るだけです」
もう、アルバート様は何も言わない。
キィキィとリヤカーを引く音だけが聞こえる。
「私、怖くて怖くて、もう逃げだしたいです」
ついに涙が一筋頬を伝う。
「アルバート様、私、こんなにも情けない人間なんです。なのにこんな私を信用して、セオドアたちはついてきてくれているんです。セオドアたちを守らないといけないのに、足が震えるんです。・・・だから動くんです。忙しかったら、余計なことを考えなくて済むから。眠っている時間が短ければ、怖い夢を見ることもないから」
「・・・・・・でも、セオドアたちにも見捨てられたら、もう私は立ち直れません」
セオドアたちが離れていったら、もう私に残るものは何もない。
涙が一粒流れると、あとはもう堰を切ったように涙が溢れてきた。
「すみません、情けなくて」
ギィィィィとリヤカーの錆びた音がまた響いた。
このリヤカーも、もう随分古い。
錆びて動かなくなる前に、そろそろ捨てないといけないだろう。
重いのか、アルバート様がリヤカーを動かすのを止めた。
「君は何も情けなくないよ。・・・君の気持ちが、私には、よくわかる」
・・・・・・その言葉に、わかるわけがないと反射的に怒鳴り返したかった。
先程から「わかる」と口では言うが、アルバート様のような人には、こんな惨めで情けない気持ちなんて永久にわからない。やっぱりアルバート様に私の気持ちを話すべきじゃなかった。
「・・・アルバート様みたいな人にはわかりませんよ」
低い低い、自分の声とは思えない声が出た。
身分も美貌もあって、お金にも不自由していない人に、何がわかるのだろう。
しかも何だって上手にできる。
婚約破棄され、領地経営も上手くいかず、信頼していた人たちが離れていく私。
あまりにも違い過ぎる。
そんな人に何がわかるのか。
簡単に「わかる」なんて言って欲しくなかった。
(お母様たちに会いたい・・・)
もしお母様やお父様なら、私の気持ちをわかってくれたかもしれない。
お母様たちが恋しくて、空を見上げれば澄み渡る青空だった。
だが、それがアルバート様の瞳の色であることに気がつき、唇を噛みしめて横を向く。
その拍子に涙が横に流れ、床板に黒いシミを作っていく。
「わかるさ」
「・・・・・・アルバート様みたいに、綺麗でお金持ちで何でも持っている人にはわかりませんよ。何一つ不自由なく、幸せな人生を歩んできたんでしょう?私とアルバート様を一緒にしないでください」
「・・・わかるよ。私も婚約破棄されたからね」




