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3 嵐のあとに


夕方から降り出した雨は、段々と雨脚を強め、夜には嵐となった。

雨戸越しにも轟轟と吹き荒ぶ雨と風がうるさく、ほぼ一睡もできなかった。


そのため、起き抜けに鏡に映った顔は、目の下にクマのある、いかにも疲れ果てた女の顔だった。

(こんなんだから、婚約破棄されるんだろうな)

朝から気分が暗くなったが、慌てて首を振る。


(いけない、いけない、これではクララたちが心配してしまう)

少し濃い目に化粧でもすれば誤魔化せるかと思い、オリバーが王都の流行りだからと送ってくれた赤い口紅に手を伸ばす。


「おはよう」

食堂に行くと、すでに朝食が用意してあった。

ハニートーストにカボチャスープ、オムレツの横にはトマトサラダ。

おまけにレモンムースのデザートまでついていた。

全て私の好物だ。


「今朝は随分と豪華ね。ありがとう」

お礼を言って席に着く。

普段はたまに卵をつけるくらいで、パンとスープの簡素な朝食だ。

少しでも私を元気づけようとした心遣いだろう。

食欲はなかったが、クララの気持ちを汲んでフォークを手に取る。


「昨夜の嵐は酷かったですよね。でもお嬢様のおかげできっと皆無事ですよ」

クララが紅茶を注いでくれる。

「そうね。でも食べたら領内を見て回るわ。あんなに酷い嵐だったんですもの。畑や建物に被害が出ていないといいんだけど」

ハニートーストを一口齧る。大好きなのに、寝不足のせいか味がしない。

まるで砂を噛んでいるみたいだ。


そっとお皿に戻すと、心配そうに様子を見ているクララとタイラーに気付く。

(残したらクララたちが心配するじゃない!食べなければ!!)

慌ててフォークを手に取り、今度はトマトを食べる。

味なんてわからなかったが、なんとか咀嚼し、飲み込む。


そしてお母様の言葉を思い出す。

『アンナはしっかりしてるから。どうかお父様とサウスビー家のみんなをお願いね』

そうだ。私がしっかりせねば。

婚約破棄ごときで、皆を心配させてはいけない。


今度は、カボチャスープを飲み込む。

(液体の方がまだマシだ。喉を通りやすい)


それに、昔家庭教師をしてくださっていたスタンリー先生も言っていた。

『食べて、寝る。この二つができていれば、大抵のことは大丈夫だ』

そう、きっと大丈夫。

眠ることはできなかったけど、食べることなら、まだできる。


そう思い、今度はオムレツに手を出すと、クララが頬に手をあて、ため息をついた。

「お嬢様、領内を見て回るのは構いませんが、道もぬかるんで危険でしょうし、セオドアも一緒に連れて行ってくださいな」


思わずオムレツを吹き出しそうになる。

そんな理由で二人で見回りしたことなどない。


昨日婚約破棄され、自暴自棄になった私が何かしでかすかもしれないと危惧しているのだろうか。

そんな心配は全くの無用なのに、タイラーまでがそうすべきだと頷いている。


(ああ、これ、断れないわね)

もし断ったら、セオドアに後をつけさせることぐらいするかもしれない。

苦笑いしながら、心優しい二人を安心させるために応える。


「そうね。酷い嵐だったし、道も悪いだろうから、今日はセオドアと行くわ」

ホッとした空気が食堂に流れた。



◇◇◇


「全く母さんは心配性なんだよ」

馬を操りながら、呆れるように言うのはセオドアだ。

それに対して馬が同意をするようにいななく。

セオドアの乗る馬は気性の荒い黒毛だが、この子は難なく乗りこなしている。


ちなみにセオドアの母はクララだ。

クララがオリバーの乳母ということもあり、セオドアとオリバーは双子のように育った。

そのため、セオドアは昔から私を領主の娘ではなく、姉みたいな扱いをしてくる。

まあオリバーと私、セオドアは3人一緒に姉弟にように育ったようなものだからそんなものだろう。


無論クララは、セオドアの私に対する態度を見れば烈火のごとく怒るが、私としてはこの方が気楽なので、二人きりの時はタメ口だ。


「第一、アンナがあんな脳筋男に振られたぐらいでアホなことをするように見えるか?むしろやり返すタイプだろ」

「ちょっと、私そんな事しないわよ。セオドアの中の私ってどうなっているのよ」

「転んでもタダでは起きないタイプ。今日目の下にクマ作ってるのも、どうせ貰った慰謝料をどう使おうか考えていただけだろ」


(いや、そんな人を守銭奴みたいに。確かに月いくらぐらいになるか、すぐ計算はしたけど)

それにしても目の下のクマを指摘されるとは。

お化粧で誤魔化したつもりだったけど、お見通しか。

自分の化粧の下手さにがっかりする。


「アンナって見た目大人しそうだけど、よっぽどオリバーより逞しいじゃん。小さい頃はよく山に入って遊んだけど、決まって無茶するのはアンナだったよな。覚えてるか?野犬に石投げて追いかけられそうになったこと」

「もうっ、いつの話してんのよ」


セオドアを叩く真似をする。

腹は立つが、下手に気を遣われるよりは良かった。

今はむしろ、セオドアの生意気な軽口が心地よい。


「ま、その内アンナの中身も好きっていう奇特な奴を俺が見つけてやるよ。誰もいなかったら、最悪俺がもらってやるわ」

「はいはい。心配しなくても大丈夫よ。貰った慰謝料で一儲けして、老後まで安泰な財産を築くから」

「おうっ、いいね。その時は俺を雇ってくれよ」

「春から騎士団に入団する人が何言うのよ」

「いいじゃん、用心棒にもなるぜ。なんならアンナが墓に入るまで見届けてやるわ」

「年齢が一つしか違わないくせに、どうして私が先って言えるのよ?女性の方が長生きって知らないの?私はしぶとく生きるわよ」


軽口を叩きながら、川沿いを中心に見て回る。

4年前に堤防が決壊して被害を出した川幅の狭い箇所だ。

護岸工事を施したから大丈夫だと思っていても、やはり自分の目で見ておきたい。

今のところ川の水は濁っているし、水位も高いが、堤防はどこも決壊していない。

この様子なら川沿いは大丈夫だろう。


馬から降りて川の様子を観察していると、セオドアが躊躇うように私の後ろから声をかける。

「・・・・・・なあ、ヘンリーのことだけどさ、婚約中に浮気するなんて、ロクな奴じゃないぜ」

(知ってる)

「結婚前にわかって良かったんじゃないか」

(私もそう思ってる)

「お前、元々ヘンリーのこと、そんなに好きでもなかっただろ」

(・・・政略結婚だからね。でもそういうことじゃないのよ)


セオドアが私を慰めようとしているのはわかったが、今はまだ触れられたくなかった。

心がささくれ立っているのがわかる。

ヘンリー様についてはどうでもいいと思いながらも、モヤモヤした気持ちを抱えたままの自分がいるのだ。


(やっぱり一人で来れば良かった)

セオドアにどう返事をすればいいかわからず、川を観察するふりを続ける。


「ほら、スタンリー先生も言ってたろ。『人間万事塞翁が馬』って」

スタンリー先生を敬愛してやまないセオドアは、ことわざや格言を多用していた先生の真似をよくする。

「それ、あらゆる出来事は幸か不幸か予測がつかないって意味だけど?」


(人を慰めるのに、もう少し違う選択はなかったのかしら?)

セオドアの頭を叩きたくなる。


「あ~、ほら、あれだ!『禍福は糾える縄の如し』だっ!」

「いや、それも、ほぼ同じ意味。禍と幸せは交互にやってくるってことだし」

「いや、いいじゃん。次は幸せが来るさ。『七転び八起き』だぜ!」

「そんな7回も苦難がきてたまるものですか」


「『七転八倒』よりマシじゃね?」

「あんたね・・・」

「あはは、じゃあ、あれだ『災い転じて福となす』」

「それ、自分でピンチをチャンスに変えるってことでしょう?もうっ、なんで自力で這い上がれみたいなものばっかり選ぶのよ」

「いいじゃん。アンナらしくて」

「何よ、それ」


「じゃあ、あれだ。『棚からぼた餅』だ。ぼんやり待っていようぜ。昔、山で遊んでたら、たんまりアケビ見つけただろ。あれ、俺たち生で食ったけど、オリバーが言うには、今じゃ王都のお貴族様は珍しい果物だってありがたがって食べるらしいぜ」

「えぇぇ?」

「ホントホント。ご丁寧にシェフが焼いたりして出すらしいよ」

「そうなの?」

「あの正直者のオリバーが嘘なんてつくものか。そうだ、そうしようぜ。昼からは山に入って昼寝でもすれば、わんさか金になる実が落ちてくるんじゃね?」

セオドアのあり得ない計画のくだらなさに思わず笑ってしまった。


「あっ、笑った」

セオドアがホッとした顔を見せる。


「え?」

「笑えよ。お前笑ったらまぁまぁ可愛いんだから。あんまり辛気臭い顔すんなって。それこそ『笑う門には福来る』なんだろ?」

普通にしていたつもりだけど、そんなに暗い顔をしていただろうか。

(それにしても、まあまあ可愛いってどういうことよ?そこは可愛いと言いきるとこじゃないのかしら)


セオドアにまで心配されるなんて領主失格だ。

パチっと自分の両手で頬を叩いて、笑顔を作りセオドアに向き直る。


「川沿いは大丈夫そうだから、王道を見に行こうか」

次は王都に繋がる王道を見に行かねば。


王都に隣接しているうちの領は、多くの作物を王都に運んで利を得ている。

また、最近は風光明媚な近場の観光地として、逆に王都からも旅行客が来る。

王都との往来を支える王道は、うちの生命線となるのだ。


「了解。このまま川沿いを北に行こうぜ」

鐙に足をかけ、馬に跨る。


「しっかし、被害はなくても、これは片付けが大変だぞ」

馬の足を進めるが、道の悪さにセオドアがうんざりとした声を出す。

雨上がりで濡れていて滑りやすいのは勿論だが、道には風で煽られてきた落ち葉や枝の他に、ゴミまでが大量に飛んできている。水たまりもあるし、泥も流れ出てきているから、このままでは物流を担う馬車は通行が難しいだろう。


川に目を遣れば、川にも、どうやってここまで運ばれてきたのか、木箱や車輪まで浮いている。

元に戻すことを考えると、頭の痛い光景だ。


「後で地区長たちに連絡して、道の整備だけでも先に手をつけてもらいましょう」

「そうだな。とりあえず王都までの道だけでも整備するか。木が倒れてなきゃいいけどな」

もしそうなれば、思った以上に人手が必要になってくる。

早めに確認するに越したことはない。


「俺、先にマシューのとこに行ってくるわ」

セオドアが手綱を持ち直した。

マシューは30年も地区長をしているし、生業は土木工事が専門だ。

道の状況を確認するなら、彼を連れて行った方が確かにいいかもしれない。


「万が一にも土砂崩れとかあったら、危ないから私が行くまで近寄らないように伝えといてね」

わかったと手を振りながら、セオドアが揶揄うように笑う。

「アンナは川沿い確認しながらゆっくり来なよ。川に土左衛門でも浮いてたりしたらいけないしな」

「もうっ、止めてよ、縁起でもない」


そう言いながら川に目を遣れば、遠くの川岸に人のようなものがあった。

見間違いかな?とも思い目を凝らせば、やはり人の形に見える。


「えっ、ちょっと、待って、あれっ」

私の声にびっくりして、振り向いたセオドアが私の指した方向を確認する。

「何だよ、えっ、まさかホントに人か!?おいっ、行くぞっ!!」

二人で急いで馬を走らせた。



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